ドキプリ第24話に隠された、成田良美先生からのメッセージ

成田先生は、まこぴーをつうじて、自分自身のことを伝えたかった。なんのために脚本を書くのかと成田先生にも悩んでいた時期があって。まこぴーの「なんのために歌うのか?」という自問が、成田先生では「なんのためにお話を書くのか?」で。その答えが、まこぴーは歌いたいから歌う、成田先生はお話を書きたいから書く、といったかんじに。

「歌なんか歌って、なんになるの?なーんの役にも立たないのに」という問いかけに、まこぴーは「役に立たないかもしれない、無意味かもしれない」ととりあえず答えるのだが、そのあとで「でも楽しかった、うれしかった。私は歌うことが好きだから、だから歌ってきたの」とも。

成田先生も、お話を書いてなんになるんだろう、なんの役にも立たないのでは、と悩んだことがあるのでは、とくに大震災直後なんかには。でも書くことが楽しくて、うれしくて、好きだから書いてきたのだからと、悩むのをやめて自分を信じることにしたのではないのかな。「こんな私を応援してくれる人がいる。だからその人たちのために、自分のために、私は書く!」と。まこぴーが歌うプリキュアなら、成田先生は書くプリキュアなんだ。

お話を書くことをひたむきに愛し、自分の力量を信じて愛し、成田先生はプリキュアで世界に愛を与えたいんだ。まこぴーが最後に「私は歌うことが大好きです。歌っていると楽しくてうれしくて幸せな気持ちになります。そんな気持ちをみんなにも感じてもらいたい。だから歌います!」と言ったのは、ハイ、もうおわかりですね。「私は書くことが大好きです。書いていると楽しくてうれしくて幸せな気持ちになります。そんな気持ちをみんなにも感じてもらいたい。だから書きます!」という成田先生からのメッセージでもあったのですよ。たぶん

ドキプリ #24 愛は あたえるもの! 感想

まこぴーは、歌いたいから歌う。それは応援してくれる人たちのため、そして自分のため。愛はあたえるもの、愛は他者にあたえるだけでなく、自分自身にもという意味で。他者を愛して、なおも自分を愛さないと、それはホンモノの愛とはいえない。自分を愛するということは、自分(の存在価値)を信じるということでもあるわけで。自分を信じられないようでは、とうてい他者に愛をあたえることなど不可能なんじゃないのかと。

まこぴーは歌がキライになったわけではなくて。ただ、いままでずっと、愛のため、王女様のために歌ってきたつもりだったのに、それがただの自己満足だったかもしれないと、不安になり、はずかしくなったのでしょう。

鏡の中の王女様がホンモノだったのか幻影だったのかはわからないけれど。鏡の中の王女様とのやりとりの中で、とどいてなかったとおもっていた自分の歌が王女様にとどいていて、そして王女様はまこぴーの歌にはげまされていたということを知った。その事実を知って、こんどは逆にまこぴーがはげまされ、無力感からも解放された。さらに王女様からは「昔のように楽しみながら歌ってください」、「あなたが楽しいと、わたしもうれしいわ」と。そうですね、「あなたが楽しいと、わたしもうれしい」と思ってくれる人がいると信じられるかどうかが重要で。まこぴーが歌を続けられるかどうかのモチベーションはその一点につきたようでした。そうして、まこぴーは自分をとりもどし、自分を信じることができるようになり、迷いは消え、歌うことへ前向きになれたのでした。「こんな私を応援してくれる人がいる」という謙虚さ、そして「その人たちのために歌う」という積極さ、その両方を兼ね備えてこそ他者への愛であって、ひいては「自分のために歌う」という自己愛へとつながるのかなと。

他者との気持ちのつながりを意識しつつ自分がこうしたいと願うのが自己愛で、自分の欲望だけで自己完結しているのが自己中であるような気がする。だから、まこぴーの「歌いたいから歌う」という感情は自己中ではないのです。

ドキプリ #23 プリキュアたる者 いつも前を向いて 歩き続けること 感想

「プリキュアたる者 いつも前を向いて 歩き続けること」
つまり、いなくなったレジーナ様のことなんてキレイサッパリ忘れて前進しろよ、ってコトですかい(ぇ
それはともかく…
5つの誓いとかいっといて、1つだけって、ひどくね?
これから毎回1つずつ小出しにしていくって、はらづもりか?

さて、今回もっとも衝撃的だったのは…
アイちゃんには他人の記憶を改ざんする能力があるんだそうです。
なんて便利な能力を今まで隠していらっしゃったんでしょうか。
アイちゃんに記憶を上書きされた相田母は、アイちゃんのことを自分の赤ちゃんだと、マナさんの妹だと認識してしまう。
怖いなコレ。
相田父が妻とは夫婦関係がもう何年もごぶさたなのに赤ちゃんが生まれたことに疑問をもってたりして(ぇー

それにしても前回。
相田父、相田さん、立花さん、アリス嬢、まこぴー、そしてレジーナ様の6人で小旅行に出かけたのに、帰りは5人だったようだけど、相田父はそれでオッケーだったのかな?
帰りの車の中がどんな雰囲気だったのかイマイチ想像できませんぞ。
相田父、もしかして気絶してるあいだにレジーナ様のこと忘れちゃったのかな?なんか足りない気もするけど、こまけぇこたぁいいんだよぉ、みたいな軽いノリで。
それとも、レジーナ様がいなくなってたのには気がついてたけど、もともと素性のわからないコだったから、いなくなっても、まあ、いっかー、みたいな感覚なのか(ぉぃ

いろいろと疑問がでてきましたが…
えっとぉー、相田父の記憶もアイちゃんに改ざんされてるということで全て説明がつきます。
ここ何年もヤってないのに去年ヤったことになってますから、相田父と相田母。
小旅行には5人で行ったことになってますから、レジーナ様はもともと不参加ということで。
よるべのないレジーナ様を自分の家であずかってたことも、相田父はお忘れのようで。
マナさんのひきこもりの原因をレジーナ様とケンカでもしたのかと相田父は安じておられましたが、いや、心配するトコちがわないか。レジーナ様が行方不明になってること心配しろよ、とツッコミが入りそうですが。
それもこれもアイちゃんが相田父の記憶を上書きして改ざんしているからなんですよね。
そんなわけで、相田父には責任はないのです、ハイ。

ところで岡田はどうしてるんだ、という疑問もありますが。
おそらくソリティアの地下にある業務用冷凍庫のなかでアン王女といっしょに凍りづけに…(ネーヨ

キュアエースに変身するあの娘さんは、ソリティアにいそうろうしてそう。
アイちゃんを追い出した岡田さんは、くぎゅ声の少女を保護しているンだ。
そして、くぎゅ声で「おにいちゃん〜」と呼ばせてるんだ岡田さん。ウラヤマシイ

ドキプリ #22 エースをねらえ 感想

レジーナ様は、父であるキングジコチューを慕う気持ち、相田さんとの友情を大切にしたいという気持ち、その両方の気持ちのはざまで葛藤する。キングジコチューとプリキュアは敵どうし。そしてレジーナ様は実父であるキングジコチューから折檻されたあげく勘当された。この状況ならレジーナ様が迷わずプリキュアの味方になるのが自然なのだろうけれど。そうもいかないのはレジーナ様が極度のファザコンだからなのか。はたまた親子の絆とは理屈どおりにはいかないということなのだろうか。それぞれの家庭にはそれぞれの事情があるということなのか。家族って難しい。

いまのレジーナ様はフレッシュプリキュアのイース様の状況に似ている。フレッシュプリキュアでイース様は総統メビウスから死亡宣告されるのだけれど、間一髪アカルンの導きによって死をまぬがれた。その後イース様は桃園家にあたたかくむかえられ、ひとの愛情とささやかな幸せが身に染みる。とはいえイース様は総統メビウスへの思慕の念を完全には断ち切れないでいた。イース様はキュアパッションになって他のプリキュアたちとともに総統メビウス率いる管理国家ラビリンスに戦いをいどむのだけれども、最後まで総統メビウスの改心を願っていた。ところが総統メビウスが、じつは人間ではなかったという衝撃的なオチが用意されていたのでした。ひるがえってキングジコチューは人間なのだろうか、レジーナ様は本当にキングジコチューの娘なのだろうか、という疑問があります。今回レジーナ様自身はキングジコチューを実父だとは認識しているものの、過去の思い出が欠損しているそうなので、なにやらあやしいです。なんとなくだけどキングジコチューはレジーナ様の願いが具現化した存在のような気もするんだ。父親がいなかったレジーナ様が「パパが欲しい!」と願ったために生まれたのがキングジコチューで、みたいな。まあ何も根拠はありませんがね。

レジーナ様は相田家にあたたかくむかえられる。相田さんたちと小旅行に出かけて楽しむ。いろいろ心配はあったけど、とりあえずこっちの世界でよろしくやっていくことになったレジーナ様。つかのまの幸福を感じるレジーナ様なんだけど、なぜだかそのつど胸が痛むのだという。ずっと自己中に生きてきた者にとって、他者をおもいやる気持ち、すなわち愛は異物で、拒絶反応を起こしてしまうのだとレジーナ様はキングジュコチューの幻にさとされる。くさいめしを喰らってきた人間がとつじょとしてゴチソウにあずかると腹を壊すというような感覚でしょうか。まことしやかに語られたのだけれど、それが本当かどうかは分からないけれども、パパの強引な説得になんとなく納得したレジーナ様はジャネジーによって悪堕ちしてしまったよ。

ラブリーフォースアローでレジーナ様を浄化しようと試みるも、キュアハートが躊躇して不発に終わる。おそらくキュアハートは強制的にレジーナ様を浄化するのがイヤだったのかと。強制的に浄化してレジーナ様をもとにもどしても、それでは今までつちかってきた友情とは何だったのか、嘘だったのだろうか、ただの友情ゴッコだったのかと、そう考えるとキュアハートは急にいたたまれなくなったとか、そんな理由かと。道具を使わないで、どうか自然に、レジーナ様の真心でもとに戻って欲しかったんじゃないのかと。でも現実はそんなに甘いものではなくて、レジーナ様はプリキュアたちにトドメの一発をおみまいしようとする。絶体絶命のピンチ。そのときキュピラッパーの掛け声とともに新玩具がデカデカと画面にあらわれ、すかさず赤い閃光が走った。キュアエース降臨。次回につづく。刮目して待て。

ドキプリ #21 蜘蛛の糸 感想

今回のみどころは、なんといっても、キュアハートをたすけるためにレジーナ様が自分の身を犠牲にしようと決意し行動する場面です。しらずしらずのうちにキュアハートから愛をもらい、そしてとうとう自身も自己中ではない本当の愛にめざめたというレジーナ様が素敵でした。キュアハートのいちずでブレない愛、そしてレジーナ様自身のキュアハートへの真実の愛、その両方を確認したのちに安心して「マナのために死にたい」とおもったのでしょうか。「マナ…だいすき…」とだけ告げ、レジーナ様は全身を脱力させ重力に身をゆだねるのでした。

キュアハートをおもいやる気持ちがレジーナ様を自己犠牲という結論にみちびいたのだけれど。それをいさぎよしとしないのが我らのキュアハートでして。だれかの犠牲で自分だけ助かるのは許せないらしい。それは、自分だけでは喜びを共有できないからか。キュアハートはドキドキするのが大好きなのだけど、よりドキドキするためにはどうしても仲間が必要だと感じているのでしょう。

弱気なレジーナ様に対して「でもも、すとも、いりません!」と一喝するキュアハートが印象的でした。自分を過信して、アレがダメでもコレがある、コレがダメでもソレがある、イザとなったらもうなんでもアリなんだよ、なんとかなるよ、なんとかするよ、なんとかさせてみせるよ見ててごらん、みたいな、根拠のないメチャクチャな理屈でもキュアハートが言うとホントになんとかなりそうな気分にさせてくれる。それで、つい弱気になっていたレジーナ様ももうアレコレ考えるのはヤメて、とにかくキュアハートについていきたい、ついていこう、それでダメなら納得だよ本望だよぐらいの気持ちになってしまったのだろうか。

ありのままのキュアハートを受け入れたい。そう願うとレジーナ様は、おさえきれないくらいにドキドキする。これはそう、キュアハートの愛にレジーナ様の愛が共鳴したからでしょう。キュアハートの胸の鼓動の波長と、レジーナ様のそれとが完全に一致する。気持ちがひとつになると大きな力になる。それでレジーナ様はチカラを取りもどしたのでしょう。

信じることで夢がはじまる。そして奇跡が起こる。次回、新プリキュア誕生。「なんだろう…すごく…ドキドキが…とまらない!」

タバコの単純所持禁止を呼びかけるべき

単純所持が禁止されているといえば、覚せい剤や拳銃がおもいうかびます。なぜ禁止されているのか。おそらくキチンと管理したうえで道楽として所持しているだけなら問題ないけど、所持していると使ってみたくなるのが人情だからかと。

よく知りませんが、覚せい剤の使用は、その使用者に幻覚や幻聴をひきおこし、ときとして周囲の人たちに危害がおよぶ可能性があるそうなので、禁止されているとか。拳銃には殺傷能力があり、やはり周囲の人たちの身体に危険がおよぶ場合もあるので禁止されているようですね。では同様に殺傷能力がある包丁の所持は、なぜ認められているのか。それは生活に必要だからでしょう。包丁がなければ、ほとんどの料理がまともには作れません。なので、包丁が殺人等に悪用される危険性はあるけれども、実用性のメリットの大きさを優先して、包丁の単純所持は認められているのだとおもいます。

以上をふまえて、私はタバコの単純所持禁止を提案したいです。タバコの煙は周囲の人たちの健康にも悪影響をおよぼします。いわゆる受動喫煙です。分煙がすすんでいるとはいえ、まだまだ不十分です。たとえば、お父さんが吸っていても家では子供は立場が弱いですからなかなか文句を言えない場合だってあるでしょう。タバコの煙から子供を守り、子供を健全に育成したいと思いませんか。また、知識や判断能力が十分でない子供が、大人の喫煙を見て、いたずらに興味、関心をあおられ、誤った認識をしてしまうおそれがあります。大人がうまそうにタバコを吸っていると、その様子を子供が見たとき「タバコはうまいものなのだ」「自分もタバコを吸ってみたい」と考えてしまう可能性があります。そういった子供への悪影響の可能性が否定できない以上は規制の話が出るのは当然だ、というのが児童ポルノ禁止法改正案に賛成している人たちならば、タバコが青少年の健全育成を阻害しているであろう点に注目して、タバコの規制強化に、すなわち単純所持禁止にのりだすべきでしょう。

タバコは生活必需品ではありません。ただの嗜好品のひとつです。タバコがなくても人間は生きていけます。タバコがないと生きていけないと思ってしまうのなら、それは中毒症状ですから、カウンセリングを受けて治療をしたほうがよいのかもしれません。いっぽうで性欲とは、タバコを吸いたいという欲求とは違って、人間の、生物としての、根源的な欲求なのです。ですから、性欲に関する議論はより慎重である必要があるのだとおもいます。

「必要条件」を比喩で用いるのは誤解のもと?!

論理で用いる「必要条件」という単語を比喩で用いるというのは、どういうことなのだろうかと、ずっと疑問に思っていたのですが。最近やっと理解できました。

どうやら、たとえば「博士課程で自分を磨くことは世界に通用する人材の必要条件」という表現なら「博士課程で自分を磨くことは世界に通用する人材になるためには最適です」ぐらいの意味なのかと。ここで「博士課程で自分を磨くことは世界に通用する人材の必要条件」を必要条件ほんらいの意味で解釈すると「世界に通用する人材はかならず博士課程で自分を磨く」となってしまい、すなわち「博士課程で自分を磨かないと世界に通用する人材ではない」になってしまいます。これは誤りでしょう。大学院どころか大学すら出てなくても世界に通用する人材はいるのだろうから。

もしかしたら私だけなのかも知れませんが、「必要条件」という単語が出てくるとついつい額面通りに受け取ってしまって、それが比喩だとはつゆほども思わずクソマジメに論理展開を検証してしまう。私のような人のことを比喩表現で「石頭」というのでしょうかね。もうすこし融通がきくようになりたいものだと反省してます。

正しい事実認識を!

プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべき(アゴラ)

もし著者の人が、現実の少女に興味があるのだからアニメやマンガに出てくる空想上の少女にも興味があるはずだと考えて

>>「幼児に性的魅力を感じる人」は、ほぼプリキュアに釣られてしまうでしょう。

と予想したのだとしたら、それはどうなのでしょうか。
たとえば、どちらも小説なのだからといって、ライトノベルを読む人はほぼ純文学を読むでしょうか。ライトノベルと純文学は趣向が違うものです。
同じ陸上走行車両だからといって、レーシングカーに魅力を感じる人がほぼ戦車に釣られるでしょうか。レーシングカーのさっそうと走る姿に魅せられた人のほとんどが同時に戦車のドッシリ感にも熱い視線を向けてくれるでしょうか。
そう考えると、同じ少女でも現実の少女と空想上の少女とではその魅力は似て非なるものといえるのではないでしょうか。


著者の人は、幼児性的犯罪者は少女に興味がある人たちなのだから同様に少女に興味のある人たちは幼児性的犯罪者になる可能性が高い、と考えているようです。
だからこそ

>>「必要条件(比喩)」というのはプリキュアが好きな人には抵抗があるでしょうが、「児童ポルノ法改正案」に反対するならば認めた方が良いと思います。更に、私が主張するように、プリキュアで「大きいお友達はカウンセリングを受けてね!」って呼びかけるべきでしょう。

と述べているのではないでしょうか。
これは「同じカテゴリー内にいる人は、同じような性質を持ち、同じような行動をとるはずだ!」という思考ですかね。
こういう思考が、たとえば「あの人は部落出身だから…」とか「あの人は大企業につとめているから優秀でも、この人は中小企業だからそうでもない」とか、あるいは「親が犯罪者だったらその子供も悪い子にきまってる」みたいな発想につながるような気がします。
これらは偏見と差別です。
どこ出身であろうと、どんな職業だろうが、家族に犯罪者がいようがいまいが、その人はその人なわけですから、今現在のその人の有り様でのみその人は判断されるべきなのです。
プリキュアだってそうです。コスプレ美少女が登場するからとか、大人の愛好家である大きなお友達が多数存在しているからとか、そういった断片的で副次的な情報と先入観からだけで、プリキュアとはこういうものだろうと判断してしまうのは間違いなのです。
本質を見極めるためには、まず正しい事実認識からです。

どう呼びかけるべきかの提案みたいなもの:「プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべき」(アゴラ)

プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべき(アゴラ)

幼児性的犯罪者になりそうな人に犯罪予防的な意味でカウンセリングを呼びかけるにはどうしたらよいか。

まず国民全員にカウンセリングを受けてもらうという方法があります。
たしかに国民全員の中には全ての幼児性的犯罪者になりそうな人はいるのだから、国民全員にカウンセリングを受けてもらえば必ず全ての幼児性的犯罪者になりそうな人にカウンセリングを受けてもらえますので、目的は達成できます。
しかし現実的ではありません。

宝くじで1等を当てるために全ての宝くじを買い占めれば、もちろん1等どころかすべての当たりくじを独占できますが同時にすべてのハズレをも引き受けなければなりません。
これは現実的ではありませんよね。

そこで対象をしぼるということをします。

たとえば、

タバコを吸う人⇒肺がんになりやすい人

という医学的な研究成果を根拠に、愛煙家のみなさんにだけ肺がん検診をよびかけるのです。
もちろんタバコを吸わない人のなかにも遺伝とかが原因で肺がんになりやすいタイプの人はいるかもしれませんが、そこは目をつぶってもタバコを吸う人に限って重点的に肺がん検診をよびかけるのは効率的なのではないでしょうか。(もちろん肺がんが気になる方は自主的に健康診断を受診してもらっても、いっこうにかまいませんから。というか受診してください!)

ここからが本題です。それでは、

幼児性的犯罪者予備軍⇒プリキュア愛好家

であった場合はどうか。(これが現実として正しいか正しくないかの判断は置いといて、というか正しくないと判断してしまうとそこで話が終わってしまうので、正しいと仮定して話を続けます。)
これを根拠に、プリキュア愛好家に幼児性的犯罪の予防的なカウンセリングを呼びかけるのは適切であるかいなか。

ちなみに、

プリキュア愛好家⇒幼児性的犯罪者予備軍

ではないとします。

さて、

幼児性的犯罪者予備軍⇒プリキュア愛好家

というのは、

∀x∈{幼児性的犯罪者予備軍};x∈{プリキュア愛好家}

すなわち

{幼児性的犯罪者予備軍}⊂{プリキュア愛好家}

ということですから、幼児性的犯罪者予備軍の人はプリキュア愛好家の人たちの中にしかいない、ということです。

問題になるのは、はたしてプリキュア愛好家の中にどの程度の割合で幼児性的犯罪者予備軍が存在するのかということです。
つまり

(幼児性的犯罪者予備軍の数)/(プリキュア愛好家の数)

を検証する必要があるのではないかということです。

長いのでRを

R = (幼児性的犯罪者予備軍の数)/(プリキュア愛好家の数)

とおきます。
R=1 ではないことは

プリキュア愛好家⇒幼児性的犯罪者予備軍

から明らかです。またR=0の場合は議論しても無意味なので、
けっきょく、Rは

0<R<1

となります。
Rの値が1に近ければ近いほど、プリキュアでカウンセリングを呼びかける意義は大きいのですが、Rの値のじっさいのところは分かりません。これでは心もとないです。
そこでRの値よりも1に近い、つまり R<Q<1 となるQが欲しくなります。
それには、ほかの必要条件を追加すればよいのです。
手順としては、なにか

幼児性的犯罪者予備軍⇒何かほかの性質の人

というのを示してあげます。(ただし、{プリキュア愛好家}⊂{何かほかの性質の人} となる場合は追加した意味がありません。また、{何かほかの性質の人}⊂{プリキュア愛好家}のときは集合{プリキュア愛好家}を考慮する必要がなくなります。)
すると

{幼児性的犯罪者予備軍}⊂{何かほかの性質の人}

なのだから

{幼児性的犯罪者予備軍}⊂{プリキュア愛好家}

というのと合わせて

{幼児性的犯罪者予備軍}⊂{プリキュア愛好家}∩{何かほかの性質の人}

となります。
理想的には、同時に

{幼児性的犯罪者予備軍}⊃{プリキュア愛好家}∩{何かほかの性質の人}

が成立することです。(十分条件が成立するということ)

一般的に、

(({プリキュア愛好家}∩{何かほかの性質の人})の数)<(プリキュア愛好家の数)

なのだから、Qを

Q = (幼児性的犯罪者予備軍の数)/(({プリキュア愛好家}∩{何かほかの性質の人})の数)

とおけば

R<Q (Q<1 または Q=1)

です。
結論として、プリキュア単独でカウンセリングを呼びかけるよりも、プリキュア愛好と何かほかの性質とを同時にあわせもつ人たちに呼びかけるほうが、より高い蓋然性で幼児性的犯罪者予備軍の人たちにカウンセリングを受けてもらえそうです。

意見みたいなもの:「プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべき」(アゴラ)

プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべき(アゴラ)

「幼児性的犯罪を犯す人はプリキュアを観る人」

と著者さんは主張しています。
今ここでは「幼児性的犯罪を犯す人はプリキュアを観る人」というのが正しいのか正しくないのかの議論はしません。
とりあえず正しいと仮定して、話を2つします。

1つめ。
「幼児性的犯罪を犯す人はプリキュアを観る人」という主張は同時に、その対偶の「プリキュアを観ない人は幼児性的犯罪を犯さない人」だとも主張していることになります。
つまり、プリキュアを観る人たちの中にしか幼児性的犯罪を犯す人は存在しないということを述べているのです。
なのに著者さんは

>>プリキュアがその様に訴えかければ、同様に少女が出てくるアニメやマンガで、そのような呼びかけが一般化するのでは。

などと、プリキュアに無関心な人たちの中にも、同様に少女が出てくるアニメやマンガで幼児性的犯罪を犯す人が存在することを暗に認めてしまっている様子なのです。すなわち、矛盾した内容が読み取れるということです。
なぜなら、幼児性的犯罪を犯す人はプリキュアを観る人だと主張しているのだから、もしもプリキュアと同様に少女が出てくるアニメやマンガで幼児性的犯罪を犯す人が存在するのであれば当然その「同様に少女が出てくるアニメやマンガを観る人」は同時に「プリキュアを観る人」でなければなりませんので、あえて「同様に少女が出てくるアニメやマンガで、そのような呼びかけが一般化」される必要はなくて、プリキュアでカウンセリングを呼びかけていれば十分なわけですから。
それなのに、著者さんがプリキュアと同様に少女が出てくるアニメやマンガで呼びかけの広がりを期待しているということは、ようするに、プリキュアに無関心な人たちの中にもプリキュアと同様に少女が出てくるアニメやマンガで幼児性的犯罪を犯す人が存在するであろうと著者さんが思っている証左になるのではないでしょうか。

2つめ。
プリキュアを観る人たちの中にしか幼児性的犯罪を犯す人は存在しないとして、ではプリキュアを観る人の中でどの程度の割合が幼児性的犯罪を犯す人なのでしょうか。もしプリキュアを観る人の中で幼児性的犯罪を犯す人の割合が低い場合には、はたしてプリキュアを観る人全員にカウンセリングを受けさせるのは効果的なのだろうかという疑問がわきます。もし、プリキュアを観る人の大部分が幼児性的犯罪を犯す人である可能性が高いのであれば、プリキュアを観る人全員にカウンセリングを受けさせるのは効率的だし効果的だといえるでしょう。しかし、そうなると著者さんが強く否定するところの「プリキュアを観る人は幼児性的犯罪を犯す」という「十分条件」に近くなってしまう。なので、著者さんは『「プリキュアを観る人の大部分が幼児性的犯罪を犯す人」とはいえない』と主張するしかないのだから、「プリキュアを観る人という条件だけでカウンセリングを呼びかけてもあまり意味がないのでは!」という結論にたっしてくれてもよさそうなものなのですが。どうなのでしょう。

ドキプリ #20 雪山 感想

光の伝説。奇跡の光。プリキュアは光の美少女ですからね。奇跡の光でレジーナ様の心をあやつっていた呪いみたいなモノが解き放たれたようなので。なんか、やっぱレジーナ様が追加プリキュア要員なのかなと思ってしまった。

アイちゃんを雪山の上に連れていかなかったのは、おそらくアイちゃんを氷漬けの王女様のそばに近づけたら王女様は簡単に解凍されちゃうからなのかなと。そんな理由で今回、アイちゃんはセバスチャンとお留守番だったンじゃないのかと。

山小屋で「オレが頂上に登った1番目の男になってやるぜ」とほざいていたモブ男。いかにもコイツ、ジコチューになりそうだなと思っていたら、まったくそのとおりで。物語の展開にはまったくからんでこないで、ただただジコチュー要員としてだけの役割でした。

今回のお話は、レジーナ様は良い子で、相田さんはさらに良い子でしたというオチ。どういうメカニズムで、というか「奇跡」だからメカニズムの説明も糞もないのかもしれないけど、とにかく「光」のおかげでレジーナ様は正気をとりもどした。けれども、なぜか魔力までも失ってしまったレジーナ様。けっきょく「光」はレジーナ様の魔力の根源となるものまでも浄化してしまったというコトなのだろうか。

今回のマトメ。レジーナ様の呪いはとけました、ついでに能力も失いました、王女様は氷漬けでしたが見つかりました、レジーナ様と氷漬け王女様はジコーチュートリオに連れていかれました、次回に続く。

それにしても岡田がボケをかましてくれなくて残念でした。大きな雪の玉がころがってきたときプリキュア4人はキチンとよけて、でも岡田だけは雪玉の直撃喰らって、あえなく退場、みたいな体当たりなギャグができなかったものかと。岡田が退場だと氷漬けの王女様を王女様その人だと確認できないから退場させなかったンだ、なんてのは理由になりませんから、だってキュアソードがいるじゃないですか。

キュアソードはレジーナ様を信じることはできないけれどレジーナ様がいなくなると相田さんが悲しむからレジーナ様の無事を心配していたのだとレジーナ様に告げていた。キュアソードは相田さんのことは大事だけど、レジーナ様のことは基本的にどうでもよい。けれど、どうなのだろうか。キュアソードはレジーナ様は信じられないけれども相田さんのことは信じていて、そして相田さんはレジーナ様を信じてる。つまりキュアソードはレジーナ様は信じられないけれどもレジーナ様を信じてる相田さんのことは信じられるということで、それって結局、相田さんのレジーナ様を信じる気持ちをキュアソードは信じるわけなのだから、間接的にキュアソードはレジーナ様を信じるというコトになるンじゃないのかなと。レジーナ様と戦っていく中でそれでもキュアハートのレジーナ様を信じる気持ちがブレなければ、キュアソードとてしだいにレジーナ様を信じるようになってしまいそうです。「君を信じる。ために戦う」というのは「君を信じる。そしてキミを信じるために戦う」ということで「キュアハートを信じる。そしてレジーナ様を信じるために戦う」みたいな感じかなと。

感想みたいなもの:「プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべき」(アゴラ)

プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべき(アゴラ)

まず、タイトルの

>>プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべき

ですが、これは児童ポルノ法で創作物の規制をさせないための根拠となりえる統計資料をつくるのが目的だそうです。
では、なぜアンケートではなくてカウンセリングなのかといえば、

>>その内容がどうしても「性的」なことにならざるを得ないためです。

がその理由。
そして、なぜプリキュアなのかといえば

>>■プリキュアははもの凄い影響力

だからだそうで。その根拠として、

>>橋下市長の7歳になる娘さんが、橋下市長の携帯をハッキングして(苦笑)Twitterで「スイートスマイルプリキュア」とツイートしたことによって大騒ぎに

を挙げている。
そして、

>>プリキュアは事実上フラッグシップと呼べますから、プリキュアがその様に訴えかければ、同様に少女が出てくるアニメやマンガで、そのような呼びかけが一般化するのでは。

と、プリキュアをキッカケにカウンセリングの輪が広がっていくはずだと主張しています。

ここまでをまとめると、著者は
「プリキュアにはものすごい影響力があるのだから、まずプリキュアからはじめるのがよい。そうすれば他のアニメ・マンガでも動きがでてくるはずだ。したがってプリキュアでカウンセリングを呼びかけるのが児童ポルノ法で創作物の規制をさせないための根拠となりえる統計資料をつくるのにもってこいだ」
と主張している。

とりあえず、著者の伝えたいことは理解できる。


ところで、

>>「プリキュアを観る人は幼児性的犯罪を犯す」というのであれば「十分条件」であって「十分条件」とは誰も言ってません。

ということなので、必要条件と十分条件とは逆の関係ですから、
必要条件は「幼児性的犯罪を犯す人はプリキュアを観る」になります。
しかし、これには驚くべき補足がありまして、

>>私はプリキュアは「幼児性的犯罪の必要条件」と言ってよい(比喩)と思っています。

などと書いてある。
つまり『プリキュアは「幼児性的犯罪の必要条件」』と著者が勝手に思っているだけで客観的にそうであるかないかの検証はしてないということです。だからこそ、ご丁寧に「(比喩)」などと断っているのです。論理的な話だとおもっていたら、偏見をまじえた例え話(比喩)だったというオチでした。

じっさい、

>>「幼児に性的魅力を感じる人」は、ほぼプリキュアに釣られてしまうでしょう。ということを言ってるに過ぎません。

と、『「幼児に性的魅力を感じる人」は、プリキュアに釣られてしまう』といった明確な表現ではなくて、『「幼児に性的魅力を感じる人」は、ほぼプリキュアに釣られてしまうでしょう』と「ほぼ〜でしょう」という曖昧な表現になっている点からも厳密な「必要条件」ではなくて「(比喩)」だということがうかがえます。たしかに「(比喩)」なら厳密な客観性は問われませんから、お話をあやふやにするにはもってこいです。

そして、肝心なところがあやふやなまま、お話は続きます。

>>「必要条件(比喩)」というのはプリキュアが好きな人には抵抗があるでしょうが、「児童ポルノ法改正案」に反対するならば認めた方が良いと思います。

これは意味不明です。そもそも「(比喩)」なのだから認めるも認めないもないと思います。他人が比喩として何をどう表現しようが基本的に自由だと思うから。だってそうでしょ?たとえば気の小さい人が謙遜して「私の心臓はノミの心臓ですから…」と言ったとして、それが比喩表現であるかぎり、その人の心臓が実際に生物学的にノミの心臓でなくてもまったく問題がないように。というかそもそもノミに心臓はないらしいのですが、それでも全く問題ないですよね、比喩表現であるならば。認めるも認めないもないと思われます。

そしてその直後、なんの脈絡もなく、

>>更に、私が主張するように、プリキュアで「大きいお友達はカウンセリングを受けてね!」って呼びかけるべきでしょう。

と、プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべきだと主張している。これはどういうことなのだろう?

著者は「プリキュアを観る人は幼児性的犯罪を犯す」とは全く主張していなくて、さらには「プリキュア」という単語は「幼児性的犯罪の比喩」として使用しているにすぎないのだと主張しているのだから、畢竟、著者は「プリキュア」と「幼児性的犯罪」との関係性はものすごく曖昧だということを述べてしまっている。なのに、さもプリキュアと幼児性的犯罪とは密接な関係があるかのようにムリヤリに導いているのですよ。

たとえどんなにプリキュアにものすごい影響力があったとしても、プリキュアと幼児性的犯罪の関連性が明らかでなければ、プリキュアでカウンセリングを呼びかけても著者が意図するところのカウンセリングの輪は広がらないだろうし、したがって児童ポルノ法で創作物の規制をさせないための根拠となりえる統計資料をつくることも困難なのではないでしょうか。

ドキプリ #19 ゲーム 感想

けっきょく誰がクリスタル5個集めても飛んでっちゃってたのかもしれない。
次回予告で、まこぴーが「クリスタルが飛んでった先に王女様がいるはずぅ!」と何を根拠にそんなこと言ってるんですかこの小娘は!と思って見てたら、どうやら本当にいるみたいなんだなコレが。
まこぴーは預言者か?
でも、いるにはいたんだけど、いかんせん王女様は凍りづけで、うむ、わかったぞ、次回はいかにじょうずに王女様を解凍できるか?それが問題になるのだろう(え

しっかし、どう考えてもジコチューの連中はゲームでズルする気マンマンでしたからネ。
つまらんゲーム大会になりそうだなと思ってたら、やっぱりツマラナカッタ。
せめてプリキュアさんたちが、ジコチューさんたちが反則してきても、自分たちだけは正々堂々とゲームします、みたいな展開だったら良かったのかもしれませんが。
ってゆーか、戦闘しないためにゲームしようというのに、そもそもプリキュアに変身する必要があったのだろうかという素朴な疑問がありまして、とうとつにプリキュアに変身した時点で必殺技使いますって宣言しているみたいでヘンな感じがしたんだがな。
とはいえ、プリキュアに変身しなければ販促になりませんから、ここはジコチューたちの反則に対してプリキュア側は玩具の販促で対抗したということなのでしょうか。

だいたい、むこうはクリスタル1個で、こちらはクリスタル4個。
それを勝った負けたで総取り、というのはプリキュア側にブが悪すぎるじゃあーりませんか。
しかも、どんなゲームをするかは敵側が勝手に決めてしまって、しかも事前には教えてくれない。
しかもしかも、すべて敵陣での勝負となれば、どんだけ不利なんだろう。
しかもしかもしかも、ジコチューさんたちは反則する気マンマンときたもんだ。
しかーし、それでもレジーナ様の提案するゲームにいどんでいく相田さんのさまは、ただのバカなのか、それともレジーナ様を信じる気持ちのあらわれなのか。

信じることをあきらめてしまったらオシマイ。
おそらくそんな気持ちが相田さんにはあったのかな。
指切りをして、どんなことがあってもお互い約束は守ろうとレジーナ様をうながす相田さん。
ああ、これは、ズルしてレジーナ様がクリスタルを奪うのだけれども、結局は相田さんとの約束が大切だと気がついて返すというオチになるのかなと思いましたが…ちがった。
いや、プリキュアさんたちの説教もあって、そんな展開になりそうだったのだけれども、赤いロイヤルクリスタルの呪いだかなんだかのせいで赤い瞳のレジーナ様は「そんな約束なんか知ったコトかッ!(大意)」といった感じになってしまった。

けっきょくレジーナ様がクリスタル5個そろえてしまったのだけれども、その直後クリスタルはどこかに飛んでいってしまった。
これは、レジーナ様が悪しき心だから飛んでいってしまって、プリキュアさんたちだったら5個のクリスタルは切り札に変化していたのでしょうか。つまりクリスタルはそれを所有する人を選ぶ、ということなのか?
でもレジーナ様の悪しき心は赤クリスタルのせいだと思うので、なんか変な感じもするんだがな。
どうなんだろう。
わからん、わからん。
とにかくクリスタル5個は飛んでいった。
さて、どうやって追跡するのでしょうか?という素朴な疑問があるのですが…発信機でも付いているのでしょうか?

ドキプリ #18 ジョー岡田の身の上話 感想

ある日、アイちゃんの卵が河原に産み捨てられていました。偶然それを見つけたジョー岡田ことジョナサン・クロンダイク。これは使えそうだ、高く売れそうだ、と、ひろってきたのだそうです。そして、ある日とつぜん、中から赤ちゃんが…というのがアイちゃん誕生の顛末だそうで。ウソくさいですね。あいかわらずの、うさんくささ。そしてウンコくささ。それがジョー岡田。

ジョナサン(ジョー岡田)はアン王女の警護を担当していたが、人事異動で辺境地を警備する役目になってしまう。ちょうどそのときにジコチュー集団がトランプ王国に攻めてきたのだという。だがしかし、かりにジョナサン(ジョー岡田)がアン王女のそばにいたとしても、守れたかどうかは、また別の話なのでしょうけどね。

キュアハートがひとりで蒸気機関車を押し止めようとしてましたが。そこで、チョット気になったのがキュアハートの脇の下…ではなくて、なんで残りの3人が加勢しなかったのかという点です。全員で協力して蒸気機関車を押し止めようとする場面が描かれていたら、ああ、プリキュアっぽかったのになと。まあ、販促の都合もあったのでしょう、キュアソードがスパークルソードで連結器を壊してキュアハートを援護するという流れになりました。とはいえ、さいごに最後のロイヤルクリスタルが登場したとき、さいごのはピンク色でしたから、そう考えるとキュアハートの、お兄さん(ジョー岡田)の思い出を守りたい、という思いと共鳴したからあらわれたと理解できますから、蒸気機関車を押し止めようとする場面はキュアハートひとりでなければダメだったのかもしれませんね。地味にキュアハートのメイン回だったのかもしれない。

こんかいは、個人的には、ジョー岡田とまこぴーが王女様をめぐって修羅場になり、頭に血がのぼったご両人のとっくみあいのケンカとかが描かれるのかなと期待していたのですが、そんなことはなく。わりと平和に、ゆったりとした展開だったような気がします。ようするに今回は、視聴者にジョー岡田の身の上話を聞かせる、最後のロイヤルクリスタルを登場させる、の2点を消化できれば良かったわけですからね。物語の縦軸をつなぐための消化回でした。そんなわけでレジーナ様の動きも、たんたんとしてました。

ドキプリ #17 我が名はジョナサン・クロンダイク。アン王女の婚約者なり。 感想みたいなモノ

まこぴーの「王女様は彫刻が好きだった…」で、今回の舞台は森の彫刻美術館になりましたとさ。なんか強引な展開じゃないか。でも以前にも「王女様はバラが好きだった…」でローズレディコンテストに参加することになったことがあったわけですから、ドキプリではよくあることなのかもしれません。もうね、まこぴーが「王女様は●●が好きだった…」と言えば、●●に関係のありそうな場所が舞台になるのでしょうね。なんかスゴク便利。「王女様は魚が好きだった…」なら水族館に行き。「王女様は牛が好きだった…」ならステーキハウスへ。また、「王女様はアニメが好きだった…」なら秋葉原。といった感じに、お話の舞台を設定できそうですね。

今回は、あっけにとられたというか、予想の斜め下をいったというか、とにかく展開が読めませんでした。レジーナ様が森の彫刻美術館に来たのは、おそらく相田さんをストーキングしていたか、あるいは、ひそかに相田さんのお洋服にでも超小型GPSを取り付けていたのでしょうから、まあ、いいとしても。ジョー岡田まで森の彫刻美術館にいたりして、ああ、でも、ジョー岡田はよく相田さんたちの周辺をウロウロしてますよね、映画の撮影所にも忘れ物をとどけに来たとか何とかで。うむ、ジョー岡田は神出鬼没な不審者キャラとして視聴者から認識されてましたからね。今回もとくにストーリーには関わってこないで終了かなと思っていたのだけれども。最後にビックリさせてくれました。いっつもどこほっつき歩いてるんだかと誰もが思っていたジョー岡田が、じつは王女様の婚約者だったという衝撃の事実。まこぴーも知らなかったという、王女様の婚約者の存在。ああ、こりゃ修羅場だ。まこぴーがジョー岡田の首をかき切っても不思議ではないだろう。

それにしても、あの赤いロイヤルクリスタルを手にしたときにレジーナ様の眼の色が赤くなり、態度が豹変したのは、なぜだったのだろうか。なにかを思い出したのだろうか。それとも何かにあやつられているのだろうか。謎だ。

ドキプリ #16 マナはあたしのモノ! 感想みたいなモノ

本当の友達とは?。これはレジーナ様でなくても難しい問いかけでしょう。自分では友達だとおもっていたのに相手はそうは思っていなかった、ということもあるから。じっさいのところ、友達の定義って、なんなんでしょうかね?。わかっているようで、じつはわかっていない、それが友達というものの本質でしょうか。

友達になるキッカケは、いろいろあるとは思います。なにかに意気投合して自然と友達になる場合もあるでしょうし。組織の中でひとりぼっちがイヤだから、とりあえず気が合いそうな人をみつけたい、そんな切なる同じ思いどうしの利害が一致して友達になることだってあるでしょう。また、レジーナ様のように相田さんを一方的に気に入って友達になりたいというケースも、まま、よくあるのでしょうよ。

相田さんの場合、自分に好意をもって近づいてきてくれた人は、とりあえず受け入れたいという気持ちがありそうです。以前、あこがれています、弟子にしてください、と頭をさげてきた後輩の男の子がいましたが。そのときも相田さんはイヤな顔ひとつせず、いいよ、と。おそらく相田さんは、相手が自分の良いトコロを見つけて好きになってくれたのだから、こんどは自分のほうで相手の魅力を見つけて好きになってあげたいのかなと。

レジーナ様は相田さんをオモチャにしたいだけという感じでした。というか、それがレジーナ様にとっての「友達」という概念らしい。自分の友達は、自分のオモチャは、自分だけのモノ。だから、ほかの人にはさわられたくないし、さわらせない。とくにお気に入りのオモチャなら、なおさら強くそう願うものなのかも。でも人間は、友達はオモチャではない。

レジーナ様には相田さんをよろこばせたいという気持ちもあったようだけれども。それとて結局のところ相田さんのためというよりもレジーナ様自身が相田さんの気を引いて、それを自分が楽しみたいというだけのようでした。レジーナ様は「マナのため、マナのため」と主張してはいたけれど、ほんとうは「自分のため」で。あまつさえレジーナ様は相田さんのためにイッパイつくしたのだから今度は相田さんの番だ、ほかの友達たちは切り捨てて私だけのモノになれと要求してくる。

とはいえ、レジーナ様がまったくの自己中心的な性格かといえば、そうでもなくて。相田さんはレジーナ様が学校に来たことをとがめて、「学校が終わったらつきあうから…(いまは帰って)」と説得すると「わかった。マナがそういうなら、そうする」と素直に応じる場面もあったりして。好意をよせる人物の意見には耳を貸そうとする気持ちもあるようです。だからこそ最後の場面で文句タラタラになりながらもキュアハートに「本当の友達になろう…」といわれたことを思い出しながら、レジーナ様は「本当の友達って、なんだろう?」と内省してみるにいたったのでしょう。

なんとなくレジーナ様は、気まぐれではなくて、本当に相田さんのことが好きなのかなと。自分の思い通りにならないのなら、いつでも「つまんない。マナも消えちゃいなよ。」とか言って攻撃しそうなものなのだけれども。レジーナ様はけっしてキュアハートだけは攻撃しないで、執拗にほかの3人のプリキュアを攻撃していた。それもこれも相田さんの人徳というか、相田さんはレジーナ様の友達になることは承諾して、実際いっしょにオシャベリしたりアイス食べたりと、なんやかんやと気さくに遊んであげていたわけですからね。レジーナ様は相田さんのそういう卑屈にならない媚びへつらわない性格が新鮮でオモシロイと感じて、気に入ったのではないのかな。

いずれレジーナ様は相田さんに薫陶されていくような気がします。いまは、友達になってくれると言っておきながら自分だけのモノになってくれない相田さんにいらだってるレジーナ様だけれども。なぜそうなのか?本当の友達とは?と考えていくうちにレジーナ様の心境に変化があらわれてくるのでしょう。

敵と友達になって世界を救うという展開は、なんとなく「精霊とデートして、デレさせる」というあの番組に似てなくもないような気がした。

ドキプリ #15 レジーナ様、初参戦 感想みたいなモノ

おもしろかった。今回のレジーナ様謹製ジコチューに対しては必殺技のコンボでは歯がたたない。そこでキュアソードさんが、4人のチカラをひとつにするんだ、と提案したから、ああ、ここで4人の合体技が出るんだなと期待した。すると、ちょうどタイミングよく、放し飼いにされていたアイちゃんが登場してくれて、あらたなキュアラビーズを4人に配給。ここで私は、おそらく4人それぞれの小道具を物理的に合体させ、しかるのち強力なビームでも発射するのかなと予想していたのですが。見事に、ちがった。ここは青木れいか様もビックリの、まるで弓道部の連中のようにキレイにそろって4人が4人それぞれに弓矢ビームを放ち、それらが合わさって敵を攻撃するという予想の斜め上をいく展開。そして、ここで大事なのは1+1+1+1=4ではなくて1+1+1+1>4だということですね。ハートシュートの1本だけだと弱いけれど4本あわせれば4人のこころをひとつにあわせれば4倍以上に強力になるという教訓。まるで毛利元就の3本の矢の話のようでした(ちがうか?

ドキプリ #14 からくれなゐに みつくくるとは 感想

なんかもう、メチャクチャ。なんで競技かるた?という素朴な疑問。地味に競技かるたのルールとかテクニック(一字決まり、囲い手、など)とかが紹介されてましたがね。それもなんか中途半端で残念な感じでした。あと、六花さんがかるたクイーンと手合わせするとか、六花さんはすでにA級なのか?という疑問もわいてきたりして。クイーンもクイーンで、ご丁寧にわざわざ袴着用でしたよね。おそらく「呉服の大江」で借りてきたのかも。

六花さんが競技かるたをはじめた理由がイマイチでした。やっぱ、ここはひとつ、小学生のときに福井から転校してきた男の子(綿谷くん(仮名))をキッカケに、六花さんは競技かるたにめざめたという設定にしていたらヨカッタとおもいます。つまり六花さんが競技かるたをはじめたのは小学生のときで、でも中学生になって、綿谷くん(仮名)が福井に帰ってしまったり、あと六花さん自身も中学校という新しい環境をスタートするにあたり本格的に医者になるという目標を意識するようになって勉強が忙しくなって、いつのまにか競技かるたから気持ちが離れていってしまったという。けれども、ときどき思い出す、綿谷くん(仮名)のことを。綿谷くん(仮名)は福井でいまでも競技かるたを続けているのだろうかと。今年は年賀状がこなかった。なにかあったのだろうかと六花さんの胸がさわぐ。去年の年賀状に記された綿谷くん(仮名)ちの電話番号にかけてみる。綿谷くん(仮名)が電話にでた。六花さんは綿谷くん(仮名)に「元気?かるたやってる?こんどヤろうよ!」と伝えるものの、しばしの沈黙のあと綿谷くん(仮名)は「ゴメン。いまはそういうの全然ヤってないから…。もう電話してこないで…」とだけ答えて、電話は切れた。六花さんは綿谷くん(仮名)のことが心配になり、いてもたってもいられなくなり、すぐさま福井に直行する。

えっとぉ、今回の舞台は福井です。六花さんとおせっかい3人が福井でプリキュアに変身して戦うのです。綿谷くん(仮名)は、とある家庭の事情から競技かるたへの情熱を封印していた。しかし「競技かるたをやりたい!名人になりたい!」という綿谷くん(仮名)の自己中心的(?)な気持ちをイーラにジコチューにされてしまう。ジコチューになってしまった綿谷くん(仮名)とキュアダイヤモンドは競技かるたで勝負する。激しい戦いのすえ、からくもキュアダイヤモンドは勝利する。しかるのち浄化され、もとにもどった綿谷くん(仮名)は、六花さんに諭されて、謙虚な気持ちで競技かるたを続けていくことに。六花さんは綿谷くん(仮名)に「近江神宮で会おうネ(ハートマーク」と告げると、夕日を背に帰路につくのでした。

まあ、だいたい、こんなかんじのストーリーのほうがヨカッタんじゃねーのかなと。前回は四葉ありすお嬢様のおさななじみがゲストキャラとして登場したので、今回は六花さんのおさななじみの綿谷くん(仮名)ということにしたら、と、そう思わずにはいられなかった今回のお話。

ドキプリ #13 ロゼッタだから薔薇だとおもってたけど… 感想

バラバラにしてやりたいから薔薇(バラ)なんだってさ、今回。
なんだかな〜、と思いましたが…
まあ、とにかく四葉ありす様メイン回でした。

アバンで四葉財閥の取締役会の様子が描かれていました。
なんかホント、ありす様は学校に行ってる感じがしませんな。

今回はお話の展開がちょっと強引な印象でした。
まこぴーが王女様をみつける手がかりは薔薇だと言う。
するとセバスチャンがタイミングよく新聞の折り込みチラシをとりだして「ローズ・レディ・コンテスト」ってのがあるよと。
優勝商品の黄色い薔薇が王女様の手がかりになりそうだからと、ありす様がコンテストに参加しましょうと提案。
まあ、そんな誰かに誘導されたような感じで、ローズ・レディ・コンテストの会場へレッツゴーという展開に。

そして、そして、ローズ・レディ・コンテストの競技内容というのが、なぜか…
社交ダンス、絵画、ピアノ演奏、テニス、ですって!
唐突すぎて、ワケワカラン
しかもピアノの中で子猫が寝ているというハプニングがあったりして…、でも、まあ、これはよくあることですね(ネーヨ
なんかもうメチャクチャ
審査基準がまるで示されないまま、ご都合主義的に最終選考に残った2人が、ありす様と自称ライバルの五つ星さん。
そして、なぜか最終決戦がテニスという、どのへんが「ローズ・レディ・コンテスト」なんだろうかという素朴な疑問をいだきつつも、こまけぇこたぁいいんだよ的な感覚で視聴継続するしかなかった。
わりと激しいテニスだったのに普通に会話してたのも違和感だったな。

今回は、ありす様が相田さんたち友達を大切におもう気持ちが描かれていた。
五つ星さんが相田さんたちにどんなに悪口を言っても、ありす様は心がみだれることはなかった。
ありす様は、悪口を言う人たちは無視するか適当にあしらっておけばいいと考えたから。
ありす様は、自分がとりみだすことで相田さんたち大切な友達に迷惑をかけることを知っていたから。
じっと耐えることも友情。
でも本当に友達を守らなければならないときは遠慮なく、とことん戦うという。
そんな、ありす様でした。

けっきょく、五つ星さんとは友達になれなかったのかな。
けっきょく、五つ星さんはジコチューを登場させるためだけのゲストキャラだった。
けっきょく、五つ星さんに救いはなかったというのがオチだったようです。そこが前回のお話とは決定的にちがうのよね。残念でした。イイハナシジャナカッタナー

ドキプリ #12 マナがついに弟子をとる?! 感想

ハートキャッチプリキュアっぽい、お話でした。ゲストキャラが登場して、そのゲストキャラがデザトr…、ちがう、ジコチューになってしまって。でも浄化されるとスッキリして視野を広げて視点を変えたゲストキャラさんは前向きになった、という終わりかた。ああ、いかにもハートキャッチプリキュアっぽい。ですよね?成田先生?

相田さんにあこがれて弟子入りを志願してきた後輩の男の子。かんたんに弟子入りは許可されたものの、相田さんがハイスペックなうえに仕事がハードでなかなかついていかれない。後輩君は自身の無力感にさいなまれる。そしてとうとう後輩君の心の花は枯れてしまってデザトリアンに…だったらハートキャッチプリキュアなのですが。ドキドキプリキュアでは自己中心的にならなくてはいけません。後輩君は「相田先輩より強く大きくなりたーい!」と願うのですが、これは自己中心的な感情とはちょっと違う、けれどここは敵さんから強引にプシュケーを抜き取られたということで理解しました。じっさい自己中ではない人から奪ったプシュケーをもとにしたジコチューでは、敵さんはかんじんなところでウマクいかなかったわけですからね。

けっきょく後輩君は、自分は相田さんと同じにはなれない、けれども困ってる人を助けたいとか生活環境を良くしたいとかそういう思いや願いは相田さんといっしょだからと。後輩君は後輩君で、自分の得意な分野でできる範囲のことを努力していけばいいのだと気がつく。そんな健気な後輩君の姿に相田さんも心をうたれて、相田さんはこれからも後輩君のことを応援していきたいとおもっただろうし、自分自身ももっと頑張りたいとおもったのではないでしょうか。

感想を書くために2回目に見たとき、アバンであの花壇が描かれていて、ああ、そういうことか、と思った。アバンでは後輩君は花壇にはまるで関心をしめさず、相田さんのことばかり考えていたのでしょうね。それが最後、まぶしすぎる存在である相田さんのことは相田さんとして置いといて、後輩君は自分が得意とする花壇の手入れをするようになったというオチでして。なんかイイハナシだな。まさに花壇で始まり、花壇で終わったような。お花ではじまり、お花でおわる。まさにハートキャッチプリキュアじゃないですか。花言葉はなかったケドさ。

ドキプリ #11 めざめよ!プリキュアの新たなる玩具! 感想

たまにアニメとかで、部活の助っ人なんてのが描かれたりするけど、じっさいはそんな人いないような気がする。すくなくとも私は知らない。だいたい部外者をその球技がじょうずだというだけの理由で試合の時だけ出場させるなんて、そんなイイトコドリは顧問の先生が許さないとおもうし、あいての学校にも失礼だとおもうし、なにより日々つらい練習に耐えながらベンチ入りがかなわなかった部員たちに失礼です。助っ人が許されるのは、せいぜい学校内の球技大会ぐらいだろうか。などと少し憂鬱になりながら物語の展開を見ていたら、なんのことはない。けっきょく相田さんはプリキュア業を優先して、試合には出場しなかった。そして急遽、1年生の補欠のコが登板してた。そう、それだよ。エースがケガで投げられないのなら、補欠のピッチャーが投げればいいだけのはなしですよね。いやあ、よかった、よかった。これこそが部活動の本来あるべき姿だ。勝ち負けなんて、にのつぎ。これぞスポーツマンシップ。うむ、うむ。

ジョー岡田は、ひとめをはばかって変身できない相田さんのために、わざとやられたふりをしていたのかと思いきや、ほんとうにダメージを受けていて入院していたという残念感パネェ。入院服姿が涙を誘った。せっかくならあのままジョー岡田さん永久退場という展開でも、よござんしたね。そんでもってジョー岡田の弔い合戦ということになって、キュアハートと敵のオッサン(名前は失念)がタイマン勝負をするという熱い展開でも笑えたのだが。さすがにそうはならなかった。

敵のオッサンがアイチャンめがけて投げたロンギヌスの槍は、アイチャンのATフィールドにはねかえされた。そのあとアイチャンはとつじょ地味に巨大化して意識を失ったかとおもいきや、アイチャンの背中がパックリ割れて、中から出てきたのは誰あろう、くだんの行方不明の王女様でした…みたいな展開にはならず、、、そうですね今回は新商品の販促回でしたから、ってかもうCMでネタバレしとったわい、そう、あれはスイートミントのミントアローでしたね。ああ、なつかしい。

今日は体調がすぐれなかったので、あまり真剣にみてなかったのだけれど。まあ、とどのつまり、みんなで協力しましょう、ってオチだったのかにゃ。そう、ひとりよりふたりがいいさ、ふたりよりさんにんがいい、なんて歌がありましたが、さんにんよりよにんがいい、というのが今のプリキュアさんたちなんです。

こんかいもオモシロカッたよ。脚本よかったゾ。もうね山口脚本をメインに、成田脚本をサブに、2人で書いていけばいいんじゃないのかなとおもいます、ドキドキプリキャ。

ドキプリ #10 とおりすがりの四葉ありすお嬢様 感想

まこぴーが転校してくるというのは、まあ、いいとして。やっぱ、鳴り物入りで転校してきたまこぴーが相田さんとイチャイチャしてるのを苦々しく感じた菱川さんがジコチューになってしまうといった展開のほうがオモシロカッタのではないだろうか。菱川さんは「アタシがマナの奥さんなんだからね」という気持ちなわけですから。「マナと仲良くするのはかまわないけど、節度を守ってよね」みたいな感じでさ。

あるいは応援団長さんが偶然、まこぴーのおならの音を聴いてしまう。応援団長さんは「アイドルは、まこぴーはおならをしてはいけないのだー」とか叫びながらジコチューになってしまい、まこぴーのオシリの穴を縫合しようと攻撃してくる。必死で臀部を守りながら逃げるまこぴーは、キュアソードに変身するいとまもない。さあ、どうする。といったギャグ展開でもオモシロカッタかもしれないな。うむ。

まあ、冗談はさておき。

菱川さんは自分に自信がなさすぎるようですね。あれだけいつも相田さんのお世話をして、たよりにされているというのに、いまいち相田さんを信用できないという感じでした。相手がまこぴーであっても、ちょっとぐらい相田さんを貸してあげてもビクビクする必要はなかったはず。おそらく相田さんも浮気をするつもりは全然なく、ただ、まこぴーがとつぜん転校してきて興奮していたのと、いつもは面倒をみてもらう側なので、たまには面倒をみる側を演じてみたかったと、ただそれだけのことなのでしょうし。だから長続きはしない。相田さんはすぐにまこぴーのお世話に飽きてしまうはず。それなのに、そこまでの思慮ができずに菱川さんは不安になってしまう。まあ、それが恋だと言われてしまえば、それまでなのですが。わかってはいても、好きな人に対してはどうしても一抹の不安を覚えてしまうというのも理解できます。ひとの心ほどアテにならないモノはありませんからね。

こんかいのオチは、菱川さんが嫉妬していたように、まこぴーもまた菱川さんと相田さんの関係に嫉妬していたということでして。まあ、わりとよくあることなのでしょうか。自分の価値は自分ではわからなくて、他人に嫉妬ばかりしてしまうという。菱川さんもまこぴーの本心を聞けたことで安心したはず。「やはりマナの嫁はアタシじゃないと、つとまらないンだからネ!」とな。というか、まこぴーはべつに相田さんの嫁になりたかったわけではなかったのです。むしろ夫に…(チゲーヨ

ドキプリ #09 アイちゃん@学校 感想

ふつうに日常回で、ギャグ回だった。とくに心に響くメッセージもなくて、そこらへんがプリキュアっぽくなくて残念だったのだけれど。アイちゃんが原因で学校中がドタバタするという内容は、まずまずのオモシロさだったよ。まあ、毎回こんなんだと困るけど。プリキュアは4クールと長いので、たまにはこういうお話も良いかもですね。

なんとなくですが、学校に赤ちゃんをつれていくのは、無理があるような気もするのですが。まあ、それはそれで、アイちゃんの販促のためには、こまけぇこたぁいいんだよ!、という玩具メーカーさんの声が聞こえてくるような、こないような。

アイちゃんのチカラでプリキュアさんたちが光につつまれると、プリキュアさんたちは加速できるようになるのが分かった。アイちゃんはプリキュアのパワーアップにも貢献できるという設定なんだな。

次回、まこぴーが大貝第一中学校に転校してくるようなので、大貝第一中学校が舞台になる場合は、お話を作りやすくなりますね。そうなると、まあ、ロゼッタだけは変身バンク省略で、戦いに途中参加というパターンにはなりそうですが、それもしかたない。

キュアハートさんが「愛をなくした悲しいボールさんたち…(中略)…ドキドキとりもどしてみせるッ」という、いつもの口上を決めてたのに、無視されて、ちょっとムッとしてたのが可愛かったデス。

それにしても今回は、親愛なるキュアロゼッタ様の胸に野球のボール(おそらく軟式球だろうが、かなり痛いはず)が直撃した場面がショックだった。スパッツ着用が確認できてしまったので(ソコカヨ

まあ、だいたい、こんな感じでした。

ドキプリ #08 ふしぎなアカちゃん誕生! 感想

アイちゃん初登場回ということで、ついついアイちゃんを注目してしまうけど。地味に、まこぴーの微妙な心の動きが描かれていて、まこぴーメイン回のような感じにもなっていました。

まこぴーは相田さんたちを信頼するようになって、3人と仲間になって4人でチカラをあわせてやっていこうとするのだけれども。いまいちあの3人とはペースがあわないというか違和感がある。仲良くしたいのだけれども、あの3人とはウマクなじめない。自分だけが特別扱いされているという疎外感がある。キライじゃないのだけれども、自分が思い描いているようには、うちとけられない。なぜだろうか。まこぴーは思う。あの3人は、おさななじみで。でも自分だけは違うからだと。だから、どうガンバッたって本当の仲良しさんになるのは無理なのだろうなと。でも、そんなのは都合のいい言い訳だとダビィに一笑される。たしかに、おさななじみの関係というのは、その付き合いの時間の長さから、積み上げてきたものが大きいのだけれども。これから始まる友情はこれから少しずつ積み上げていけばいいだけのことです。まこぴーはツンデレというか、人間関係に少し遠慮がちというか臆病というか、自分の弱さをさらけだそうとすると緊張してしまうというか。誰かと仲良くするためにイチバン必要な部分で、ちょっと自分に自信がないのかもしれない。自分の言動で相手を不快にさせたりしないかとか、バカにされたりしないかとか、無意識にそんなことばかりを考えてしまっていたのかもしれない。そんなまこぴーを案じたダビィは、言いたいことは素直にいえばいいのだと諭す。

羊ジコチューのせいで眠くなってしまったとき、キュアソードはキュアハートのほっぺたをひっぱたいて、それからおもいのたけをぶちまけた。するとキュアハートのほうもキュアソードにむかって、ああだ、こうだ、と遠慮なく。ようするに、まこぴーのほうがいつも緊張して遠慮しているからこそ、相田さんたちもまこぴーにはいつも無意識のうちに気をつかって少しよそよそしくなっていたのでしょうよ。素直な正直な気持ちをぶつけられるようになってこその本当の仲良しということで。ときにはそれでケンカになることもあるでしょうけど、それはそれで乗り越えていけるのが本当の仲良しなわけですもんね。まあ、とにかく今回はアイちゃんをキッカケにして、ひとつ仲良くなれた感じですかね。ゆっくりと、まこぴーと相田さんたち3人との距離がちぢまっていく様子が、ここちよい。

ドキプリ #07 キュアソードは、おとりよ! 感想

今回は最終回でもなんでもなくて。どうしてトランプ王国が滅亡したのか。とか。キュアソードの目的は、なんなのか。とか。そういうことが物語の流れにそって解説されていました。まあ、そろそろトランプ王国に関する情報も知りたかったので、ちょうどよいころあいでした。

魔法の鏡。それは時空の扉。あっちの世界と、こっちの世界をつないでいる。魔法の鏡を破壊されたらパラレルワールド間の移動が不可能になる。と考えてしまったのがキュアソードさんですが。そうじゃない、ほかにも方法はあるんだよ、と論理的に主張したのが相田さんでした。

目的のために必要な手段は、かならずしもひとつではない。たしかに魔法の鏡をもちいればパラレルワールド間を移動できるのですが。でも、魔法の鏡を使わなくてもパラレルワールド間を移動する方法もあるのではないのかと。それに気がついたのが相田さんでして。相田さんはなかなか前向きな人生を送っていらっしゃるようだ。それにくらべてキュアソードさんは、ひとつの手段が使用不可能になっただけで目的をあきらめてしまって、ほかの方法をさがそうとしなかった。

なんとなくだけど、わりとキュアソードさん的な思考をするひとって多いような気がするね。なにかやろうとして、その方法をみつけてためしてみるのだけれども、できないとすぐにあきらめてしまう。ほかに方法があるんじゃないのか、見落としてる方法があるんじゃないのか、もっと工夫できるんじゃないのか、とはあまり思わない。それって、目的にたいする熱意がたりないような気がする。

いまの時代には、相田さん的な思考がたいせつな気がする。もちろんすべてが相田さん的でウマクいくわけではないのだろうけれど。それでも多くの場合、妙手とまではいかなくても、ちがう手段や方法があるものです。あきらないということが大事な気がする。自戒をこめて。

けっきょく魔法の鏡のカケラを使って、トランプ王国から帰ってきたのですが。鏡のカケラが生きていることに気がついたのも、戦いの最中ですからね。あきらめずに戦っていたことで、見落としていたことに気がつくことができたのです。

もどってきてから、トランプ王国への道が閉ざされてしまったとき。不安にかられるキュアソードさんにむかって相田さんは「だいじょうぶだよ。またいっしょに帰り道を見つけよう」と。どこまでも前向きな相田さんなのです。おさななじみで相田さんから薫陶を受けている菱川さんと四葉さんも相田さんにならって前向きで。そして、とうとうキュアソードさんまでもが相田さんたちに薫陶されて、「おねがい、みんなのチカラを貸して」と口にする。自分ひとりでは険しい山も、仲間といっしょなら越えられそうな。そんな気分に浸っていたキュアソードさんに好感がもてました。

ドキプリ #06 マナのお家でまこぴーが?! 感想

おもしろかったよ、OPでの映画の宣伝が。
なんか桃園さんたちの姿を見ると、すごいうれしいよ。
今日はドキプリの感想を書かないで、フレッシュプリキュアをみようかと真剣に思ったのはナイショ。

さて、こんかいのお話はズバリ、なにをするにも心を込めないといけません、という内容です。歌をうたうにせよ、料理をつくるにせよ。いや、もちろんいいかげんな気持ちで歌っていたわけではありませんから、まこぴー。でも仕事がいそがしくなるにつれ、いつのまにかノルマをこなすことのほうが大事になってしまって。空回り気味。がんばっても、がんばっても、自分の思い描く結果がでないから。そうですね、よくあることです。忙しいという漢字は、心を亡くすと書きますから。いそがしくなると人間だれしも心に余裕がなくなるものなのです。余裕がなくなると自分を見失ってしまいます。こんがらがってる自分にいらだちます。きっとDBさんはそのことに気がついていて、まこぴーに今回の料理番組への出演を提案したような気がします。まこぴーが、キュアソードが、ほんらいの気持ちをとりもどせるようにと。そしてウマクいったのでした。

歌と料理。ぜんぜん違うように見えますが。歌は、それを聴いてくれる人の笑顔のために。料理は、それを味わってくれる人の笑顔のために、と。相手の気持ちを考えて創造するという点で共通しているわけで。歌というモノは、たんに音程やリズムが正確であれば良いというものではなくて、歌唱力という歌う人の気持ちやメッセージがともなわなければなりません。おなじように料理も、たんにレシピどおりにできればというのではなくて、つくった人の心づかいが感じ取れるような仕上がりにならないとダメなのでしょう。まあ、まこぴーの料理の場合は、心がどうのこうのという以前に、根本的な部分からぜんぜん足りなかったのですがね。

料理をナメてかかっていたことを反省し。相田さんたちの助力を得て。まこぴーは謙虚な気持ちで、卵の割り方やら、包丁の使い方やらを、ひとつひとつおぼえていった。まこぴーがいつのまにか相田さんのペースに飲み込まれていって、自然な笑顔をしているところがよかった。努力のかいあって料理番組の本番でのオムライス作りもじょうずにできて、できあがったオムライスをみんなで食べるなごやかなひとときに、まこぴーは今まで忘れていたやさしい気持ちと本来あるべき自分の姿を思い出した。

同じ釜の飯を食う、というほどではないのですが、協力して作ったオムライスを食ったことで仲良くなれた。いっしょに作って、いっしょに食べる、というのは良いことです。そんなこんなで、いよいよキュアソードが心を開いてくれて、キュアハートを受け入れてくれて、ああ、よかったよかった。と安堵にひたってる余韻もないままに物語は急展開へ(えー

キュアソードと仲良くなれたことで、ひとくぎりついたので、次回からはしばらく各々のプリキュアがローテーションでメインをつとめるという皆さんおなじみのプリキュア的な日常回が始まるのかなと予想していたのですが。そんなマンネリな展開にならないところがドキドキプリキュアの良いトコロ。さすがドキドキですね。次回、まさかの最終回か?!、「さらばプリキュア」だそうで(笑)。マジかよ、おい!

ドキプリ #05 おそるべし四葉財閥 感想

たぶん、みんな思っただろうけど。あのタラコ唇のアイドルさん。第一印象やや劣化した武部沙織@ガルパンでしたよね。でしたよね。

四葉財閥はテレビ局を所有してマスコミをおさえている。そうですね、インターネットの時代になったとはいえ、まだまだマスコミの影響力は無視できませんから。こうなると四葉財閥はすでに「四葉党」とかいう政党をたちあげていて、すでに国家レベルでの政治的影響力をももっている、とかいう設定がのちのちでてきても驚きませんから。なんかもう、ドキプリの世界では、なにをするにも、じつは四葉財閥がからんでいて、世の中のひとびとは自由に暮らしているつもりでも、じつは四葉財閥が裏で糸を引いている。そんな感じですかね。ああ、怖い。ひとびとは誰もが自分は自由だという幻想をいだいているが。それはマチガイで。しらぬまに「自由」という幻想をいだかされてこの世界を生かされているのだ。マコピーさんも例外ではなくて、じつは所属している芸能事務所も四葉財閥が経営していて。コンサートホールも四葉財閥所有。エースティーを販売している飲料メーカーも四葉財閥の子会社で。あっちをむいても、こっちをむいても、どっちにいっても、そっちにいっても、四葉、四葉、四葉、と。四葉財閥からは逃げられない。もうね、四葉財閥のつくった箱庭のなかで踊らされて、偽りの自由を謳歌しているという構図だったりするのでしょうか。マコピーさんの思い描く「夢」とやらも、じつは四葉財閥の筋書きどおりなのかもしれません。こころが寒くなります。

ドキプリ #04 防犯カメラって、怖いッスね 感想

お話のもっていきかたがウマイな〜と。今回はギャグ回でもあったのだけれども、きちんと四葉さんの心情の変化も描かれていて、やはり四葉さんメイン回でした。

はじめに四葉さんがプリキュアになりたくない理由がよくわかったし、さいごにプリキュアへの変身を決意した理由もよくわかった。そこに四葉ありす嬢の成長が描かれていた。

私は四葉さんを誤解していたようです。四葉さんは、ただのちょっと変な女のコではなかった。財閥の御令嬢というと、なんとなく甘やかされていてワガママに育っているのかなと思っていたのだけれども。じつは、そんなことはなくて。わりときびしくシツケられていたようです。武道をたしなみ、けれども、それをひけらかすことなく、むしろ武術はケンカの道具ではないのだからということで、イジメをうけても決して自分からは手を出さないようにしていた。しかし、ただの1回だけ、どうにも堪忍袋の緒が切れてしまい、イジメっ子をフルボッコにしてしまったことがあったという。それがトラウマになって、プリキュアになってブチギレてしまったらそれこそタイヘンなことになってしまうと心配していた。だからプリキュアにはならない、なりたくないと。

弱いから、傷つきたくないから、戦わない。ではなくて、力ずくで相手をねじふせてしまうのが、相手を傷つけてしまうのがイヤだという四葉ありす嬢。力を持つ者は、その力の強さゆえに、その力に酔ってしまい、しまいにはその力に飲み込まれてしまうものだと、人間の心の弱さを知っていた四葉ありす嬢。おそらくは四葉財閥の次期総帥として、その財力や政治力をおごったり、おもいあがったりしないようにと幼少の頃から教育されていたのだとおもいます。こういう帝王学もあるのでしょう。小学校は私立ではなく近所の悪ガキがうようよいる公立学校に通っていたのも、庶民とまじわることで見聞が広まることを期待してのことでしょう。けれども庶民とまじわることは良いことばかりではなくて、庶民の悪どさをも知ることとなり、それが原因で自分の感情をおさえられなくなるという経験をしてしまい、ながらく心を痛めてしまうことに。

今回のお話は、四葉ありす嬢をとおして、力を持つ者の悩みが描かれていたように感じました。力のない者は、力を持つ者をうらやましく思うだけですが。力を持つ者は、その力をどう使って良いものかと頭を悩ませているのかもしれません。その力、いつ、どこで、どういう場面でいかすのか。その力が大きければ大きいほど、正しく使わなければ身の破滅につながる。だから、より慎重にならなければならない。けれども畏れてはいけない。その恐怖を乗り越えなければならない。そのためには精神の鍛錬が必要で、それは一朝一夕には身につかない。日々の精進が大事なのだと。力を持つ者には、その力をいかして世の中を正しく導く義務があるからと。おそらく、おじい様は孫にそう伝えたかったのかなと。

幼少の頃は、おじい様の言葉の意味がよくわからなかったのかもしれませんが。いまは、その全部ではないかもしれないが、わかったようです。力とは大切なモノを守るためのもの。そのことが理解できたから、力に酔ったり溺れたり飲み込まれたりはしない。守りたいという気持ちだけが私を動かしてくれるんだからと。そんな感じでしょうか。

いまは防御だけのキュアロゼッタですが。いずれ、さらなる成長をとげて、力の使い方を理解して、攻撃できるようになるのかもしれませんね。たのしみです。

なにげに第1話でクローバータワーに行ったのも伏線で、なにげにキュアラビーズを所有していた四葉ありす嬢。なにげに笑ってしまいましたが。あとは防犯カメラが大活躍でして、これも現代社会を風刺しているような、いないようなで。とにかく防犯カメラのプリキュア関係の映像は四葉さんが隠匿してくれて。またインターネット上に流出したプリキュアの目撃情報などは、どうやったのかはしらないけれど四葉財閥のチカラですべて削除されたらしいです。おそるべし四葉財閥。

ドキプリ #03 最高の相棒登場! 感想

こんかいは「最高の相棒登場!」ってことになってますがね。いやもう、菱川さんがプリキュアになろうとなるまいと、ずっとずっとまえから菱川さんは相田さんの最高で最強の相棒でしょう。なので、いまさら「最高の相棒登場!」とか言われても菱川さん的には「はぁ〜?」ってかんじなのでは。

第2話での信号機ジコチューがおもしろすぎたせいか、こんかいのジコチューはイマイチでした。でも、これくらいがほんらいのプリキュア品質なのかなとも(ぉぃ

こんかいのジコチューとの戦い、菱川さんの対応も第2話のときのほうがだんぜんオモシロくて。こんかいはプリキュアに変身して必殺技でカンタンに浄化しちまったので、つまらなかった。もちろん放映時間のつごうとか販売促進のつごうがあったのは理解出来ますがね。キュアハートがピンチの状態で、相田さんとのなれそめを思い出し、それを心のなかでシッカリ味わったのちに菱川さんがプリキュアへの変身を決意したのも、前回の幸せの王子をたとえ話にして相田さんへの愛を叫んだときと比べると、いまいち説得力に欠けていたような気がしました。なんかこう、やっぱジョー岡田ってウサンくさいしウンコくさいな、とか、菱川さんらしい猜疑心もてつだって、もっともっと悩みに悩んで、けっきょくプリキュアに変身するのは保留にして、あの場面ではとりあえずキュアハートが抱えていたたくさんの手紙を菱川さんが引き受けて、そして身軽になったキュアハートがジコチューを浄化しました、みたいな展開のほうが良かったかもしれませんね。とにかく菱川さんにはいつまでたってもプリキュアにならないでいてもらって、そうやってなかなかプリキュアになろうとしない菱川さんをどうにかしてプリキュアにしてやろうとインキュベーターであるジョー岡田はあれやこれやと手をつくしてくるのだがウマクいかず、そうこうしているうちに夏が来て秋が過ぎてみたくドキドキプリキュアという物語はすすんでいって、そのあいだも菱川さんは第2話のときのように一般人としてキュアハートを地味に支援しつづけるという。けれども、とうとうキュアダイヤモンドに変身するときが…ってのがだいたい第44話あたりで…だったら、オモシロイ展開なのだが。どうだろうか。販促的には無理だろうな、うむ。

ここまでの、お話のながれとしては、物語の縦軸がグダグダだったスマイルプリキュアの反省をふまえてか、ドキドキプリキュアでは各話のつながりを重視している感じがしますね。さいごに四葉ありす嬢があらわれて次回に続く、という展開も、つぎのエピソードへスムーズに入っていくためだったのでしょう。というか、こんかい最後に四葉ありす嬢が登場しなかったらホント2話続けての欠席ということで、えらいことでした。ほんと、四葉ありす嬢いらね〜、ロゼッタいらね〜、状態になるところでした、アブナイ、アブナイ。

ちょっと思ったのですが、もしかすると、ドキプリでは4人のプリキュアがいつも登場するという展開にはならないのかもしれない。基本的には、いつもいっしょにいる相田さんと菱川さんのまえにジコチューがあらわれて、あとからロゼッタやソードが参戦するとかしないとか、みたいな。四葉さんメイン回では、はじめから3人で変身して戦うのだけれども、ソードは参戦したりしなかったり、みたいで。とにかくプリキュアが4人そろって戦うというパターンは少ないのかもしれない。なんてね。

ドキプリ #02 四葉ありすさんが空気 感想

友達を、大事な人を、自分のつごうで危険なコトにまきこんでしまっていいのか。大事だからこそ、まきこみたくないと願う。でも相手が、まきこんでほしいと望んだら。

そういえばOPに「トモダチだったら(中略)チカラになりたい、それがフツーでしょ」とある。そうですね、困ってるときに助けてくれる、助けてあげられる、それが真の友情、真の友達なのでしょうから。

友達の安全を心配して、自分でぜんぶ解決しようとする相田マナさん。それに対して、友達なんだからチカラになりたいと主張する菱川六花さん。どちらも友達おもいの良い子です。

キュアソードさんは、友達はいらない、ひとりがいいと考える。これは、おそらく、だれかに裏切られた経験があって人間不信になったということではなくて。友達がいると、大切な人がいると、ときとしてそれが自分の弱さになってしまいそうで怖いということなのではないでしょうか。じつはキュアソードさんは友達が大好きで、でも大好きだからこそ、あえて大切な人とは距離をおいておきたいのかなと。もしキュアハートに心を開いてしまったら、キュアハートが自分の大切な人になってしまいそうで怖いのではないでしょうか。だから、意識的なのか無意識的なのか、とにかくキュアハートを拒んでしまった。トランプ王国を守れなかったということは、つまりトランプ王国にいた大切な人たちを守れなかったということで。その自責の念がキュアソードさんの心の傷になっているような気がします。だから、もう友達もなにもいらない、そうすればもう友達を失う悲しみを味あわなくてすむからと。それに自分ひとりなら、たとえ自分が死んでしまっても誰にも悲しいおもいをさせないだろうと。そんな覚悟をキュアソードさんからは感じる。それでいて無気力にはならず、むしろ悲壮感をただよわせながら戦っている。なんとも凛々しいです。

こんかいは2回ほど戦闘が描かれていました。1回目は前回の続きで、キュアハートがキュアソードを助けたような感じに。2回目は菱川六花さんと通りすがりの猫がキュアハートを助けてくれました。けっきょく1回目も2回目も、だれかが誰かを助けていました。1回目はプリキュアどうしの連携だったので、わりと派手でスピード感のある戦闘でしたが。2回目はプリキュアを一般人と猫が支援するという展開だったので、どうしても地味になってしまいました。が、どちらも良かったです。そうですよね、できる範囲でチカラになれれば良いわけですから。キュアハートが固まってしまったときに、菱川六花さんが機転をきかせて信号機ジコチューのオシリに付いていた押しボタンをコッソリ押しにいこうとしたのは一般人として支援できる限界でしょう。これがプリキュアさんだったら、あれこれ考えずに、とにかく背後からケリなりパンチなりをイッパツ喰らわせるのでしょうけどね。うーん、菱川六花さんもプリキュアになってしまったらもう、プリキュアの能力に酔ってしまって、頭を使って工夫しようとかしなくなるのでしょうかね。そうなるとツマンナイですね。

お話が進行するにつれ、すこしずつ設定がわかってきて、うれしいですね。相田マナさんちは、洋食屋さんだそうです。なんかサラリーマン家庭の娘さんよりも、自営業の家の娘さんのほうが好感をもてるのは私だけかしら。

ドキプリ #01 最後プリキュア 感想

なかなか良い第1話でした。なんの説明もなく、いきなり物語がはじまるのだけれども。プリキュア側については番組開始前から、おおざっぱなキャラ設定とか、ある程度の予備知識があるので、べつに違和感もなく。また、敵幹部キャラや、あの謎のチューリップハットの青年などについてのくわしい設定などは、いまの時点では特に重要ではなく、おいおい明らかにされていくのでしょうね、ぐらいの認識でじゅうぶんだったし。とにかくスイプリの第1話のような説明臭さはぜんぜんなくて良かったです。

物語のながれの中で、自然な感じで少しずつキャラ設定やら世界観とかが理解できていけるというのは個人的には楽しいのです。たとえば、よその学校の男子に「なんだテメーは?」と聞かれて、相田さんが「はじめまして!アタシ、大貝第一中学生徒会長、相田マナです!」と自己紹介してくれたのは、うまいぐあいに視聴者諸氏への自己紹介にもなっていましたよね。こういうのは好感がもてます。

第1話では、相田さんと菱川さんは同じ学校の生徒なので、いっしょに社会科見学で東京クローバータワーに来ていた。四葉さんは相田さんたちとはべつの学校なのだけれども、東京クローバータワーが四葉財閥の所有物ということで、四葉財閥の御令嬢である四葉ありすさんはたまたま視察に来ていたということで、ちょっとだけ登場して、しゃべってくれた。キュアソードの正体は、もう、あのアイドルさんだってことはバレバレな感じですね。そしてアイドルさんがたまたま東京クローバータワーでイベントやってました、みたいな感じでお話にからんでくるの。とにかく第1話の舞台を東京クローバータワーにして、うまいぐあいに主人公4人を登場させてくれました。

♪ ♪ ♪

相田さんが変身をこころみようとして「ヘンシン!」と変身グッズを掲げて叫ぶのだけれど、みごとに変身できないという。仮面ライダーならそれでオッケーな感覚なのでしょうけれど、いかんせんプリキュアは変身の作法が難しいのでした。

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まあ、ほかにもイロイロおもうことはあったけれども、長くなるので、このへんで。

スマイルプリキュア!から学んだ幸福論

幸せって、むずかしいですよね。だれかが誰かを幸せにしてあげることなんてできないのですから。誰かを幸せにしてあげられると本気で考えてる人がいたなら、その人はおもいあがりです。だれかのおかげで幸せになれたのだと感じている人がいたとしても、それもチョット違うでしょう。ひとは誰かの幸せのキッカケにはなれるのかもしれません。でも幸せそのものは与えられないのです。幸せとはそのひとが自分で勝手にしあわせになるしかないものだからです。幸せとはもうホントに個人的な感覚なのですから。たとえば、おなじ親切をされても、ひとによっては、うれしく感じたり、なにも感じなかったり、あるいは迷惑に感じることさえもあるのは、つまりはそういうことです。

とはいえ誰かの幸せのキッカケになりたいな、わたしもキッカケをもらったから、という発想は悪くないとおもいます。星空さんが絵本を描き始めたのは、そんな理由からでした。もらう側から、あたえる側へと。そうやって、つなげていく、つながっていく、幸せへのバトンのような感覚がなんともここちよかった。バトンを受け取って、そこから1歩前に踏み出せるかは、あなたしだい。だれかが幸せにしてくれるのではない。自分で、自分の幸せを感じられる自分になりなさいと。そんなメッセージを私に伝えてくれたスマイルプリキュア!でした。

スマイルプリキュア! #48 黄瀬さん、佳作受賞おめでとう! 感想

もうね、このごにおよんでさえも5人のプリキュアとキャンディとポップと、そいつらだけの感情や感性だけで地球の行く末が決まるという。まさにセカイ系でした。地球消滅の危機がもう、すぐそこまで迫っているというのに。キャンディと会えなくなるなんてイヤだ、でも地球の未来も私たちが救わなきゃ、みたいなマジで糞な展開。ぜんぜん感情移入できませんでした。まだミラクルジュエルの最後のチカラを使ってしまうとキャンディが死んでしまって、またメルヘンランドの女王が空位になってしまって、メルヘンランドの民主化運動が盛り上がってしまって困る、みたいな展開だったら、少しは納得できたかもしれないのですが。ぜんぜんそんなことはなくて。しかもキャンディと永遠に別れてメルヘン時間は終わり、それぞれがそれぞれのあたらしい未来へと歩んでいくみたいな展開にもならず、最後またキャンディと再会できましたメデタシメデタシみたいなのも、いかがなものか。進歩がないですね。メルヘン時間は続くよどこまでも、ってな感じでした。まあ、でも、このまま本当にキャンディが星空さんたちの思い出の存在になってしまったら、こんどの映画でキャンディを登場させられなくなりますから。そんな映画興行上の大人の都合も感じとれた最終回でした。Cパートはむりやり入れたンでしょうね。

スマイルプリキュア! #47 絶望と希望の物語 感想

お話が急速に観念的になってきましたね。そして地球が絶望の闇に染まってしまっただけでなく、いつのまにやら地球が絶望という名のブラックホールに飲み込まれてしまいそうになって、ああ大変だあ、みたいな展開にまで話が大きくなってしまいました。おもえば12月までは、留学するとかしないとか、漫画を描くのをやめるの続けるのとか、そんなレベルの日常回をひたすらやっていたというのに。1月になってから突如として地球的規模の危機がやってくるという。突然スケールがバカでかくなってしまった感覚です。どうしてこういう展開になったのか。おそらく、そう、絶望というモノをとてつもなく大きな存在として描きたかったからでしょうよ。それに、いままでの日常回の延長でピヱーロ様が登場して、わりとあっけなく倒されてしまったらイマイチ盛り上がりに欠けるじゃないですか。たぶんそんな理由なのかなと。絶望とは地球をも滅ぼすモノなんだよと子供たちに伝えて危機感をもってほしかったのでしょう。

負の感情が集積すると絶望が生まれて、それが最終的にピヱーロ様という形態に。ピヱーロ様が絶望の象徴ということだそうです。それに対してプリキュアたちとロイヤルキャンディが希望の象徴という。最終決戦では絶望と希望の対立を描きたいようです。だれの心の中にも存在する負の感情。世の中はいつも自分の思い通りにいくとは限りません。というか自分の思い通りにいかないほうが多いから、人々が基本的にネガティブなのは当然のことなのでしょう。ピヱーロ様が主張するのは、絶望の物語など消えてなくなってしまえばいい、ということらしい。生きているからこそ絶望が生まれる、ならばみんな死んでしまえばいいとすら。だからこそピヱーロ様は生命の生活の基盤となる地球をも絶望で飲み込んでしまおうとするのだ。なにもない世界は、希望もないけど、絶望がないので平和で幸福だということなのだろうか。なんかこのへんが成田先生のバッドエンド的な世界観なような気もするンですがね。

まあ、最終的なオチは次回で、ということなのでしょうから。ここであまりとやかく論じてもしかたがありません。というわけで、そろそろ今回の感想を書こうとかとおもいます。

キャンディがハッピーの手をつかむ場面がプリキュアっぽくてよかった。なにかこう、プリキュアには手をつないで、ひとりじゃないを感じながら、みんなで困難を乗り越えていくようなイメージがある。手をつなぐと気持ちもつながる、みたいな感覚がある。つかんだ手のぬくもり、にぎる力の強さ、そういったものからも相手の気持ちがじかに伝わってくる。ハッピーが希望とは友達のことだと断言できたのも、手をとってもらった者にしか分からないなにかがあって、ハッピーだけが感じられたキャンディの思いや願いがあったからじゃないのかなと。

だれかの不幸も幸福も、その人以外にはわからない

ひとの不幸は蜜の味。メシウマ。そんな言葉がありますが。しかし、どうして他人の不幸がわかるのでしょうか。幸福か不幸かなんて、その人の個人的な感情ですから。案外こちらが勝手に不幸なんだろうなと推測しているだけで、その人は不幸を感じていない場合も多いのかもしれません。たしかに、客観的に、不自由してるな、不便だろうな、不都合そうだな、と判断できる場合もあるでしょうけれども。それでも、たとえば、お金に不自由していても幸福な人もいるのではないでしょうか。パンが1つしか買えなくても、ちぎって2人でわけあって仲良く食べる幸せもあるような気もします。ぎゃくに、お金持ちで幸福そうな人が、じつは不幸だったりする場合もあるのではないでしょうか。警察ザタになるほどの深刻な事件が家庭内でおきて、でも近所の人たちは「裕福でなんの問題もない幸せそうな家族だったのに…」と、おどろきをかくせない、といったような事件はたまにあるものです。

他人の心の中はのぞけないのだから、他人が幸せか不幸かなんて、正確にはわからないものなのです。それなのに、さもわかったように、あの人は幸せだ、この人は不幸だ、といったふうに断定するのは、おもいあがりだし、自己満足なのだとおもいます。自分が幸せではないと感じているのに、他人から幸せですねとうらやましがられたら迷惑です。自分が不幸だと感じていないのに、他人からあわれにおもわれたら、えっ?なんで?と思ってしまいます。

そんなわけですから、他人の不幸で今日も飯がうまい、なんていうのは滑稽なことなのかもしれません。勝手に他人を不幸だと決めつけて喜んでいるだけのことなのですから。でも、もし、その不幸そうにみえる人がじつは幸福で、その不幸そうにみえる人のことを誰かがメシウマだとおもったとしたら。この場合どちらも幸せなのだから、それはそれでいいのかなと。

死者は生き返らないけれど…

メルヘンランドの女王はすでに戦死していた。その事実をふせていたのは、おそらく余計な心配をさせないためだったのだろう。女王は生きている。そう信じこませることで。希望をあたえることで。女王の復活を願わせることで。プリキュアたちの戦意を喪失させないようにする。嘘も方便。メルヘンは現実を生きるチカラとなることを女王は知っていた。

女王は生き返りたいとは思っていなかったのだろう。どんなに望んで努力しても、メルヘンのちからでも、魔法ですらも、死者を生き返らすことはできないのだから。女王が願ったのは、あたらしい女王をメルヘンランドに即位させることなのだ。そのためには、娘であるキャンディをなんとしてでも守らなければならない。その強い意志が、肉体はほろびても、精神だけはかろうじて生かしてくれていたのだろう。それくらいならば女王の最後のメルヘンのちからでも可能だったと。

つたえたい、つなげたい、という気持ち。死者からの伝言。生き残った者が受け取る。大切な人がなくなってしまったのは悲しいけれど、悲しんでばかりでは前には進めないし、なくなった人もよろこばないだろう。受け継ぐということ。なくなってしまった人のぶんまで一所懸命に生きるということ。そうすることで女王の精神はやすらかに消滅できるのだ。

スマイルプリキュア! #46 バッドエンドプリキュアは、おとりよ 感想

とにかく展開、速いです。ついていけないです。女王様は、じつはすでに他界されていて、この世に未練が残っていたので、かろうじて意識だけは生き残っていた、とか。キャンディが女王様の娘で、つまり王女で、メルヘンランドの次期女王である、とか。ミラクルジュエルは妖精の姿から人間の姿に変化するためのサナギというか卵なんだ、とか。もうイロイロ詰め込みすぎ。1月になってから、もう急展開で。これも1年間のツケがまわってきたということで、しかたありませんな。

とはいえ、情報が多かったので、いろいろ分かったよ。

ピエーロの卵が絶望の卵で、ミラクルジュエルが希望の卵だとすれば。ピエーロが絶望の具現であり、キャンディさんの人間態が希望の具現ということになりそう。けっきょくバッドエンドとは、怠惰エンドなんかではなくて、絶望のことで。絶望と希望の対決が、どうやらスマイルプリキュアのテーマだったようです。やっと分かったよ。

ジョーカーさんは、世界をほろぼすだけでは足りないのだと。夢、希望、奇跡、そういったモノをすべて完全に消し去ってこそ真の絶望なのだと。そのためにミラクルジュエルを、メルヘンランドの次期女王の卵を、破壊したいのよと。ようするにジョーカーさんは現実の世界とともにメルヘンの世界をも破壊したいのだ。現実世界がほろんでもメルヘンが、希望があれば、もしかしたら現実世界が復活してしまうかもしれないと。そんなふうに危惧しているようですな。

どんな願いもかなえてくれるという、夢の宝石、ミラクルジュエル。じつはそんなものはなかったというオチ。これって人生の教訓なのかもしれない。だって夢は自分でかなえるものだから。誰かが、何かが、かなえてくれるものでは決してないですからね。

♪  ♪  ♪

けっきょくバッドエンドプリキュアさんたちも時間稼ぎの道具でしかなかったという。てっきり2話かけて倒すのかとおもいきや、今回限りの使い捨てでした。もったいない。たった1話で5人分の戦いをやってしまったので、どうしても少し雑な印象がぬぐえないのですが、それでも各プリキュアさんたちのいままでの成長の積み重ねがあったからということで、もうバッドエンドプリキュアたちは今のプリキュアたちの敵ではなかったという感じなのかな。それにしてもバッドエンドプリキュアが具現化するところをみると、例えば星空さんの心の中にもまだ闇の部分というか、ネガティブな感情が残っていて「みんな不幸になればいいのに。あたしだけウルトラハッピー!」みたいな気持ちも、ないことはないようですね。忘己利他は難しいのです。

ジョーカーさんがラスボスなのかなと思っていたら、ジョーカーさんはトロトロに溶けてしまってピエーロ様の一部分になってしまったようです。いったいジョーカーさんって、なんだったんだろう?なぜ絶望したかったのだろう?なにもない世界は、死んだ世界は、成功がない代わりに失敗もないから、ある意味イチバン安心だからだろうか?ワカラン

スマイルプリキュア! #45 超展開のはじまり 感想

なんかもう、ワケワカラン。というのが正直なトコロです。いままでのプリキュアなら、1月といえばだいたい敵の本陣にのりこんで、さあ最終決戦だぞ、ってな感じなんですが…。そうですね、フレッシュでは時空を超えて管理国家ラビリンスへ、ハートキャッチなら砂漠の王・デューンがいる宇宙空間へ、スイートの連中は音吉戦艦に乗ってノイズに攻撃されたメイジャーランドへと、それぞれ悲壮感をただよわせながら旅立っていったハズなんですが…。えっとぉ、スマイルさんたちは1月になっても、今日も今日とて、みんなで楽しく遊んでいました。するってーと、空から何かデッカイのが降ってきそうだわ、さあタイヘン、どうしよ、どーしよ、あーコリャコリャ、みたいな。のんきな展開。ここでもひたすら受け身なスマイルさんたちでしたとさ。

でも、まあ、これは、ある意味、しかたのないことなのかもしれません。だって、1年かけての、おはなしの積み上げみたいなものが、ほとんどなかったのですもの、この1年。ひたすら日常回をやってキャラを立たせる話ばかりをやってきてしまったツケが、ここにきてイッキにまわってきてしまったという印象でした。たとえばミラクルジュエルをずっと空気にしてきてしまいましたよね。ミラクルジュエルがスマイルプリキュアという物語の中でカギになるであろうことは、ほのめかされてはいたのだけれども。でも今日の今日まで忘れ去られていたような感覚でした。だから今回、あわてて思い出したように、なんの脈絡もなく、とうとつにキャンディさんをミラクルジュエルに変化させてしまったのでしょうよ。

もうホントに、ツッコミどころは多かったのですが、もうひとつだけ指摘させてもらうと、なんかもう、もっと早い段階でウルフルンさんたちの心の痛みに触れてあげられる機会は、いくらでもあったような気もするのです。だから今回はチョット、お粗末な終わりかただったようにもみえます。なのでウルフルンさんたちが死なないで、元の妖精の姿に戻れて、ああ、よかったよかった、と素直には感じなかったですね。ってゆーか、メルヘンランドの妖精だったんかいな、おまいら!

おそらくウルフルンさんたちのイメージの世界の中で、なのだろうけれど、キュアハッピーが大きくなったのは、なんとなくハートキャッチのときにキュアブロッサムが大きくなったのを思い出した。バッドエンドプリキュアに似た人たちはプリキュア5の映画に登場していたような気もする。とことん過去シリーズをパクってスマイルプリキュアが終了するのであれば、それはそれで良いのではないかとすら思う、今日この頃。

スマイルプリキュア! #44 はじまり(プロローグ)のおわり 感想

街で出会った幼女がもっていた手鏡をキッカケに、星空さんは自身の幼女時代の記憶をたどり、ウルトラハッピーの原点を思い出して、かみしめて、味わう。そのほんのりと甘い余韻にひたりながらウルトラハッピーとはなんであったのかを今の自分をとりまく環境とも照らしあわせ確かめることができた。ウルトラハッピー、それは、ひとをおもいやる優しい心。だれかの優しい気持ちを感じるとき、こころがあたたまる、とても幸せな気持ちになれる、だから自分も誰かにそうしてあげたいんだと、星空さんは気がつくのでした。人と人は優しさで支えあっている。幼き日に出会ったあの少女は、夢か幻か。おもいでは美化されてしまうものだけれど、それもメルヘンなのだろうか、でも、そのメルヘンが今のきびしい現実にたちむかえるチカラとなるのならば、いいじゃないかと。じっさいウルトラハッピーへのおもいが強くなっていたところにウルフルンさんがやってきてくれたので、キュアハッピーはウルフルンさんに少しダメージをあたえることができました。と、そんな感じだったのかな、今回は。

いい話だったといえば、いい話だったのだろうけれど。なんか個人的には胸につきささる感じではなかったのは、なんでなんでしょうかね。ワカランワカラン

さて、いよいよ次回から本編というかエピローグですかね。「終わり(エピローグ)の始まり」だそうで。どうなっちゃうンでしょうか。おはなしは「ある日、空からピエーロの卵が降ってきました!」から始まるみたいです。

スマイルプリキュア! #43 「道」のまがりかど 感想

アン・シャーリーは師範学校で優秀な成績をおさめ、その結果として奨学金を得て大学進学が決まったが、ことわってしまった。理由は、マシュー・カスバートがとつぜん死んでマリラ・カスバートはひとりぼっちに、しかもマリラ・カスバートは目の病気にかかってしまい生活に不自由してしまいそう。アンはマリラに育ててもらった恩があるので、マリラの生活をささえるほうが自身の大学進学よりも大切だと考えた。せっかくの大学進学のチャンスを棒に振ってしまうのですが、アンは後悔しません。人生にはいろいろあるのだと。人生という「道」は決してまっすぐではないのだと。いい意味でも、悪い意味でも、曲がり角はあるのだと。そして、どんな人生を歩もうとも、たとえその「道」がせまくて暗かったとしても、足元にはいつでも小さな幸せの花が咲いているはずだから、それを見つける努力をしたい。だから絶望なんてしない、と。まあ、だいたいそんなオチだったはずだ、グリーンゲイブルズのアンは。

今回の青木れいか様の場合は、どうだったでしょうか。念願だったイギリス留学が決まったのに、なぜか素直によろこべない。それはプリキュア業が中途半端になってしまうから…というよりも星空さんたちとはなればなれになってしまうのがイヤだからという理由。うーむ、なんか、そんな理由で、せっかくの、おそらく無償のイギリス留学のチャンスを棒に振ってしまっていいのだろうか、というギモンがうまれたが。青木さん的には、それも、ひとつの「道」らしい。いまの仲間たちとは、いまだけだから、いまを大切にしたい、と。それは理解できなくもないのだが、どうなんだろう。せめて「生徒会長になったばかりなのに、留学なんて…」というふうに悩むのだったら…というか、やはり、ここは、バッドエンド王国との決着がつくまではプリキュア業はやめられない、キュアビューティの代わりはいないのよ、2代目キュアビューティさんなんてのは登場しないンだから、という理由のほうがシックリきたような気がします。まあ、「道」はいろいろあるということで、考え方もいろいろということで。そういうことにしておきます。

道。周囲から期待されるから歩むのではなくて、自分の意志で歩みたい。青木さんのその思いというか願いが「わたしが歩く、わたしの道。わたしが決める、わたしだけの道。」という名文句に結実したようだ。もちろん周囲の期待に応えようと努力することも立派なのだけれど、自分がこうしたいという意志を貫くこともまた素晴らしい。おじいさまが孫娘に「道」はひとつではないと導いたのも、この娘だったら自分のしたいようにさせても大丈夫だと思ったからでしょう。青木さんはふだんのおこないが良いですからね。わがままも許されるのです。

安定の、成田脚本だった。成田先生は終盤の話のマトメは抜群に強いです。すごいなー。

スマイルプリキュア! #42 正体がバレちゃった! 感想

もしも、スマイルプリキュア!ではプリキュアの正体が他人にバレると数分後には死んでしまう、みたいな設定だったら…。もしそういう設定だったら、緑川さんが弟妹たちの前でプリキュアに変身するのをためらったのも理解できたでしょうに。ここで変身したら自分は死んでしまう、かといって変身しなければ弟妹たちを見殺しにしてしまう。変身して、弟妹たちを守れたとしても、自分が死んでしまったら弟妹たちはもちろん両親も悲しむだろうし。変身しなくて、弟妹たちのうちの誰かが死んでしまったら、やはり悲しい。ああ、どうしよう、どうしよう、こまった、こまった。今回がそんな展開だったらオモシロかっただろうに。つまり変身してもしなくても家族の絆は守れないという悲しい展開。これはもう視聴者的には、もうヤメテー、と叫びたくなる展開なのですが。非情にも物語は続くのです。どうなる、どうなる。それからどうなる。ハイ、緑川さんは変身するほうを選ぶのです。弟妹たちが死ぬよりは自分が死んでしまったほうが、まだマシだとおもったから。マジョリーナは倒したものの、正体がバレたのだから、もうすぐ死ぬだろうと覚悟を決めるキュアマーチ。けれども、なかなか死なない。キュアマーチが死なないかわりに、弟妹たちが全員とつぜん気を失ってしまった。そのときメルヘンランドの女王様があらわれて、かくかくしかじかとキュアマーチにつげる。記憶を消しておいたから、目が覚めたら忘れてるから大丈夫、キュアマーチは死なないから、と。そして最後に女王様は「格別の憐憫じゃ、感謝して以後もプリキュア業をはげめ」とだけ付けくわえて去っていきましたとさ。めでたし、めでたし。どうでしょうか、こんなオチは。…ダメか…

今回はイヤな展開でしたね。マジョリーナさん、人質作戦ですか。これってプリキュア的には反則じゃないのかな。これが許されるなら毎回だれかの家族がねらわれてしまいますよ。それにマジョリーナさんの担当回なら、とうぜん、ナントカニナールが登場するものだと、視聴者的には期待してしまうのですが、それもなかった今回。マジョリーナさんがアカチャンニナールで、生まれてきた赤ちゃんと入れかわって、油断している緑川さんにだっこされたときに急所をブスリとやっちゃうとか、そういう作戦は考えなかったのでしょうかね。まあ、いいや。で、もっともダメだったのが、けっきょく緑川さんひとりでは家族の絆は守れなかったということです。ほかのプリキュアさんたちが助けにきてくれたからこそ、緑川さんの弟妹たちの生命は守られたのです。ほんと緑川さんの見せ場はなかったですね。なんとなく結論としては、家族の絆は他人様のチカラによって守られる、ってオチだったのかな〜とか、考えてみたり。うーん、個人的には期待ハズレだったというか、なんとなく空振りだった感じのする今回のお話でした。残念。とはいえ、まあ、よくよく考えてみれば、「家族」という小さい社会は、それ自体で排他的に存在しているわけでは当然ないですからね。商店街の人たち、プリキュアの仲間たち、などなど、そういった自分の家族ではない人たちとの関わりや支えがあってこそ、「家族」という小さな社会は成り立っていられるのが現実なんだ、と今回のお話をとおして感じられなくもなかったので。そういう意味では良い話だったのかもしれん。家族の絆を守るためには、家族以外の人たちとの絆も大切なのだと。そういうことですかね。

スマイルプリキュア! #41 ミラクルピースかわいいよ 感想

前回の日野さんの場合、友達をまきこめば何倍もパワーが出せるのだと。今回の黄瀬さんの場合は、友達には見守ってもらい、ひとりでがんばりたいという。どちらも友情なのでしょう。すすんで手伝ってもらうのも友情だし、やさしく見守ってもらうのも友情です。いろんな友情のカタチがあっていい。

黄瀬さんが特撮を好きな理由は、特撮のヒーローたちが勇気をくれるから。そして今回、そういったヒーローというかヒロインを幼少の頃に自分自身でつくりだしていたという事実が明らかに。それがミラクルピースでした。黄瀬さんは著作権的にもまったく問題のないオリジナルキャラクターのミラクルピースを主人公にマンガを描くことにしました。とはいえ、なかなかうまくいきません。そりゃそうでしょう。キャラクターをデザインできて、ちょっと絵がウマイくらいでは…、ようするに、世界観やストーリー展開、登場人物たちの設定などを矛盾がないように考える、そして実際にマンガを紙に描くときのコマの配置だとか、コマ割り、コマごとの構図、セリフやキャラクターの配置などなど、とにかくマンガ制作にはイロイロな表現力が求められるとおもいますから。マンガを描くのは、アニメや映画などと違って、ひとりで全部できるかわりに全部の才能があるていどは求められている、のではないでしょうか。

黄瀬さんのマンガの出来不出来は、さておき。現実世界での創作物であるスマイルプリキュアという物語。スマイルプリキュアという物語のなかの登場人物のひとりである黄瀬さんが創作するミラクルピースという物語。わたしたちの、あこがれのヒロインのひとりである、キュアピース。キュアピース(黄瀬やよい)の、あこがれのヒロインは、ミラクルピース。そういう対応をさせると、アカオーニさんの「なにがミラクルピースおに〜、くだらないオニ〜」が「なにがプリキュアだ、くだらない」になって、キュアピースが「くだらなくなんかない」、「わたしのあこがれなんだから」と言い返すところが私たちの代弁になっているようだった。さらに「自分が作ったマンガにあこがれるなんてどうかしているオニ〜」、「そんなもの、しょせん弱虫のおまえのなかの幻、オニ〜」というアカオーニさんの精神攻撃に、キュアピースは「ミラクルピースは幻なんかじゃない、わたしがちゃんと最後まで描きあげてミラクルピースの物語を完成させるんだから」と反撃する。ここは愛情をもってプリキュアの制作に関わっている方々の代弁なのではないかと思える。途中で投げ出さない、打ち切りにさせない、くじけそうになったとき支えてくれるのが各人の心の中にほんの少しだけある強い力すなわちプリキュアで、プリキュアがあるかぎり、絶対にあきらめない、と。そんな感じでしょうか。

正直なところ、終盤のここにきての「やよいちゃんイラストうまいね、マンガ家になれるよ!」と星空さんたちにおだてられた黄瀬さんがその気になってしまうというお話は、どうなのだろうか?という疑問はありましたが。それでも黄瀬さんの場合はマンガというかイラスト画が1年をつうじてのテーマだった…のか、いや、テーマだったので(キリッ)、おそらく最後のメイン回であろう今回に「やよいがついにマンガ家?!」をもってきたのは理解できます。

おもうようにマンガが描けないで苦悩する黄瀬やよい(キュアピース)の鬱展開がアカオーニとの論戦をとおして解決していく、それがさも自問自答して悟りを開いていくような感覚でよかったです。そして、迷いが消えて精神的に成長したキュアピースが新技でハイパーアカンベェをひとりで倒していたら、それはそれで、ひとりでやりとげる、という今回のテーマに合致していたのでしょうが。ここはひとつ、ひとりでやってるつもりでも、ここイチバンでは仲間が助けにきてくれる、みたいな感じの友情を描いていたのかなと解釈しておきます。

スマイルプリキュア! #40 ブライアンからの手紙 感想

友達が大切だというのはプリキュアシリーズ全体をとおして描かれているわけでして。「友達が宝物」というのは日野さんだけではなくて、みんながそうなはずですから。日野さんのおそらく最後の個人エピソードであろう今回で、あえてそれを描く必要があったのかなと。

わたしの宝物ってなんだろうと考える日野あかねさんからはじまって、こたえは「友達」でおわる。今話の展開。それはそれで良かったとはおもいます。そしてオチがおそらく「友達が宝物」であろうと予想できて、そのとおりに終了したのも、それはそれで素直な展開でした。けれども、なんかこう、その展開がゆるやかすぎるというか、おもしろ味にかけていた印象でした。日野さんが自分の宝物について、アレかな?いや違う、コレかな?うーん違うな、みたいに悩んでいって最後に答えが出るという話の流れは悪くはなかったのですがね。なぜかいまひとつ感情移入できなかったです。

お話の展開は分かりやすかったです。まず星空さんが宝物とはワクワクして絶対になくしたくないモノだよと示してくれて、さらに宝物があったらパワーがみなぎってくるんだと日野さんがつないでくれた。友達が宝物なのは、友達がいると自分ひとりのときよりも何倍も生きる力を与えてくれるからなのだと。だからこそ友達は失いたくないし、失うのが怖い、守りたいというのがキュアサニーの切実なおもい。じっさい星空さんたちを守りたいという強い気持ちがキュアサニーに新必殺技をもたらしたようでしたが。しかしハイパーアカンベェ撃破にはいたらず、けっきょく仲間といっしょにいつもの大技をつかう展開になりました今回。これは、どうなんでしょうか。興奮したキュアサニーがひとりで敵を倒す展開が良かったのか、今回の展開でよかったのか、ちょっとわかりませんね。

あと、最後の、お守りが壊されても友情は壊れない、みたいな展開はちょっと良かったとおもう。星空さんが、また作りなおすからいいよ、と言ってくれたのに、日野さんは、壊れたこのままでいい、と返す。それはきっとお守りを壊されたときの、あの大切な感覚を忘れないためになのかなと。それから、日野さんの、宝物は秘密にしておきたいという気持ちも、宝物へのおもいをつよくしていたいからということでしょうかね。

よく考えると、わりと良い話だったのかもしれません。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

蛇足ですが…

個人的には、こんなお話の展開だったら、どうだったかと。はじめに日野さんと星空さんがちょっとしたことから口ゲンカしてしまって、おもわず日野さんが「みゆきなんか大キライや!」と口走ってしまい2人の関係が少しギクシャクしてしまう。それでも星空さんは日野さんに明日のバレーの試合をがんばってほしいからと手作りのお守りをわたす。日野さんは受けとるには受けとったものの素直にありがとうとはいえない。なにかモヤモヤした気持ちをひきずったまま試合当日にウルフルンがあらわれて、ひとり戦うキュアサニー。単独では苦戦する。星空さんからもらったお守りをハイパーアカンベェににぎりつぶされた瞬間にキュアサニーは星空さんのまごころもいっしょににぎりつぶされたように感じて激怒すると同時に星空さんのことをかけがえのない大切な友達なのだとハッキリと認識する。といった感じの、はじめに少し鬱展開があって、でも最後は晴れやかに、みたいなのを。

スマイルプリキュア! #39 おはなしのなかに シンデレラニナール 感想

どうやらメルヘンランドでは、『はじまりのシンデレラ』だけではなくて、『はじまりのピーターパン』、『はじまりの桃太郎』、などなど、『はじまりのナントカ物語』といった、はじまりシリーズ全集を、物語のソース本というか原本を、すべて管理しているようです。今回はそのうちの『はじまりのシンデレラ』という、世界中のシンデレラ本とつながっていて、すべてのシンデレラ物語の原作となる本が、どういうわけか流出してしまいました。さあ、タイヘン。悪意をもった何者かに『はじまりのシンデレラ』のストーリーが改変されてしまったら、それこそ世界中のシンデレラのお話が改変されてしまいます。

うむ。第39話にして、ようやく、はじめてマトモに、おとぎ話がメインテーマになっていました。スマイルプリキュアはおとぎ話がテーマだとうたっていたのだから、むしろ毎回こういう展開、つまり、なにがしかの物語の中に入っていって、その物語を守る、みたいな展開にしていくべきだったような気もするのですが。いまさらそんなコトいっても遅いですよね。

ところで『はじまりのシンデレラ』という本の内容は守られたのでしょうか。たしかにバッドエンド王国の連中からは守られたのですが。プリキュアさんたちのせいでチョッピリ改変されてしまいました。したがって世界中のシンデレラのお話にプリキュア臭がくわえられてしまうことになりました。もちろんプリキュアさんたちには、とくにキュアハッピーさんにはぜんぜん悪意はありませんでした。でも改変されてしまいました。これはバッドエンド…なのでしょうか?

いいえ、スマイルプリキュアの中でのバッドエンドの定義とは、怠惰エンドのことですから。たとえば王子様が「もう、かったるいからガラスの靴の所有者さがすのやーめた」とか考えはじめる、そんな展開になっていたのならバッドエンドですが。そうではありませんでした。ただ『はじまりのシンデレラ』にプリキュア的な味付けが少々なされただけです。だからバッドエンドではない、ですよね。

かりにバッドエンド王国の連中の誰かと王子様が結婚するという展開になっていたとしても、それはそれでバッドエンドではないような気もします。王子様が「結婚なんてメンドクセー」とか、そんな怠けた考えをもつようになったとしたら、それはバッドエンドなのでしょうけど。そうではなくて、たとえアカオーニ姫であろうと、なんであろうと、結婚して、一国の王子としての役目をはたそうと決意しているかぎりは、ハッピーエンドなのです。たぶん。

どうにも、こうにも、バッドエンド王国の連中の行動がダメでした。どうして王子様を怠惰な方向にもっていこうとしなかったのだろうか、という素朴な疑問がわいた。ええ、今回のお話は、単独のお話としては良かったです。みんなのおかげでハッピーエンドになれた、みたいなマトメでしたし。プリキュアっぽかったです。でも、この手のお話は、シリーズの前半から中盤あたりにもってくるべきだったのかもしれません。どうなんでしょうか、スマイルプリキュアももう残すところあと10話あるかないかのところまで来ているのですから、そろそろ単独のお話といえども1年を通じたテーマに沿った展開が必要になってくる時期のはず。スマイルプリキュアでは、ハッピーエンド=ほんらんあるべきストーリー展開、バッドエンド=怠惰な終わりをむかえる展開、みたいな方向性がしめされてきていたはずですから、今回もその方向に沿ってバッドエンド王国の連中が動く展開だったら、納得できたと思うのです。ちょっと残念でした。

スマイルプリキュア! #38 コドモニナール 感想

アタシもう子供じゃないンだからねッ!、鬼ゴッコなんてヤってらンないのよッ!、なんて感じで、オトナ気取りでチョットいけすかない感じで、家族とのコミュニケーションを拒否していた緑川さんが、魔法の薬で子供になってしまい、その副作用で童心をとりもどし、さいごは家族との鬼ゴッコにも参加するようになりました、めでたし、めでたし。というのが今回のお話の骨子だったようでしたが。そんなのどうでもよかった。ロリピースが可愛かった。ハァハァ

とはいえ、ちょっとだけマジメに感想を書かなければ…

やっぱね、中学生くらいになると、自分に素直になれなくなってしまうのよね。世間ではそれを中二病といったりもするンだけど。緑川さんは、ホントは鬼ゴッコとか大好きなんだけど、ついついオトナぶってスカしてしまう。いや、わかりますよ、その気持ち。そうですよね、もう中学生ですからね、女子中学生としてはやっぱり興味の対象としてはオシャレとかイケメン男子とか現実的な将来の夢とか、そういう方向にもっていきたい。鬼ゴッコとか特撮とかアニメとかは小学校を卒業したときに一緒に卒業したのよ、と。緑川さん、子供時代を卒業してオトナへの階段を1歩ずつ登っていきたい。その気持ちは理解できる。いつまでもメルヘンの世界にとどまってはいられない、つらいけど、厳しい現実、オトナの世界へと足を踏み入れていかなければ、という。その気持ちは大切だろう。

だがしかし、童心を否定してオトナになるのではなくて、そうではなくて子供時代も自分の歴史の1部分であり、それがあるからこそ今の自分が存在しているのだ、みたいに肯定的に受け入れたい。メルヘンを完全否定して現実を受け入れるのではなくて、メルヘンを少しだけ現実を生きるための調味料のような感じで活用していけたら、そうしたら生きていくのがもっと楽しく積極的になるのではないだろうかと。思う。黄瀬さんが良い例ですね。黄瀬やよいさんは、中学2年になったいまでも、特撮が大好きです。生きる勇気をくれるから、みたいなコトをキュアハッピーがロボットになった回でおっしゃってました。

スマイルプリキュア! #37 生徒会長選挙 感想

教育勅語、修身教育、勤労奉仕、などなど。そこには日本人の美徳があった。ところが第2次世界大戦後、個人の権利ばかりが主張されてきた公立の学校教育。そして戦後の公教育は堕落した。日本国民は堕落した。坂口安吾は「生きよ堕ちよ」と。だがしかし、新たな武士道は、いまだ生まれてこないようだ。なぜだ?とことん堕落できるほど人間は強くはないはずなのだが。まだまだ堕ちかたが甘いということだろうか、現代日本は。

やりたいことだけ、やる。やりたくないことは、やらない。好きなことは、うけいれる。キライなことは、ことわる。これは人間の本性であり欲望である。なので人間の本性や欲望を否定する規則や規律は非人間的であるといえる。だがいっぽうで、人々がそれぞれ自分勝手に好き放題やっていては、最低限度の自由も権利も保証されず、きゅうくつな社会生活しか成立しないというのも事実であろう。だからこそ規則や規律が必要で、その必要性を訴える青木さんは学校生活を守るという観点において実に人間的なのだ。人間性を否定する規則や規律が非人間的であり、かつ人間的であるというコトは矛盾しているようだが、理屈でわりきれないのが人間社会というモノなのだから、しかたない。

堕落し足りないのなら、もっともっと堕落して、堕落しつくして、そしてそこに新たな「堕落に対する防壁となりうる何か」を見出せば良いのかもしれないが。そんな悠長なことをしていられるほど今の日本国には余裕がないのかもしれません。とはいえ絶望するほどでもないようにもおもえます。生徒たちは怠惰な生活を望んではいるが、いっぽうで自分たちの生活を規律する何かも少しだけ望んでいるようなのです。人間とは、完全なる自由が与えられると、かえって不安になり、すこしだけ規則にしばられて生活したいと願うもののようです。青木さんの最後の演説はよかった。青木さんは生徒会長に選出された。あまり堅苦しくなく、そのメリットを具体的に説き、共感を得るように心がけ、生徒諸君を導こうとしていたから。その場の雰囲気にのまれて青木さんに一票を投じてしまった生徒さんもいらっしゃるとはおもいますが、それでもそれほど後悔はしないのではないでしょうか。むりやりやらされる掃除はイヤだけど、ふと目についた空き缶やら紙クズをひろって片付けるくらいなら、それならイヤでもないかな、ぐらいには思ってくれるのではないだろうか。

いまの時代に、かつての修身教育をそのままあてはめようとするのは、たしかにムリがあるとはおもいます。いまの時代には、いまの時代にふさわしい、それがあるはずです。青木さんはそれを求めているようにおもえます。なかなか、たいした女子中学生です。つねに自問自答し自戒し、考えぬいたすえの立候補辞退。立派です。自分でなくても、この学校を良くしてくれる人が生徒会長になってくれればと。しかし、そんな人はいなかった。なので立候補を決意した青木さん。決して自信過剰ではありません。むしろいつも自分の正義に不安をいだいている。それで、はじめはルンタローくんことウルフルンさんに明確に反論できなかった青木さん。でも、さいごは答えを出せた。ほかのプリキュアたちに勇気づけられて、それから少しモヤモヤした自分の心の中を手さぐりして、つかんだ。わたしの進むべき道は、これだと。気持ちを伝えていく努力だと。

なにが正解なのかは、わかりません。正解はひとつではないのかもしれません。また、ときには間違った方向に導いてしまうことも、あるかもしれません。それでも自分が正しいとおもったことを伝えていきたいのだと。青木れいかは、そう考えたのでしょう。相手に伝えるためにはどうすればいいのかを考えると、説得力を持たせるためにはどうしても自分の主張の根拠を見出したくなります。どうして、あいさつするのか。どうして、掃除するのか。どうして、花を育てるのか。それらをひとつひとつ自省した青木さん。それがあの最後の演説につながったのでした。

スマイルプリキュア! #36 ブライアンがやって来たヤァ!ヤァ!ヤァ! 感想

好きという気持ちは素直に伝えたいものです。若いうちは、とくにそう。逆に、あんまり年取ってから異性に対して好きだの愛してるだのというのはちょっと自重したほうが良いかもしれませんね。いろいろとトラブルになりそうですから…

こんかいはウルフルンさんが結果的に日野さんの背中を押してくれました。ああ、もし、あそこでウルフルンさんが恋人たちにムカつかないでバッドエンド空間をつくりだしてなかったら、とおもうと、まったく。ハイパーアカンベェとの戦いの中で、自分自身の中の葛藤する気持ちとも戦っていたキュアサニーこと日野あかねさん。さいごまで自分の本当の気持ちはよく分からないままだったけれど、とにかく、このままではいけない、と。空港に急ぐのでした。

出会いがあり、別れがある。それが人生というモノです。とはいえ、今回の日野さんとブライアンの場合は、それほど深刻なモノではなかったような気がしますね。あっという間の3週間だったとはいえ、いっしょに浜辺を走ったりもしてましたし。おたがいの気持ちは自然と伝わっていたような気がします。ただ口にしないとダメなときもあるってことで。言わなくても、わかるだろ、わかるでしょ、というのは相手に対する甘えですからね、受動的な態度です。3週間の日本滞在を終えたブライアンが七色ヶ丘中学校を去るとき、日野さんがブライアンを見送らなかったのも、あまり感心しませんが、ブライアンもブライアンで空港で日野さんが来るのを待っていたというのもイマイチな対応だった気がします。ここはひとつ、ブライアンも男のコなのですから、女のコからのアプローチを待ってるのではなくて自分から会いにいって気持ちを伝えるべきだったような気もします。まあ、もしかしたらブライアンも悩んでいたのかもしれませんが、ブライアンの心理描写がなかったので、ほんとうのところは分からないままなのですけどね。

けっきょく、ちょくせつ会って話したからといって、かならずしもどうにかなるってものでもないのですけどね。でも、なにもしないで終わらせたら、きっと後悔したでしょうし。恋愛感情をダイレクトに告白するとかしないとかはともかく、とにかくそのときの素直で正直な気持ちをそのまま口にするのが良いのでしょうね。ここイチバンでは、日野さんもシャイで、ブライアンもシャイで、最後の最後の空港でのやりとも、なんとなくいまひとつな印象だったのですが。それでも良かったです。この空港でのやりとりがあったので、おそらく2人の関係は今後も続いていくような気もしますね。ブライアンから手紙が来るとか。そんな感じで。

一期一会、そんな言葉がありますが。ホントそうだとおもいますね。なので、気になる人に対しては、なにもしないで後悔するよりも、行動して後悔したほうが絶対に良いとおもいます。日野さんの場合も、かりにブライアンと手紙のやりとりなどが始まったとしても、いずれ途切れてしまうかもしれません。ずっと続いて発展していくかもしれないし、続かないでそれっきりかもしれない。どうなるか先のことは分からない。たとえ続かなかったとしても、それまでしてきたことがムダだったとはいえないでしょう。終わりは終わりでも、なにもしないで終わったのと、やるだけのことはやって終わったのとでは、ぜんぜん意味がちがうのだから。後味悪く終わるのと、あるていど納得して終わるのと、では、これからの心の持ちようが違うのだから。

スマイルプリキュア! #35 ハッピーロボ大地に立つ!! 感想

今回のおはなしの教育的要素は、「食わず嫌いはよくないよ」と「なんどでも立ち上がろう」です。そうですよね、成田センセー?

ロボットに偏見をもっていたけど、じっさいにロボットに乗ってみて、操縦してみて、戦ってみると(まあ、じっさいマトモに操縦して戦ってたのはビューティーさんだけでしたけどね、こまかいことは気にするな!)、ロボットもあんがいイイものだと理解した。そんな日野さんと緑川さんでしたとさ。

ハッピーロボがシャットダウンされて、もうダメ、たたかえないよ、と。あきらめかけていたキュアピースだったが、キュアハッピーがだいじょうぶだよと勇気づける。倒されても倒されても何度でも立ち上がろう。ピースさんはハッピーさんの勇姿に鉄人戦士ロボッターのそれを重ねて、なるほど、そうだったなと。そういえば、昔あった人魚アニメでも歌ってましたよね、「たっち、あがっるよ何度でも〜♪やくそーくーのーためーにぃ〜♪」とね。ここらへんがプリキュアシリーズのメインテーマみたいな感じでして、「ウマクいかなくても何度でもやり直せる、やり直そうよ!」を表現していた、ような気もしました。

どんな困難にもたちむかう勇気をくれる、というのが黄瀬やよいの鉄人戦士ロボッターへの熱いおもい。それは視聴者がプリキュアにもとめるモノと同じような気もするのですが。はたして今のプリキュアは、どうなのでしょうか。

今回は、もう、ロボット対戦がメインでして。それはそれで、なかなか気合いが入っていて、おもしろかったのです。ハイパーアカンベェさんの合体もカッコよかったですし。敵側のキャラも手を抜かないというのは好感でした。基本的にギャグ回だったのですが、ロボット対戦での見せ場がすごくて驚きましたネ。それにしても、まあ、なにが一番のギャグだったのかといえば脚本が成田良美先生だったってコトですかね。成田センセーもそろそろスーパー戦隊シリーズの脚本にでも参加してみたら、どうでしょうかね?(笑)

スマイルプリキュア! #34 文化祭 感想

アタシ、カンニンブクロのオがキレました!

文化祭でファッションショーといえば。
そうです、ハートキャッチプリキュア!を思い出します。
しかもバンドまで登場するとは。
そしてファッションショーとバンド演奏が共演するという…
なんというパクリ、いや、オマージュ、いいえ、パスティーシュ、もうなんでもいいや。
そんなわけで最後の場面なんかは、まるでソックリな感じでした。
しかしハートキャッチのファッション部のときは、そのときまでの苦難とそれを乗り越えてきた積み重ねがありましたので、感動的でしたがね。
そうです、部員不足で部の存続そのものがあやぶまれていたファッション部でしたが、えりか様の努力でじょじょに部員も増えていき、生徒会長を部員にして味方にし、頑固で辛気臭いお姉さんですらも篭絡し、もも姉さんまでもまきこんで、片手間で通りすがりのプリキュア業をもこなし、まあとにかくイロイロあったすえにたどり着いたのが、そう、文化祭のファッションショーだったのでした。
そうです、文化祭のファッションショーはタダのお遊びではなくファッション部の集大成として迎えた発表の場だったのです。
こうしてむかえたファッションショーだったのですが、そこでもスッタモンダがありました。
いろいろあって軽音楽部の演奏時間がなくなってしまったのですが、そこはそれ、えりか部長の機転でファッションショーと軽音楽部の共演が実現したのでした。
こんかいのように厨二病の生徒のワガママにつきあってバンド演奏をやったわけではありません。
だいたい厨二病のヤツなんて、ほうっておけばいいのです。
厨二病のヤツは甘えてますから、かまってやると調子に乗りますから。
豊島クンってば、調子こいてましたよね。
ここはひとつ現実の厳しさをガツンと分からせてやらないと、豊島の将来のためにもなりませんから。
ああ、ダメだな、今回も教育的要素が抜けていたネ。
ゴネ得って、あるんだな、と、視聴者の子供たちは思ったでしょうから。
中学生日記にすらならないお話でしたとさ。やれやれ。

赤毛のアンもピーターパンも関係ないのです(キリッ)、スマイルプリキュア!という物語は、こうだ!…という妄想

メルヘンランドは、すべての物語を管理しています。女王様がメルヘンランドを統治しています。メルヘンランドの住人は物語の登場人物たちです。物語の登場人物たちは、自身が登場する物語の中で、あたえられた役割を演じることだけに専念しています。女王の威厳がそうさせているのです。

メルヘンランド女王の仕事は激務です。いつも緊張していました。メルヘンの国を統治するには、つねに目配りが大切なのです。すべての物語がとどこおりなく進行しているかどうか、いつも気にかけていなくてはなりません。これは大変な精神力が必要なのです。精神的疲労が蓄積した女王は、いつしかナマケたくなりました。

女王様がナマケてくると、住人たちもだんだんと気がゆるんでくるものです。上司がたるんでくると、その部下たちも緊張感を欠いてくるように。女王がキチンとしているあいだは、せっせと自分の役割を演じることだけに専念していた物語の登場人物たちも、しだいにみずからの意思をもちはじめ、自分の演じる役割に疑問を抱くようになり、そしてナマケるようになってきました。

バッドエンド王国。それはナマケるようになったメルヘンランドの住人たちが集まってできた国。バッドエンド王国の元首は皇帝ピエーロ様なのですが、そのピエーロ様とは何を隠そうメルヘンランド女王の怠惰な気持ちが具現化した存在なのでした。ホントをいえば今までも、ときどきバッドエンド王国は出現していたのですが、そのつど女王様がみずからを律することで自然消滅していました。そしてナマケていた住人たちも、もとの従順さをとりもどし、メルヘンランドはまた平和になるのでした。

しかし今回にかぎっては、そうならなかった。なぜか。それはジョーカーさんがいるからなのです。ジョーカーさんは一部のメルヘンランド住人を強制的にナマケさせ、たきつけ、そしてバッドエンド王国を組織させ、ピエーロ様を復活させようとする。そうなるとメルヘンランド女王の精神力だけではバッドエンド王国はおさえきれません。そこでプリキュアのチカラを活用することにしたのです。

いったいジョーカーさんは何者で、何をしたいのでしょうか。ジョーカーさんはメルヘンランドに、とつじょとして誕生した、どの物語にも登場しないという、そんな存在です。また、ジョーカーさんは世界征服をたくらんでいるのです。ひとびとをナマケ玉のなかに閉じ込めて、いい気分にさせて、堕落させる。でも、ずっといい気分ではいさせない。ちょうどいいころあいをみはからって、強制的にナマケ玉の中から出してしまう。ナマケ玉から追い出された人は、厳しい現実に困惑して、しまいにはオカシクなってしまいそうになる。そのときジョーカーさんは「ナマケ玉のなかに帰りたいのなら、わたしのいうことを聞け」と、ささやきかけるのです。そうですね、麻薬みたいなものですから、ナマケ玉は。こうしてナマケ玉という麻薬漬けにされた人々は、ジョーカーさんのいうがままに。世界はジョーカーさんのものになるという、もくろみ。

ミラクルジュエル。それはなんでも1つだけ願いをかなえてくれるという伝説の魔法の宝石。世の中が乱れた時にあらわれるという奇跡の宝石。心清き者がもちいれば世を平和へとみちびき、悪しき心の者がもちいれば破滅へと導くという。ミラクルジュエルは、ただの石ではなく、みずからの意思をもった石なのです。

ジョーカーさんはミラクルジュエルの本当のチカラをまだ知らない。おそらくジョーカーさんがミラクルジュエルを手に入れ、それを使ってプリキュアたちを倒そうとすれば、そのときミラクルジュエルは自らの意思が発動して世界を滅ぼすでしょう。ジョーカーさんだけを滅ぼすのではありません、全世界を滅ぼすのです。それを知っているメルヘンランド女王は、どうあってもミラクルジュエルをジョーカーさんにわたしてはダメだとおもっているのです。

では、プリキュアたちがミラクルジュエルを手に入れ、そのチカラを使ってジョーカーさんたちバッドエンド王国を壊滅させようとしたら、どうなるのでしょうか。はたして平和がおとずれるのか、それとも世界の破滅がまっているのか。そこはプリキュアたちの心が清く美しいモノとなっているかが問われるのです。判断するのは、ほかでもない、ミラクルジュエルその宝石の意思なのです。

プリキュアたちには成長が求められている。どんな困難にも負けないぞという強い意思。ときに自身の死をもかえりみず信念を貫き通そうとする覚悟。我欲を捨て全体の利益を求める正義感。などなど。プリキュアたちがトコトン成長したとき、ミラクルジュエルはメルヘンランドの味方をしてくれるでしょう。

最終回、最後の試練が待っている。ミラクルジュエルはキャンディの心臓であることが明かされる。ミラクルジュエルを使わなければバッドエンド王国に勝てない、という状況になってしまった。さて、どうするか。ミラクルジュエルを使うにはキャンディを殺さなければならない。でもキャンディはプリキュアたちのかけがえのない友達なのだ。迷うのは当然です。最終的にはキュアハッピーがキャンディを手に掛けるのですが、それも壮絶なやりとりがあったあとにです。ミラクルジュエルはキュアハッピーの願いにこたえてバッドエンド王国を、ジョーカーさんを倒す。メルヘンランドに平和がおとずれる。

キュアハッピーはキャンディの死を悲しむのですが、いつまでも悲しんではいられない。泣いてばかりいたら、天国のキャンディはよろこばないだろうと。キャンディの死を忘れない、けれども、ひきずらない。キャンディは心のなかで生き続けているから、とキュアハッピーは顔を上げ、涙をぬぐう。そして笑顔。キャンディのぶんまで、一所懸命、生きていきたい。そう願うキュアハッピーの笑顔はキラキラ輝いていた。空を見上げて、遠い天国のキャンディをおもって、笑顔、笑顔。スマイル、スマイル。そうよ、だってアタシは、スマイルプリキュアだもの。
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