六花さんマジ天使。思春期の少女らしく、じぶん自身とまじめにむきあう姿に好感がもてました。

医者になるという夢。ものごころついたころから、あたりまえのように将来は医者になるとかんがえていて、それがあたりまえで、疑問にすらおもわなかった。でも、いざ、なぜ医者なのかと問われると返答に困ってしまう六花さんでした。

母が医者でカッコよくて、だから自分もあこがれて母親のような医者になりたいと願っただけなのかもと六花さんは自己分析する。そして、医者って、あこがれだけでつとまるものなのだろうかと、六花さんはばくぜんとした不安、おそらく自分自身の不誠実さになやんだのではないか。

使命感かな、医者に必要な資質は。はたから見ると、ときに自分を犠牲にして、家族を犠牲にする。じっさい六花さんは母親が医者という仕事のせいで家族団らんが犠牲になってるのを知っている。こんかいだって、そう。おそらく急患かなにかだったのでしょう。母は帰ってこない。ひとりで晩ごはん。それでも六花さんは、いつものこととわりきっている。さみしいと思う気持ち。それでも誰かのためにという気持ち。ゆれうごく正直なおもい。

かつて幸福の王子にでてくるツバメになりたいと告白した六花さん。これはとおもう人物(相田マナさん)のためならもうボロボロになってでもそのひとと運命をともにしたいとすら考えていた六花さん。だれかにあこがれてそのひとにつくすという他者への愛、そして、そんなケナゲな自分の姿に酔う自己愛、それらが今までの立花さんだったけど。こんかい、自分はどんな自分でいたら自分で自分を愛せるんだろうという自己愛と、ケガや病気で苦しんでる人なら敵であろうと関係なくだれでも助けたい愛したいという他者への愛へと、六花さんの自己愛と他者愛は変化したようだ。

だれかのために、は立派だけど。それでもまず自分が主人公でなければ、心が、ゆらいでしまうし、くだけてしまうこともある。六花さんはそこに気づいて、そこを見つめて出した答えが、自分を信じて後悔しない、だったのかなと。じぶんのことより「あなたが無事なら、それでいい」という他者への愛。かといってそれは自己犠牲の表現ではなくて真心からの言葉。自分が良いと思ったら、その感情を常識的な損得勘定やら善悪やら敵味方といったフィルターをとおさず、いちずに行動したい。つきあげてくる正義感や愛といったもの、それだけをたよりにして。そして、それによってどんな結末が待っていようとも、後悔だけはしたくないからと。そんな自分を支持したい、そんな自己愛が、自分を信じるおもいが、六花さんの強さになったのかと。

得だとおもってしたことがじつは損だったり、その逆もある。けっきょく世の中なにが正解でなにが不正解だかわからないものなんだ。ならば何を根拠に行動すべきかというと、おそらく、それは信念だろう。自分が正しいと信じたことをする、たとえそれで良い結果をもたらさなかったとしても、自分でいいとおもって行動した結果ならあまり後悔はしないだろう。

こんかいの六花さん、あのままイーラを放置していても、あるいはブスリととどめをさしていても、よかったのかもしれない。でもそうはしなかった。そうはできなかった。それが今後のどういう展開へとむすびつくのかはわからないけど。とにかくイーラを介抱することで六花さん、いろいろ得るものがあったようだし。イーラのほうにも変化があったようで。それぞれが自分でもわからなかった知らなかった自分に出会えたような感覚で、なんか心地よかったです。