世間は、世の中は、なにを基準にして、その人がその人であると認めるのであろうか。外見で、顔や背格好で、判断するのだろうか。それとも外見とはまさしく飾りであって、その人の言動こそがその人の本体なのだろうか。あるいは外見と言動が一致してこそなのだろうか。考えれば考えるほど、よくわかりません。そんな難問にあえてとりくんだのが今回の話だった、のかどうかもわかりませんが。

ローラとメガネ先輩がいれかわって、それぞれが新しい姿で初めての経験をかさねる。ローラは歩きまわれるようになってやりたいほうだいで楽しかったようです。メガネ先輩も人魚の尾ヒレをうまくつかって自由に海の中を泳ぎまくれて楽しんでいた。しかし今回、いちばんの収穫は本来の体からはなれることで自分自身を客観視できて、それを今後の生活の糧にできたことのようでした。

ふだんとちがう体験は楽しくて視野を広げてくれた。それは良いことだ。しかし、ふだんとちがうことをするのは、たまにでいい。変わった体験をするとものの考えかたも変わるのでしょうけど、本当になにもかも変わってしまうのはイヤなものだ。姿かたちが人間になってそのままずっと人間でいると、おそらくもとは人魚であったとしても、いつのまにか心も人間になってしまうのではないでしょうか。その逆もありそうで。与えられた状況に適応していくと人は自然とそれらしく変わっていってしまうということはあるとおもいます。ニセモノがホンモノに変わることだって、めずらしくないとおもいます。変わるということは、あたらしいものを手に入れることだが、ときにそれとひきかえにしていままでの大切なものを失ってしまうこともある。それに気がつくことも大切なんだと思う。敵怪人の襲撃をまのあたりにして、人魚の姿では戦えない。メガネ先輩はもとにもどりたい、プリキュアに変身して守りたいこの世界をと強く願った。そして願いはかない、もとにもどれた。やはり、わたしは、わたしのままがいいのかもしれない。かんぺきではないけれど、いつものわたしがいちばんかなと。だけど、いいとこどりかもしれないけれど、すこし変えていきたい気持ちも芽生えた。それを心の成長とよぶのであれば大切に育ててほしい。そんな結末だったのだろうか。

ローラは人間の生活にあこがれていて、こんかい夢はかなったけれど、それは決して待ち望んでいたものではないとわかったようだ。ローラにとって人間社会での生活はあくまでかりそめで、いずれは人魚の世界での生活にもどる。そもそも人間の世界に来なければ、人魚であることに不自由を感じることもなく、したがって二足歩行にあこがれることもなかったはずだから、もとの姿にもどれたあと自身の人魚の下半身を見てうなずいていたのは、自身が人魚であることの矜持をあらためてたしかめていたのだろう。そう信じたい。ローラが人間の姿になることはない。夢は今回限りで終わり。それこそが、きれいな終わり方だ。