本当の友達とは?。これはレジーナ様でなくても難しい問いかけでしょう。自分では友達だとおもっていたのに相手はそうは思っていなかった、ということもあるから。じっさいのところ、友達の定義って、なんなんでしょうかね?。わかっているようで、じつはわかっていない、それが友達というものの本質でしょうか。

友達になるキッカケは、いろいろあるとは思います。なにかに意気投合して自然と友達になる場合もあるでしょうし。組織の中でひとりぼっちがイヤだから、とりあえず気が合いそうな人をみつけたい、そんな切なる同じ思いどうしの利害が一致して友達になることだってあるでしょう。また、レジーナ様のように相田さんを一方的に気に入って友達になりたいというケースも、まま、よくあるのでしょうよ。

相田さんの場合、自分に好意をもって近づいてきてくれた人は、とりあえず受け入れたいという気持ちがありそうです。以前、あこがれています、弟子にしてください、と頭をさげてきた後輩の男の子がいましたが。そのときも相田さんはイヤな顔ひとつせず、いいよ、と。おそらく相田さんは、相手が自分の良いトコロを見つけて好きになってくれたのだから、こんどは自分のほうで相手の魅力を見つけて好きになってあげたいのかなと。

レジーナ様は相田さんをオモチャにしたいだけという感じでした。というか、それがレジーナ様にとっての「友達」という概念らしい。自分の友達は、自分のオモチャは、自分だけのモノ。だから、ほかの人にはさわられたくないし、さわらせない。とくにお気に入りのオモチャなら、なおさら強くそう願うものなのかも。でも人間は、友達はオモチャではない。

レジーナ様には相田さんをよろこばせたいという気持ちもあったようだけれども。それとて結局のところ相田さんのためというよりもレジーナ様自身が相田さんの気を引いて、それを自分が楽しみたいというだけのようでした。レジーナ様は「マナのため、マナのため」と主張してはいたけれど、ほんとうは「自分のため」で。あまつさえレジーナ様は相田さんのためにイッパイつくしたのだから今度は相田さんの番だ、ほかの友達たちは切り捨てて私だけのモノになれと要求してくる。

とはいえ、レジーナ様がまったくの自己中心的な性格かといえば、そうでもなくて。相田さんはレジーナ様が学校に来たことをとがめて、「学校が終わったらつきあうから…(いまは帰って)」と説得すると「わかった。マナがそういうなら、そうする」と素直に応じる場面もあったりして。好意をよせる人物の意見には耳を貸そうとする気持ちもあるようです。だからこそ最後の場面で文句タラタラになりながらもキュアハートに「本当の友達になろう…」といわれたことを思い出しながら、レジーナ様は「本当の友達って、なんだろう?」と内省してみるにいたったのでしょう。

なんとなくレジーナ様は、気まぐれではなくて、本当に相田さんのことが好きなのかなと。自分の思い通りにならないのなら、いつでも「つまんない。マナも消えちゃいなよ。」とか言って攻撃しそうなものなのだけれども。レジーナ様はけっしてキュアハートだけは攻撃しないで、執拗にほかの3人のプリキュアを攻撃していた。それもこれも相田さんの人徳というか、相田さんはレジーナ様の友達になることは承諾して、実際いっしょにオシャベリしたりアイス食べたりと、なんやかんやと気さくに遊んであげていたわけですからね。レジーナ様は相田さんのそういう卑屈にならない媚びへつらわない性格が新鮮でオモシロイと感じて、気に入ったのではないのかな。

いずれレジーナ様は相田さんに薫陶されていくような気がします。いまは、友達になってくれると言っておきながら自分だけのモノになってくれない相田さんにいらだってるレジーナ様だけれども。なぜそうなのか?本当の友達とは?と考えていくうちにレジーナ様の心境に変化があらわれてくるのでしょう。

敵と友達になって世界を救うという展開は、なんとなく「精霊とデートして、デレさせる」というあの番組に似てなくもないような気がした。