まこぴーは、歌いたいから歌う。それは応援してくれる人たちのため、そして自分のため。愛はあたえるもの、愛は他者にあたえるだけでなく、自分自身にもという意味で。他者を愛して、なおも自分を愛さないと、それはホンモノの愛とはいえない。自分を愛するということは、自分(の存在価値)を信じるということでもあるわけで。自分を信じられないようでは、とうてい他者に愛をあたえることなど不可能なんじゃないのかと。

まこぴーは歌がキライになったわけではなくて。ただ、いままでずっと、愛のため、王女様のために歌ってきたつもりだったのに、それがただの自己満足だったかもしれないと、不安になり、はずかしくなったのでしょう。

鏡の中の王女様がホンモノだったのか幻影だったのかはわからないけれど。鏡の中の王女様とのやりとりの中で、とどいてなかったとおもっていた自分の歌が王女様にとどいていて、そして王女様はまこぴーの歌にはげまされていたということを知った。その事実を知って、こんどは逆にまこぴーがはげまされ、無力感からも解放された。さらに王女様からは「昔のように楽しみながら歌ってください」、「あなたが楽しいと、わたしもうれしいわ」と。そうですね、「あなたが楽しいと、わたしもうれしい」と思ってくれる人がいると信じられるかどうかが重要で。まこぴーが歌を続けられるかどうかのモチベーションはその一点につきたようでした。そうして、まこぴーは自分をとりもどし、自分を信じることができるようになり、迷いは消え、歌うことへ前向きになれたのでした。「こんな私を応援してくれる人がいる」という謙虚さ、そして「その人たちのために歌う」という積極さ、その両方を兼ね備えてこそ他者への愛であって、ひいては「自分のために歌う」という自己愛へとつながるのかなと。

他者との気持ちのつながりを意識しつつ自分がこうしたいと願うのが自己愛で、自分の欲望だけで自己完結しているのが自己中であるような気がする。だから、まこぴーの「歌いたいから歌う」という感情は自己中ではないのです。