お話のもっていきかたがウマイな〜と。今回はギャグ回でもあったのだけれども、きちんと四葉さんの心情の変化も描かれていて、やはり四葉さんメイン回でした。

はじめに四葉さんがプリキュアになりたくない理由がよくわかったし、さいごにプリキュアへの変身を決意した理由もよくわかった。そこに四葉ありす嬢の成長が描かれていた。

私は四葉さんを誤解していたようです。四葉さんは、ただのちょっと変な女のコではなかった。財閥の御令嬢というと、なんとなく甘やかされていてワガママに育っているのかなと思っていたのだけれども。じつは、そんなことはなくて。わりときびしくシツケられていたようです。武道をたしなみ、けれども、それをひけらかすことなく、むしろ武術はケンカの道具ではないのだからということで、イジメをうけても決して自分からは手を出さないようにしていた。しかし、ただの1回だけ、どうにも堪忍袋の緒が切れてしまい、イジメっ子をフルボッコにしてしまったことがあったという。それがトラウマになって、プリキュアになってブチギレてしまったらそれこそタイヘンなことになってしまうと心配していた。だからプリキュアにはならない、なりたくないと。

弱いから、傷つきたくないから、戦わない。ではなくて、力ずくで相手をねじふせてしまうのが、相手を傷つけてしまうのがイヤだという四葉ありす嬢。力を持つ者は、その力の強さゆえに、その力に酔ってしまい、しまいにはその力に飲み込まれてしまうものだと、人間の心の弱さを知っていた四葉ありす嬢。おそらくは四葉財閥の次期総帥として、その財力や政治力をおごったり、おもいあがったりしないようにと幼少の頃から教育されていたのだとおもいます。こういう帝王学もあるのでしょう。小学校は私立ではなく近所の悪ガキがうようよいる公立学校に通っていたのも、庶民とまじわることで見聞が広まることを期待してのことでしょう。けれども庶民とまじわることは良いことばかりではなくて、庶民の悪どさをも知ることとなり、それが原因で自分の感情をおさえられなくなるという経験をしてしまい、ながらく心を痛めてしまうことに。

今回のお話は、四葉ありす嬢をとおして、力を持つ者の悩みが描かれていたように感じました。力のない者は、力を持つ者をうらやましく思うだけですが。力を持つ者は、その力をどう使って良いものかと頭を悩ませているのかもしれません。その力、いつ、どこで、どういう場面でいかすのか。その力が大きければ大きいほど、正しく使わなければ身の破滅につながる。だから、より慎重にならなければならない。けれども畏れてはいけない。その恐怖を乗り越えなければならない。そのためには精神の鍛錬が必要で、それは一朝一夕には身につかない。日々の精進が大事なのだと。力を持つ者には、その力をいかして世の中を正しく導く義務があるからと。おそらく、おじい様は孫にそう伝えたかったのかなと。

幼少の頃は、おじい様の言葉の意味がよくわからなかったのかもしれませんが。いまは、その全部ではないかもしれないが、わかったようです。力とは大切なモノを守るためのもの。そのことが理解できたから、力に酔ったり溺れたり飲み込まれたりはしない。守りたいという気持ちだけが私を動かしてくれるんだからと。そんな感じでしょうか。

いまは防御だけのキュアロゼッタですが。いずれ、さらなる成長をとげて、力の使い方を理解して、攻撃できるようになるのかもしれませんね。たのしみです。

なにげに第1話でクローバータワーに行ったのも伏線で、なにげにキュアラビーズを所有していた四葉ありす嬢。なにげに笑ってしまいましたが。あとは防犯カメラが大活躍でして、これも現代社会を風刺しているような、いないようなで。とにかく防犯カメラのプリキュア関係の映像は四葉さんが隠匿してくれて。またインターネット上に流出したプリキュアの目撃情報などは、どうやったのかはしらないけれど四葉財閥のチカラですべて削除されたらしいです。おそるべし四葉財閥。