愛は無敵というのは、愛は絶対に負けないということではなくて。
そうではなくて、愛の強さとは、たとえ負けてもなんどでも立ちあがれる強さのことなんだろう。
けだし、愛は、はかないものだ。
けれども、ひとつの愛が終わってもまた次の愛へとつなげていける、いや、つなげていかねばならぬのだろう人間は。
命も同じで、自分の命だけを見つめるという狭い視野ではなく、もっと広い視野で俯瞰するとき、命もまたつながっていて永遠なんだと理解できるのかもしれない。
人類の歴史はそんなかんじに愛や命をつないできて、進歩してきたのだろうし、これからもそうなんだろうと。
われわれ人類はそれほど賢くなく、たとえば無益な戦争など、いろいろと失敗をくりかえしてきて今日までいたったような気もする。
それでも破滅せず今日までいたったのは、失敗にめげず、失敗を反省し、たちむかってきたからなんだろう。
そして、その、たちむかうべく原動力となったのがほかでもない、愛、それなのかもしれない。

さて、前置きが少し長くなりましたが、ハピネスチャージプリキュア最終回の感想を書きたいと思います。

とりあえず愛に絶望していたレッドがまた愛を信じることができるようになってレッドの問題は解決した。
レッドが愛を全否定する原因となったのは惑星レッドの滅亡、だがしかし惑星レッドの滅亡をひどく悲しむレッドの姿そのものにレッドの惑星レッドへの強い愛情を感じたキュアラブリーがいた。
愛するがゆえに愛を否定するみたいな矛盾がレッドにはあった。
愛してもいつしか愛の対象はなくなってしまう、それは悲しい、だから愛などはじめからなければいいのだと、それがレッドだったのだが、それは愛を憎んでるのではなくて、愛の悲しみを恐れてるだけなのだ。
たしかに愛は、うたかたで、悲しい。
けれども、その悲しみをも乗りこえられる強さが愛にはあるのだ、いや、そうでなければ本当の愛とはいえない、だから愛を信じようよと。
そんなかんじにレッドは説得され改心したのでした。
うん、よかった。
愛とは希望なんだなと。

神様たちが宇宙へ旅立ったのち、平和な日常が描かれてました。
そして平和な日常は、やはり愛なのだと。
そして愛をつなげるために人と人との出会いは大切で、その出会いはまったくの偶然で、その偶然から愛や希望が広がっていく、みたいなながれだったのかも。
これはなかなか良いながれだったかも。
そうですよね、人生なんて偶然の産物です。
だから人生に無駄なんてないのでしょう。
たとえ自分がおもいえがいたとおりに人生がすすまなくても、ぜんぜん悲観することなんてないのでしょう。
人生はいきあたりばったりで、でも、ときにそこに偶然な素敵な人との出会いがあり、そこに愛が生まれ、希望が生まれ、命が華やぐ。
それをよりどころに、人は生きる、生きていけるのかもしれない。

最後、めぐみさんと誠司クンのやりとりが、なんともいえない爽やかでした。
誠司クンがめぐみさんに愛の結晶はどうするのか尋ねると、めぐみさんは「大切な人ができたら渡そうかな…」と。
めぐみさんは誠司クンの気持ちを知ってて、もったいつけてそんなこと言って、誠司クンの反応を試してたんだか、楽しんでたんだか、でも女ってたまにそういう小憎たらしいイジワルするよね。
それに対して誠司クンは、以前なら少し気がめいってしまってたのかもしれませんが、今は「俺も同じだ…」と余裕で返してみせた。
めぐみさんも誠司クンも「同じだね」「同じだな」で、それってもう気持ち通じちゃってるかんじもしたけど、どうなんだろう。
ようするに、めぐみさんが誠司クンに愛の結晶を渡すことになったら、そのときは誠司クンも自分の愛の結晶をめぐみさんに、ってことで、同じことするよって意味で「同じだね」「同じだな」なんですよね。
うーん、なんか青春だな〜
誠司クンの後ろ姿をたのもしげに見送る、めぐみさんがほほえましい。
ああ、愛乃さんはいつ誠司クンに愛の結晶を渡してあげるんだろうか?
誠司クンはずっと待ってそう、あせらず、あわてず、そのときまで。

とはいえ、誠司クンが高校生になって、そのとき偶然、出会った女の子に恋をするかもしれません…(ぇー
しかし、たとえそうなったとしても誠司クンのめぐみさんへの愛がウソだったことにはなりませんから。
まあ、どんな未来が待ってるかなんて、だれにもわかりません。
それでも、どういう未来になろうとも愛はつむいでいけるよ、そしてそれが幸せハピネスだよ、みたいな、心地良い余韻を与えながらハピネスチャージプリキュアという物語は結ばれていった感じだった。
よかった。