夢に向かってすすんでいく。その途中でまた新たな夢が生まれる。ひとつの夢は小さい夢のままで終わらない。終わらせない。夢は大きく広がっていく。可能性は無限大。夢へ向かう行動がまた新たな夢へとつながっていく。そこに人として人魚としての成長がある。ひとつ夢が叶いまた新たな夢をめざして行動していく。たちどまって考えているだけではダメ。行動するその過程の中でまた人は人魚は新たな考えに到達するのだから。

夢は終わらない。しかし命は有限だ。みんな夢の途中で死んでいく。みんな悲しみの中で生きている。人魚は悲しみの海の中を泳いでいる。

悲しみからのがれるために記憶を封印して心の奥底に沈める。たまゆらの安息がそこにある。しかし記憶は消せない。本当に大切な記憶は消えることなく残っている。なにか大切なことを忘れているようなきがする、そんなもやもやした気持ちにいざなわれて行動してなにかのキッカケで心の底で眠っている大切な記憶をたぐりよせる。

なつかしいという気持ちこそが理想へとつながる。こうありたいとの願いの中にはかならずそこに無意識になつかしさがこめられている。生きているということは楽しいことばかりでない。いやむしろつらく悲しいことのほうが多いはず。しかしだからこそ、いとおしいという気持ちも生まれるのではないだろうか。なにかを探し求める。それは今を変えることにより今よりも良くなりたい良くなるだろうとの希望から生じているのだろう。みんないつかは死んでいく。それはわかっている。しかしみんな必死で生きていく。それはきっと生きてきた夢のさきになにかすばらしい永遠があると信じている或いは信じたいからなのだろうか。