デリシャスパーティ♡プリキュア #15 ココロをコネクト 感想

なにごとも観念的になってはいけないという話でした。食事もSNSも。

食事、それは単なる生命維持のための栄養補給ではありません。食事とは、おいしく食べることができて、喜びが得られてこそのものです。そんなこと当たり前だと言われそうですが、しかし当たり前とおもえることほどあんがい難しいという場合もあります。ここねちゃんはずっと孤食にひけめをかんじていた。だれかといっしょの食事ならまちがいなく楽しいはずだと期待していざ実行してみたものの実際はそれはそれで相手とうまくコミュニケーションをとりながら同時においしく食べることの難しさに気がついた。ならばやはり食事はひとりで好きなときに好きなものを自分のペースでがいちばんなのだろうか。いや、それも少し違う。轟さんは過去の自身の体験を語った。仕事が忙しくて食事がおろそかになっていたとき、ふと彩りを工夫したホットドッグに出会い食事の楽しさにも出会ったという。しからば食事の楽しみ方が分からなくなったら料理に聞けと。料理が教えてくれるからと。よく分かりませんね。つまりこういうことだろう、食べるときはまずは虚心の静けさに身をおいて食事と対峙せよと。しこうして食べ物を口にしてすべてのおいしさがおいしさの方からあらわれてくるのをじっと待機せよと。それこそが食事を楽しむ極意であるのだと。余計にわけ分からなくなったのなら、スミマセン。かんたんに言うと、気持ちひとつでなにごとも変えていかれるということではないでしょうか?まずは心を落ち着かせて食事がおいしいと思えるようになれば一緒にいる人に対しても少し落ち着いて対応できるようになる。心に余裕ができればまた食事のおいしさを楽しめるようになり、それがより良いコミュニケーションへとつながると。そんなかんじかな。

轟さんの話に説得力をくわえたのがSNSの投稿者がまさかの轟さんであったという事実でした。

デリシャスパーティ♡プリキュア #14 もしも願いが叶うなら 感想

恋におちて -Fall in love-
まあ、いろいろ共感できる素敵な人だなということで好きになったというのも嘘ではないとは思うけれど、しかしもしも品田君がキモオタだったらどうだっただろうか?という素朴な疑問があるやんけ。やはりイケメンだから好きになったんじゃないかなあ本間芽衣子さんもとい本間ともえさんは。だってキモオタならありえないような食事のしかたをしていてもまあキモオタだしオエーで納得して、爾後、キモオタを反面教師にして本間さんは自分自身はキモオタでもなんでもないのだからもう目玉焼きにマヨネーズとケチャップはやめようと固く決意してそのキモオタのことは忘れてしまっていたであろう。しかし品田君はイケメンです。
思春期女子にとってはイケメンの発言は正義なのです(キリッ)。したがってイケメンが目玉焼きにマヨとケチャの組み合わせもありだよと強く主張する姿を見せてくれたのであれば本間さんは自分の性癖が肯定されたことに至福の時を感じるのもうなずける。そして同じ性癖を持つ男女がめぐりあったのであるならばこれはもう運命だから結婚しなければと大きな思考の飛躍がはたらいて本間さんはすぐさま品田君に告白するのでありました。積極的な女の子やね。チャンスはもう待ってちゃだめ、つかむものだから、ってかんじかしら。しかし告白された品田君は「だが断る」と和実ゆいに操を立てるのであった。
しかしここであきらめる本間さんではなかった。結婚が無理であるならば、とりあえず友達(学術的な)になりましょうと品田君にせまったのであった。品田君もまあ普通の友達ならいいかなとふたつ返事でオッケーしてしまったのでしたがこのことが後日の修羅場につながるであろうことは視聴者諸賢には容易に想像できた。女は怖いのよ。
とりあえず追加戦士は本間芽衣子でなくて本間ともえで決定かな。かわいいし。キュアティロフィナーレ。しかしすぐに退場のうきめにあう。強化型敵怪人に首をもがれて血煙をあげて最期をむかえる。それが視聴者諸賢には容易に想像できる。

デリシャスパーティ♡プリキュア #13 石の意思に導かれて… 縊死(ネーヨ 感想

まったくなんの伏線もなくかくかくしかじかの設定がありましたとだけ説明されてそれに沿う展開でした。

父親がマグロ漁船の船員であることは父親を長期不在にしたいときに都合の良い設定ですね。1年前、父親は息子に謎の石を託す。息子がはからずも謎の石に触れると石が閃光を放ったので事情を語ることにした。石には秘密がある。この石は異世界の者から500円玉(偽造品)の山とともに手渡されたもので生活費をまかなってやるかわりに石の適応者を探せと命令されたのだと説明した。しかるのち、おまえが適応者だあとはぜんぶまかせたからよろしくたのむぞとだけ伝えて逃げるようにして父はマグロ漁船で旅立った。残された息子は石の意思に導かれ変身する。変身するといっても、くだんの石をかかげて声高に変身呪文をとなえると謎の光につつまれてBGMがながれて勝手にいろいろ装備されていき変身が完了するというような便利なものでなく、そうではなくて自分で用意してもってきた衣装にせっせと着替えるというか、ようするにコスプレですね。だったら、べつに着替えなくてもとおもうのですが、いやいや、やはりあえて着替えるのは快傑ズバットのズバットスーツみたいなかんじなのか。わからん、わからん。知りたくもない。

はてさて、父親は異世界人なのかな。行倒れてたところを助けてくれた妙齢の女性をあろうことかヤリ逃げしようとしたがうまくいかずしかたなく結婚したもののやはり逃げたくなってマグロ漁船に乗ることにしたんだ。そうですねマグロ漁船に乗っていればとりあえず仕事だからお金のためにいっしょうけんめい働いていますと言い訳できますからね。そうして頃合いを見てそのうち本当にいなくなる連絡とれなくなる。おそらくそれがねらいでしょう。しかし今のところは和実父とよろしくヤってるのでとりあえず逃げない逃げたくない和実父といっしょにいたい、そんなかんじか。今回は単身赴任中のお父さんの秘密をあばいて人間らしい姿を描いた素晴しい父の日回でした!と言いたいところですが父の日ではなかったようですね、はい残念。

生徒会長の出番なくなって、さみしい

デリシャスパーリー♡プリキュア #12 はたせるかな!生徒会長おかえりなさい 感想

フルーツパーラーKASAIはとある架空の私鉄沿線の駅前にあります。しかし駅前といっても今の駅は地下化されてしまってフルーツパーラーKASAIは道路の前にポッツーンとあるかんじです。なぜ駅が地下化されたのかというと開かずの踏切対策といいますか、ようするに連続立体交差事業のためです。かつての地上駅の頃は電車からホームに降りて駅ホームの端っこにあるステンレス製の改札ボックスの中で改札鋏をリズミカルにカチカチ鳴らす駅員さんに切符を手渡してからすぐに駅前の踏切をわたりますと角にフルーツショップがあってそこがアーケード商店街の入り口で買い物客があふれていてすこしわくわくしたものですが今はそんな雰囲気ではありません。今は地下の駅ホームから長い階段をひたすらひたすら登って登って息を切らせてやっとのことで地上にたどりつき自動改札機にICカードをタッチして出るとそこはまだ屋根のある駅の敷地内でそこには小さいセブンイレブンがあったりドトールコーヒーみたいのがあるわけですがそもそもあんまり人がいません。まあそんなわけで以前ならモーターの爆音をとどろかせながらゆっくり走る3両編成のオンボロの緑色の電車の窓から見えていたフルーツパーラーKASAI(店舗改装前の屋号は「葛西青果店」でした)の存在感も今はかつてのようではなく、また商店街もかつてのにぎわいはなく、とうぜんお店の売り上げも減って店舗改装費用も回収できずに自己破産寸前の廃業寸前だったのかもしれません。そこをブンドル団にねらわれたというか500円玉(偽造品)の山をこれみよがしに提示されてご両親は心を動かされ娘にすまないとは思いつつも取引に応じてしまったのかどうかは分かりません。どうしてフルーツパーラーの娘さん洗脳されてしまったのでしょうかね。そういったいきさつはまったく語られませんでした。もやもやするね。
閑話休題。
生徒会長さんはブンドル団に拉致され全裸にされ眠らされ頭にはマインドコントロール装置であろう電気コードの付いたヘルメットをかぶせられ謎の液体の中に沈められ時間をかけて再洗脳されました。ひるがえって3人のプリキュアさんたちは「わたしたち3人は生まれた日は違うけど死ぬときは同じ日よ!(※桃園ラブの誓い)」と結束して生徒会長さんと対峙した。生徒会長さんは自身の記憶をエネルギーに変えて超人的パワーをだして戦ってるようです。したがって自身の記憶がすべてなくなったらとうぜん死ぬという設定らしい。怖いね。しかしプリたちの精神攻撃で少しずつ洗脳がとけてきて片方の目の色がもとにもどってこのいきおいでいくとそのまま洗脳解除になりそうだったがそのときブンドル団の大将が遠隔操作で生徒会長さんを洗脳しなおすとこんどは生徒会長さん自身がウバウゾーになってプリたちにおそいかかった。それでもさいごはプリたちの浄化ビームをあびて一件落着だった、のかな。なんか展開が早くて今回で生徒会長篇が終わって次回からは新展開みたいやね。

デリシャスパーリー♡プリキュア #11 マリオネットは苦悩する 感想

くわしい事情は知らない。分からない。ジェントリーナさんがどうしてB団に洗脳されて手先になったのか。おそらく実家の果物屋さんがBandai団の攻撃を受けたのか。そのときお店の商品である果物を腐らせない代わりに両親は娘をB団にさしだして服従しますという取引をしたのか。あくまで想像だけど。そんなかんじか。わからん。

とにかく今回はとうとうジェントリーナさんが倒されました。展開が早いね。まあ、倒されたといっても昇天したわけでなく、ただ変身アイテムであるアイマスクというんでしょうか正式名称わかりません、とにかくそれが壊されちゃったのでありました。ジェントルアイ(仮称)が壊されちゃたので必然と変身は解除になって変身前のありのままの菓彩さんの姿(しかし全裸ではない)になってしまて正体がバレてしまたのでした。なんだかよく分からん無理やりな展開やね。

しかし、菓彩さんの苦悩はこれで終わらないみたい。Bun$Bandai団はこちらの世界の人間をてきとうにえらんで洗脳して利用してるわけでなく、どうやら菓彩さんひとりにねらいをさだめて利用してるかんじでしょうか。美少女だからか?そうなのか?とにかく洗脳が解けたらまた洗脳すればいいじゃないかみたいなかんじでとことん消耗させてボロ雑巾のようになるまで利用するつもりでしょうか。怖いね。もう許してやれよ! ゼッタイ、ユルサナイ

しこうして次回もプリたちはジェントリーナさんと戦わなくてはならないようです。居残り補習を受けさせられた怨みあるし、ここはひとおもいにジェントリーナさんをこてんぱんに倒してしまってもいいかんじもするけど、しかしそこはそれでもっと先の学園生活を見据えれば生徒会長と昵近してうまく利用できればそのほうが得ではないかとの考えが頭をよぎる。具体的にはジェントリーナさんを倒す寸前で憐憫の情により許してやり仲間にする。菓彩さんに恩を売っておくという作戦だね。けっきょく菓彩生徒会長を倒しても学園から生徒会長がいなくなるわけでもなく風紀が乱れるわけでもなく別の新しい生徒会長が就任するだけのことだから、そしてその新生徒会長が菓彩さんよりも規律に厳しい人物だったら困りますしね。

次回予告が「小さじ一杯の奇跡!仮面ライダージェントルー爆誕」でした。おそらく次回はBパートもあと15秒ほどでCMかなといったあたりでプリたちとの激戦により心身ともに傷付き息もたえだえのジェントリーナさんはマリちゃんから小さじ一杯の何かをふくまされると全身から閃光が走り、しかるのち爆発して仮面ライダーになるんだ、そのあとリアルな財団BのCMが流れる。フルーツパーラー葛西の娘だからフルーツのプリキュアもとい仮面ライダーになるはず。桃のロックシード、ブルーベリーのロックシード、パイナップルのロックシード、パッションフルーツのロックシードなどを使いいろいろなプリキュアもとい仮面ライダーに変身するのかなあ。

キュアスパイシー変身

OP

山芋を治す

スパイシーなキュアのお人形が割高なのはやはり人気あるからなのかな?

それにしてもプレシャスキュアはいいとしても「山芋を治す」というのはもはや人の名前じゃないよw

yam

やはり黄色はお笑い要員というか、ギャク担当というか、首チョンパなんだろな。

敵怪人にわざと首を切らせて、黄色の首が血けむりをあげて宙を舞う、そんな最期が目に浮かぶわ

デリシャスパーティ♡プリキュア #05 「ここねちゃん」と呼べ 〜人生は野菜スープ〜 感想

今回はデリバリーヘルスプリキュアでなくメンタルヘルスプリキュアでした。しかし芙羽ここねちゃんをメンヘラ少女と呼ぶのはやめましょう。お願いします。

ここねちゃんはいままで、ひとりでいるのが好き、ひとづきあいは面倒だから嫌い。そういう設定で生活してきた。しかし、それは本当は人間関係を構築して維持するのが苦手な自分を恥ずかしく感じていて認めたくなくて無意識のうちにごまかそうとしていたからです。ううん、ここねちゃん、ひとりの時間が好き、ひとりの時間を大切にしたい、ひとりで読書しておもいをめぐらせたい。それは楽しいこと。それは嘘ではない。けれど、だからといってずっと孤独でいたいと望んでいたかというと、それは偽りでした。

けだし、ここねちゃんといえど、友だち作りは今回がはじめてではないはず。しかし幼稚園や小学校に於ける過去の友だち作りはことごとく失敗していたとおもわれる。おそらく相手から強い口調で断言されて意見を押し付けられると反論できない性格でしかも承認欲求の強いここねちゃんはそこをうまく利用されていろいろと巧妙に搾取されてきたのだろう。世の中は、いい人ばかりではありません。搾取できそうな人の匂いをかぎつけて、またそういう匂いをかぎわけるのが得意で「仲良くなろう」と言葉巧みに近寄ってくる連中はどこにでもいるものです。それは子どもの世界とて同じこと。そうとは知らずここねちゃんはそんな不逞の輩をまともに真摯に相手してしまい、はたせるかな、心が傷つき、精神を病み、しだいに人間不信を深めて今日に至ったと。今回のエピソードからそんな悲哀な行間が読みとれた。

ひるがえって、世の中には、いい人もいる。なんの打算もなくかかわってきて良い方向へと導いてくれる。そんな菩薩のような人は稀だけれど和実さんはそうであると信じたい。というか、ここねちゃんにとって和実さんは友達というよりは恋しい人です。もういちどお姫様だっこで空中飛行してもらいたい。そんな願いもあるのかもしれない。もしかしたら、ここねちゃん、裏切られたら和実さんを殺して自分も死のうとすら考えているのかもしれない。ここねちゃんの心の闇は分からない。

ここねちゃんはマリちゃんとは一応お友達になれたようだった。ここねちゃんの本心ではべつにマリちゃんとはお友達になれなくてもよかったのかもしれないけど、マリちゃんはほかでもない和実さんと懇意なのでこれは和実さんのご機嫌をとって印象を良くしておくためにもどうしてもマリちゃんとは仲良くしておきたいという打算がはたらいたのもあると思う。

ここねちゃんはなにごとにおいても和実さんに励まされて勇気が湧いてくる。失敗は成功のもと。それは、お料理だけでなく、おともだち作りにもいえることだと気が付いて野菜スープをほおばりながら噛みしめて今回のエピソードはしめくくられた。

しかし、だからといって、ここねちゃんは、これからは積極的に友達作りにはげんで誰とでも仲良くしていこうなどとはまるで考えてなくて、やはり友だちは人間関係は用心して選んでいかなくてはと考えているだろう。悲しいかな誰とでもは仲良くできない。また仲良くする必要もない。いかに関わるべきでない人間を見極めて避けて生活していくかが人生に於いては重要なのだから。

下の名前で呼ばれてうれしいのは好意を寄せる相手からだけだ。キモヲタな同級生男子に呼ばれたところで「逝ってよし」なんだから。

ここねちゃんが、セバスチャンが運転する車をやめて、徒歩で登校するようになったのはやはり隙を見せるためというか和実さんと同じ徒歩通学にすることで声をかけてもらいやすくするためでしょうか。

デリシャスパーティ♡プリキュア #04 恋の予感に胸がときめく芙羽ここね 感想

孤独を愛していてもこの人とならひとりよりふたりでいるほうがいいと思える瞬間がある。それが恋のはじまり。

お姫様だっこ。しかもそのまま茜色に染まる夕焼け空を浪漫飛行してきらめく夕星に胸をすくわれながら、おうちまでおくってくれた。これでおちない女子がいるもんですか。芙羽さんは夢か幻かにあのプリキュアの姿をふいに思い出しふくらむ胸の思いを反芻する。これがお姫様だっこでなくてお米様だっこだったり、あまつさえおめこ様だっこ(※駅弁スタイルとは少し違う)だったりしたらダメだったはず。

しっかしすっげぇ美少女だな芙羽さん。鳳眼で白皙の芙蓉の顔。同級生の男子の多くがちかごろ精通しました。そして彼らは自身の股間の部分で製造された汚れた肉漿のごとき体液を芙羽さんにぶちまけたいとひそかに願い悶々としているのだが悲しいかな芙羽さんに声をかける勇気すらないという。しかるを芙羽さんにとってそんなイカ臭い男子生徒どもは路傍にころがる犬のウ○コのようにけがらわしい存在でしかなくいつも一瞥もくれてやることなくその場を去っていくのでした。しかしイカ臭い男子生徒どもにはそのような美少女のつれない態度すらも蠱惑的に映り自身の股間の部分をますます熱くしてしまうという。さておき、そんな芙羽さんのことを周囲は「芙羽様」と呼ぶのでした。これは芙羽さんに敬意をあらわしているようによそおって、ほんとうはお高くとまってる芙羽さんのことをさげすんで「不和様」と呼んでるのですが当の芙羽さんはそんなことはどうでもよくてみんな死んじゃえばいいのにとおもっていた、かどうかは分かりませんがとにかく休み時間になるとふっと教室からいなくなるのが常でした。

なんでもひとりでやらなければとおもっていても、やはりひとりではなかなかむずかしいときもある。そんなときさりげなくちからを貸してくれる人があらわれて、やさしくさりげなく諭してくれて導いてくれる。惚れるよね。とにかく和実さんがさりげなく然し着実に芙羽さんの心をつかんでいくのがすばらしい。芙羽さんの気持ちが和実さんに傾倒しかけてる絶妙なところで和実さんは自分のパンを半分コにして芙羽さんにどうぞと。それからふたりは常人には見えないとされるレシピッピが容易に見えるという共通点を認識する。もうここで完全に堕ちた。このとき芙羽さんは和実さんを運命の人だと確信したようだった。

ジェントリーナさんがあらわれて芙羽さんと和実さんの邪魔をする、ように見せかけて実は愛のキューピッドだった。芙羽さんは和実さんこそがお姫様だっこのプリキュアだと知って迷いがなくなる。愛すべき人は和実さんただひとり。そして和実さんが困難な状況に追いこまれるとそれだけでいちずに助けたくなるそれが愛だからと一蓮托生の愛はここにあるのよと芙羽さん。そうですね、ともに力をあわせて困難を乗り越えたあかつきにこそ真実の愛と絆がそこに結実するのでしょうから。芙羽さんは「天よ、百難をわたしたちに与えよ、必ず愛を成就させてみせます。」と叫ぶ。そして、はたせるかなキュアスパイシー誕生のながれになるのでした。うつくしい。

今回は芙羽さんが和実さんに対して思いを募らせていく過程が良いかんじに描かれていました。要所要所で顔を赤らめる芙羽さんが印象的でした。スパイシーというよりは甘さひかえめだけどじわじわ甘さが伝わってくる感じでしたかね。

デリシャスパーティ♡プリキュア #03 鳳眼の美少女・芙羽ここね 感想

芙羽さんマジ天使やね。かわいい。じつに、かわいい。めちゃめちゃタイプです。もうほかの連中はオマケですね。はやくも次回が楽しみです。もうねニンジンがなくて困った困ったとか、コメコメはじめてのおつかいとか、カレーの味がまずくなったとか、そんな話は芙羽さんのかわいさを演出するための出来事でしかなかった。次回が芙羽さんメイン回でキュアスパイシー初登場回のようだけど今回もある意味で芙羽さんメイン回だったかんじする。芙羽さんの家はお金持ちでしかし家族はバラバラで夕餉もひとりで楽しそうでない。食事のおいしさは食材が高級か否か料理が上手かどうかももちろんあるけれどそれ以上に作ったり準備したりの過程において愛情がこめられているか食卓には愛が溢れているかどうかが大切なかんじする。出されたものを黙って食べるだけでも生命は維持できるだろうけれども、心の栄養にはつながらないかんじする。芙羽家の家庭の事情はわからない。ご両親とは仲が悪いのではなくて単に仕事が忙しくて一緒に食卓を囲めないだけなのだろうか。お金儲けに忙しくて金銭面以外で娘をかえりみる余裕がないのだろうか。また芙羽さんはお嬢様だから、令嬢の通有性として少し気位が高くて寡言なのかもしれない。そういう性格がまた彼女をより孤独にしているのかもしれない。セバスチャンは金で雇われたお世話係であり、友だちではない。しかし芙羽さんは孤独が嫌いではないのかもしれない。犀の角のようにただ独り歩んでいくタイプなのかもしれない。けれど人情として、ときには他者と喜びをわかちあいたい気持ちも皆無ではなかろう。それが次回に描かれると予想する。

それでは、ついでに、いちおう今回の感想を簡単に。ニンジンがなくて困ったのは女の子が閨中での一人遊びに使う道具としてでした。そうです女の子が下の口の中に入れたり出したりして楽しむためのもの。それがなくて困ったということでした。そこですかさず食客の淫獣に買いに行かせた。それはまた異世界で製造された500円玉がこちらの世界ではたして本当に使用可能か否かを確かめる実験でもあった。やはり偽造通貨が使えるかどうかをためすのを自分自身でやるのは勇気がいります。しかるを動物にやらせればたとえお店の人にバレたとしても大目に見てもらえるのではという期待もあったのだろうか。それは分からない。べつに知りたくもない。どっちにしてもコメコメが勝手にやったことだと白を切って逃げればすむこと。ところでコメコメは成長すると人間ふぜいになるようなので追加戦士候補でもあるようだ。追加戦士になれるか否かこれはもうご本人の人気しだいですから、がんばって視聴者諸賢に媚を売ってくしかないものとおもわれる。ちなみにブンドル団こと財団Bのブンドリーナさんもといジェントルーさん、あれはダメだな。「ブンドルブンドルゥ〜♪」というブンドル財団特有の鬨の声を上げるところに人気あるようだけれどジェントルーはたぶん男だ。男がプリキュアになったことは過去にあったけれど、それはあくまで例外だから。プリキュアはあくまで女の子が基本です。したがってマリちゃんも、と言いたいところだけど、もしかしたらマリちゃんは股間の部分をいさぎよく切り落としてプリキュアになるかもしれない。心はすでに女性のようですから。閑話休題。カレーの味がおかしくなった。それはもうカレーがウ○コにすりかわったからではないか。ひどいことするなジェントルーさんは。そういうところが大嫌い。まあジェントルーさんが可愛いことは認めるけれど、しかし可愛いだけがとりえなかんじもする。そもそも可愛いなら何をやっても許されると勘違いしてるのはよくない。世の中には女はかわいければそれでいいという男の価値観もあることは知っているが個人的にはそれは好きではない。いっそいちど戦死してもらってそのあと幽霊になって味方になってキュアメンマになってくれたらなと。

デリシャスパーティ♡プリキュア #02 ようこそここへ クック♪ クック♪ わたしのエナジー妖精 感想

クッキングダムではふつうに通貨偽造がおこなわれてるようです。ひたすら日本国の500円玉の偽物を製造してるかんじです。高額紙幣でなくあえて硬貨である500円玉を偽造してるあたり察するにやはり一万円札だといかにも偽造してますってかんじになるけどひるがえって500円玉なら少額なので罪悪感も薄まるというかバレにくいかなという気持ちもはたらいてのことでしょうか。よく分かりません。というか分かりたくもありません。知りたくもありませんそんな事情なんか。通貨の偽造は犯罪です。しかし、とにかく異世界に行ったら行ったでそこでの生活に最低限必要なものをそろえるためにその世界にて流通してるお金が必要になることは当然でしょうから必要悪とわりきってある程度の通貨偽造は気にしないで間諜の者とかに持たせるのは現実的で理解できます。むしろ偽造してますとはっきりバラしてるところに好感すらおぼえますね。過去シリーズの連中はそういう大事なとこはしっかりだんまりでしたから。

ブンドル帝国の目的は世界の食事をまずくして人々の食欲をなくし、ひいては生きる気力すらもなくさせてしまい、世界を滅ぼそうという魂胆なのだろうか。かつてどこかの作品で人類の性欲をなくして滅ぼそうと計画する組織があったような記憶もありますがだいたいそんなかんじなのかな。そうですね食欲も性欲も人類の存在維持には不可欠だと思います。しかしプリキュアではさすがに性欲をとりあげるのはまずいということで食欲をテーマにしたのでしょう、おそらく。だって「ごはんは笑顔」が「セッ○ルは笑顔」だと放送できないやんけ。

デリシャスパーティ♡プリキュア #01 ごはんといえば大森ゆうこ、だったはず 感想

デリバリーヘルスで働くパーリーピーポーなプリキュアかな。ぶっちゃけ飲食店応援ですね。まん延防止等重点措置もなんのその。現実感ゼロの設定がいいですね。しかし今期のプリキュアは現実世界におけるコロナ下で苦しむ或いは苦しんでるふりをして世間の同情を集めてうまいことやろうとたくらむ飲食店を応援したいというモチベーションから制作されました。たぶん。個人のちんけな食べ物屋さんは支援金ガッポリで儲かってんだろ、といった根拠にとぼしい批判はさておき、このコロナな日常に於いていろいろと風当たりの強い飲食店の悪戦苦闘ぶりを描くことがテーマのひとつのようです。それにしても、お客も店員もだれひとりマスクしてない、お店の入り口に消毒液はもちろん置いてない、ソーシャル・ディスタンスなにそれという無政府状態な飲食店街、すごい設定なんだわさ。ありえない。いつの時代の設定だ。まあ異世界だと思えば納得なんだがね。

さて、はじまりました。岡田枠がマリちゃんさんで誠司くん枠がたっくんでイース枠がジェントルーなんだなこれが、じつにわかりやすい。個人的には青い娘が好きです。黄色はミュウプリンみたいやね。

くだもの屋さんって普通は駅前にあるよね。思い返せば昭和時代の私鉄沿線たとえば東急池上線とかでホームのはじっこにある駅の改札を出てすぐの踏切をわたると駅前商店街の入り口にフルーツショップがかならずあったような気がする。しかしこの世界では商店街のいちばんはじっこのしかも急坂の手前に昭和レトロな雰囲気をただよわせるフルーツショップがあるという。すごい坂だな、それにしても。危ないね。乳母車が母親の手をはなれて単独で落下するがごとく加速してくだっていった。そうして坂の下でいまどきUberEatsでない出前の人とはちあわせ。これもなんだか現実感にとぼしくていいね。

レシピッピとかいう謎の存在はキラキラルっぽいものの中にかくれてるんだかそこから生まれるんだかようわからんかった。しかしこいつが課金アイテムだということはよくわかった。マリちゃんさんが捕縛フィールドを作り出してそこで戦うという一般人に迷惑かけない安心で安全な設定はプリキュアでははじめてかな。避難誘導員いらないね。ブンドル団(正式名称は財団B)のマークがBに×がついてるのは、つまりはそういうこと。現実世界ではプリキュアの大事なスポンサー様のひとつに玩具屋Bというのがあったようななかったようなで。あとは分かるな。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #46 夢の途中のその先で… 〜人魚のブレイクダンス〜 感想

夢に向かってすすんでいく。その途中でまた新たな夢が生まれる。ひとつの夢は小さい夢のままで終わらない。終わらせない。夢は大きく広がっていく。可能性は無限大。夢へ向かう行動がまた新たな夢へとつながっていく。そこに人として人魚としての成長がある。ひとつ夢が叶いまた新たな夢をめざして行動していく。たちどまって考えているだけではダメ。行動するその過程の中でまた人は人魚は新たな考えに到達するのだから。

夢は終わらない。しかし命は有限だ。みんな夢の途中で死んでいく。みんな悲しみの中で生きている。人魚は悲しみの海の中を泳いでいる。

悲しみからのがれるために記憶を封印して心の奥底に沈める。たまゆらの安息がそこにある。しかし記憶は消せない。本当に大切な記憶は消えることなく残っている。なにか大切なことを忘れているようなきがする、そんなもやもやした気持ちにいざなわれて行動してなにかのキッカケで心の底で眠っている大切な記憶をたぐりよせる。

なつかしいという気持ちこそが理想へとつながる。こうありたいとの願いの中にはかならずそこに無意識になつかしさがこめられている。生きているということは楽しいことばかりでない。いやむしろつらく悲しいことのほうが多いはず。しかしだからこそ、いとおしいという気持ちも生まれるのではないだろうか。なにかを探し求める。それは今を変えることにより今よりも良くなりたい良くなるだろうとの希望から生じているのだろう。みんないつかは死んでいく。それはわかっている。しかしみんな必死で生きていく。それはきっと生きてきた夢のさきになにかすばらしい永遠があると信じている或いは信じたいからなのだろうか。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #45 女王の野望 感想

真のラスボスは女王様ということで、いよいよ最後にきて動きがありました。女王としては人魚王国に平和がもどったので、もはやローラは不要な存在、むしろ目障りで邪魔なのです。次期女王の座をエサにローラを最前線におくりこんだものの最終決戦で死ぬこともなく見事に役目をはたしてしまい、人魚王国での評価も評判も上々なローラは今の女王の立場をあやうくするほどであった。

そこで女王はローラに対して二つの選択肢をつきつける。人魚王国にもどって女王見習いとして生きるか、はたまた人魚やめて人間界に残って暮らすか。女王としてはおそらくローラは人魚やめて人間界に残るだろうと予想していて、そうなれば体裁よくローラを人魚王国から追放できる、ついでにそのときに人魚とプリキュアに関する記憶をすべて消しておけば完璧だとすら。しかしよもやローラが次期女王の座に固執して人魚王国にもどる選択をした場合にはそのときはローラの記憶をほぼすべて消して腑抜けにしてそばに置いておき女王は今の自身の肉体が滅びかけてきたときの新たな器として利用するためにとっておこうと考えているはず。けっきょく今の女王はだれかに女王の座をゆずろうなどとはさらさら考えていなくて未来永劫に自分が女王として人魚王国を支配していきたいと願っているのだ。

それで最終回において女王の正体がバレてプリキュアに倒されるという展開が容易に予想される。女王の正体は地球外生命体であり精神だけが他の生命の肉体を器として永遠に生き続けるというものであった。したがって女王は本質的に倒せない、なぜなら肉体を滅ぼしても精神だけが抜け出しさまよいまた新たな肉体を得て生き続けるからだ。ではどうやってプリキュアは女王に対処するのであろうか。もうおわかりですね。プリキュアは記憶消去装置を女王の頭部にとりつけ女王の記憶をひとつのこらずすべて消し去ることにする。そして記憶をすべて消された女王は自分の存在がなんなのかさえも分からなくなり、生きる気力もなくなり永遠の眠りにつくというながれに、そんなオチになりそう。そののち晴れてローラが人魚王国の女王となり、人魚王国は旅立たず今の場所のまま、ローラは気儘に人間界に遊びにきて、めでたしめでたしのエピローグでしょう。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #44 約束のアネモネ 感想

助けてもらった恩がある、ひとりの人間の少女の優しさに触れて心が動かされた、だから本心では戦いたくない、しかし「私は破壊の魔女」としてそういう星の下に生まれてきたのだから世界を破壊し破滅に導かなければならない運命にはあらがえない私心は捨てなくてはいけないと覚悟を決めていた。しかし、そんな気持ちをゆさぶり、もてあそぶかのように、あの少女がプリキュアとしてあらわれた。葛藤。そこで破壊が運命づけられているとはいえ、いつまでに破壊せよと期限までは運命づけられてはいないことに気が付いた魔女はそれならばと破壊活動は毎日一日のばしで荏苒と日を送ることにした。そうしているあいだに伝説のプリキュアは他界していたのだが、そのことに気が付くこともなく荏苒と暮らしていた破壊の魔女は人間の命の長さと魔女のそれとがぜんぜん違うことを知らなかった。自身の葛藤から「破壊」という運命にまっとうにあらがうこともできず本心を隠して生きつづけていくうちに、いつのまにか本当に大切な本当の気持ちさえも忘れてしまい、そうかといってなんとなく積極的に破壊活動へもとりくめないでいたという。

今回は、肉体が滅んで、命が消えても、やさしい気持ち、願いは残り、それが他者の運命を導くという話だった。伝説のプリキュアがこの世の人ではなくなっていたと知った後回しの魔女はもうなにごとも後回しにする必要はなくなったと確信し積極的に破壊活動を再開しようとする。しかし最期は伝説のプリキュアの真心にほだされて共に成仏して終わった。幸福だったとおもう。長生きするばかりが幸せではないのだとおもう。命のつきるその瞬間に至福を体感してそこで止まって永遠となってあの世に旅立てたのであればそれ以上の幸せもないようにおもえる。

死後もつづく少女のいちずな願い愛情が魔女の「破壊」という宿運さえも否定してしまった。これは人間のおもいやりの強さに他者の未来を変えていかれるチカラを感じさせてくれるいい話だったとおもう。あるいは少女がプリキュアになったのも偶然ではなく何か人知を越えた神の力が働いて破壊の魔女の運命をちがう方向へと導いたのか、それは分かりませんが、そんなことはどうでもいいのです。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #31 ドキドキ経由の列車に乗って 感想

けだし人生とは長距離列車での旅なのかもしれない。列車の中は密室で逃げられない。逃げられたとしてもせいぜい一番後ろの車両まで。あすか先輩も逃げた、テニス部から逃げた白鳥生徒会長から逃げた、逃げたというより見限ったんだけれどまあだいたい同じことで。しかし逃げたといってもしょせんテニス部を退部しただけのことですから同じ中学に通っていればそりゃたまには顔もあわせるでしょう。本当の意味で逃げることなどできないのです。であるならば向き合って戦って解決していくしかないのでしょう。それが今回のテーマだった…のかな?

とりあえず今回は、あすか先輩のまとめ回になるかと思わせといてそうではなかったという。まとめ回は次回またということでお楽しみにね、という話だったようです。とりあえず今回は、あすか先輩と白鳥生徒会長との軋轢の原因が示された。それが次回のまとめ回へとつながるとにらんでいます。

あすか先輩は性格がまっすぐで、まっすぐすぎて損をしています。実はあのラケットは偽物でこんなこともあろうかと白鳥生徒会長はおとりでロッカーにしこんでいて実際の試合になって対戦相手がほくそえんでるであろうところになにごともなく涼しい顔でラケットを使うところ見せつけて逆に相手になんであのラケットは大丈夫なんだおかしいよと精神的なダメージを与える作戦だったのです「勝負はね、試合の前からすでに始まっているのよウフフフ…」と相手にさりげなく分からせてやりたかったのです、が、あすか先輩はそうとはしらず相手につっかかっていってしまい逆に暴力行為だなどとなんくせをつけられ咎められてしまう。相手は誤解だと主張し証拠もなにもないのでそれ以上は責められることはなかった、ひるがえってあすか先輩は相手の胸ぐらをつかんで暴力をふるったと目撃者もいるんだとそんなかんじに逆に悪者にされてしまう。あすか先輩は激昂した、なんとか相手の罪を認めさせ自身の名誉を恢復したいと願い白鳥生徒会長をはじめテニス部の連中にげきを飛ばしたのだが、しかし、みんな冷たかった、みんなそんなことしたら試合に出場できなくなるとか、最悪の場合はテニス部が廃部になるとか、そんな心配ばかりして、ひたすら自分の立場を主張し自分の利益を擁護するばかりであすか先輩のことなどどうでもよいような態度をとった。あすか先輩は幻滅した。仲間なんてしょせんこんなものだと。

白鳥生徒会長も後悔してると思う。まえもってあすか先輩にラケットのことを伝えておけばよかったと。あすか先輩もあれからいろいろあって精神的に成長してるからあのときの白鳥生徒会長が苦渋の決断に至った経緯についても少し理解できるようになってるかんじです。今回は和解できなかったけれど、しかしなにも進歩がなかったわけでもないような気するので次回のあすか先輩メイン回があすか先輩のまとめ回で白鳥生徒会長とわかりあえるながれになるのだろうと予想しています。そしてそのあと滅茶苦茶…

ところで列車が攻撃を受けてるというのに車掌さんも学校の先生もとにかく大人がひとりも登場しない、助けない、ほったらかしという展開に驚いたね。これはおそらく車掌さんも運転士さんも学校の先生もみんな敵に洗脳されてたとみるべきか。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #24 熱血バトル!トロピカる部VS生徒会 感想

ウルトラクイズの司会者さんが生徒会長の水落ちしてセーラー服から透けたブラにナイスですねぇとたたえたあと最終問題に正解すると一万点獲得です全チーム逆転のチャンスありでそしてボタンをポチっとする形式でクイズに答えるにはボタンをさがしてポチっとしなければならないとのことですぐにピンときた夏海さんはすかさず自身が着ていた体操服の前部をたくしあげ下着のブラもずらして二つある小さな胸のふくらみの頂上にあるピンク色のボタンをはずかしげもなくあらわに露出させてこれみよがしに司会者さんに詰め寄りどっちのボタン押すの?と問うたら司会者さんはおもいがけないうれしい展開に興奮を隠しつつもどどどどっちでもいいよと答えたので夏海さんはじゃあ司会者さんが好きなほう押してよとすすめると司会者はヤル気パワー全開になってそこでゼッタイヤラネーダが登場してそのヤル気パワーぜんぶ吸収してしまい司会者さんの股間の部分がなえたという気の毒な展開にローラというかキュアラメールがヤル気パワーをカムバックさせようとしたとき少し思案してから今回はカムバックしなくていいやとつぶやいたのはやはり股間のヤル気はいらないと思ったからかとにかくカムバックしないまま敵怪人すなわちゼッタイヤラネーダを撃破したのが印象的で従って戦闘が終了したのちも司会者さんの股間の部分はなえたままでチョンギーレさんが司会者さんの役立たずになった股間の部分をちょん切って持ち帰り料理してエルダちゃんに食べさせてエルダちゃんもおいしいおいしいと満足の笑顔をしてたのがよかった

そんな話でしたっけ?

トロピカル〜ジュ!プリキュア #23 人魚とバタアシと人間の足 感想

人魚の姿でなら海の中では誰にも負けない人間なんて目じゃない。ならば人魚の姿でみんなといっしょに海の中を泳げばいいじゃないかと思うけれどそうもいかない。夏海の父がいたからというのもあるけれど、みんなと同じ条件でというのが大事だったようだ。みんなと同じ人間の姿で、泳ぎには不自由な人間の足で、みんなといっしょに泳ぎたい。不思議だね。地上で負けるのは仕方ないけれど海の中では人魚の圧勝なのにそれでは満足できなくてあえてみんなと条件をそろえてスイミングを体験したいという。みんなと違う自分、とくべつな自分は嫌いではないけれど積極的にそのことを意識したくはないといったかんじなのかな。人の、もとい人魚の、心は単純ではないのだな。ともかく、できないことは練習するしかない。考えてるだけではどうしようもない。とにかく練習なんです実践なのです。ローラは夏海の協力を得てビート板をつかいながらなんとかバタアシで泳いだ。なんだろな人魚の姿でならなんてこともない泳ぎも人間の姿で人間の足で泳ぐのはなんともたいへんだけれども新鮮で楽しくて嬉しいそんなかんじだった。ちょっと違うけれど個人的に左利きにあこがれていて右手でできることをあえて左手で挑戦してみてはじめはうまくいかなくてしかし練習をかさねて少しできるようになったときのあのうれしさなのかなと。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #22 杜の人魚伝説 感想

地下洞窟での戦いがジャブローでの戦いを思い出させた個人的には水中戦闘とかかっこいいとおもうしそのながれで地下洞窟戦や一時的な地上戦につながる戦闘のながれは見ていてすがすがしいそして今回は新型のモビルスーツもとい新型のヤラネーダ初登場その名もゼッタイヤラネーダ、プリキュア忍法火の鳥の攻撃をもはねかえす強敵だったしかし新型には新兵器で対抗してなんなく倒してしまったという販促回だったというのが今回でシャボンスプレーが新必殺技でした、今よ!キュアラメール

次回も人魚島が舞台でおそらく夏休み中はずっと人魚島が舞台のようなかんじするかつてジュエルペットサンシャインだったかで無人島だったかとにかくずっと夏の島が舞台のときがあってそれに準じた展開になるのでしょうかとりあえず次回は「南十字星に願いを」だそうでロマンチックな展開もあるのでしょうか百合的な意味で


トロピカル〜ジュ!プリキュア #20 メロンパンは、おとりよ! 感想

今回のお話は映像的にかなり楽しめた。

papaya_beam

とくにキュアパパイアのビーム発射を真横から描写してくれたのは良かった。この場面が強く印象に残った。カッコイイとすら思った。正面からだとギャグにしか見えないけれど、横からだとまじめに必死に攻撃してる感が伝わってきて良いかんじする。なんだろな、今回のこのパパイアビームの件から、世の中はなにごとにおいても多面的に観察していかないと判断をあやまることにつながるということをあらためて思いましたね。くやしいけれど、キュアパパイアの好感度がアップした。

今回は、ギャグ回とみせかけといて、教訓といいますか、自身のまちがいに気付いたら、すぐに素直にあやまりましょう、という話だったような気もします。もちろん謝罪したからといって、いつでも今回のようにすぐに仲直りできるとは限りませんが、それでも自らの非を素直に認め誠意をあらわすのは大切なことだと、それが長い目で見たときに信頼関係の構築につながるのだよと、そんなメッセージがこめられていたのかなと。ねえ、成田先生?

正直なところ、犯人は夏海かエルダちゃんのどちらかだと思っていたけれど、ぜんぜんちがいました。夏海は落とした財布をとりに行く前に、メロンパンをだれかに先に食べられてしまっては大変だからと自分でさっさと食べてしまって、それから、財布をとって部室に帰ってきたときにはそのことをきれいさっぱり忘れていたとか。そんな衰えた高齢者にありがちなオチかなと思いました。あるいは、エルダちゃんが夏海のことが気になって、こっそりやってきたら、部室には誰もいなくてアザラシも寝てるので、だまって中に入ったら、おもいがけずメロンパンがあった。エルダちゃんはメロンパンのおいしさを知ってしまっていますからね。いただいちゃいました、と。そんなオチなんじゃないかなとも。まあ、結果的にどちらも不正解だったのですが、それにしても、視聴者の方で、だれか今回のオチを正確に予想できた人いたのでしょうか。いや、いない。

ローラは、体育の授業ですごく疲れたからアクアポッドの中で休んでいたということなので、やはり本当にくつろげるのは人魚の姿で水中でなのでしょうね。ローラが人間の姿にあこがれたのは、人間の姿でないと人間社会では自然に自由にふるまえないからで、べつに人魚であることがいやになったから人間になりたいというわけではなかった。たしかに人魚の姿でも、下半身の魚の部分をうまく隠して、尾ビレをじょうずに使って、ぎこちないけれど歩くことはできた。また、今の社会は多様性を受け入れる方向にすすんできていて、体が不自由でも以前よりは不利益な扱いは少なくなってきている。しかしローラはそれでは満足できなかった。人魚の姿のままでも、工夫して努力すれば、なんとか人間社会にとけこめなくもない。それは事実かもしれないけれど、それでも、かずおおくの行動の制限がある。ローラはそれがいやだったのだろう。そして、とくべつ扱いされるのがイヤなのだ。とくに若い女の子なら、そういう気持ちが強くても不思議ではないと思える。とにかく人間社会にいるあいだだけは、人間の姿でいたい、みんなと同じ姿でいたい。そうして、その中で自分らしさを表現して生活したい。そう考えていても違和感はないです。いつか戦争が終わって、人間の姿にバイバイして、とこしえに海に帰る日がきたときに、ローラがどんな気持ちになるのか興味あります。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #19 エルダと夏海と約束の人形 感想

エルダちゃんメイン回でした。かわいかった。

学校の裏山に廃屋があり、そこが異世界への入口だった。入口だけ。そう、入口はあっても出口はないという。したがって興味本位で入ったが最後、永遠に異世界をさまよう。異世界トラベラーとして人生をまっとうしなくてはならなくなる。そんな恐怖な展開になるのかと思ってたら、ぜんぜん違った。いい意味で期待を裏切られたのでした。

すごいミスリードだな。夏の定番の怪談話で肝を冷やす話かと思わせといて、心あたたまるお話にもってくとか。

廃屋の人形はある日とつぜんいなくなった友だちとの再会をずっと待っているのだとエルダちゃんはまことしやかに夏海まなつに語っていた。そして人形はエルダちゃんが持ち帰った。このことはつまりエルダちゃん自身のいまの心の姿を人形に投影していたとおもう。いつかまた会いたい、また会えるよね、敵とか味方とかでなく、友だちとして。持ち帰った人形で楽しそうに遊んでいた様子から、そんな淡い期待をいだいてるようなかんじが伝わってきた。戦ってるのは、組織として敵だから、しかたなく。しかし個人と個人との関係は違う。相手の正体もわからずに、ふとしたきっかけから相手の優しい人柄に触れてしまい、好意を抱いてしまうことがある。あとから敵だと分かっても、この気持ちだけは、どうすることもできない。もやもやする。しかし、ときに世間の理論や理屈よりも自分自身の素直な感情のほうを優先したい信じたいという気持ちに傾く。なにが正解かなんて分からない。どうすれば正解にたどりつけるかなんてのも知らない。説得力のある根拠なんてないけれど、ただただ自分の自分だけが信じる細くて暗くてせまい困難な道のその先に「正解」が待っているはずだとおもって前に進んで行きたい。正解を選ぼうとするな、選んだ道が「正解」になるんだと胸を張れ。信じることで夢が広がる。それで失敗したなら本望だ。自己責任上等。死ぬのも怖くない。そういう生き方は好きだ。

いずれ、この人形が鍵となるエルダちゃんと夏海まなつとのエピソードがありそう。そのとき、はじめて、エビが人間になり、それからプリキュアになるという新しい伝説がはじまるんだ。そんな熱い展開があるとみた。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #18 「知らない」がいっぱいあるローラには「初めて」がたくさん待ってる。楽しいことも、ちょっとつらいことも。 感想

残念な水着回。しかし、プールでおぼれるローラかわいいよ。

これは教訓だったのかな。たとえば、子どもが大人にあこがれて、しかし、いざ大人になってみると、どうだろうか。もちろん予想していた楽しいこともたくさん体験できるようになるだろうけれど、しかし、体が大きくなってしまったために、物理的にも社会的にも、子どもなら自由に通ったり出入りできていた場所に行かれなくなるとか、そういった楽しみを失って少し悲しくなることもあるのではないでしょうか。また、子どもだから甘えて許されて助けてもらえていたことも、大人になると責任を問われて自分自身で問題を解決しなくてはいけなくなったりもします。畢竟、なにになっても、なんでもはできるようにはならない、できることしかできない。これが現実なんだ。カンペキなんてありえない。ありえないからこそ、いまある能力を最大限に活用して、足りないところは補っていく。自分自身の弱点を真摯にみとめて、工夫して解決にむけて努力していく。視聴者諸氏にも、そんなあたりまえのことに、あらためて気が付いてほしかったのかなと。ローラがこれからどのように行動していくのか興味あります。

ところでローラはいつまで自分の意思で自由に人間の姿になったり人魚に戻ったりできるのでしょうか。ふとおもったのは、中島敦の山月記で主人公は虎になってしまうのですが、すぐには人間の心は失われなかった。そこに苦悩もあったのですが、人間の心がしだいに薄れていくにつれて自身のアイデンティティの軸足は自然と人間から虎へと移っていくのでした。ローラもいまは人魚の姿に戻れるけれども、人間の生活が長くなるにつれ、しだいに戻れなくなるのでしょうか。新しい環境に慣れてくると、しだいにかつておかれていた自分自身の立場を忘れてしまう。ローラも「あたしはどうして以前、人魚だったのか?」などと考えるようになるのだろうか。

※雑記(1)
キュアラメールは変身した直後に水中から飛び出してくる。その瞬間を狙い撃ちにして倒すという作戦はないのか。カイ・シデンがガンタンクで水中から飛び出してきたズゴックを狙い撃ちしたように。
20210627

こんなかんじに



※雑記(2)
mizugi


こういう水着がいいとおもう

トロピカル〜ジュ!プリキュア #17 人間なんてラララ、キュアラメール 感想

グランオーシャンの女王様があやしい。おそらく真のラスボスかと。(ぇー

ローラが人間にプリキュアになれたのは、もちろんローラ自身の強い願いからだろうけれど、しかし、女王様からいただいた小道具のおかげでもある。けっきょく女王様は人魚を人間に変えるすべを知っていたのだ。それはつまり、あとまわしの魔女と同じ。そう考えると、これはつまり、グランオーシャンの女王とあとまわしの魔女は同族ということで、そうして、魔女は人魚のなれのはてということです。その顛末は今後すこしずつあかされていくのでしょう。たぶん。

ローラはプリキュアになった。プリキュアになるには、まず人間にならなければならない。そういう設定だったはずです。ですからプリキュアに変身する直前に人間になった。それからプリキュアに変身した。戦闘が終わり変身をとくとローラは人間のままだった。これはどうしたことでしょう。いちど人間になった人魚はそのまま人間になってしまい、プリキュアの変身のように元に戻ることはできないということでしょうか。

ローラは二本足で歩くことができるようになり、よろこんでいる。しかし次回、人間の姿でプールで泳いでみるけれど、おもったようには泳げないのではなかろうか。水中ではどうしたって二本足よりも尾ヒレのほうが有利でしょうから、これはしかたがありません。そんなあたりまえのことにいまさらながら気がつくローラがいて、しかも人魚にもどれなければそもそも人魚の国には帰れない、それすなわち次期女王にもなれないということで、これは困ったと嘆くのではないだろうか。そんなローラの苦悩が描かれる展開に今後期待したい。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #16 迷える人魚と魔女の罠 感想

いよいよ敵の本部になぐりこみですか。
最終決戦、はじまっちゃったよ。(ぇー
もう年が明けて2022年になったようです。(コロナハドウナッタ?
最終回まで残すところあと2話です。(ぉーぃ

とらえられた人魚が魔女と面会する。そこで告げられた衝撃の事実は、あとまわしの魔女がローラの母親だということでした。あとまわしの魔女は、おちぶれた人魚のなれのはての姿だった。(キリッ

世の中は、いいとこどりできないようにできている。なにかを得ようとするとき、べつの大切な何かを失う。そんな話に言及されてましたが、これは利益を得るためのコストの話なのかな。お金に換算できるものであれば話はわりと簡単かもですが、そうでない場合は価値観の問題になりそうだから難しそう。そもそも、ものごとの損得はあとにならないと分からない場合も少なくないので、あまり深く考えないほうがいいのかも。まあ、それでも、わかりやすい例でいうと、欲しいものを買うと、大切なお金を失う。お金を払わないでお店から勝手に商品をもちだせば、それは犯罪ですから警察につかまり刑罰を受けて社会的信用を失います。警察につかまらない場合もあるでしょうが、しかし、それでよしと考えるならば、あなたは人間のクズです。因果の理に導かれて、いずれ天罰がくだり何か損するでしょう。天網恢恢疎にして漏らさず、です。そんなかんじですかね。ちがうかな。

幸せはどこにあるのでしょうか。どこにもないといえばそうだろうし、どこにでもあるといえばそうなのかもしれない。気持ちひとつで価値観なんて変わる。いいかげんなものだ。人間も人魚もバカなんだ。あたりまえにありすぎて、なくしてはじめてそれが幸せだったと気づく。そんな経験もめずらしくないのでは。

いまの自分に満足できず、変わりたいと願う。これを向上心とよぶのでしょうか。そして本当の自分はどこかほかの場所にあるんだという空想が自分探しへとかきたてる。夏海まなつが離島から都会に出てきたのもそんなかんじだったかな。それはともかく。ところで、その「本当の自分」とやらを見つけた人はどれだけいるのだろうか。おそらく、いないのではないだろうか。夏海まなつの場合は微妙だが、おそらく夏海まなつの場合はたとえずっと離島で暮らしていても、それなりに自分を肯定して生きていたような気はする。

閑話休題。

自分はいまここにいる自分自身しかいない。迷いをたちきれ。そして今のこの一瞬一瞬に全力をかけろ。それしかないじゃないか。それを死ぬまでつづける。それが生きるということだ。

次回、ローラがプリキュアになるのは、おそらく仲間を助けたいと強く願うからだとおもう。仲間を助けるためにプリキュアになりたいが人魚はプリキュアにはなれない(という設定だったはず)。人間になることはプリキュアになるための必要条件。であるならば、ここはひとつ、あとまわしの魔女の策略にはまったふりをして、魔女に協力するからその対価として人間にしてくれとたのんで人間にしてもらう。しかし、人間になったからといって、かならずしもプリキュアになれるとはかぎりません。強い意思、どこへも逃げずに今の不完全な自分をありのまま受け入れ、そのうえで今の自分のありようをあるべき姿へと変えていこうとする勇気をもち、覚悟を決めて一歩踏み出し、そうして仲間を助けたいと願った者にはプリキュアの資格が与えられるのでした。過去の事例を見るとそうでした。それにならってローラはプリキュアに変身する。そんな展開になりそう。

ローラが人間になりたかった理由は、はじめは違っていた。人魚であることに誇りはあるし、女王になりたいという夢もウソではない。しかし、人間社会で暮らすうえにおいて、ふつうの人間の姿になって、みんなと同じように気兼ねなく楽しみたかった。ふつうに山登りをしてみたかった。ペディキュアだって塗ってみたかった。みんなが当たり前にしていることを、ただただ当たり前にしてみたかっただけでしょう。そんな、せつない気持ちは、当たり前が当たり前でない人(人魚)にしか分からない。あとまわしの魔女はそんなローラの気持ちを見抜いた。これは、もしかすると、あとまわしの魔女も自身が人魚だったとき人間の姿にあこがれて悪魔と契約して人間になったはよいが、しかし実際に人間になって暮らしはじめたら期待していたほどは楽しくなくて、むしろ苦しみばかりで、それで人魚にもどりたいと思うようになったけれど、いちど人間になった人魚は人魚にもどれないと知らされ、絶望して、その絶望がつのって魔女になってしまったという。そんな話だったら、がぜん興味わくのだがな。

ほんとうはローラが最終回にその命とひきかえに、いちどだけ変身して、母である、あとまわしの魔女を浄化して、戦いが終わり、そしてローラ自身もプリキュアの変身がとけると同時に泡となり消えてしまうという物語のしめくくられかたをすれば、それはそれはキレイなエピローグだろうとは思うのだが。いかんせん、それは財団Bが許してくれないのでしょうな。せちがらい。つまらん。女児アニメの限界が伝わってくる。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #15 自分らしさとは、なんだろう?! 感想

世間は、世の中は、なにを基準にして、その人がその人であると認めるのであろうか。外見で、顔や背格好で、判断するのだろうか。それとも外見とはまさしく飾りであって、その人の言動こそがその人の本体なのだろうか。あるいは外見と言動が一致してこそなのだろうか。考えれば考えるほど、よくわかりません。そんな難問にあえてとりくんだのが今回の話だった、のかどうかもわかりませんが。

ローラとメガネ先輩がいれかわって、それぞれが新しい姿で初めての経験をかさねる。ローラは歩きまわれるようになってやりたいほうだいで楽しかったようです。メガネ先輩も人魚の尾ヒレをうまくつかって自由に海の中を泳ぎまくれて楽しんでいた。しかし今回、いちばんの収穫は本来の体からはなれることで自分自身を客観視できて、それを今後の生活の糧にできたことのようでした。

ふだんとちがう体験は楽しくて視野を広げてくれた。それは良いことだ。しかし、ふだんとちがうことをするのは、たまにでいい。変わった体験をするとものの考えかたも変わるのでしょうけど、本当になにもかも変わってしまうのはイヤなものだ。姿かたちが人間になってそのままずっと人間でいると、おそらくもとは人魚であったとしても、いつのまにか心も人間になってしまうのではないでしょうか。その逆もありそうで。与えられた状況に適応していくと人は自然とそれらしく変わっていってしまうということはあるとおもいます。ニセモノがホンモノに変わることだって、めずらしくないとおもいます。変わるということは、あたらしいものを手に入れることだが、ときにそれとひきかえにしていままでの大切なものを失ってしまうこともある。それに気がつくことも大切なんだと思う。敵怪人の襲撃をまのあたりにして、人魚の姿では戦えない。メガネ先輩はもとにもどりたい、プリキュアに変身して守りたいこの世界をと強く願った。そして願いはかない、もとにもどれた。やはり、わたしは、わたしのままがいいのかもしれない。かんぺきではないけれど、いつものわたしがいちばんかなと。だけど、いいとこどりかもしれないけれど、すこし変えていきたい気持ちも芽生えた。それを心の成長とよぶのであれば大切に育ててほしい。そんな結末だったのだろうか。

ローラは人間の生活にあこがれていて、こんかい夢はかなったけれど、それは決して待ち望んでいたものではないとわかったようだ。ローラにとって人間社会での生活はあくまでかりそめで、いずれは人魚の世界での生活にもどる。そもそも人間の世界に来なければ、人魚であることに不自由を感じることもなく、したがって二足歩行にあこがれることもなかったはずだから、もとの姿にもどれたあと自身の人魚の下半身を見てうなずいていたのは、自身が人魚であることの矜持をあらためてたしかめていたのだろう。そう信じたい。ローラが人間の姿になることはない。夢は今回限りで終わり。それこそが、きれいな終わり方だ。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #14 積木くずし 〜人魚と男児の半日戦争〜 感想

今回の敵怪人は積木がモチーフだけに中途半端に攻撃しても崩れてバラバラになるだけで、すぐにもとどおりになってしまう。プリキュア側が攻撃しても敵怪人はてきとうに受け流して対応してしまう。ある意味、強敵なんだな。これはもう敵怪人の本体を一撃でたたかなければ倒せない。そのためには、どうするのか。考えろ、考えるんだ。と、そんな緊迫した展開になるのかと思いきや、ぜんぜんそんなことはなく。ちょっとだけ考えて、そうだ敵怪人がもとどおりになるよりも早く倒してしまえばいいのでは、という結論を出す。まあ、オラオラのラッシュですかね。畢竟、若さゆえの思いつきと勢いだけでなんとかしてしまったという話。まあ、いいけどさ。

保育園には孤独な男児がひとりいた。しかし腐ってたわけではないのだ。それどころか夢がある。将来は昆虫博士になる。そのためには今から必死で勉強しなければならない。だからバカな連中のバカな遊びにつきあっていられない。だから、ほっといてくれと。ところが、そんなかわいげのない男児をぎゃくに見込みがあるとほめる人魚がいた。これには男児も虚をつかれて、しかし、まんざらでもなくて、人魚に気持ちが傾いた。恋をした。初恋だった。精通した。それは嘘です。閑話休題。お母さん以外の女の人をはじめて好きになった、それは事実です。いや人ではなく人魚だけど。とにかく男児の初恋が描かれていた。そうですね、だれからも理解されず、だれからもちょっと変な奴だと敬遠されて、本人も世の中(といっても保育園という狭い世界だけどそれでも男児にとっては大きいのだ)に絶望して、もうこれはサイの角のようにただ独り歩んでいくしかないと覚悟を決めていた、そんな時、おもいがけず「おまえはそれでいい!」とはげましてくれる人(※人魚あるいは半魚人)がいたのだから、これには勇気づけられましたね。男児はほかの保育園児(とくに女児)の変人扱いしてくる発言をそっくりそのまま信じたのではないが、証人の数の多いことはその言うところが正しいと推定せしむるに有力であることを思わざるを得なかったのである。真実とは多数決ではない、そんなことはわかっている、しかし、人の心はそれほど強くない、味方がほしいのも本音なのだ。人魚が、味方になった、味方になってくれた。べつに人魚は男児に憐憫の情をいだいたわけではない。人魚は男児に素直に共感しただけのことで、それは男児もわかっている。もしも人魚がごきげんをとろうとしてそんな態度をとってきたのならば男児もそれをつっぱねただろうが、そうではないと信じられるだけのものが人魚には感じられた、だから男児は人魚に心を開いたのだ。ひとは信頼できる人がひとりできると、ほかの人も信じてみようかしらと思うものなのだろうか。いい人(※人魚)との出会いで、良い方向へ、ひとは変わる、ひとは変われる。男児は、とある女児に声をかけてみる。うまくいく。仲間ができた。世界が広がる。気持ちひとつで目の前の世界の景色が変わる。男児の心の積木もまた再構築されてより良いものへと変われたようにも思えた。人魚はその日かぎりでいなくなるが、人魚の置き土産は大切にしていこうと。退屈でちんけな保育園の日常にも少し期待が持てるように感じられるようになった無辜な男児の姿が描かれた、今回はそんな成長譚でした。

井上美緒さんはプリキュアの脚本はハートキャッチ以来なのかな?ひさしぶり

それにしても次回は「タルトが祈里で祈里がタルト!?」っぽいな…

トロピカル〜ジュ!プリキュア #13 私の歌を聴けぇぇぇー! 感想

マクロスだった。よくわからんがマクロスだったかんじする。

ローラにとっての真の敵は、あとまわし軍団ではなく、人間社会そのものなのだ。したがって、あとまわし軍団との戦闘がぞんざいに描かれてるのも納得なんだ。人間社会の偏見と差別、これほど恐ろしいものはない。被害者の精神的な苦痛はすさまじい。人間は根拠もなく観念的になにかよからぬ事件があればすぐに人魚のせいにする。すべて人魚のせいで事件が起きる。ローラが「おかしな言いがかりもたいがいにしてくれ!」と言うのも理解できる。

船が沈没したのは人魚のせい。新型コロナウイルス蔓延も人魚のせい。あまつさえ、さきごろ横浜でニシキヘビがいなくなったのも人魚のせい。しかし、くだんのニシキヘビが天井裏で見つかったのは人間様のおかげなんだよと。そんなかんじにおかしな噂が広がっていく。人魚だけに尾ひれを付けてさ。さしものローラもこれには困りましたね。したがって、いまいちばんにやるべきは、あとまわし軍団は後回しにして、いかにして人間社会を、とりあえず学校の連中を篭絡していくかでありまして、そのための切り札がほかでもないローラ様の美声による歌なのだと、そんな話だったね今回は。

ヤックデカルチャー。半魚人とのファーストコンタクトは歌を通じて無事なされた。しこうして、学校のみんなさんはカルチャー・ショックを受け、ローラの歌に首ったけ。やりました。ローラのたくらみは大成功した。これでとりあえず人魚が学校内のスケープゴートから脱出する布石は打てたんだな今回。よかった、よかった。

成田良美先生ありがとう!

トロピカル〜ジュ!プリキュア #12 ローラ大地に立つ!! 感想

生命は、新しい環境に適応していく。生きていくためには適応していかなくてはならない。現実は厳しい。生きるって、生きてるって、そういうことで。それが今回のテーマだったのかもしれない。ローラも例外ではない。ローラとて、それほどバカじゃない、真剣に考えている。そんな前回に続いてローラのメイン回だった。

人魚は、足はないけれど、尾ひれを強化すれば、なんとか立ちあがれるようだ(ぇー)。しかも、少しは歩けるようだ。今回は窮地に立たされて、とっさに無理して尾ひれで立ちあがったのだろうけれど、それが案外うまくいった。しかも、ゆっくりとだけれど歩いたのだ。すごいね。敵のザクも驚くわけだ。いや、敵は風紀委員長だったか。それはともかく、もしかするとローラはこっそり独りで立ち上がる練習してたのかもしれない。足なんて、あんなの飾りだ、とか言いながら、尾ひれでふんばる練習をさ。

はじめは、歩けなければ車輪のある道具を利用すればいいという発想からスケートボードで移動してみたようだった。困難な状況にあっても工夫してのりきろうという姿勢は好感がもてる。なにげにローラは今回みたいに長袖と長いスカートで、そうして車椅子に乗れば、わりと人間社会で自然に生活できそうなかんじがする。

ローラのメイン回が続いて、次回も人魚が主役のようで、ローラは優遇されてるな。次回は人魚の歌がテーマだそうで。人魚の歌といえば、ぴちぴちボイスですね。ローラは、プリキュアになるかどうかはさておき、歌を武器にして戦っていくのでしょうか。

ローラの苦悩と、それを支えるトロピカる部の連中、なにげない日常生活の中でちょっとした事件が起きて、けれどもローラは最終的には自身の気力で乗り越えていく、そうやって成長していくローラの姿が今後も描かれるのであれば、これはなかなか楽しみです。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #11 今日は母の日、そして涼村お誕生日おめでとう!

ローラのメイン回だった。ローラの憂鬱が描かれていた。

人魚の苦悩というか。いや、まわりがみんな人魚なら、ローラだってなんともないのでしょうけれど。ようするに、自分ひとりだけが周囲とは違っていることに対する不満といいますか。そうですね、ローラはいつもみんなといっしょにはいるけれど、みんなと同じ中学校に通う中学生というわけでもなく、それから人魚だから足がないからみんなといっしょに歩いてお散歩したりショッピングしたりもできない。それどころか、そもそも人魚の姿では人間の世界ではどうどうと外には出られない。いつもこそこそして人目をうかがって行動してなくてはならない。べつに悪いことしてるわけでもないのだけれど、なんとなくそんなかんじで。仲間というよりは、特別扱いの存在なんだ。

それはローラもわかってはいる。しかし、頭でわかっているのと、じっさい心にいだく感情は違うもの。みんなといっしょに同じことして楽しみたい、そんな自然とおしよせてくる欲求を倫理観や道徳観といった心の防波堤で完全におさえこむのはしょせん無理なのだ。ローラがどんなに強がっていても、人間は、いや人魚も、そんなに心は強くできていない。

さいご夏海がローラにこんどはいっしょにと声をかけたのが、やすっぽい同情からでなく、本心からローラといっしょに楽しみたいという気持ちからだったと信じたい。ローラのうなずきに期待を裏切らない夏海のヤル気とやさしさを見せてほしい。

本当の居場所がないことへの不安は、新しい環境へ自分ひとりがほおりこまれたときによく感じることがありそう。居場所がないのなら居場所を求めてどこかへ行けばよいのだが、今のローラの場合は逃げることもできない。いまいるこの場所で生きて、戦っていくしかない。今後いかにしてローラは自分自身のあり方をみとめていくのでしょうか。人間になりたいとか、プリキュアになりたいとか、そういう方向にいくのか。あるいは人魚は人魚のままで、人魚であることを誇りにして、そのうえで自分自身の役割というか存在意義を見出していくのでしょうか。なにかそのあたりに人魚のローラの心の成長が描かれるのであれば楽しみです。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #10 成田良美先生おかえりなさい! 感想

テストで赤点とると部活禁止。勉強できないと部活動させてもらえない、つらいね。たてまえとして学生の本分は学業で、部活動はオマケなのだから、しかたがない。これがスポーツ推薦で入学した強豪校の運動部のレギュラー選手だったらテスト全部0点でも問題なかったのだろうが(ぉぃ)。いかんせんトロピカる部は無名校のただの遊び半分の部活動だからね。先生たちも厳しいのよ。悲しいけどコレ、現実なのよね!

さてさて、今回から敵怪人さんはパワーアップして、その名も「もっともっと、やらないか」です。「ウホッ」。違う。ヤリニゲーダ改めマスマスヤリニゲーダです。もうね、ヤリ逃げブライアンの斜め上をいく敵怪人というか、女子中学生の敵というか、性欲のかたまりみたいな敵怪人。ちがう意味で怖いね。ちなみに音声は同じでした。失業しないでヨカッタ。

それにしても、夏海さん、息をするのもメンドクサくなってしまって、どうなることかとおもいましたが。なんのことはない。心配いらなかった。畢竟どんなにヤル気をうばわれようが、けっして枯れることのないヤル気の泉を夏海さんは持っていたという。そんなオチだった。これじゃ下水の中を泳いでウンコ臭くなったローラがバカだった。いや、バカだけど最後カッコ良かった。結果はともあれ、なにごともしゃにむにがんばる、これ大事なところ、という教育的な話。

しかし、どんなにヤル気を出したところで勉強ができるようになるとは限らない。そんなオチでもあった。そうです、ヤル気がかならずしも結果にはつながらない。がむしゃらにがんばることは大切だけれど、その結果はまた別の話だと。悲しいけどコレも、現実なのよね!

トロピカル〜ジュ!プリキュア #09 四月は君の嘘(←ただなんとなく言ってみたかっただけ… 感想

自分は、いまここにいる自分しかいない。本当の自分がどこかほかの場所にいるなんてのは幻想だ。いまをしゃにむに生きる、ただそれだけのことなのだ。「端的只今の一念より外はこれなく候。一念一念と重ねて一生なり。ここに覚え付き候へば、外に忙しき事もなく、求むることもなし。この一念を守って暮すまでなり。」自分をごまかし、理屈ならべて、ダメだ、できない、と、ほざく。そんなのぜんぶ嘘だ。やらないのは、やる気がないだけなのだ。失敗を恐れて、世間の評価を気にしてる。「一事を必ず成さんと思はば、他のことの破るるをも傷むべからず、人の嘲りをも恥づべからず。」なにもしなければぜったい失敗しない、たしかにそうだけれど、そのかわり得られる果実は何もない。

しかし、だからといって、とりあえずなんでもやってみればいいというわけでもないのだろう。やはり入念な準備というか、いろいろ試してみて、作戦をねって、7割ガタいけるだろうというぐらいの気持ちになってないとなかなか難しそうだ。かつて練習でいちども成功したことがないプリズムライブを本番でやって失敗して恥をかいた人もいた。しかし、その人はそれで終わりになったわけでもなく、そのあと仲間に救われ、仲間に導かれ、素直になって、本当の自分、がむしゃらにプリズムショーを続けることを決意して、さいごはプリズムライブも成功するようになりました。めでたし、めでたし。そんな物語も過去にあったように記憶しています。今回の女優さんの場合はたまたまうまくいったようでしたが、かりに今回いまひとつの結果に終わってたとしても、それはそれで失敗もまた糧として明日への成長へとつなげていかれるよというかんじに話がしめくくられたことでしょうよ。

だれかが自分を変えてくれるのではない。たしかに運命や因縁はあるけれど、そうして出会いは大切だけれど、それはキッカケでしかない。薫染してくれる人たちと出会えるのは幸運だけれど、それでも自分自身で変わろうとしなければなにごとも変わらない、変われない。畢竟、自分から一歩踏みださなければ、踏み出す勇気を、失敗を恐れない精神力を、と、そんな話でした。けだし話の展開からして女優さんが5人目のプリキュアになってもオカシクなかった。キュアサマー以外はみんな自分を変える勇気を持って一歩を踏みだしてプリキュアになったわけだし。今回だけ空振りだったのは、うむ、これは、そう、プリキュアになろうがなるまいが一歩踏み出す勇気を持って生きろというメッセージだったのだろう。違う?

トロピカル〜ジュ!プリキュア #08 キラキラ☆プリキュアトロピカる 感想

料理で大切なのは、まずは愛情です。理屈や損得勘定などはあとまわし。

じぶんのためだけの料理ってヤル気でないのよね。ひとりのときは料理しないで、てきとうに買ってきてすませちゃう。料理とは、家族のためにつくって、その残りをじぶんがいただくかんじかな。愛情があるから、料理に愛を込めて作るから、ちょっとたいへんでも、楽しい。そうして、できあがったものを食べてもらって、よろこんでもらえたら、うれしい。食事は、たんなる栄養補給でなくて、愛情のコミュニケーションでもあるのだから、ちょっと失敗した料理だって、そこに愛があれば、仲良く楽しく食べられる。もちろんじょうずにできれば、いちばんいいね。

さて今回のテーマは料理です。料理に込められた愛情がテーマなのです。ところが、くるるんが料理されるとか、ローラが焼き魚にされるとか、あまつさえ敵怪人の攻撃で黄色が首チョンパにされるとかで、なんともいえないグロい展開でした。これも愛情表現のひとつなのか。そうなのか。まあ、黄色の首はしかたないとしても。えっ、ちがう?だって前作でも黄色の首は、あろうことか最終回に、動物王国の住人の猿爺さんが黄色を油断させて近づき、しかるのち隠し持っていた斧で不意打ちしてバッサリだったはず。おーッ、怖い、怖い。まさかの最終回での首切りは、だれも予想だにしなかったはず。本当に驚きましたね、最終回でノルマ達成だなんて。虚をつかれるとは、まさにこのことだよ。閑話休題。とにかくそんなかんじで今回も、黄色が犠牲者に。とにかく今回の敵怪人は強かったのよ。ティロフィナーレ。黄色の必殺技でいちどは敵怪人は倒されたかに見えた、しかし、これは敵怪人の黄色を油断させる作戦だったのだ。頭のいい敵怪人だった。たまには頭脳派の敵怪人も登場するのね。そうして黄色の首は胴体から静かに落ちた。これはかなりの衝撃でしたね。しかしその衝撃の余韻をひきずってる暇もなく敵怪人の執拗な攻撃は続き、消耗戦となり、残りのプリキュアたちは燃料切れで動けなくなった。万事休すか。そんなときローラが「あたしを食べて!」と。ローラは自身をプリキュアどもの燃料にするべく、みずから焚いていた焚き火(供養のために黄色の首を燃やしていた)のなかにとびこみ、そうして焼き魚となった。プリキュアたちは人面魚の焼き魚は初めてだったので、その刹那どうするか逡巡したが、とりあえず食べた。食べなければ戦えない。戦わなければ負ける。ここは迷ってなんていられなかった。案外おいしかった、人面魚の焼き魚。そんなこんなで、けっきょくプリキュアが勝利したのですが、首の皮一枚とはいかず、黄色の首は遠い宇宙のはてへと旅立つという残念な結果になりました。合掌。そうして、その悲しみからのがれるべく、ついでに、役立たずで、可愛いだけがとりえですらない、くるるんも料理して食べたというオチでした。なんとも今夜は眠れない女児様が多そうですな。と、そんな話でしたっけ?今回?

トロピカル〜ジュ!プリキュア #07 ひとの心を知るには読書がイチバン 感想

くるるん初登場。エビちゃん初陣。しかし今回は、メガネ先輩のメイン回だったかもしれません。

読書の効用とでもいうのでしょうか。たしかに本を、良い小説を読むと、ひとの心がわかってくるような気がします。ひとの心を知ることは大切です。いや、ほんと、誰かの心なんて、ほんとその人だけのものですから、どうあがいても本当には知ることはできないのですが、しかし、知ろうとすること、わかろうとすること、その気持ちこそが大事なのでしょう。それを簡単に言うと、思いやり、なのでしょうけれど、なにごとも人間関係は思いやりがなければ、うまくいかないものです。

「人の心を知らなければ、物事をやる場合、緻密さがなく粗雑になる。粗雑というのは対象をちっとも見ないで観念的にものをいっているだけということ、つまり対象への細かい心くばりがないということだから、緻密さが欠けるのはいっさいのものが欠けることにほかならない。」、これは数学者の岡潔さんの言葉です。

メガネ先輩は、読書でつちかった想像力というか推理で、くるるんの落とし物を見つけました。かなり無理のある推理だったかんじするけど、それは気にしちゃいけない。結果的に、くるるんの落とし物が見つかったのでオッケーなのです。

それにしても今回は、全体的に、なんか、ぬるい展開といいますか、緊張感に欠けるといいますか、平和なかんじすらするね。戦いのあとに販促もしっかりやってたし。現実世界がコロナで緊迫して鬱だから、せめてアニメの世界だけは、という配慮からなのかもしれませんね。

エビちゃん可愛いから、イース枠でプリキュアになりそう、いや、なる、絶対に、キュアシュリンプに。まちがっても、エビちゃん、てんぷらにされて、くるるんに食べられて、退場ということはないだろう。

いずれローラは、くるるんを変身アイテムにして、プリキュアになるのかな。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #06 一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るるをもいたむべからず 感想

あたらしい部活の名称、それは「なんでもやちゃう部」、ではなくて「トロピカる部」だってさ。「トロピカる」という動詞は「いま一番やるべきことを優先的にしゃにむにやる」というぐらいの意味らしいので、すなわち「トロピカる部」はときとして「奉仕部」であり「プリキュア部」でもあるのでした。新しく部活を作るときのノリはだいたいこんなかんじですかね。隣人部しかり、仮面ライダー部しかり。まあ、どうでもいいね。

エビちゃん初登場でしたが、今回はエビちゃんの初陣とはいかず、敵幹部のひとりの忘れ物であるヤリニゲーダの卵のようなものが時限爆弾的に勝手に発動して、ここぞとばかりヤリニゲーダがあばれるのだけれども、いかんせん4人そろったプリキュアどもにふくろだたきにされて、あえなく終了という、これも財団Bの販促というか策略なのか。そうなのか。それにしてもエビちゃんが、かわいい。うむ、これはエビちゃんが今期のイース枠というか、エビちゃんが追加戦士だろう。おねがいします。

10年前の卒業生ですといって、母校とはいえ中学校の敷地に勝手に侵入して、なにやら捜索している25歳の女性4人組。普通に不審者です。まあ、45歳で人相の悪いオッサン4人組よりはマシですがね。せめて5年前の卒業生で女子大学生4人組ってのならまだしも。どうしてそういう設定にしたのか謎ですわ。しかもタイムカプセルをタヌキの置物の股間の袋の中に隠しておいたとか、10年前の女子中学生の感性が理解不能なんだがな。謎だ。

生徒会長は、なにげに毎回登場するのだろうか。追加戦士という噂も聞くが、はてさて。もう、誰がプリキュアになっても、おどろかないね。

今回は鬱展開もなく、つまら…、いえ、安心して視聴できました。中学校の部外者である女性4人組が、無事に発見できたタイムカプセルの中身をめぐって、殴り合いのケンカをしたのちに4人そろって宇宙へ旅立つというような超展開的なオチもなかったですしね。というか、そんなオチを期待してる輩もいないとは思いますが。とにかく、この4人は今回限りのゲストさんでしょう。あっ。まさか追加戦士枠というか、10年前プリキュアでした的な展開とか。ねーよ。

次回予告の「プリキュアバズーカ」が、完全に特撮のノリですな。アザラシが大砲の砲弾となって敵怪人に特攻して玉砕するのかな。そんなんだったら悲しいね。次回のエピソードタイトルは「さよなら、くるるん、花と散れ!炸裂、プリキュアバズーカ!」でしたっけ。というか、それやっちゃうとアザラシが初登場で退場となってしまうので、やるなら最終回か、その1話前で。よろしく。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #05 犀の角のようにただ独り歩め 感想

あすか先輩は、かつてテニス部員であり、生徒会役員のひとりでもあった。行間を読むと、そうでしたね。そして、テニス部をやめた経緯についてはさだかではないものの、生徒会をやめた理由は思春期特有の女子同士の恋愛感情のもつれ、具体的には誰あろう今の生徒会長があすか先輩のかつての「彼女」といいますか、いや、まぎれもなく彼女でした、雰囲気的に。

そうそう、みなさんも経験あるはずです。だいたい、所属していた組織を抜けるときってのは、お金か人間関係か、どちらかのトラブルですよね。まあ、中学生の場合は、お金でどうのこうというよりは、やはり、人間関係でというほうが自然なので、やはりテニス部を退部したのも、つまりはそういうことなのかな。

あすか先輩は「他人と関わって信頼しても、けっきょく裏切られる。その結果として自分が深く傷ついてしまう。」という悲しい現実を、思春期特有の揺れる心で、また、大人への階段を登る途中である中学校生活を通して、学んだのですが、しかし、それでも誰かを信じたいという気持ちは捨て切れないところがありました。自家撞着。いいですね、まだまだ若くて、さすがにそこまで擦れてないといいますか、表向きは人間不信をよそおい孤独を愛するかのようにふるまうのですが、うっかり本音といいますか他者への思いやりの心がふっとあらわれてしまうときもあるのでした。かわいいね。

あすか先輩がプリキュアになったのも、助けたい守りたいという気持ちからでした。もちろん、あすか先輩をそういう気持ちにたどりつかせるまでには、夏海たちのあすか先輩に対する優しい働きかけがあったからですが、それにしても、最終的に決断したのは決断できたのは、ほかでもない、あすか先輩その人なわけでして、これを信頼関係のめばえととらえてよいのでしょう。

あすか先輩は思ったのかもしれない。また裏切られるかもしれない、そうしてまた傷つくかもしれない、けれども今はそんなに弱いあたしではない。たとえまた失敗しても、自分を信じて決めた道ならば、うまくいかなかったとしても、あきらめがつく。それに今度は、いままでと違って、なんだか、うまくいきそうな予感すらするのだと。卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく。あたしは硬い殻を破って、そうして新しい自分を誕生させたいのだ。そんな願いを心に宿し、一歩前へと進んでいく、あすか先輩の姿がそこにあった。自身の殻を破壊せよ、自分自身を革命するために。と、そこまで深刻ではなかったかもしれないが。だいたいそんなかんじではあった。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #04 人魚の機にかないて語る言葉は銀の彫刻物に金の林檎を嵌めたるが如し 感想

現実は厳しく、生きることは苦しい。おもいどおりにいかなくて、心が折れてしまうことがある。そうして現実に背を向け、しかし死ぬ勇気もなく、孤独を選び、ひたすら空想に浸って細々と生きようとするのだろうか。

一之瀬さんは、かつて文芸部に所属していて、小説家をめざしていた。しかし、作品は先輩に評価されず、心が折れてしまった。爾来、一之瀬さんは文芸部をやめ、筆を折った。ファンタジー小説の内容はフィクションであり空想の産物ではあるけれど、そのファンタジー小説を書くという行為それ自体は現実そのものである。一之瀬さんは人魚が好きで、人魚が登場するファンタジー小説を書いていたのだけれど、いまは自身で考えた人魚のお話を綴ることはせず、アンデルセンが書いた人魚姫を愛読するなどして空想の世界に浸って満足していた、いや、満足してるふりをしていたのかもしれない。本当は書きたい、でも書けない、書いたらまた酷評されるに決まってる、それは怖い。そんなふうに失敗を恐れて自信をなくしていたのかもしれない。

ところが、ある日、夏海と、そして人魚のローラと出会い、一之瀬さんはうながされる、自信をもてと。ひとは自信をもてと簡単に言われてもすぐには自信なんてもてない。気持ちひとつでなんでもうまくいくのであれば苦労なんてしない。それはそうなのだろうけれど、とにかく今のままではダメだと一之瀬さんは思ったのだろうか。本当は自信なんてないけれど、一歩踏み出す勇気をもちたい、それができるのはほかでもない自分だけなのだからと。たぶんそんなかんじだったのではないだろうか。そして今回は、うまくいった。たまたまうまくいっただけなのかもしれない。けれども一之瀬さんは現実(リアル)も悪くないなと思うようになったようだ。失敗を恐れて逃げてばかりいてはダメなのだと思うようになったのかもしれませんね。執筆活動も再開できそうですね。

人間は現実よりも、その現実にからまる空想のために悩まされているものだ。空想は限りなくひろがるけれども、しかし、現実は案外たやすく処理できる小さい問題に過ぎないのだ。この世の中は、決して美しいところではないけれども、しかし、そんな無限に醜悪なところではない。おそろしいのは、空想の世界だ。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #03 やりたいようにやればいいじゃん!はすっぱ人魚がついてるよ 感想

自分らしさは、なんだろう。
ただひたすら自己主張していれば、それが正しくあるべき真実の姿なのだろうか。
自分らしさ、とは?

自分の本当の気持ちを殺して閉じこめて腐らせて、いつも周囲との調和を意識して、決してハミださず、その場の空気を乱さず、周囲との雰囲気を良いながれに維持しようとすることは、はたして悪いことなのだろうか。それが処世術ではないだろうか。みんながみんな自分勝手に好き放題に発言したり行動したりでは世の中なりたたないであろう。みんな孤独になる、しかし人間は独りでは生きていかれない。そういうわけで基本的には周囲のながれにそって妥協できるところは妥協して、しかし本当にゆずれないところだけはゆずらない、そんなかんじで生きていくしかないのではないだろうか。

それにしても自分を変えるためには、人との出会い、人魚との出会い、さらには敵怪人との出会いが大切だという結論でした。たしかに自分を信じるというのは、簡単なようで、実に難しい。子供のころ、お母さんから「自信をもちなさい!」なんて言われたけれど、それができないから苦労してるのに、と鬱になった人も多いのではないだろうか。自分を信じるというのは、自己暗示だけではうまくいかなくて、その根拠が必要で、それが心の確かさにつながるわけだから、しっくりくるものでなければダメなのだ。花守がどうやってそれを手にいれたのかは、正直よくわからなかった。もしかしたら花守自身すでにその機が熟していて、さいごのキッカケを夏海とローラとヤリニゲーダがあたえてくれたということなのかもしれない。具体的にはヤリニゲーダの攻撃を受けて丸焼け人魚にされそうになっていたローラの姿を見て自然と「守りたい、この人魚…」という気持ちがめばえたとか、そんなかんじで、とにかくプリキュアに変身する花守がいた。

キュアオーラルは、バッテンパンチ、萌え萌え座布団攻撃、といった技で敵怪人を撃破するのであった。財団Bからのノルマをこなして無事に二人目登場といったところでしょうか。次回は、目玉が飛びだして敵を攻撃するという恐怖の三人目登場に期待せよ、ということらしいネ。違うかな?

トロピカル〜ジュ!プリキュア #02 ローラの奇妙な冒険 感想

ここしばらくはローラのプリキュア探しの旅が続くのだ。

人魚はプリキュアになれないという設定が明らかにされたのですが、これはローラが追加戦士にはならないということなのか、あるいはローラは人魚をやめて人間になるというか改造手術を受けて両足を取り付けてもらいプリキュアになるとみていいのか、どうなんでしょうかね。わかりません。これも今後の人魚人気しだいでしょうか。

スタンド使いの亀の中には居室があって、ローラはそこで暮らしている。そうですよね、人魚を移動させるには見た目の問題もですが、大きさの問題がありますから、まさか夏海が人魚を抱えて町中をねり歩くわけにもいきませんし、それならばということで人魚を小さくして小さな入れ物の中にいれておいて夏海が携帯するという設定にしたのでしょう。いくら舞台となってる町の中にわりと水路があり、またローラが淡水と鹹水の両方に対応してる設定とはいえ、やはり人魚の姿のままでは移動に制限がありすぎます。

それにしてもローラがわがままといいますか、自由奔放といいますか、はすっぱ人魚に夏海がふりまわされるという展開で、夏海の堪忍袋の緒が切れて、ふたりはケンカ別れになる。夏海は夏海でローラのことなんかほっといて部活選びに専念するし、ローラはローラでプリキュア探しの冒険に出かける、そこにどう花守がからんできてうまくまとめるのかと期待してたのだが、今回はとくになにもなく、ただ花守の家がプリズムストーンショップをやってるということだけが紹介されて、花守母が赤井めが姉ぇだったという。違うね。

とにかく、そうこうしてるうちに財団Bから出撃命令がくだり、敵怪人ヤリニゲーダが人間のエロスパワーを吸収しにきたのだが、はたせる哉、夏海ひとりで撃退してしまった。夏海は、その気、やる気、本気を見せて、「あたしのはいる部活は『プリキュア部』なんだからッ!まだ部員一人だけど…」と宣言してローラと仲直りして終了だった。こんかい花守がプリキュアになるのかとおもいきや、お楽しみは次回まで待てということらしい。

トロピカル〜ジュ!プリキュア #01 真夏色キセキ 感想

ギャグアニメ、はじまりました。
現実の世相が新型コロナウイルスのせいで暗いですからね。
せめてアニメの中ぐらいは、という配慮かと。
したがって鬱展開とかは、なさそうだな。
とにかく明るく、楽しく。
そんなかんじにすすんでいくのかなと。うむ。

物語の舞台は新型コロナの存在しない世界線。つまり平行世界です。
なのでマスクしてる人なんて、花粉症などをのぞけば、ほとんどいません。

主人公は、おのぼりさん。
それを向上心というべきなのか、ちんけな田舎の島で思春期をすごしていてはダメだという判断からか、小学校卒業を機に伊豆七島の三宅島から東海汽船で本土の東京、竹芝桟橋へと向かう。
若さゆえの、体力と勢いで、なんでもやりとげようという性格らしい。
若いって、いいよね。その勘違いがさ。
敵怪人も、主人公のわき出しつづけるヤル気を吸いつくせずに困惑してたようだし。
そうじゃなくって、敵怪人さんも、リビドーを吸いつくして人類のヤル気をそいで、ほろぼしてやろうとたくらんでいたのなら、また違った展開もあっただろうに、いかんせんプリキュアだから、ネ。
これが深夜アニメだったら、敵怪人さんがリビドーを吸いつくそうと必死こいてるのに主人公さんのほうは思春期特有のみなぎる性欲のエロスで対抗して、あげく敵怪人さんが耐えかねて自爆という悲劇もあったとは思うんだが、いかんせんプリキュアだからさ。
閑話休題。
夏海まなつは、プリキュアドライバーに男根の形をした鍵をぶっさして、そのエロスパワーで、もといヤル気パワーで、キュアサマーへと変身をとげるのであった。
その気、やる気、気合いじゅうぶん。
知識、経験、ないけれど、キャラとハートで、おおまかカバーしてくのかと。
来年の2月には新型コロナも終わってればいいのですがね。ふぅ。
ママンかわいいよ。
プリズムストーンショップで次回以降のプリキュア要員がチラッと。

とりあえず、人間も人魚も、バカっぽさ全開でスタートなのかと。
というか、人魚のキャラがもうすっかり立ってしまって、もうペットいらないね、うまるん。
うまるちゃんは切絵ちゃんからの引き継ぎなんだけど、人魚のせいで影が薄そう。

ヒーリングっど♥プリキュア #45 ヒーリングガーデンの闇 感想

衝撃の最終回。
ヒーリングガーデンへの招待が実は罠だったという。急進派によるプリキュア始末が真の目的だったという。いや、ちょっと違う。しかし、人間とてプリキュアとてビョーゲンズと本質的にはなんら変わりはないのだという認識が示される。そもそもキングビョーゲンは先代プリキュアの成れの果てだったという衝撃の事実が明かされ、、、なかったが、たぶんそんなかんじで、しからば今のプリキュアもいずれビョーゲンズの親玉になるであろうことは容易に推認される。したがってビョーゲンズを浄化したのちはプリキュアも、という理屈らしい。ちょっと違うかな。
テアティーヌ様ですら、いざとなったらプリキュアを人間を浄化しても、という信念を持っていたのだ。怖いですね。しかし、そのいっぽうでテアティーヌ様はプリキュアを人間を信じたいとも。
ようするにヒーリングガーデンの住人たちも一枚岩でなく、サルローのように「すべからく人間は浄化するべし」という急進派もいるし、またテアティーヌ様のように「人間の可能性を信じたい」という穏健派もいるということで、ゆれているのだ。
プリキュアも、そして現実の我々も、常に試されていると思っていて間違いないようだ。新型コロナウイルスによる人類への攻撃も、偶然でなく、これまでの人類の悪業に対する因果の理だとして真摯に受けとめるのであれば、こののち人類がなすべき道も見えてくるというものなのだろうか。
善無くして苦を免るる、是の処り有ること無し。

ヒーリングっど♥プリキュア #23 せめて、人間らしく 感想

こちらが心を開かねば、あちらは心を開いてくれない。しかし、こちらが心を開いたからといって、かならずしも、あちらが心を開いてくれるとはかぎらない。よくわからない相手には警戒する。それは本能であり自然な感覚です。こちらが心を開いてるつもりでも、あちらがそう思ってくれなければ、あちらの心は閉ざされたままです。はたらきかけても本能で敵対してくるだけです。心をかよわせるには信頼関係が必要なのです。それには根気よく、まごころで接していくことが大切だとおもう。観念的に判断せず、こちらのはたらきかけに対して、こちらはあちらの反応をよく観察して、そこからあちらの気持ちをよく考えて、どう対応したらいいか、おもいやりをもって丁寧に接していくことが大切だとおもう。しょせん、心の中はわからないものなのです。心を開くとはいっても、それは心の入口を開くというだけで、その心の中まではのぞけないものなのです。あちらが心を開いてくれても、こちらはあちらがあちらの意思であちらの心の中から出してきてくれる気持ちを受けとることしかできない。しかし、それでじゅうぶんです。あちらが心から出してきてくれた本当の気持ち、やはりそれは言葉や行動であらわれるものだから、それを大切に受けとめてあげられることが重要だとおもいます。受けとめてあげられることが信頼へとつながるのです。他者を信じることが、自分自身を信じることへとつながり、ひいては強く生きる気力につながるとおもいます。

アスミちゃんは「かわいい」がわからなかった。しかし、いろいろ教えてもらったり経験して、さいごは「かわいい」と口をついて出てしまうのでした。ただし、そのまえに「さみしい」という気持ちがはっきりわかっていたようでした。ポチットとの別れがさみしい。ポチットが「かわいい」かどうか、それはまだ判断がつかなかったけれど、いとおしくはかんじられていた。その感情を「かわいい」とよぶのであれば、そうなのだろうけれど、そのときのアスミちゃんにはそんなことはどうでもよくて、ただ、このままなにもなくポチットと別れて関係が切れてしまうのではなく、友達になって、これで終わりにしないで、忘れないでねと、そんな純粋な願いを伝えたかっただけでした。はなれていても、またいつか会える日がくるかもしれないから、そのときはおたがい笑顔でなつかしさにひたれたらいいとおもったのかもしれません。そんなアスミちゃんのまごころがポチットにとどいたようでした。アスミちゃんがポチットの前に願いをこめて彼女の左手をさしだすと、ポチットは小さな舌でペロッとなめて返して彼女の気持ちにこたえてあげたのでした。そんなポチットをアスミちゃんは「かわいい」と素直に受けとめることができた。おもいがけず「かわいい」に気がつく展開がよかったです。

ヒーリングっど♥プリキュア #22 「スキ」って感情は、魂のきらめき 感想

地球の意思とテアティーヌの願いによって、姿かたちは人間として作られ、そしてラテを守ることをゆいいつの使命としておくりこまれた精霊少女・アスミちゃんは感情というものがよくわからない。

わからないことは、はずかしいことではない。はじめからなんでもわかってる人なんてどこにもいない。みんなはじめはわからないことばかり。そこからひとつひとつ教えてもらい、そして自力で考えて答えをみちびきだしていく。それが心の成長というものだ。よく考えて、これでいける大丈夫とおもえるようになったら実際に自分を信じて実行してみる。それで失敗することもあるだろうけれど、そのときはどうして失敗したのかを反省して次へとつなげるのだ。まちがえてもいい。まちがえないようにやろうとするのは大切だけれど、ときにそれをうわまわる感情の高まりや願いの純粋性でたちむかわなければならないことだってあるはずだから。

アスミちゃんは、ずっとそのひとつのことばかりを考えてしまい止められない気持ち、それこそが「スキ」なのだと教わる。そしてよく考えた。そうして、はじめはぼんやりとしていたものがしだいに形づくられてきて本質が見えてきたのだとおもう。「スキ」って感情は加速するけれど、暴走させてはダメなのだと。一方的で独善的な愛情のおしつけで、意に反してラテを支配してるようになってしまい、ラテの気持ちがはなれてしまった。それを反省できたアスミちゃんはラテとの信頼をとりもどせた。「スキ」は人として自然な感情のひとつ、それをすこしずつわかるようになったアスミちゃんの心はまた人へと一歩近づけたのでした。

人の心をわかるというのはむずかしいことです。むずかしいから、めんどくさいから、考えるのをやめて、逃げてしまいたくなることもあるのです。しかし逃げずに、時間をかけてでも、不器用であっても、わかろう、わかりたい、そう願う姿がアスミちゃんからは伝わってくるのです。困難から逃げず、あえてたちむかっていき、そしてみごとその困難を乗り越えたとき、得るものもまた大きいと気づいてるようにもおもえます。アスミちゃんはこれから自身におとずれるであろうかずかずの困難をやっかいなものとうけとめず、むしろそれらを自身の成長の糧へと変えていけると信じてるふしがみうけられた。明るい未来を信じられる、アスミちゃんの心の成長が楽しみです。

ヒーリングっど♥プリキュア #21 アスミちゃん、はじめての入浴でまいっちんぐ 感想

人になる。それは人間の生活様式を身につけることだけではない。そんなことは練習していけば自然と身につく。人として本当に大切なのは、おもいやりなのだ。人間として生まれてもそれだけでは、人にはなれない。姿かたちは人間でも、それだけでは不十分なのだ。健康に生まれれば体は自然に育っていくのかもしれない。しかし、心は、自然には育たない、経験して考えて意識して育てていかなければならないのである。心を育てるには、まず環境が大切なのかもしれない。いい人と出会い、薫染され、そしてそれがまたほかのだれかへとつたわっていく。病弱な花寺さんは両親をはじめとしていろいろな人たちにたすけられて今の自分がいると感謝している。だから今度はいろいろと未経験で困難な立場のアスミちゃんをたすけて、みちびいていってあげたいと。困難な立場にあっても、自助努力だけでなく周囲のたすけもかりて、よりよい方向にすすんでいける、成長できるよと。自身の経験をふまえてアスミちゃんへと伝えられたのがよかった。そこから信頼関係がめばえて、アスミちゃんの心にすこし変化がおきて、ひとつ人へと近づけたようなかんじもした。なんでもないような毎日でも、いい人たちとのかかわりをつづけていくなかで薫陶されるのでしょうか。アスミちゃんの今後の成長が楽しみです。

Gプリプリ #50 夢のその先へ、、、夢は終わらない、、、 感想

なんか、すごく良い最終回になっちまいましたね。(・∀・)
この1年の総まとめにふさわしいというか、なんというか。
そうですよね、前回の、ディスピア様をたおして、絶望を消して、めでたし、めでたし、じゃ、なんだかなー、ですもんね。
そうではなくて、「絶望はなくならない!」、では、どう絶望とむきあって生きてくのか、生きていけばいいのか、というのが示されないと、しめくくりとしては、しっくりこないですもんね。
つまりそれが今回というわけで、じつに納得のいくエピローグだった。

人間、夢や希望だけでは生きられない、生きていかれない。
というのも、夢や希望はかならずしもかなうとはかぎらないから、そこに絶望や絶望とまではいかなくても失望やら悲しみといった負の感情があるはずだから。
そうですね、世の中、基本的に競争社会ですし、それでなくても思いどおりにいかないことのほうが多いでしょう。なわけで、むしろ夢がやぶれて希望がズタボロになるほうが多いのかと。(ぇ
とにかく絶望は生まれる。
では絶望しないためにも夢も希望ももたずに生きればいいのかといえば、そうなると、それはそれで人間社会が回っていかないというか、ほんのすこしの夢も希望もなければそもそも生きる気力もわかないだろうから、そんな社会はありえない。
というわけで、われわれは、いやがおうにも絶望にたちむかっていかなければなりません。

かんたんに「絶望にたちむかえ!」といわれても、さて、どうしたものかと、というのが世の中の多くの人たちの意見だとおもいますが。
やはりカンタンではないのでしょう。
あの春野さんにしても、この1年、絶望や失敗をくりかえしてきましたし。
とはいえ、そのつどのりこえてきた。
その原動力はいったいなんだったかといえば、それは、それこそは、ほかでもない、あらたな夢や希望だったはず。
そう、絶望してくじけるたびに、あらたな夢や希望で立ちあがる、そんな心の強さが強さこそが生きる原動力。

キュアフローラが、絶望すらも受けいれて生きてきたからこそ今の自分がいて、そしてこれからも絶望であろうと悲しみであろうとなんであろうと受けいれながらも成長していきたい、みたいな宣言をして、それを聞いたクローズさんが戦意喪失したのは、うなずける。
絶望とは物理的な痛みではなく精神的なものだから、堅固な精神的な強さを見せつけられたら、こりゃ、つけいるすきがない、勝ち目ないなとクローズさんが思うのも自然かと。
クローズさんたちもはじめは物理的な攻撃をしかけてくるが、最終的には精神的に相手を追いつめて魂を抜きとる的なことをしてくるのだから。
なわけでクローズさんは人々の心が弱まってくるまでは、なりをひそめていることでしょう。
なのでクローズさんがまたあらわれないよう人々は絶望をのりこえていけるようつとめていかないとと。

それから、絶望すらも受けいれて、いよいよ夢がかなったとしても、そこでオシマイではないとも。
夢はつづいてく。
ひとつかなえた夢が、その夢を起点にまた新たな大きな夢へとつながってくと。
そんなメッセージも、あったのかなと。

うむ、絶望も夢へとつながっていけるし、夢もべつのあらたな夢へとつながっていく、いける。
きらら嬢がジャパンコレクションをすっぽかして絶望したけど次の夢へとつないだように。
また、春野さんはグランプリンセスとなりホープキングダムを救ってひとつ夢をかなえたけれどもそれは同時にカナタ王子たちとの別れという結果にもなった、しかしそれでは出会わなければよかったのかといえば、否、そんなことはなく、出会いには別れがつきもので、別れはたしかに悲しいけれど、でも出会ったからこその喜びもたくさんあった、それは良い思い出で、思い出はこれからも心の中で生きつづける、消えない、そして、いつかまた会う日もくるだろうという希望へとつながっていく、いける。だから泣いてばかりいないで立ち止まらないで前にすすもう、すすみたい、かけだしていきたい、と。そんな春野さんだったのかなと。

最後に、このGo!プリンセスプリキュアという物語において「プリンセス」という記号の意味があいまいで、よくわからなくて、そのあたりがこの物語を理解するうえにおいて障害になっていたような気もするのだが、ようするに「プリンセス」とは「夢の象徴」のことだと理解しておけばよかったのかなと。
つまり、このGo!プリンセスプリキュアという物語は、なにもプリンセス、つまり、お姫様を描きたかったのではなくて、そうではなくて、夢や希望はどうあるべきかを描きたかったのだと。
なので、へんにお姫様がモチーフだと勘違いしたままでいると、なんだかよくわかんねーなー、って、なってしまうけど、そうじゃなくって、人はどう夢や希望をいだいて生きていくべきかを描いた、つまりは夢や希望をモチーフとした人生論が1年かけて語られていたと解釈すればマチガイナイんじゃないのかなと。
とりあえず、お姫様が王子様とむすばれてハッピーエンド!みたいな話の内容ではぜんぜんなかった。(キリッ

Gプリプリ #49 みんなの夢を導くプリンセス、それがグランプリンセス 感想

夢を守るプリンセスから夢を導くプリンセスへと変貌し、みごと絶望の権化であるディスピア様を撃破したというのが今回のオチでした。
それにしてもディスピア様が動かないというか、ずっと固定されてたのが気になったな、すごく気になった…(キリッ
もしディスピア様が動けてたら、もしかしたら最後の攻撃も間一髪でかわせたのではなかろうかと…(´・ω・`)

で、けっきょくグランプリンセスというのは、そう、いつも最終決戦でプリキュアが究極フォームになってラスボスを倒しますよね、はやい話があれのことだった。
ハピネスチャージでいえばフォーエバーラブリーですが、Go!プリンセスプリキュアではフローラさんだけじゃなくて4人全員が究極フォームへと変貌をとげたという、なぜだ?なぜなんだ?…まあ、フレッシュプリキュアでラビリンスの連中の思いを受けとめて4人全員がキュアエンジェルになった的な展開だったと理解しておこう。。。でも、たしかグランプリンセスは1人しかなれない設定だったような…、うん、細かいことはもういいよ。

すべての鍵がひとつになって、あらたな究極の金の鍵となり、それで最終必殺技をはなつ、って展開が、なんかどこかで見たことあるようなないような展開だった気もするが、たぶん気のせいだろう。

まあ、ディスピア様は消えて、これでとりあえず世の中から絶望が根絶したのだろうけれども、しかし、絶望はまた生まれてくるであろうみたいなくだりがあって、それは世の中に夢や希望がある限りそのすべてがかならずしもかなうわけではないのであるから、そこからまた絶望も生まれてくるみたいな理屈で、絶望が生まれ増えていけば絶望の権化であるディスピア様もまた復活してくるであろうみたいな予言めいたことが消滅寸前のディスピア様の口から出たのは、つまりはそういうことで。
では、夢もみず希望もいだかなければいいのかといえば、否、そうではなくて、ひとつの夢がやぶれ希望がついえたとしても、それを糧として次の夢へ希望へとつないでいければ、つないでいく、導いていくよ、それがグランプリンセスだもん!みたいな内容を次回、最終回でやるのかなと。。。わかりませんが…






Gプリプリ #48 最終決戦、はじまった! 感想

とりあえずディスピア様がノーブル学園を攻めてきました。
なぜ国会議事堂とかじゃなくって、とある田舎の私立学校であるノーブル学園を攻めてきたのかといいますと、ご都合主義とかじゃなくって、おそらく、ノーブル学園には希望がたんまりとあるからで、そしてその希望を絶望に変えてしまえるのならばとディスピア様が思ったとか思わなかったとか。(どっちやねん

それにしても、なんか、最終決戦にしてはスケール感がないといいますか、スケールの小ささはいなめませんな、気のせいかな?
プリキュアで最終決戦といったら、そう、惑星が落ちてきそうになってピンチだったりとか、コンサートホールが戦艦になって発進してロボに変形したりとか、そういうスケールのでかさが売りモノだったような記憶もあるんだがな…。
ってか、プリキュアの最終決戦っていったら舞台は宇宙が定番じゃなかったかしら?(チガッタッケ?

と、とにかく、ノーブル学園島という、近隣住民に迷惑のかからないごくごく狭い場所で、自衛隊も出動することもなく、たんたんとしゅくしゅくと最終決戦がおこなわれてるというか、最終決戦の撮影がおこなわれたという印象でしたね。(キリッ

まあ、最終決戦のスケール感のなさは、さておき。(ぉぃ
今回、特筆すべきは、なんといっても七瀬ゆいちゃんその人でしょうな、うむ。ある意味、ゆいちゃんメイン回でした。
ゆいちゃん、またしても絶望の檻に閉じこめられましたがね、もうね、完全に慣れてしまってて、おそらく常人であれば意識を失ったままであったろう絶望の檻の中で完全に覚醒してましたもん。
そういえば前回、絶望の檻に閉じこめられたときは、ゆいちゃん、自分で檻の中から外へ出ようとしたとき、あといっぽのところでプリキュアに邪魔されてしまってたはず。
しかし今回は、なんぴとにも邪魔されず、自力でのみによって、絶望の檻をぶち壊し、復帰できてしまったという。( ゚Д゚)
そのながれでもって、もしここで、ゆいちゃんがなんらかのかたちでプリキュアに変身してたら、まちがいなく神だったとおもうが、いかんせんそこまではなかったという。ざんねん。
にしても、おもえば第1話で絶望の檻に閉じこめられていらい、その後いくたびか絶望の檻に閉じこめられては浄化という経験をつんで、今回いよいよ自分自身のチカラによってのみで絶望の檻から脱出できたという話の展開、これすなわちGo!プリンセスプリキュアという物語の1年間の縦軸に七瀬ゆいちゃんの成長譚が描かれてたと結論づけることもできよう。(ぇー
となると、ゆいちゃんのプリキュアデビューは次回かな?(ぇ
次回、いよいよグランプリンセスが登場するらしいですし、それが誰あろうゆいちゃんその人なのではと。(アルアル

Gプリプリ #47 それがプリンセス! 感想

まず、この番組における「プリンセス」という記号は、つまるところ「夢」と同義で、その夢とはその人にとっての素敵な「夢」のことで、それはまだ完全には具体的にこうだとは断言できなくて漠然としていてボンヤリとしてはいるのだけれどもそれがなりたい自分、あこがれの将来像みたいなかんじなのかと。
そのことをふまえて話をつづけると…
夢とは、だれかから与えられて実現するものではなくて、自分で努力してかなえるものだ、と。
まあ、このテーマに関しては今回だけではなく1年をとおして番組内でしつこく伝えてきてると思いますので、今回、べつだん驚きもなかったのですがね。
まあ、主人公である、春野さんの、キュアフローラの、マトメ回というか、そういう意味で、おさらいの意味もこめて、そう、あるいは、もしかしてこのごにおよんでまだこの番組の主題を理解できていないテレビの前の幼女様もいらっしゃることも予想してか、あえて今回こういう話のもってきかたをしたのかもしれませんね。うん、きっとそうだ、そうだ、そうにちがいない。
まあ、賢明な視聴者諸氏には、なにをいまさら感アリアリなのですが、それはさておき。
これも時代なんですかね。
だって、どう見てもカナタ王子がヒロイン枠ですもん。(ぇ
プリンセスは、プリンセスが王子様に守られて夢をかなえるって感じじゃぜんぜんなくて、そうじゃなくって、反対で、王子様がプリンセスたちに守られつつも夢、すなわちホープキングダムの復活を夢みて、とうとう今回、念願を達成したという、いいはなしだった。(ぇ

しかし、そこで物語は終わらない。
ホープキングダムは復活し平和がおとずれたが、それもこれもディスピア様がホープキングダムから興味をなくしてくれたおかげで、けっしてプリキュアどもがディスピア様を正々堂々とブッ倒したとかそういうオチではなかったから。

うむ、とにかくディスピア様が、ホープキングダムはどうでもよくなって、興味がこちらの世界へと移っていったというのが、なにか新しい展開で、笑いを禁じえなかった。

Gプリプリ #46 ああ、無情… (ノД`) 「鬱苦しい…!?さすらうシャットと雪城ほのかの甘い罠!(ネーヨ」 感想

シャットさんのマトメ回かと思ったのだけれども、どうにも中途半端感がいなめなかったという今回。
シャットさんだけに、うまいぐあいにシャットダウン完了されるのかとおもいきや、さにあらず…
というか、「その後、シャットさんのゆくえは、だれも知らない…」的な終わりかたって、どうなんだろうかと。(ハテサテ
うむ、おそらく、これは最終回に再登場するとみた!、シャットさん、そしてディスピア様に特攻して美しく散って終了という結末かなと。(ぉぃ
というのは、人間、真の美しさとは、外見ではなく、中身だとおもうわけで。中身というのはつまり人間の心で、心の美しさこそが真の美しさで、そのことにシャットさんは気がついたというか、気づくんだ。
シャットさんは表面的な美しさばかり追い求めてきたが、そんなものはすぐにはがれ落ちてしまう、そんな美しさはむなしいだけだと気づいて、あらためるんだ。そうではない、そうではなくて内面の美しさが自然とにじみ出るようでなければと。。。それで特攻を。(ぇ
いや、ちょっとちがうかな。生は有限で、死は無限で永遠だから、美しく死ねたらその美しさは永遠というか、永遠に語りつがれそうだから、シャットさんもそれにならって永遠の美しさを望むのであればミス・シャムール先生からいただいたマフラーの恩にむくいるためにも微力ながらもプリキュアの援護をするべく、かつての上司であったディスピア様をまきぞえに玉砕するもまた美のカタチのひとつと考えるだろう、ってことよ。(←自分でも何言ってんだか意味不明だがな…
まあ、わかりませんけど、とにかく、このまま今回かぎりでシャットさんが自分探しの旅に出て退場ってこともないとはおもうので…(デスヨネ?

それにしても今回のシャットさんの、おちぶれかたというか、描かれかたが、つらかった。
リストラされてホームレスになって、昼間とはいえ冬まっさかりの中で、じっとしてると寒いからでしょうか、ゆくあてもなく商店街の表通りをフラフラとさまようも、周囲の同情まったくなく、施しを渡す者もなく、あまつさえ、とおりすがりの頭の悪そうな子供に「ママぁ〜、あの人、変だよぉ〜」などと口にされ、しかも無遠慮に指さされ、あわてた母親が困惑ぎみに「しっ、見ちゃダメよっ…」って自分の子供の腕をグイッとつかんだのちはシャットさんには一瞥もくれず早足で去ってったのが、まさに、なんともいえなかったずら。
まあ、シャットさんもあの痛いカッコでふらついてたら不審者あつかいされてもしかたないとは思うんですが、それはそれ、シャットさんにも意地といいますか矜持があったのでしょうか、おちぶれても風流は忘れないお公家さんのごとくふるまいたかったのでしょうかね。うむ。

で、結局こんかい何が言いたかったのかといいますと、「シャットさん、良いお年を!」です。以上…

Gプリプリ #45 海より広い私の心も、ここらが我慢の限界よ!(・∀・) 感想

なんかね、今回の話は、私個人の事前の予想とはぜんぜん違った展開だったので驚いたというか、なんというか。

もっとこう、みなみさんが両親に本当の気持ちを伝えたとき、両親が逆上して「ええぃ、おまえなんかもう勘当だーっ!2度とうちの敷居をまたぐなっ!!」みたく叫ぶのかと思ってたのだけど、ぜんぜんそんなこともなくて。
そして、売り言葉に買い言葉で、みなみさんが「ああ、いいですとも、勘当されてやりますとも、あとで後悔すんなよっ!くそジジィ、くそババァ…」などと言い返すのかと思ってたのだけれど、そんなこともなかったという。
あまりにも融和的な親子のやりとりが、なんとも不思議で不自然なかんじもしたのだけれど、よくよく考えてみると、これは、そう、放送ではまるで描かれなかったのだけれど、兄貴の周到な根回しがあったとみるのが自然かなと。うむ。そうですよね?成田先生?

どういうことかというと…
まず、みなみさんは北風博士に自分の気持ちを素直に伝えてたでしょ。
それで、これはただごとではないと察した北風博士は後日、ないないに海藤兄にその旨を伝えてたのでしょうよ、「じつは妹さんからカクカクシカジカ打ち明けられましてね…」とな。
そうなると、妹に同情し、なんとか妹のチカラになってやりたいと願う、マコト兄ちゃんにもまさるともおとらない、重度のシスコンである海藤兄は、それならばと、両親に、両親の機嫌の良さそうなときをみはからって、みなみさんの本当の気持ちを、それとなく。
娘の本心を知ってしまった両親は困惑するも、そこは海藤兄が感情的にならぬよう、うまいことなだめすかして、とうとう説得してしまったのだろうよ。
といったぐあいに、お膳立てはできていたわけです。おそらく。
なので、みなみさんが覚悟を決めて本心をうちあけたところで、あんなかんじに、どうってことない展開になったのだろうな。うむ。きっとそうだ。テレビ放送ではまったく描かれなかったが、賢明な視聴者諸氏なら分かるだろ、察しろよ、ってなぐあいにさ。(ぇー

なんかチョットものたりない展開ではあった感じもいなめないのだけれど、これはこれで良かったのかもなと納得した。
のだが、やっぱり、勘当されて鬱になったみなみさんも見たかったかな〜と。(ぉぃ
鬱になってたとこにタイミングよく(悪く?)シャットさんがあらわれてくれたものだから、みなみさん、はらいせにシャットさんをフルボッコにしてー、みたいなながれでも…って…(ひでーな、ぉぃ
そうしてシャットさんを半殺しにして、気がすんだ、みなみさんは気持ちが前向きになり、勘当された事実を受け入れ、これからは本家にたよることなく、いつか両親をみかえしてやろうと、新聞配達のアルバイトにいそしみつつもノーブル学園の奨学金を得るべくいままでいじょうに勉学にも精進することにしましたとさ、めでたし、めでたし、みたいなオチでもよかったかなと。(キリッ

まあ、なんにせよ、家庭内でのゴタゴタはないにこしたことはないわけでして。
こんかいの話は、これはこれで良かったと、すなおに納得しておきましょうかね。
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