ハピネスチャージプリキュアは、みんなを幸せにしようという物語なのだろうけど。まず、幸せにするというのはどういうことなのかをハッキリさせておかないと、なんだかよくわからなくなってしまうでしょう。幸せの本質とは、お金持ちになるとか、社会的地位を得るとか、そういうことではないように思います。幸せとは、その人がああ幸せだなと感じるということで、まったくの個人的なことなのです。だから誰かが世俗的なモノサシをもちだして、あの人は幸せだの、この人は不幸だのと、勝手に決めつけたとしても、じっさいどうなのかは分からないのです。つまり、その人が幸せだと感じていれば、その人は幸せなわけで、だれかが口をはさむのはよけいなお世話というわけです。というわけで、ハピネス注入というのは、ようするに幸せを感じられるようお手伝いしてあげるというだけのことです。では、どうやってお手伝いしてあげられるのでしょうか、というのがテーマのひとつだとおもっています。

主人公の愛乃めぐみが第1話から精神的に強いキャラクターとして描かれているのは、母が病弱なのと関係がありそうだ。病弱な母のために娘は精神的に強くなろうと日々がんばっている。でもそれは、ある面、無理して精神的に強い自分であろうとしていて、弱さを口にしてはいけないと自分で自分をしばりつけているのかもしれない。そして、あるとき、がんばりきれなくなった愛乃めぐみの姿が描かれ、でも友達たちに支えられて自分をとりもどし、またもとのがんばる愛乃めぐみにもどっていくというのも描かれるかもしれない。それから、とにかく病弱な母のためにがんばろう、母のチカラになってあげよう、母の負担にならない良い娘でいようと愛乃めぐみががんばればがんばるほどに、母にとって娘が負担になっていくというような皮肉が描かれたとしたら、どうだろうか。母はマジメな性格で、娘のがんばりには感謝しているものの、娘の過剰にがんばる姿を見せつけられるほどに負い目も感じていたとしたら。母は自分を娘に苦労かけさせてるダメな母親だと感じ、なさけなくなり、気分が最悪になってしまう。そしてそんな気分最悪なところが幻影帝国に気にいられてしまい、母は幻影帝国からさそわれ、同意のうえで幻影帝国にいってしまったとしたら。ハピネス注入どころじゃないですね。自分ががんばれば母は幸せになれると信じていたのに、じつはそうでもなかったという現実を最悪のカタチで見せつけられる。自分が信じていたものがすべて幻想で幻影だったという絶望感。そこで挫折して悪堕ちしかける愛乃めぐみが描かれて。でもまた、仲間たちの支援で悪堕ちをふみとどまり、挫折をのりこえて成長する愛乃めぐみも描かれていくという寸法です。そしてもちろん愛乃母を奪還しに幻影帝国へとプリキュアの戦いの舞台はうつっていくのでした。

最終決戦がはじまる。幻影帝国女王クイーンミラージュ様とて、はじめから愛だの幸せだのに絶望していたわけではなくて、なにか悲しいことがあって、それをのりこえるべく努力をしたのだけれども、うまくいかず、いつしか世の中の愛も勇気も優しさも、そして幸せをも、すべてはまぼろしで幻影なんだと絶望するようになってしまっただけなのだということが回想シーンをまじえつつ関係者の説明口調なセリフとともに時間をおってていねいに視聴者各位にわかりやすく明かされていくのでした。というわけで最終的なオチとしては、プリキュアさんたちがクイーンミラージュ様に幸せのなんたるかを成田良美節で説教してあげて、それでクイーンミラージュ様が納得して、クイーンミラージュ様はもとの人間の姿にもどって、めでたしめでたし、って感じでしょうか。といってしまえば、なんてこともないような終わり方に思われてしまいそうですが、そうではありません。そこにいたるまでの過程が重要なのです。最終決戦にいたるまでのプリキュアさんたちの成長が描かれ、そうした成長したプリキュアさんたちだからこそクイーンミラージュ様を説得できたんだということをお忘れなく。

かくしてハピネスチャージプリキュア劇場は幕をおろすのでした。ちゃんちゃん。