こちらが心を開かねば、あちらは心を開いてくれない。しかし、こちらが心を開いたからといって、かならずしも、あちらが心を開いてくれるとはかぎらない。よくわからない相手には警戒する。それは本能であり自然な感覚です。こちらが心を開いてるつもりでも、あちらがそう思ってくれなければ、あちらの心は閉ざされたままです。はたらきかけても本能で敵対してくるだけです。心をかよわせるには信頼関係が必要なのです。それには根気よく、まごころで接していくことが大切だとおもう。観念的に判断せず、こちらのはたらきかけに対して、こちらはあちらの反応をよく観察して、そこからあちらの気持ちをよく考えて、どう対応したらいいか、おもいやりをもって丁寧に接していくことが大切だとおもう。しょせん、心の中はわからないものなのです。心を開くとはいっても、それは心の入口を開くというだけで、その心の中まではのぞけないものなのです。あちらが心を開いてくれても、こちらはあちらがあちらの意思であちらの心の中から出してきてくれる気持ちを受けとることしかできない。しかし、それでじゅうぶんです。あちらが心から出してきてくれた本当の気持ち、やはりそれは言葉や行動であらわれるものだから、それを大切に受けとめてあげられることが重要だとおもいます。受けとめてあげられることが信頼へとつながるのです。他者を信じることが、自分自身を信じることへとつながり、ひいては強く生きる気力につながるとおもいます。

アスミちゃんは「かわいい」がわからなかった。しかし、いろいろ教えてもらったり経験して、さいごは「かわいい」と口をついて出てしまうのでした。ただし、そのまえに「さみしい」という気持ちがはっきりわかっていたようでした。ポチットとの別れがさみしい。ポチットが「かわいい」かどうか、それはまだ判断がつかなかったけれど、いとおしくはかんじられていた。その感情を「かわいい」とよぶのであれば、そうなのだろうけれど、そのときのアスミちゃんにはそんなことはどうでもよくて、ただ、このままなにもなくポチットと別れて関係が切れてしまうのではなく、友達になって、これで終わりにしないで、忘れないでねと、そんな純粋な願いを伝えたかっただけでした。はなれていても、またいつか会える日がくるかもしれないから、そのときはおたがい笑顔でなつかしさにひたれたらいいとおもったのかもしれません。そんなアスミちゃんのまごころがポチットにとどいたようでした。アスミちゃんがポチットの前に願いをこめて彼女の左手をさしだすと、ポチットは小さな舌でペロッとなめて返して彼女の気持ちにこたえてあげたのでした。そんなポチットをアスミちゃんは「かわいい」と素直に受けとめることができた。おもいがけず「かわいい」に気がつく展開がよかったです。