前回の日野さんの場合、友達をまきこめば何倍もパワーが出せるのだと。今回の黄瀬さんの場合は、友達には見守ってもらい、ひとりでがんばりたいという。どちらも友情なのでしょう。すすんで手伝ってもらうのも友情だし、やさしく見守ってもらうのも友情です。いろんな友情のカタチがあっていい。

黄瀬さんが特撮を好きな理由は、特撮のヒーローたちが勇気をくれるから。そして今回、そういったヒーローというかヒロインを幼少の頃に自分自身でつくりだしていたという事実が明らかに。それがミラクルピースでした。黄瀬さんは著作権的にもまったく問題のないオリジナルキャラクターのミラクルピースを主人公にマンガを描くことにしました。とはいえ、なかなかうまくいきません。そりゃそうでしょう。キャラクターをデザインできて、ちょっと絵がウマイくらいでは…、ようするに、世界観やストーリー展開、登場人物たちの設定などを矛盾がないように考える、そして実際にマンガを紙に描くときのコマの配置だとか、コマ割り、コマごとの構図、セリフやキャラクターの配置などなど、とにかくマンガ制作にはイロイロな表現力が求められるとおもいますから。マンガを描くのは、アニメや映画などと違って、ひとりで全部できるかわりに全部の才能があるていどは求められている、のではないでしょうか。

黄瀬さんのマンガの出来不出来は、さておき。現実世界での創作物であるスマイルプリキュアという物語。スマイルプリキュアという物語のなかの登場人物のひとりである黄瀬さんが創作するミラクルピースという物語。わたしたちの、あこがれのヒロインのひとりである、キュアピース。キュアピース(黄瀬やよい)の、あこがれのヒロインは、ミラクルピース。そういう対応をさせると、アカオーニさんの「なにがミラクルピースおに〜、くだらないオニ〜」が「なにがプリキュアだ、くだらない」になって、キュアピースが「くだらなくなんかない」、「わたしのあこがれなんだから」と言い返すところが私たちの代弁になっているようだった。さらに「自分が作ったマンガにあこがれるなんてどうかしているオニ〜」、「そんなもの、しょせん弱虫のおまえのなかの幻、オニ〜」というアカオーニさんの精神攻撃に、キュアピースは「ミラクルピースは幻なんかじゃない、わたしがちゃんと最後まで描きあげてミラクルピースの物語を完成させるんだから」と反撃する。ここは愛情をもってプリキュアの制作に関わっている方々の代弁なのではないかと思える。途中で投げ出さない、打ち切りにさせない、くじけそうになったとき支えてくれるのが各人の心の中にほんの少しだけある強い力すなわちプリキュアで、プリキュアがあるかぎり、絶対にあきらめない、と。そんな感じでしょうか。

正直なところ、終盤のここにきての「やよいちゃんイラストうまいね、マンガ家になれるよ!」と星空さんたちにおだてられた黄瀬さんがその気になってしまうというお話は、どうなのだろうか?という疑問はありましたが。それでも黄瀬さんの場合はマンガというかイラスト画が1年をつうじてのテーマだった…のか、いや、テーマだったので(キリッ)、おそらく最後のメイン回であろう今回に「やよいがついにマンガ家?!」をもってきたのは理解できます。

おもうようにマンガが描けないで苦悩する黄瀬やよい(キュアピース)の鬱展開がアカオーニとの論戦をとおして解決していく、それがさも自問自答して悟りを開いていくような感覚でよかったです。そして、迷いが消えて精神的に成長したキュアピースが新技でハイパーアカンベェをひとりで倒していたら、それはそれで、ひとりでやりとげる、という今回のテーマに合致していたのでしょうが。ここはひとつ、ひとりでやってるつもりでも、ここイチバンでは仲間が助けにきてくれる、みたいな感じの友情を描いていたのかなと解釈しておきます。