戦争が終っても人々の生活は続いていく。
戦争が終ったからといって、かならずしも、みんなが幸せになるとは限らない。
つまりは戦争が世界の不幸の直接の原因ではなかったと…(ぇ
そんな戦争後の不幸な物語が描かれていくのでしょうか?(ぇー

誠司クン的には、神様とミラージュ様がもとのさやにおさまったのだから、めぐみはもう俺のモノなんじゃね?的な気持ちなんだろうけれど…
めぐみさんはそういうわけにはいかないようだった。
なんか女は失恋をひきずらないというか前の男のことはさっさと忘れてとっとと新しい男を作るって聞いてたんだけど…(ぇー
うむ、それは都市伝説か…(ぇ
とはいえ、めぐみさんが失恋している今が、今こそが誠司クン的には千載一遇のチャンスというわけでして。
ここでうまいこと、めぐみさんをゲットできるかどうかで、誠司クンの器量が試されてるんだなコレが。
がんばれ誠司クン!

とりあえず誠司クン、おとなりの愛乃家で女子中学生たちのパジャマパーティーとやらがもよおされてるときには、よけいな介入はせず、じっと辛抱して、壁に耳をべったり密着させ、女子どもの会話を一言漏らさず聞いていたであろうことは想像にかたくないのだが…(ぇ
とりあえず誠司クン、ビンビンな股間は自身で処理し、夜這いは自重したものの、朝、めぐみさんがベランダに出てくるころをみはからって、さりげなく偶然をよそおい自分もベランダに出て、いやもしかして寒い中ずっとベランダで待機してたのかもしれない誠司クン(ぇー)、と、とにかく、めぐみさんをデートに誘う誠司クンなのでした。

めぐみさんをデートに誘いだすことに成功した誠司クン。
奇をてらわず、正攻法で、ってとこが好感かな、誠司クンは。
そうですよね、ヘンにカッコーつけない、まっすぐな気持ちをぶつけたほうが女の子は喜ぶのかも。
とはいえ、めぐみさんに泣かれちゃったときは、せつなかったですね、誠司クン、泣きたいのはオレのほうだよ、みたいな感じでしたが、だいじょうぶか?
さしもの誠司クンも、あのときは内心「ああ、なんでこんなメンドクサイ女、好きになっちゃったんだろ?俺…」と思ったことだろうよ(ぇ

そんなこんなあったんですが、それでも、めぐみさん、なんとなく誠司クンのウブで誠実な気持ちを察してか、心が安定してきて、自分の弱さに負けないぞと、ハピネスをチャージしてました。
よかった。
自分はひとりではないのだ、みんなに支えられているのだと。
そう信じることで、そう信じられることで、強くなれるんだ、と。
愛乃めぐみさんは、思ったのよね。

それにしても「幸せ」って、むずかしいですよね。
キュアラブリーだって、まさか自分のおかげで誰かが幸せになったんだとは思ってはいないでしょうに。
もしそんなふうに考えているのであれば、それは思いあがりでしょう。
だれかが誰かを直接的に幸せにすることなんてできないのだから。
あくまでキッカケをあたえたり環境をととのえたり、そういうお手伝いができるだけですから。
だれかが誰かを幸せにするのではなくて、人は勝手に幸せになるのです。
それでは、幸せになるとはどういうことなのか?というと、それはカンタンには答えられない。
ただ、ものごとが自分のおもいどおりにならないからといって短絡的に自分は不幸だときめつけないことが重要なのだろう。
なにか困難な状況にあっても、そこであたらしい幸せをさがせるようになることが大切で、そして、それはあんがい近くにあるのだけれども、気づかない、気がつきにくいものなのかもしれない。
めぐみが神様とはもうダメだからといって気落ちするも、すぐそばにはいつも誠司クンがいて見守ってくれていた。今回、めぐみは、それって幸せなんだなと。ただ誠司クンを異性として男性として意識してくれたかは、またべつの話(ぇー

幸せってホントどこにでも転がってるモノなんでしょう。
ただ、それをひろいあげるか、見すごしてしまうかで、ちがうんでしょうね。
遠くにあこがれるのも素敵ですが、ときにはふっと足元にも目を向けてみるのもいいんじゃないのかな。
よく「小さな幸せ」なんて表現があるけれど、本質的に幸せに大きいも小さいもないんじゃないのかな。
たとえば宝くじで1億円あたったほうが1万円あたるよりも、うれしいでしょうけど、けれども1億円という大金を手にしたせいで身を持ち崩してしまうかもしれません、それよりも1万円で友人となにかおいしいものでも食べて1回でパーッと散財してしまったほうが幸せかも、と。
まあ、なにが幸せなのかは本当に分かりませんけどね…

人は幸せを感じ、かみしめる瞬間、それを他人からどう思われようとも、それはその人には輝き、きらめき、そして、かけがいのない、ここちよい心のゆらめきになるのでしょう。