ジコチュー軍団襲来の危機にひんして、自分さえ助かればとわれさきにと逃げていた人々が急に助けあうようになった様子が、さながらロケ地・立川っぽい感じでしたが。どうやら相田マナさんのおかげ、か、どうか知らんが、いつのまにやら世界がアップデートされていたようでした。トランプ王国はアップデートされていなかった、だからほろんでしまったらしいです。よくわかりませんが。

愛とは自分ひとりの内側にかかえこむものではなくて、愛とは外側につなげて広げていくものなのだと。そして、めぐりめぐって、その愛が自分に帰ってくることもあるわけで。けっきょく他者を愛することは自分自身を愛することへとつながるようです。というのが、この1年の答えだったのだろうか?よくわからないのですが。というか途中からアイちゃんの育児日記っぽい展開になって、イヤイヤ期がどうのこうの、歯をみがきましょう、食べものの好き嫌いはいけません、みたいな話ばっかになってた印象が強くてね、自己愛と他者愛の相克みたいなテーマはきれいさっぱり忘れてましたから(ぉぃ

キングジコチューはレジーナとの二人だけの閉じた世界を望んでいた。キングジコチューはそれを実行しようとし、レジーナもそれに応えるかのように行動するのだけれども、レジーナにとってそれは本心ではなく。パパであるキングジコチューはもちろん大好きだけれども、同じくらいにマナのことも大好きというのがレジーナの本心なのでした。だからマナがいる、この世界をこわしたくないというのが本当の気持ちなのでした。

好きに理由も理由づけも必要なくて、ただただ好きは好きでその好きという思いにしたがって行動すればいいんだ、みたいなことをマナさんはおっしゃった。ただ、その行動が内向きになってしまうとストーカーや相手にたいする束縛になってしまうから、それはダメで、あくまで外向きに行動しましょう、みたいな感じでした。

マナさんは、レジーナのことが好きだから、レジーナの好きなパパのことも好きになれると断言してくれた。これはなんかレジーナがマナと結婚するような展開で、娘を溺愛するパパがマナさんにむかって「レジーナはぜったいにやらんぞぉ!」みたいな感じにどなりつけ、でもそこでひるまずマナさんが反論している感じにも受けとれますな。って、ここは、岡田の出番じゃないのかな?!じっさい岡田はアン王女の自称・婚約者なわけですから。どうなんでしょう。こんかい岡田さんは空気でしたが、次回あたりに見せ場があるんでしょうか。

公式HPによると次回「キングジコチューのしんぞう部分に王様のすがたが…!」とあるのだけれども、なんとなくだけどキングジコチューの本体である王様はキングジコチューの首の後ろのあたりにいそうな気がするんだけど、なんとなく。

ともかく王様を救いだしたあと、とうぜん王様を核にしてキングジコチューを構成していた闇の部分はプリキュアたちによって封印されるのでしょうけれど。でもそれでアン王女が生き返るというわけでもないのでしょうから、たんじゅんにメデタシメデタシにはならないのでしょう。どういうオチが待っているのか、ここはヘタに予想しないで次回と最終回を待つことにします。