友達を、大事な人を、自分のつごうで危険なコトにまきこんでしまっていいのか。大事だからこそ、まきこみたくないと願う。でも相手が、まきこんでほしいと望んだら。

そういえばOPに「トモダチだったら(中略)チカラになりたい、それがフツーでしょ」とある。そうですね、困ってるときに助けてくれる、助けてあげられる、それが真の友情、真の友達なのでしょうから。

友達の安全を心配して、自分でぜんぶ解決しようとする相田マナさん。それに対して、友達なんだからチカラになりたいと主張する菱川六花さん。どちらも友達おもいの良い子です。

キュアソードさんは、友達はいらない、ひとりがいいと考える。これは、おそらく、だれかに裏切られた経験があって人間不信になったということではなくて。友達がいると、大切な人がいると、ときとしてそれが自分の弱さになってしまいそうで怖いということなのではないでしょうか。じつはキュアソードさんは友達が大好きで、でも大好きだからこそ、あえて大切な人とは距離をおいておきたいのかなと。もしキュアハートに心を開いてしまったら、キュアハートが自分の大切な人になってしまいそうで怖いのではないでしょうか。だから、意識的なのか無意識的なのか、とにかくキュアハートを拒んでしまった。トランプ王国を守れなかったということは、つまりトランプ王国にいた大切な人たちを守れなかったということで。その自責の念がキュアソードさんの心の傷になっているような気がします。だから、もう友達もなにもいらない、そうすればもう友達を失う悲しみを味あわなくてすむからと。それに自分ひとりなら、たとえ自分が死んでしまっても誰にも悲しいおもいをさせないだろうと。そんな覚悟をキュアソードさんからは感じる。それでいて無気力にはならず、むしろ悲壮感をただよわせながら戦っている。なんとも凛々しいです。

こんかいは2回ほど戦闘が描かれていました。1回目は前回の続きで、キュアハートがキュアソードを助けたような感じに。2回目は菱川六花さんと通りすがりの猫がキュアハートを助けてくれました。けっきょく1回目も2回目も、だれかが誰かを助けていました。1回目はプリキュアどうしの連携だったので、わりと派手でスピード感のある戦闘でしたが。2回目はプリキュアを一般人と猫が支援するという展開だったので、どうしても地味になってしまいました。が、どちらも良かったです。そうですよね、できる範囲でチカラになれれば良いわけですから。キュアハートが固まってしまったときに、菱川六花さんが機転をきかせて信号機ジコチューのオシリに付いていた押しボタンをコッソリ押しにいこうとしたのは一般人として支援できる限界でしょう。これがプリキュアさんだったら、あれこれ考えずに、とにかく背後からケリなりパンチなりをイッパツ喰らわせるのでしょうけどね。うーん、菱川六花さんもプリキュアになってしまったらもう、プリキュアの能力に酔ってしまって、頭を使って工夫しようとかしなくなるのでしょうかね。そうなるとツマンナイですね。

お話が進行するにつれ、すこしずつ設定がわかってきて、うれしいですね。相田マナさんちは、洋食屋さんだそうです。なんかサラリーマン家庭の娘さんよりも、自営業の家の娘さんのほうが好感をもてるのは私だけかしら。