ドキプリ #10 とおりすがりの四葉ありすお嬢様 感想

まこぴーが転校してくるというのは、まあ、いいとして。やっぱ、鳴り物入りで転校してきたまこぴーが相田さんとイチャイチャしてるのを苦々しく感じた菱川さんがジコチューになってしまうといった展開のほうがオモシロカッタのではないだろうか。菱川さんは「アタシがマナの奥さんなんだからね」という気持ちなわけですから。「マナと仲良くするのはかまわないけど、節度を守ってよね」みたいな感じでさ。

あるいは応援団長さんが偶然、まこぴーのおならの音を聴いてしまう。応援団長さんは「アイドルは、まこぴーはおならをしてはいけないのだー」とか叫びながらジコチューになってしまい、まこぴーのオシリの穴を縫合しようと攻撃してくる。必死で臀部を守りながら逃げるまこぴーは、キュアソードに変身するいとまもない。さあ、どうする。といったギャグ展開でもオモシロカッタかもしれないな。うむ。

まあ、冗談はさておき。

菱川さんは自分に自信がなさすぎるようですね。あれだけいつも相田さんのお世話をして、たよりにされているというのに、いまいち相田さんを信用できないという感じでした。相手がまこぴーであっても、ちょっとぐらい相田さんを貸してあげてもビクビクする必要はなかったはず。おそらく相田さんも浮気をするつもりは全然なく、ただ、まこぴーがとつぜん転校してきて興奮していたのと、いつもは面倒をみてもらう側なので、たまには面倒をみる側を演じてみたかったと、ただそれだけのことなのでしょうし。だから長続きはしない。相田さんはすぐにまこぴーのお世話に飽きてしまうはず。それなのに、そこまでの思慮ができずに菱川さんは不安になってしまう。まあ、それが恋だと言われてしまえば、それまでなのですが。わかってはいても、好きな人に対してはどうしても一抹の不安を覚えてしまうというのも理解できます。ひとの心ほどアテにならないモノはありませんからね。

こんかいのオチは、菱川さんが嫉妬していたように、まこぴーもまた菱川さんと相田さんの関係に嫉妬していたということでして。まあ、わりとよくあることなのでしょうか。自分の価値は自分ではわからなくて、他人に嫉妬ばかりしてしまうという。菱川さんもまこぴーの本心を聞けたことで安心したはず。「やはりマナの嫁はアタシじゃないと、つとまらないンだからネ!」とな。というか、まこぴーはべつに相田さんの嫁になりたかったわけではなかったのです。むしろ夫に…(チゲーヨ

ドキプリ #09 アイちゃん@学校 感想

ふつうに日常回で、ギャグ回だった。とくに心に響くメッセージもなくて、そこらへんがプリキュアっぽくなくて残念だったのだけれど。アイちゃんが原因で学校中がドタバタするという内容は、まずまずのオモシロさだったよ。まあ、毎回こんなんだと困るけど。プリキュアは4クールと長いので、たまにはこういうお話も良いかもですね。

なんとなくですが、学校に赤ちゃんをつれていくのは、無理があるような気もするのですが。まあ、それはそれで、アイちゃんの販促のためには、こまけぇこたぁいいんだよ!、という玩具メーカーさんの声が聞こえてくるような、こないような。

アイちゃんのチカラでプリキュアさんたちが光につつまれると、プリキュアさんたちは加速できるようになるのが分かった。アイちゃんはプリキュアのパワーアップにも貢献できるという設定なんだな。

次回、まこぴーが大貝第一中学校に転校してくるようなので、大貝第一中学校が舞台になる場合は、お話を作りやすくなりますね。そうなると、まあ、ロゼッタだけは変身バンク省略で、戦いに途中参加というパターンにはなりそうですが、それもしかたない。

キュアハートさんが「愛をなくした悲しいボールさんたち…(中略)…ドキドキとりもどしてみせるッ」という、いつもの口上を決めてたのに、無視されて、ちょっとムッとしてたのが可愛かったデス。

それにしても今回は、親愛なるキュアロゼッタ様の胸に野球のボール(おそらく軟式球だろうが、かなり痛いはず)が直撃した場面がショックだった。スパッツ着用が確認できてしまったので(ソコカヨ

まあ、だいたい、こんな感じでした。

ドキプリ #08 ふしぎなアカちゃん誕生! 感想

アイちゃん初登場回ということで、ついついアイちゃんを注目してしまうけど。地味に、まこぴーの微妙な心の動きが描かれていて、まこぴーメイン回のような感じにもなっていました。

まこぴーは相田さんたちを信頼するようになって、3人と仲間になって4人でチカラをあわせてやっていこうとするのだけれども。いまいちあの3人とはペースがあわないというか違和感がある。仲良くしたいのだけれども、あの3人とはウマクなじめない。自分だけが特別扱いされているという疎外感がある。キライじゃないのだけれども、自分が思い描いているようには、うちとけられない。なぜだろうか。まこぴーは思う。あの3人は、おさななじみで。でも自分だけは違うからだと。だから、どうガンバッたって本当の仲良しさんになるのは無理なのだろうなと。でも、そんなのは都合のいい言い訳だとダビィに一笑される。たしかに、おさななじみの関係というのは、その付き合いの時間の長さから、積み上げてきたものが大きいのだけれども。これから始まる友情はこれから少しずつ積み上げていけばいいだけのことです。まこぴーはツンデレというか、人間関係に少し遠慮がちというか臆病というか、自分の弱さをさらけだそうとすると緊張してしまうというか。誰かと仲良くするためにイチバン必要な部分で、ちょっと自分に自信がないのかもしれない。自分の言動で相手を不快にさせたりしないかとか、バカにされたりしないかとか、無意識にそんなことばかりを考えてしまっていたのかもしれない。そんなまこぴーを案じたダビィは、言いたいことは素直にいえばいいのだと諭す。

羊ジコチューのせいで眠くなってしまったとき、キュアソードはキュアハートのほっぺたをひっぱたいて、それからおもいのたけをぶちまけた。するとキュアハートのほうもキュアソードにむかって、ああだ、こうだ、と遠慮なく。ようするに、まこぴーのほうがいつも緊張して遠慮しているからこそ、相田さんたちもまこぴーにはいつも無意識のうちに気をつかって少しよそよそしくなっていたのでしょうよ。素直な正直な気持ちをぶつけられるようになってこその本当の仲良しということで。ときにはそれでケンカになることもあるでしょうけど、それはそれで乗り越えていけるのが本当の仲良しなわけですもんね。まあ、とにかく今回はアイちゃんをキッカケにして、ひとつ仲良くなれた感じですかね。ゆっくりと、まこぴーと相田さんたち3人との距離がちぢまっていく様子が、ここちよい。

ドキプリ #07 キュアソードは、おとりよ! 感想

今回は最終回でもなんでもなくて。どうしてトランプ王国が滅亡したのか。とか。キュアソードの目的は、なんなのか。とか。そういうことが物語の流れにそって解説されていました。まあ、そろそろトランプ王国に関する情報も知りたかったので、ちょうどよいころあいでした。

魔法の鏡。それは時空の扉。あっちの世界と、こっちの世界をつないでいる。魔法の鏡を破壊されたらパラレルワールド間の移動が不可能になる。と考えてしまったのがキュアソードさんですが。そうじゃない、ほかにも方法はあるんだよ、と論理的に主張したのが相田さんでした。

目的のために必要な手段は、かならずしもひとつではない。たしかに魔法の鏡をもちいればパラレルワールド間を移動できるのですが。でも、魔法の鏡を使わなくてもパラレルワールド間を移動する方法もあるのではないのかと。それに気がついたのが相田さんでして。相田さんはなかなか前向きな人生を送っていらっしゃるようだ。それにくらべてキュアソードさんは、ひとつの手段が使用不可能になっただけで目的をあきらめてしまって、ほかの方法をさがそうとしなかった。

なんとなくだけど、わりとキュアソードさん的な思考をするひとって多いような気がするね。なにかやろうとして、その方法をみつけてためしてみるのだけれども、できないとすぐにあきらめてしまう。ほかに方法があるんじゃないのか、見落としてる方法があるんじゃないのか、もっと工夫できるんじゃないのか、とはあまり思わない。それって、目的にたいする熱意がたりないような気がする。

いまの時代には、相田さん的な思考がたいせつな気がする。もちろんすべてが相田さん的でウマクいくわけではないのだろうけれど。それでも多くの場合、妙手とまではいかなくても、ちがう手段や方法があるものです。あきらないということが大事な気がする。自戒をこめて。

けっきょく魔法の鏡のカケラを使って、トランプ王国から帰ってきたのですが。鏡のカケラが生きていることに気がついたのも、戦いの最中ですからね。あきらめずに戦っていたことで、見落としていたことに気がつくことができたのです。

もどってきてから、トランプ王国への道が閉ざされてしまったとき。不安にかられるキュアソードさんにむかって相田さんは「だいじょうぶだよ。またいっしょに帰り道を見つけよう」と。どこまでも前向きな相田さんなのです。おさななじみで相田さんから薫陶を受けている菱川さんと四葉さんも相田さんにならって前向きで。そして、とうとうキュアソードさんまでもが相田さんたちに薫陶されて、「おねがい、みんなのチカラを貸して」と口にする。自分ひとりでは険しい山も、仲間といっしょなら越えられそうな。そんな気分に浸っていたキュアソードさんに好感がもてました。

ドキプリ #06 マナのお家でまこぴーが?! 感想

おもしろかったよ、OPでの映画の宣伝が。
なんか桃園さんたちの姿を見ると、すごいうれしいよ。
今日はドキプリの感想を書かないで、フレッシュプリキュアをみようかと真剣に思ったのはナイショ。

さて、こんかいのお話はズバリ、なにをするにも心を込めないといけません、という内容です。歌をうたうにせよ、料理をつくるにせよ。いや、もちろんいいかげんな気持ちで歌っていたわけではありませんから、まこぴー。でも仕事がいそがしくなるにつれ、いつのまにかノルマをこなすことのほうが大事になってしまって。空回り気味。がんばっても、がんばっても、自分の思い描く結果がでないから。そうですね、よくあることです。忙しいという漢字は、心を亡くすと書きますから。いそがしくなると人間だれしも心に余裕がなくなるものなのです。余裕がなくなると自分を見失ってしまいます。こんがらがってる自分にいらだちます。きっとDBさんはそのことに気がついていて、まこぴーに今回の料理番組への出演を提案したような気がします。まこぴーが、キュアソードが、ほんらいの気持ちをとりもどせるようにと。そしてウマクいったのでした。

歌と料理。ぜんぜん違うように見えますが。歌は、それを聴いてくれる人の笑顔のために。料理は、それを味わってくれる人の笑顔のために、と。相手の気持ちを考えて創造するという点で共通しているわけで。歌というモノは、たんに音程やリズムが正確であれば良いというものではなくて、歌唱力という歌う人の気持ちやメッセージがともなわなければなりません。おなじように料理も、たんにレシピどおりにできればというのではなくて、つくった人の心づかいが感じ取れるような仕上がりにならないとダメなのでしょう。まあ、まこぴーの料理の場合は、心がどうのこうのという以前に、根本的な部分からぜんぜん足りなかったのですがね。

料理をナメてかかっていたことを反省し。相田さんたちの助力を得て。まこぴーは謙虚な気持ちで、卵の割り方やら、包丁の使い方やらを、ひとつひとつおぼえていった。まこぴーがいつのまにか相田さんのペースに飲み込まれていって、自然な笑顔をしているところがよかった。努力のかいあって料理番組の本番でのオムライス作りもじょうずにできて、できあがったオムライスをみんなで食べるなごやかなひとときに、まこぴーは今まで忘れていたやさしい気持ちと本来あるべき自分の姿を思い出した。

同じ釜の飯を食う、というほどではないのですが、協力して作ったオムライスを食ったことで仲良くなれた。いっしょに作って、いっしょに食べる、というのは良いことです。そんなこんなで、いよいよキュアソードが心を開いてくれて、キュアハートを受け入れてくれて、ああ、よかったよかった。と安堵にひたってる余韻もないままに物語は急展開へ(えー

キュアソードと仲良くなれたことで、ひとくぎりついたので、次回からはしばらく各々のプリキュアがローテーションでメインをつとめるという皆さんおなじみのプリキュア的な日常回が始まるのかなと予想していたのですが。そんなマンネリな展開にならないところがドキドキプリキュアの良いトコロ。さすがドキドキですね。次回、まさかの最終回か?!、「さらばプリキュア」だそうで(笑)。マジかよ、おい!

ドキプリ #05 おそるべし四葉財閥 感想

たぶん、みんな思っただろうけど。あのタラコ唇のアイドルさん。第一印象やや劣化した武部沙織@ガルパンでしたよね。でしたよね。

四葉財閥はテレビ局を所有してマスコミをおさえている。そうですね、インターネットの時代になったとはいえ、まだまだマスコミの影響力は無視できませんから。こうなると四葉財閥はすでに「四葉党」とかいう政党をたちあげていて、すでに国家レベルでの政治的影響力をももっている、とかいう設定がのちのちでてきても驚きませんから。なんかもう、ドキプリの世界では、なにをするにも、じつは四葉財閥がからんでいて、世の中のひとびとは自由に暮らしているつもりでも、じつは四葉財閥が裏で糸を引いている。そんな感じですかね。ああ、怖い。ひとびとは誰もが自分は自由だという幻想をいだいているが。それはマチガイで。しらぬまに「自由」という幻想をいだかされてこの世界を生かされているのだ。マコピーさんも例外ではなくて、じつは所属している芸能事務所も四葉財閥が経営していて。コンサートホールも四葉財閥所有。エースティーを販売している飲料メーカーも四葉財閥の子会社で。あっちをむいても、こっちをむいても、どっちにいっても、そっちにいっても、四葉、四葉、四葉、と。四葉財閥からは逃げられない。もうね、四葉財閥のつくった箱庭のなかで踊らされて、偽りの自由を謳歌しているという構図だったりするのでしょうか。マコピーさんの思い描く「夢」とやらも、じつは四葉財閥の筋書きどおりなのかもしれません。こころが寒くなります。

ドキプリ #04 防犯カメラって、怖いッスね 感想

お話のもっていきかたがウマイな〜と。今回はギャグ回でもあったのだけれども、きちんと四葉さんの心情の変化も描かれていて、やはり四葉さんメイン回でした。

はじめに四葉さんがプリキュアになりたくない理由がよくわかったし、さいごにプリキュアへの変身を決意した理由もよくわかった。そこに四葉ありす嬢の成長が描かれていた。

私は四葉さんを誤解していたようです。四葉さんは、ただのちょっと変な女のコではなかった。財閥の御令嬢というと、なんとなく甘やかされていてワガママに育っているのかなと思っていたのだけれども。じつは、そんなことはなくて。わりときびしくシツケられていたようです。武道をたしなみ、けれども、それをひけらかすことなく、むしろ武術はケンカの道具ではないのだからということで、イジメをうけても決して自分からは手を出さないようにしていた。しかし、ただの1回だけ、どうにも堪忍袋の緒が切れてしまい、イジメっ子をフルボッコにしてしまったことがあったという。それがトラウマになって、プリキュアになってブチギレてしまったらそれこそタイヘンなことになってしまうと心配していた。だからプリキュアにはならない、なりたくないと。

弱いから、傷つきたくないから、戦わない。ではなくて、力ずくで相手をねじふせてしまうのが、相手を傷つけてしまうのがイヤだという四葉ありす嬢。力を持つ者は、その力の強さゆえに、その力に酔ってしまい、しまいにはその力に飲み込まれてしまうものだと、人間の心の弱さを知っていた四葉ありす嬢。おそらくは四葉財閥の次期総帥として、その財力や政治力をおごったり、おもいあがったりしないようにと幼少の頃から教育されていたのだとおもいます。こういう帝王学もあるのでしょう。小学校は私立ではなく近所の悪ガキがうようよいる公立学校に通っていたのも、庶民とまじわることで見聞が広まることを期待してのことでしょう。けれども庶民とまじわることは良いことばかりではなくて、庶民の悪どさをも知ることとなり、それが原因で自分の感情をおさえられなくなるという経験をしてしまい、ながらく心を痛めてしまうことに。

今回のお話は、四葉ありす嬢をとおして、力を持つ者の悩みが描かれていたように感じました。力のない者は、力を持つ者をうらやましく思うだけですが。力を持つ者は、その力をどう使って良いものかと頭を悩ませているのかもしれません。その力、いつ、どこで、どういう場面でいかすのか。その力が大きければ大きいほど、正しく使わなければ身の破滅につながる。だから、より慎重にならなければならない。けれども畏れてはいけない。その恐怖を乗り越えなければならない。そのためには精神の鍛錬が必要で、それは一朝一夕には身につかない。日々の精進が大事なのだと。力を持つ者には、その力をいかして世の中を正しく導く義務があるからと。おそらく、おじい様は孫にそう伝えたかったのかなと。

幼少の頃は、おじい様の言葉の意味がよくわからなかったのかもしれませんが。いまは、その全部ではないかもしれないが、わかったようです。力とは大切なモノを守るためのもの。そのことが理解できたから、力に酔ったり溺れたり飲み込まれたりはしない。守りたいという気持ちだけが私を動かしてくれるんだからと。そんな感じでしょうか。

いまは防御だけのキュアロゼッタですが。いずれ、さらなる成長をとげて、力の使い方を理解して、攻撃できるようになるのかもしれませんね。たのしみです。

なにげに第1話でクローバータワーに行ったのも伏線で、なにげにキュアラビーズを所有していた四葉ありす嬢。なにげに笑ってしまいましたが。あとは防犯カメラが大活躍でして、これも現代社会を風刺しているような、いないようなで。とにかく防犯カメラのプリキュア関係の映像は四葉さんが隠匿してくれて。またインターネット上に流出したプリキュアの目撃情報などは、どうやったのかはしらないけれど四葉財閥のチカラですべて削除されたらしいです。おそるべし四葉財閥。

ドキプリ #03 最高の相棒登場! 感想

こんかいは「最高の相棒登場!」ってことになってますがね。いやもう、菱川さんがプリキュアになろうとなるまいと、ずっとずっとまえから菱川さんは相田さんの最高で最強の相棒でしょう。なので、いまさら「最高の相棒登場!」とか言われても菱川さん的には「はぁ〜?」ってかんじなのでは。

第2話での信号機ジコチューがおもしろすぎたせいか、こんかいのジコチューはイマイチでした。でも、これくらいがほんらいのプリキュア品質なのかなとも(ぉぃ

こんかいのジコチューとの戦い、菱川さんの対応も第2話のときのほうがだんぜんオモシロくて。こんかいはプリキュアに変身して必殺技でカンタンに浄化しちまったので、つまらなかった。もちろん放映時間のつごうとか販売促進のつごうがあったのは理解出来ますがね。キュアハートがピンチの状態で、相田さんとのなれそめを思い出し、それを心のなかでシッカリ味わったのちに菱川さんがプリキュアへの変身を決意したのも、前回の幸せの王子をたとえ話にして相田さんへの愛を叫んだときと比べると、いまいち説得力に欠けていたような気がしました。なんかこう、やっぱジョー岡田ってウサンくさいしウンコくさいな、とか、菱川さんらしい猜疑心もてつだって、もっともっと悩みに悩んで、けっきょくプリキュアに変身するのは保留にして、あの場面ではとりあえずキュアハートが抱えていたたくさんの手紙を菱川さんが引き受けて、そして身軽になったキュアハートがジコチューを浄化しました、みたいな展開のほうが良かったかもしれませんね。とにかく菱川さんにはいつまでたってもプリキュアにならないでいてもらって、そうやってなかなかプリキュアになろうとしない菱川さんをどうにかしてプリキュアにしてやろうとインキュベーターであるジョー岡田はあれやこれやと手をつくしてくるのだがウマクいかず、そうこうしているうちに夏が来て秋が過ぎてみたくドキドキプリキュアという物語はすすんでいって、そのあいだも菱川さんは第2話のときのように一般人としてキュアハートを地味に支援しつづけるという。けれども、とうとうキュアダイヤモンドに変身するときが…ってのがだいたい第44話あたりで…だったら、オモシロイ展開なのだが。どうだろうか。販促的には無理だろうな、うむ。

ここまでの、お話のながれとしては、物語の縦軸がグダグダだったスマイルプリキュアの反省をふまえてか、ドキドキプリキュアでは各話のつながりを重視している感じがしますね。さいごに四葉ありす嬢があらわれて次回に続く、という展開も、つぎのエピソードへスムーズに入っていくためだったのでしょう。というか、こんかい最後に四葉ありす嬢が登場しなかったらホント2話続けての欠席ということで、えらいことでした。ほんと、四葉ありす嬢いらね〜、ロゼッタいらね〜、状態になるところでした、アブナイ、アブナイ。

ちょっと思ったのですが、もしかすると、ドキプリでは4人のプリキュアがいつも登場するという展開にはならないのかもしれない。基本的には、いつもいっしょにいる相田さんと菱川さんのまえにジコチューがあらわれて、あとからロゼッタやソードが参戦するとかしないとか、みたいな。四葉さんメイン回では、はじめから3人で変身して戦うのだけれども、ソードは参戦したりしなかったり、みたいで。とにかくプリキュアが4人そろって戦うというパターンは少ないのかもしれない。なんてね。

ドキプリ #02 四葉ありすさんが空気 感想

友達を、大事な人を、自分のつごうで危険なコトにまきこんでしまっていいのか。大事だからこそ、まきこみたくないと願う。でも相手が、まきこんでほしいと望んだら。

そういえばOPに「トモダチだったら(中略)チカラになりたい、それがフツーでしょ」とある。そうですね、困ってるときに助けてくれる、助けてあげられる、それが真の友情、真の友達なのでしょうから。

友達の安全を心配して、自分でぜんぶ解決しようとする相田マナさん。それに対して、友達なんだからチカラになりたいと主張する菱川六花さん。どちらも友達おもいの良い子です。

キュアソードさんは、友達はいらない、ひとりがいいと考える。これは、おそらく、だれかに裏切られた経験があって人間不信になったということではなくて。友達がいると、大切な人がいると、ときとしてそれが自分の弱さになってしまいそうで怖いということなのではないでしょうか。じつはキュアソードさんは友達が大好きで、でも大好きだからこそ、あえて大切な人とは距離をおいておきたいのかなと。もしキュアハートに心を開いてしまったら、キュアハートが自分の大切な人になってしまいそうで怖いのではないでしょうか。だから、意識的なのか無意識的なのか、とにかくキュアハートを拒んでしまった。トランプ王国を守れなかったということは、つまりトランプ王国にいた大切な人たちを守れなかったということで。その自責の念がキュアソードさんの心の傷になっているような気がします。だから、もう友達もなにもいらない、そうすればもう友達を失う悲しみを味あわなくてすむからと。それに自分ひとりなら、たとえ自分が死んでしまっても誰にも悲しいおもいをさせないだろうと。そんな覚悟をキュアソードさんからは感じる。それでいて無気力にはならず、むしろ悲壮感をただよわせながら戦っている。なんとも凛々しいです。

こんかいは2回ほど戦闘が描かれていました。1回目は前回の続きで、キュアハートがキュアソードを助けたような感じに。2回目は菱川六花さんと通りすがりの猫がキュアハートを助けてくれました。けっきょく1回目も2回目も、だれかが誰かを助けていました。1回目はプリキュアどうしの連携だったので、わりと派手でスピード感のある戦闘でしたが。2回目はプリキュアを一般人と猫が支援するという展開だったので、どうしても地味になってしまいました。が、どちらも良かったです。そうですよね、できる範囲でチカラになれれば良いわけですから。キュアハートが固まってしまったときに、菱川六花さんが機転をきかせて信号機ジコチューのオシリに付いていた押しボタンをコッソリ押しにいこうとしたのは一般人として支援できる限界でしょう。これがプリキュアさんだったら、あれこれ考えずに、とにかく背後からケリなりパンチなりをイッパツ喰らわせるのでしょうけどね。うーん、菱川六花さんもプリキュアになってしまったらもう、プリキュアの能力に酔ってしまって、頭を使って工夫しようとかしなくなるのでしょうかね。そうなるとツマンナイですね。

お話が進行するにつれ、すこしずつ設定がわかってきて、うれしいですね。相田マナさんちは、洋食屋さんだそうです。なんかサラリーマン家庭の娘さんよりも、自営業の家の娘さんのほうが好感をもてるのは私だけかしら。

ドキプリ #01 最後プリキュア 感想

なかなか良い第1話でした。なんの説明もなく、いきなり物語がはじまるのだけれども。プリキュア側については番組開始前から、おおざっぱなキャラ設定とか、ある程度の予備知識があるので、べつに違和感もなく。また、敵幹部キャラや、あの謎のチューリップハットの青年などについてのくわしい設定などは、いまの時点では特に重要ではなく、おいおい明らかにされていくのでしょうね、ぐらいの認識でじゅうぶんだったし。とにかくスイプリの第1話のような説明臭さはぜんぜんなくて良かったです。

物語のながれの中で、自然な感じで少しずつキャラ設定やら世界観とかが理解できていけるというのは個人的には楽しいのです。たとえば、よその学校の男子に「なんだテメーは?」と聞かれて、相田さんが「はじめまして!アタシ、大貝第一中学生徒会長、相田マナです!」と自己紹介してくれたのは、うまいぐあいに視聴者諸氏への自己紹介にもなっていましたよね。こういうのは好感がもてます。

第1話では、相田さんと菱川さんは同じ学校の生徒なので、いっしょに社会科見学で東京クローバータワーに来ていた。四葉さんは相田さんたちとはべつの学校なのだけれども、東京クローバータワーが四葉財閥の所有物ということで、四葉財閥の御令嬢である四葉ありすさんはたまたま視察に来ていたということで、ちょっとだけ登場して、しゃべってくれた。キュアソードの正体は、もう、あのアイドルさんだってことはバレバレな感じですね。そしてアイドルさんがたまたま東京クローバータワーでイベントやってました、みたいな感じでお話にからんでくるの。とにかく第1話の舞台を東京クローバータワーにして、うまいぐあいに主人公4人を登場させてくれました。

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相田さんが変身をこころみようとして「ヘンシン!」と変身グッズを掲げて叫ぶのだけれど、みごとに変身できないという。仮面ライダーならそれでオッケーな感覚なのでしょうけれど、いかんせんプリキュアは変身の作法が難しいのでした。

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まあ、ほかにもイロイロおもうことはあったけれども、長くなるので、このへんで。

スマイルプリキュア!から学んだ幸福論

幸せって、むずかしいですよね。だれかが誰かを幸せにしてあげることなんてできないのですから。誰かを幸せにしてあげられると本気で考えてる人がいたなら、その人はおもいあがりです。だれかのおかげで幸せになれたのだと感じている人がいたとしても、それもチョット違うでしょう。ひとは誰かの幸せのキッカケにはなれるのかもしれません。でも幸せそのものは与えられないのです。幸せとはそのひとが自分で勝手にしあわせになるしかないものだからです。幸せとはもうホントに個人的な感覚なのですから。たとえば、おなじ親切をされても、ひとによっては、うれしく感じたり、なにも感じなかったり、あるいは迷惑に感じることさえもあるのは、つまりはそういうことです。

とはいえ誰かの幸せのキッカケになりたいな、わたしもキッカケをもらったから、という発想は悪くないとおもいます。星空さんが絵本を描き始めたのは、そんな理由からでした。もらう側から、あたえる側へと。そうやって、つなげていく、つながっていく、幸せへのバトンのような感覚がなんともここちよかった。バトンを受け取って、そこから1歩前に踏み出せるかは、あなたしだい。だれかが幸せにしてくれるのではない。自分で、自分の幸せを感じられる自分になりなさいと。そんなメッセージを私に伝えてくれたスマイルプリキュア!でした。

スマイルプリキュア! #48 黄瀬さん、佳作受賞おめでとう! 感想

もうね、このごにおよんでさえも5人のプリキュアとキャンディとポップと、そいつらだけの感情や感性だけで地球の行く末が決まるという。まさにセカイ系でした。地球消滅の危機がもう、すぐそこまで迫っているというのに。キャンディと会えなくなるなんてイヤだ、でも地球の未来も私たちが救わなきゃ、みたいなマジで糞な展開。ぜんぜん感情移入できませんでした。まだミラクルジュエルの最後のチカラを使ってしまうとキャンディが死んでしまって、またメルヘンランドの女王が空位になってしまって、メルヘンランドの民主化運動が盛り上がってしまって困る、みたいな展開だったら、少しは納得できたかもしれないのですが。ぜんぜんそんなことはなくて。しかもキャンディと永遠に別れてメルヘン時間は終わり、それぞれがそれぞれのあたらしい未来へと歩んでいくみたいな展開にもならず、最後またキャンディと再会できましたメデタシメデタシみたいなのも、いかがなものか。進歩がないですね。メルヘン時間は続くよどこまでも、ってな感じでした。まあ、でも、このまま本当にキャンディが星空さんたちの思い出の存在になってしまったら、こんどの映画でキャンディを登場させられなくなりますから。そんな映画興行上の大人の都合も感じとれた最終回でした。Cパートはむりやり入れたンでしょうね。

スマイルプリキュア! #47 絶望と希望の物語 感想

お話が急速に観念的になってきましたね。そして地球が絶望の闇に染まってしまっただけでなく、いつのまにやら地球が絶望という名のブラックホールに飲み込まれてしまいそうになって、ああ大変だあ、みたいな展開にまで話が大きくなってしまいました。おもえば12月までは、留学するとかしないとか、漫画を描くのをやめるの続けるのとか、そんなレベルの日常回をひたすらやっていたというのに。1月になってから突如として地球的規模の危機がやってくるという。突然スケールがバカでかくなってしまった感覚です。どうしてこういう展開になったのか。おそらく、そう、絶望というモノをとてつもなく大きな存在として描きたかったからでしょうよ。それに、いままでの日常回の延長でピヱーロ様が登場して、わりとあっけなく倒されてしまったらイマイチ盛り上がりに欠けるじゃないですか。たぶんそんな理由なのかなと。絶望とは地球をも滅ぼすモノなんだよと子供たちに伝えて危機感をもってほしかったのでしょう。

負の感情が集積すると絶望が生まれて、それが最終的にピヱーロ様という形態に。ピヱーロ様が絶望の象徴ということだそうです。それに対してプリキュアたちとロイヤルキャンディが希望の象徴という。最終決戦では絶望と希望の対立を描きたいようです。だれの心の中にも存在する負の感情。世の中はいつも自分の思い通りにいくとは限りません。というか自分の思い通りにいかないほうが多いから、人々が基本的にネガティブなのは当然のことなのでしょう。ピヱーロ様が主張するのは、絶望の物語など消えてなくなってしまえばいい、ということらしい。生きているからこそ絶望が生まれる、ならばみんな死んでしまえばいいとすら。だからこそピヱーロ様は生命の生活の基盤となる地球をも絶望で飲み込んでしまおうとするのだ。なにもない世界は、希望もないけど、絶望がないので平和で幸福だということなのだろうか。なんかこのへんが成田先生のバッドエンド的な世界観なような気もするンですがね。

まあ、最終的なオチは次回で、ということなのでしょうから。ここであまりとやかく論じてもしかたがありません。というわけで、そろそろ今回の感想を書こうとかとおもいます。

キャンディがハッピーの手をつかむ場面がプリキュアっぽくてよかった。なにかこう、プリキュアには手をつないで、ひとりじゃないを感じながら、みんなで困難を乗り越えていくようなイメージがある。手をつなぐと気持ちもつながる、みたいな感覚がある。つかんだ手のぬくもり、にぎる力の強さ、そういったものからも相手の気持ちがじかに伝わってくる。ハッピーが希望とは友達のことだと断言できたのも、手をとってもらった者にしか分からないなにかがあって、ハッピーだけが感じられたキャンディの思いや願いがあったからじゃないのかなと。

だれかの不幸も幸福も、その人以外にはわからない

ひとの不幸は蜜の味。メシウマ。そんな言葉がありますが。しかし、どうして他人の不幸がわかるのでしょうか。幸福か不幸かなんて、その人の個人的な感情ですから。案外こちらが勝手に不幸なんだろうなと推測しているだけで、その人は不幸を感じていない場合も多いのかもしれません。たしかに、客観的に、不自由してるな、不便だろうな、不都合そうだな、と判断できる場合もあるでしょうけれども。それでも、たとえば、お金に不自由していても幸福な人もいるのではないでしょうか。パンが1つしか買えなくても、ちぎって2人でわけあって仲良く食べる幸せもあるような気もします。ぎゃくに、お金持ちで幸福そうな人が、じつは不幸だったりする場合もあるのではないでしょうか。警察ザタになるほどの深刻な事件が家庭内でおきて、でも近所の人たちは「裕福でなんの問題もない幸せそうな家族だったのに…」と、おどろきをかくせない、といったような事件はたまにあるものです。

他人の心の中はのぞけないのだから、他人が幸せか不幸かなんて、正確にはわからないものなのです。それなのに、さもわかったように、あの人は幸せだ、この人は不幸だ、といったふうに断定するのは、おもいあがりだし、自己満足なのだとおもいます。自分が幸せではないと感じているのに、他人から幸せですねとうらやましがられたら迷惑です。自分が不幸だと感じていないのに、他人からあわれにおもわれたら、えっ?なんで?と思ってしまいます。

そんなわけですから、他人の不幸で今日も飯がうまい、なんていうのは滑稽なことなのかもしれません。勝手に他人を不幸だと決めつけて喜んでいるだけのことなのですから。でも、もし、その不幸そうにみえる人がじつは幸福で、その不幸そうにみえる人のことを誰かがメシウマだとおもったとしたら。この場合どちらも幸せなのだから、それはそれでいいのかなと。

死者は生き返らないけれど…

メルヘンランドの女王はすでに戦死していた。その事実をふせていたのは、おそらく余計な心配をさせないためだったのだろう。女王は生きている。そう信じこませることで。希望をあたえることで。女王の復活を願わせることで。プリキュアたちの戦意を喪失させないようにする。嘘も方便。メルヘンは現実を生きるチカラとなることを女王は知っていた。

女王は生き返りたいとは思っていなかったのだろう。どんなに望んで努力しても、メルヘンのちからでも、魔法ですらも、死者を生き返らすことはできないのだから。女王が願ったのは、あたらしい女王をメルヘンランドに即位させることなのだ。そのためには、娘であるキャンディをなんとしてでも守らなければならない。その強い意志が、肉体はほろびても、精神だけはかろうじて生かしてくれていたのだろう。それくらいならば女王の最後のメルヘンのちからでも可能だったと。

つたえたい、つなげたい、という気持ち。死者からの伝言。生き残った者が受け取る。大切な人がなくなってしまったのは悲しいけれど、悲しんでばかりでは前には進めないし、なくなった人もよろこばないだろう。受け継ぐということ。なくなってしまった人のぶんまで一所懸命に生きるということ。そうすることで女王の精神はやすらかに消滅できるのだ。

スマイルプリキュア! #46 バッドエンドプリキュアは、おとりよ 感想

とにかく展開、速いです。ついていけないです。女王様は、じつはすでに他界されていて、この世に未練が残っていたので、かろうじて意識だけは生き残っていた、とか。キャンディが女王様の娘で、つまり王女で、メルヘンランドの次期女王である、とか。ミラクルジュエルは妖精の姿から人間の姿に変化するためのサナギというか卵なんだ、とか。もうイロイロ詰め込みすぎ。1月になってから、もう急展開で。これも1年間のツケがまわってきたということで、しかたありませんな。

とはいえ、情報が多かったので、いろいろ分かったよ。

ピエーロの卵が絶望の卵で、ミラクルジュエルが希望の卵だとすれば。ピエーロが絶望の具現であり、キャンディさんの人間態が希望の具現ということになりそう。けっきょくバッドエンドとは、怠惰エンドなんかではなくて、絶望のことで。絶望と希望の対決が、どうやらスマイルプリキュアのテーマだったようです。やっと分かったよ。

ジョーカーさんは、世界をほろぼすだけでは足りないのだと。夢、希望、奇跡、そういったモノをすべて完全に消し去ってこそ真の絶望なのだと。そのためにミラクルジュエルを、メルヘンランドの次期女王の卵を、破壊したいのよと。ようするにジョーカーさんは現実の世界とともにメルヘンの世界をも破壊したいのだ。現実世界がほろんでもメルヘンが、希望があれば、もしかしたら現実世界が復活してしまうかもしれないと。そんなふうに危惧しているようですな。

どんな願いもかなえてくれるという、夢の宝石、ミラクルジュエル。じつはそんなものはなかったというオチ。これって人生の教訓なのかもしれない。だって夢は自分でかなえるものだから。誰かが、何かが、かなえてくれるものでは決してないですからね。

♪  ♪  ♪

けっきょくバッドエンドプリキュアさんたちも時間稼ぎの道具でしかなかったという。てっきり2話かけて倒すのかとおもいきや、今回限りの使い捨てでした。もったいない。たった1話で5人分の戦いをやってしまったので、どうしても少し雑な印象がぬぐえないのですが、それでも各プリキュアさんたちのいままでの成長の積み重ねがあったからということで、もうバッドエンドプリキュアたちは今のプリキュアたちの敵ではなかったという感じなのかな。それにしてもバッドエンドプリキュアが具現化するところをみると、例えば星空さんの心の中にもまだ闇の部分というか、ネガティブな感情が残っていて「みんな不幸になればいいのに。あたしだけウルトラハッピー!」みたいな気持ちも、ないことはないようですね。忘己利他は難しいのです。

ジョーカーさんがラスボスなのかなと思っていたら、ジョーカーさんはトロトロに溶けてしまってピエーロ様の一部分になってしまったようです。いったいジョーカーさんって、なんだったんだろう?なぜ絶望したかったのだろう?なにもない世界は、死んだ世界は、成功がない代わりに失敗もないから、ある意味イチバン安心だからだろうか?ワカラン

スマイルプリキュア! #45 超展開のはじまり 感想

なんかもう、ワケワカラン。というのが正直なトコロです。いままでのプリキュアなら、1月といえばだいたい敵の本陣にのりこんで、さあ最終決戦だぞ、ってな感じなんですが…。そうですね、フレッシュでは時空を超えて管理国家ラビリンスへ、ハートキャッチなら砂漠の王・デューンがいる宇宙空間へ、スイートの連中は音吉戦艦に乗ってノイズに攻撃されたメイジャーランドへと、それぞれ悲壮感をただよわせながら旅立っていったハズなんですが…。えっとぉ、スマイルさんたちは1月になっても、今日も今日とて、みんなで楽しく遊んでいました。するってーと、空から何かデッカイのが降ってきそうだわ、さあタイヘン、どうしよ、どーしよ、あーコリャコリャ、みたいな。のんきな展開。ここでもひたすら受け身なスマイルさんたちでしたとさ。

でも、まあ、これは、ある意味、しかたのないことなのかもしれません。だって、1年かけての、おはなしの積み上げみたいなものが、ほとんどなかったのですもの、この1年。ひたすら日常回をやってキャラを立たせる話ばかりをやってきてしまったツケが、ここにきてイッキにまわってきてしまったという印象でした。たとえばミラクルジュエルをずっと空気にしてきてしまいましたよね。ミラクルジュエルがスマイルプリキュアという物語の中でカギになるであろうことは、ほのめかされてはいたのだけれども。でも今日の今日まで忘れ去られていたような感覚でした。だから今回、あわてて思い出したように、なんの脈絡もなく、とうとつにキャンディさんをミラクルジュエルに変化させてしまったのでしょうよ。

もうホントに、ツッコミどころは多かったのですが、もうひとつだけ指摘させてもらうと、なんかもう、もっと早い段階でウルフルンさんたちの心の痛みに触れてあげられる機会は、いくらでもあったような気もするのです。だから今回はチョット、お粗末な終わりかただったようにもみえます。なのでウルフルンさんたちが死なないで、元の妖精の姿に戻れて、ああ、よかったよかった、と素直には感じなかったですね。ってゆーか、メルヘンランドの妖精だったんかいな、おまいら!

おそらくウルフルンさんたちのイメージの世界の中で、なのだろうけれど、キュアハッピーが大きくなったのは、なんとなくハートキャッチのときにキュアブロッサムが大きくなったのを思い出した。バッドエンドプリキュアに似た人たちはプリキュア5の映画に登場していたような気もする。とことん過去シリーズをパクってスマイルプリキュアが終了するのであれば、それはそれで良いのではないかとすら思う、今日この頃。

スマイルプリキュア! #44 はじまり(プロローグ)のおわり 感想

街で出会った幼女がもっていた手鏡をキッカケに、星空さんは自身の幼女時代の記憶をたどり、ウルトラハッピーの原点を思い出して、かみしめて、味わう。そのほんのりと甘い余韻にひたりながらウルトラハッピーとはなんであったのかを今の自分をとりまく環境とも照らしあわせ確かめることができた。ウルトラハッピー、それは、ひとをおもいやる優しい心。だれかの優しい気持ちを感じるとき、こころがあたたまる、とても幸せな気持ちになれる、だから自分も誰かにそうしてあげたいんだと、星空さんは気がつくのでした。人と人は優しさで支えあっている。幼き日に出会ったあの少女は、夢か幻か。おもいでは美化されてしまうものだけれど、それもメルヘンなのだろうか、でも、そのメルヘンが今のきびしい現実にたちむかえるチカラとなるのならば、いいじゃないかと。じっさいウルトラハッピーへのおもいが強くなっていたところにウルフルンさんがやってきてくれたので、キュアハッピーはウルフルンさんに少しダメージをあたえることができました。と、そんな感じだったのかな、今回は。

いい話だったといえば、いい話だったのだろうけれど。なんか個人的には胸につきささる感じではなかったのは、なんでなんでしょうかね。ワカランワカラン

さて、いよいよ次回から本編というかエピローグですかね。「終わり(エピローグ)の始まり」だそうで。どうなっちゃうンでしょうか。おはなしは「ある日、空からピエーロの卵が降ってきました!」から始まるみたいです。

スマイルプリキュア! #43 「道」のまがりかど 感想

アン・シャーリーは師範学校で優秀な成績をおさめ、その結果として奨学金を得て大学進学が決まったが、ことわってしまった。理由は、マシュー・カスバートがとつぜん死んでマリラ・カスバートはひとりぼっちに、しかもマリラ・カスバートは目の病気にかかってしまい生活に不自由してしまいそう。アンはマリラに育ててもらった恩があるので、マリラの生活をささえるほうが自身の大学進学よりも大切だと考えた。せっかくの大学進学のチャンスを棒に振ってしまうのですが、アンは後悔しません。人生にはいろいろあるのだと。人生という「道」は決してまっすぐではないのだと。いい意味でも、悪い意味でも、曲がり角はあるのだと。そして、どんな人生を歩もうとも、たとえその「道」がせまくて暗かったとしても、足元にはいつでも小さな幸せの花が咲いているはずだから、それを見つける努力をしたい。だから絶望なんてしない、と。まあ、だいたいそんなオチだったはずだ、グリーンゲイブルズのアンは。

今回の青木れいか様の場合は、どうだったでしょうか。念願だったイギリス留学が決まったのに、なぜか素直によろこべない。それはプリキュア業が中途半端になってしまうから…というよりも星空さんたちとはなればなれになってしまうのがイヤだからという理由。うーむ、なんか、そんな理由で、せっかくの、おそらく無償のイギリス留学のチャンスを棒に振ってしまっていいのだろうか、というギモンがうまれたが。青木さん的には、それも、ひとつの「道」らしい。いまの仲間たちとは、いまだけだから、いまを大切にしたい、と。それは理解できなくもないのだが、どうなんだろう。せめて「生徒会長になったばかりなのに、留学なんて…」というふうに悩むのだったら…というか、やはり、ここは、バッドエンド王国との決着がつくまではプリキュア業はやめられない、キュアビューティの代わりはいないのよ、2代目キュアビューティさんなんてのは登場しないンだから、という理由のほうがシックリきたような気がします。まあ、「道」はいろいろあるということで、考え方もいろいろということで。そういうことにしておきます。

道。周囲から期待されるから歩むのではなくて、自分の意志で歩みたい。青木さんのその思いというか願いが「わたしが歩く、わたしの道。わたしが決める、わたしだけの道。」という名文句に結実したようだ。もちろん周囲の期待に応えようと努力することも立派なのだけれど、自分がこうしたいという意志を貫くこともまた素晴らしい。おじいさまが孫娘に「道」はひとつではないと導いたのも、この娘だったら自分のしたいようにさせても大丈夫だと思ったからでしょう。青木さんはふだんのおこないが良いですからね。わがままも許されるのです。

安定の、成田脚本だった。成田先生は終盤の話のマトメは抜群に強いです。すごいなー。

スマイルプリキュア! #42 正体がバレちゃった! 感想

もしも、スマイルプリキュア!ではプリキュアの正体が他人にバレると数分後には死んでしまう、みたいな設定だったら…。もしそういう設定だったら、緑川さんが弟妹たちの前でプリキュアに変身するのをためらったのも理解できたでしょうに。ここで変身したら自分は死んでしまう、かといって変身しなければ弟妹たちを見殺しにしてしまう。変身して、弟妹たちを守れたとしても、自分が死んでしまったら弟妹たちはもちろん両親も悲しむだろうし。変身しなくて、弟妹たちのうちの誰かが死んでしまったら、やはり悲しい。ああ、どうしよう、どうしよう、こまった、こまった。今回がそんな展開だったらオモシロかっただろうに。つまり変身してもしなくても家族の絆は守れないという悲しい展開。これはもう視聴者的には、もうヤメテー、と叫びたくなる展開なのですが。非情にも物語は続くのです。どうなる、どうなる。それからどうなる。ハイ、緑川さんは変身するほうを選ぶのです。弟妹たちが死ぬよりは自分が死んでしまったほうが、まだマシだとおもったから。マジョリーナは倒したものの、正体がバレたのだから、もうすぐ死ぬだろうと覚悟を決めるキュアマーチ。けれども、なかなか死なない。キュアマーチが死なないかわりに、弟妹たちが全員とつぜん気を失ってしまった。そのときメルヘンランドの女王様があらわれて、かくかくしかじかとキュアマーチにつげる。記憶を消しておいたから、目が覚めたら忘れてるから大丈夫、キュアマーチは死なないから、と。そして最後に女王様は「格別の憐憫じゃ、感謝して以後もプリキュア業をはげめ」とだけ付けくわえて去っていきましたとさ。めでたし、めでたし。どうでしょうか、こんなオチは。…ダメか…

今回はイヤな展開でしたね。マジョリーナさん、人質作戦ですか。これってプリキュア的には反則じゃないのかな。これが許されるなら毎回だれかの家族がねらわれてしまいますよ。それにマジョリーナさんの担当回なら、とうぜん、ナントカニナールが登場するものだと、視聴者的には期待してしまうのですが、それもなかった今回。マジョリーナさんがアカチャンニナールで、生まれてきた赤ちゃんと入れかわって、油断している緑川さんにだっこされたときに急所をブスリとやっちゃうとか、そういう作戦は考えなかったのでしょうかね。まあ、いいや。で、もっともダメだったのが、けっきょく緑川さんひとりでは家族の絆は守れなかったということです。ほかのプリキュアさんたちが助けにきてくれたからこそ、緑川さんの弟妹たちの生命は守られたのです。ほんと緑川さんの見せ場はなかったですね。なんとなく結論としては、家族の絆は他人様のチカラによって守られる、ってオチだったのかな〜とか、考えてみたり。うーん、個人的には期待ハズレだったというか、なんとなく空振りだった感じのする今回のお話でした。残念。とはいえ、まあ、よくよく考えてみれば、「家族」という小さい社会は、それ自体で排他的に存在しているわけでは当然ないですからね。商店街の人たち、プリキュアの仲間たち、などなど、そういった自分の家族ではない人たちとの関わりや支えがあってこそ、「家族」という小さな社会は成り立っていられるのが現実なんだ、と今回のお話をとおして感じられなくもなかったので。そういう意味では良い話だったのかもしれん。家族の絆を守るためには、家族以外の人たちとの絆も大切なのだと。そういうことですかね。

スマイルプリキュア! #41 ミラクルピースかわいいよ 感想

前回の日野さんの場合、友達をまきこめば何倍もパワーが出せるのだと。今回の黄瀬さんの場合は、友達には見守ってもらい、ひとりでがんばりたいという。どちらも友情なのでしょう。すすんで手伝ってもらうのも友情だし、やさしく見守ってもらうのも友情です。いろんな友情のカタチがあっていい。

黄瀬さんが特撮を好きな理由は、特撮のヒーローたちが勇気をくれるから。そして今回、そういったヒーローというかヒロインを幼少の頃に自分自身でつくりだしていたという事実が明らかに。それがミラクルピースでした。黄瀬さんは著作権的にもまったく問題のないオリジナルキャラクターのミラクルピースを主人公にマンガを描くことにしました。とはいえ、なかなかうまくいきません。そりゃそうでしょう。キャラクターをデザインできて、ちょっと絵がウマイくらいでは…、ようするに、世界観やストーリー展開、登場人物たちの設定などを矛盾がないように考える、そして実際にマンガを紙に描くときのコマの配置だとか、コマ割り、コマごとの構図、セリフやキャラクターの配置などなど、とにかくマンガ制作にはイロイロな表現力が求められるとおもいますから。マンガを描くのは、アニメや映画などと違って、ひとりで全部できるかわりに全部の才能があるていどは求められている、のではないでしょうか。

黄瀬さんのマンガの出来不出来は、さておき。現実世界での創作物であるスマイルプリキュアという物語。スマイルプリキュアという物語のなかの登場人物のひとりである黄瀬さんが創作するミラクルピースという物語。わたしたちの、あこがれのヒロインのひとりである、キュアピース。キュアピース(黄瀬やよい)の、あこがれのヒロインは、ミラクルピース。そういう対応をさせると、アカオーニさんの「なにがミラクルピースおに〜、くだらないオニ〜」が「なにがプリキュアだ、くだらない」になって、キュアピースが「くだらなくなんかない」、「わたしのあこがれなんだから」と言い返すところが私たちの代弁になっているようだった。さらに「自分が作ったマンガにあこがれるなんてどうかしているオニ〜」、「そんなもの、しょせん弱虫のおまえのなかの幻、オニ〜」というアカオーニさんの精神攻撃に、キュアピースは「ミラクルピースは幻なんかじゃない、わたしがちゃんと最後まで描きあげてミラクルピースの物語を完成させるんだから」と反撃する。ここは愛情をもってプリキュアの制作に関わっている方々の代弁なのではないかと思える。途中で投げ出さない、打ち切りにさせない、くじけそうになったとき支えてくれるのが各人の心の中にほんの少しだけある強い力すなわちプリキュアで、プリキュアがあるかぎり、絶対にあきらめない、と。そんな感じでしょうか。

正直なところ、終盤のここにきての「やよいちゃんイラストうまいね、マンガ家になれるよ!」と星空さんたちにおだてられた黄瀬さんがその気になってしまうというお話は、どうなのだろうか?という疑問はありましたが。それでも黄瀬さんの場合はマンガというかイラスト画が1年をつうじてのテーマだった…のか、いや、テーマだったので(キリッ)、おそらく最後のメイン回であろう今回に「やよいがついにマンガ家?!」をもってきたのは理解できます。

おもうようにマンガが描けないで苦悩する黄瀬やよい(キュアピース)の鬱展開がアカオーニとの論戦をとおして解決していく、それがさも自問自答して悟りを開いていくような感覚でよかったです。そして、迷いが消えて精神的に成長したキュアピースが新技でハイパーアカンベェをひとりで倒していたら、それはそれで、ひとりでやりとげる、という今回のテーマに合致していたのでしょうが。ここはひとつ、ひとりでやってるつもりでも、ここイチバンでは仲間が助けにきてくれる、みたいな感じの友情を描いていたのかなと解釈しておきます。

スマイルプリキュア! #40 ブライアンからの手紙 感想

友達が大切だというのはプリキュアシリーズ全体をとおして描かれているわけでして。「友達が宝物」というのは日野さんだけではなくて、みんながそうなはずですから。日野さんのおそらく最後の個人エピソードであろう今回で、あえてそれを描く必要があったのかなと。

わたしの宝物ってなんだろうと考える日野あかねさんからはじまって、こたえは「友達」でおわる。今話の展開。それはそれで良かったとはおもいます。そしてオチがおそらく「友達が宝物」であろうと予想できて、そのとおりに終了したのも、それはそれで素直な展開でした。けれども、なんかこう、その展開がゆるやかすぎるというか、おもしろ味にかけていた印象でした。日野さんが自分の宝物について、アレかな?いや違う、コレかな?うーん違うな、みたいに悩んでいって最後に答えが出るという話の流れは悪くはなかったのですがね。なぜかいまひとつ感情移入できなかったです。

お話の展開は分かりやすかったです。まず星空さんが宝物とはワクワクして絶対になくしたくないモノだよと示してくれて、さらに宝物があったらパワーがみなぎってくるんだと日野さんがつないでくれた。友達が宝物なのは、友達がいると自分ひとりのときよりも何倍も生きる力を与えてくれるからなのだと。だからこそ友達は失いたくないし、失うのが怖い、守りたいというのがキュアサニーの切実なおもい。じっさい星空さんたちを守りたいという強い気持ちがキュアサニーに新必殺技をもたらしたようでしたが。しかしハイパーアカンベェ撃破にはいたらず、けっきょく仲間といっしょにいつもの大技をつかう展開になりました今回。これは、どうなんでしょうか。興奮したキュアサニーがひとりで敵を倒す展開が良かったのか、今回の展開でよかったのか、ちょっとわかりませんね。

あと、最後の、お守りが壊されても友情は壊れない、みたいな展開はちょっと良かったとおもう。星空さんが、また作りなおすからいいよ、と言ってくれたのに、日野さんは、壊れたこのままでいい、と返す。それはきっとお守りを壊されたときの、あの大切な感覚を忘れないためになのかなと。それから、日野さんの、宝物は秘密にしておきたいという気持ちも、宝物へのおもいをつよくしていたいからということでしょうかね。

よく考えると、わりと良い話だったのかもしれません。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

蛇足ですが…

個人的には、こんなお話の展開だったら、どうだったかと。はじめに日野さんと星空さんがちょっとしたことから口ゲンカしてしまって、おもわず日野さんが「みゆきなんか大キライや!」と口走ってしまい2人の関係が少しギクシャクしてしまう。それでも星空さんは日野さんに明日のバレーの試合をがんばってほしいからと手作りのお守りをわたす。日野さんは受けとるには受けとったものの素直にありがとうとはいえない。なにかモヤモヤした気持ちをひきずったまま試合当日にウルフルンがあらわれて、ひとり戦うキュアサニー。単独では苦戦する。星空さんからもらったお守りをハイパーアカンベェににぎりつぶされた瞬間にキュアサニーは星空さんのまごころもいっしょににぎりつぶされたように感じて激怒すると同時に星空さんのことをかけがえのない大切な友達なのだとハッキリと認識する。といった感じの、はじめに少し鬱展開があって、でも最後は晴れやかに、みたいなのを。

スマイルプリキュア! #39 おはなしのなかに シンデレラニナール 感想

どうやらメルヘンランドでは、『はじまりのシンデレラ』だけではなくて、『はじまりのピーターパン』、『はじまりの桃太郎』、などなど、『はじまりのナントカ物語』といった、はじまりシリーズ全集を、物語のソース本というか原本を、すべて管理しているようです。今回はそのうちの『はじまりのシンデレラ』という、世界中のシンデレラ本とつながっていて、すべてのシンデレラ物語の原作となる本が、どういうわけか流出してしまいました。さあ、タイヘン。悪意をもった何者かに『はじまりのシンデレラ』のストーリーが改変されてしまったら、それこそ世界中のシンデレラのお話が改変されてしまいます。

うむ。第39話にして、ようやく、はじめてマトモに、おとぎ話がメインテーマになっていました。スマイルプリキュアはおとぎ話がテーマだとうたっていたのだから、むしろ毎回こういう展開、つまり、なにがしかの物語の中に入っていって、その物語を守る、みたいな展開にしていくべきだったような気もするのですが。いまさらそんなコトいっても遅いですよね。

ところで『はじまりのシンデレラ』という本の内容は守られたのでしょうか。たしかにバッドエンド王国の連中からは守られたのですが。プリキュアさんたちのせいでチョッピリ改変されてしまいました。したがって世界中のシンデレラのお話にプリキュア臭がくわえられてしまうことになりました。もちろんプリキュアさんたちには、とくにキュアハッピーさんにはぜんぜん悪意はありませんでした。でも改変されてしまいました。これはバッドエンド…なのでしょうか?

いいえ、スマイルプリキュアの中でのバッドエンドの定義とは、怠惰エンドのことですから。たとえば王子様が「もう、かったるいからガラスの靴の所有者さがすのやーめた」とか考えはじめる、そんな展開になっていたのならバッドエンドですが。そうではありませんでした。ただ『はじまりのシンデレラ』にプリキュア的な味付けが少々なされただけです。だからバッドエンドではない、ですよね。

かりにバッドエンド王国の連中の誰かと王子様が結婚するという展開になっていたとしても、それはそれでバッドエンドではないような気もします。王子様が「結婚なんてメンドクセー」とか、そんな怠けた考えをもつようになったとしたら、それはバッドエンドなのでしょうけど。そうではなくて、たとえアカオーニ姫であろうと、なんであろうと、結婚して、一国の王子としての役目をはたそうと決意しているかぎりは、ハッピーエンドなのです。たぶん。

どうにも、こうにも、バッドエンド王国の連中の行動がダメでした。どうして王子様を怠惰な方向にもっていこうとしなかったのだろうか、という素朴な疑問がわいた。ええ、今回のお話は、単独のお話としては良かったです。みんなのおかげでハッピーエンドになれた、みたいなマトメでしたし。プリキュアっぽかったです。でも、この手のお話は、シリーズの前半から中盤あたりにもってくるべきだったのかもしれません。どうなんでしょうか、スマイルプリキュアももう残すところあと10話あるかないかのところまで来ているのですから、そろそろ単独のお話といえども1年を通じたテーマに沿った展開が必要になってくる時期のはず。スマイルプリキュアでは、ハッピーエンド=ほんらんあるべきストーリー展開、バッドエンド=怠惰な終わりをむかえる展開、みたいな方向性がしめされてきていたはずですから、今回もその方向に沿ってバッドエンド王国の連中が動く展開だったら、納得できたと思うのです。ちょっと残念でした。

スマイルプリキュア! #38 コドモニナール 感想

アタシもう子供じゃないンだからねッ!、鬼ゴッコなんてヤってらンないのよッ!、なんて感じで、オトナ気取りでチョットいけすかない感じで、家族とのコミュニケーションを拒否していた緑川さんが、魔法の薬で子供になってしまい、その副作用で童心をとりもどし、さいごは家族との鬼ゴッコにも参加するようになりました、めでたし、めでたし。というのが今回のお話の骨子だったようでしたが。そんなのどうでもよかった。ロリピースが可愛かった。ハァハァ

とはいえ、ちょっとだけマジメに感想を書かなければ…

やっぱね、中学生くらいになると、自分に素直になれなくなってしまうのよね。世間ではそれを中二病といったりもするンだけど。緑川さんは、ホントは鬼ゴッコとか大好きなんだけど、ついついオトナぶってスカしてしまう。いや、わかりますよ、その気持ち。そうですよね、もう中学生ですからね、女子中学生としてはやっぱり興味の対象としてはオシャレとかイケメン男子とか現実的な将来の夢とか、そういう方向にもっていきたい。鬼ゴッコとか特撮とかアニメとかは小学校を卒業したときに一緒に卒業したのよ、と。緑川さん、子供時代を卒業してオトナへの階段を1歩ずつ登っていきたい。その気持ちは理解できる。いつまでもメルヘンの世界にとどまってはいられない、つらいけど、厳しい現実、オトナの世界へと足を踏み入れていかなければ、という。その気持ちは大切だろう。

だがしかし、童心を否定してオトナになるのではなくて、そうではなくて子供時代も自分の歴史の1部分であり、それがあるからこそ今の自分が存在しているのだ、みたいに肯定的に受け入れたい。メルヘンを完全否定して現実を受け入れるのではなくて、メルヘンを少しだけ現実を生きるための調味料のような感じで活用していけたら、そうしたら生きていくのがもっと楽しく積極的になるのではないだろうかと。思う。黄瀬さんが良い例ですね。黄瀬やよいさんは、中学2年になったいまでも、特撮が大好きです。生きる勇気をくれるから、みたいなコトをキュアハッピーがロボットになった回でおっしゃってました。

スマイルプリキュア! #37 生徒会長選挙 感想

教育勅語、修身教育、勤労奉仕、などなど。そこには日本人の美徳があった。ところが第2次世界大戦後、個人の権利ばかりが主張されてきた公立の学校教育。そして戦後の公教育は堕落した。日本国民は堕落した。坂口安吾は「生きよ堕ちよ」と。だがしかし、新たな武士道は、いまだ生まれてこないようだ。なぜだ?とことん堕落できるほど人間は強くはないはずなのだが。まだまだ堕ちかたが甘いということだろうか、現代日本は。

やりたいことだけ、やる。やりたくないことは、やらない。好きなことは、うけいれる。キライなことは、ことわる。これは人間の本性であり欲望である。なので人間の本性や欲望を否定する規則や規律は非人間的であるといえる。だがいっぽうで、人々がそれぞれ自分勝手に好き放題やっていては、最低限度の自由も権利も保証されず、きゅうくつな社会生活しか成立しないというのも事実であろう。だからこそ規則や規律が必要で、その必要性を訴える青木さんは学校生活を守るという観点において実に人間的なのだ。人間性を否定する規則や規律が非人間的であり、かつ人間的であるというコトは矛盾しているようだが、理屈でわりきれないのが人間社会というモノなのだから、しかたない。

堕落し足りないのなら、もっともっと堕落して、堕落しつくして、そしてそこに新たな「堕落に対する防壁となりうる何か」を見出せば良いのかもしれないが。そんな悠長なことをしていられるほど今の日本国には余裕がないのかもしれません。とはいえ絶望するほどでもないようにもおもえます。生徒たちは怠惰な生活を望んではいるが、いっぽうで自分たちの生活を規律する何かも少しだけ望んでいるようなのです。人間とは、完全なる自由が与えられると、かえって不安になり、すこしだけ規則にしばられて生活したいと願うもののようです。青木さんの最後の演説はよかった。青木さんは生徒会長に選出された。あまり堅苦しくなく、そのメリットを具体的に説き、共感を得るように心がけ、生徒諸君を導こうとしていたから。その場の雰囲気にのまれて青木さんに一票を投じてしまった生徒さんもいらっしゃるとはおもいますが、それでもそれほど後悔はしないのではないでしょうか。むりやりやらされる掃除はイヤだけど、ふと目についた空き缶やら紙クズをひろって片付けるくらいなら、それならイヤでもないかな、ぐらいには思ってくれるのではないだろうか。

いまの時代に、かつての修身教育をそのままあてはめようとするのは、たしかにムリがあるとはおもいます。いまの時代には、いまの時代にふさわしい、それがあるはずです。青木さんはそれを求めているようにおもえます。なかなか、たいした女子中学生です。つねに自問自答し自戒し、考えぬいたすえの立候補辞退。立派です。自分でなくても、この学校を良くしてくれる人が生徒会長になってくれればと。しかし、そんな人はいなかった。なので立候補を決意した青木さん。決して自信過剰ではありません。むしろいつも自分の正義に不安をいだいている。それで、はじめはルンタローくんことウルフルンさんに明確に反論できなかった青木さん。でも、さいごは答えを出せた。ほかのプリキュアたちに勇気づけられて、それから少しモヤモヤした自分の心の中を手さぐりして、つかんだ。わたしの進むべき道は、これだと。気持ちを伝えていく努力だと。

なにが正解なのかは、わかりません。正解はひとつではないのかもしれません。また、ときには間違った方向に導いてしまうことも、あるかもしれません。それでも自分が正しいとおもったことを伝えていきたいのだと。青木れいかは、そう考えたのでしょう。相手に伝えるためにはどうすればいいのかを考えると、説得力を持たせるためにはどうしても自分の主張の根拠を見出したくなります。どうして、あいさつするのか。どうして、掃除するのか。どうして、花を育てるのか。それらをひとつひとつ自省した青木さん。それがあの最後の演説につながったのでした。

スマイルプリキュア! #36 ブライアンがやって来たヤァ!ヤァ!ヤァ! 感想

好きという気持ちは素直に伝えたいものです。若いうちは、とくにそう。逆に、あんまり年取ってから異性に対して好きだの愛してるだのというのはちょっと自重したほうが良いかもしれませんね。いろいろとトラブルになりそうですから…

こんかいはウルフルンさんが結果的に日野さんの背中を押してくれました。ああ、もし、あそこでウルフルンさんが恋人たちにムカつかないでバッドエンド空間をつくりだしてなかったら、とおもうと、まったく。ハイパーアカンベェとの戦いの中で、自分自身の中の葛藤する気持ちとも戦っていたキュアサニーこと日野あかねさん。さいごまで自分の本当の気持ちはよく分からないままだったけれど、とにかく、このままではいけない、と。空港に急ぐのでした。

出会いがあり、別れがある。それが人生というモノです。とはいえ、今回の日野さんとブライアンの場合は、それほど深刻なモノではなかったような気がしますね。あっという間の3週間だったとはいえ、いっしょに浜辺を走ったりもしてましたし。おたがいの気持ちは自然と伝わっていたような気がします。ただ口にしないとダメなときもあるってことで。言わなくても、わかるだろ、わかるでしょ、というのは相手に対する甘えですからね、受動的な態度です。3週間の日本滞在を終えたブライアンが七色ヶ丘中学校を去るとき、日野さんがブライアンを見送らなかったのも、あまり感心しませんが、ブライアンもブライアンで空港で日野さんが来るのを待っていたというのもイマイチな対応だった気がします。ここはひとつ、ブライアンも男のコなのですから、女のコからのアプローチを待ってるのではなくて自分から会いにいって気持ちを伝えるべきだったような気もします。まあ、もしかしたらブライアンも悩んでいたのかもしれませんが、ブライアンの心理描写がなかったので、ほんとうのところは分からないままなのですけどね。

けっきょく、ちょくせつ会って話したからといって、かならずしもどうにかなるってものでもないのですけどね。でも、なにもしないで終わらせたら、きっと後悔したでしょうし。恋愛感情をダイレクトに告白するとかしないとかはともかく、とにかくそのときの素直で正直な気持ちをそのまま口にするのが良いのでしょうね。ここイチバンでは、日野さんもシャイで、ブライアンもシャイで、最後の最後の空港でのやりとも、なんとなくいまひとつな印象だったのですが。それでも良かったです。この空港でのやりとりがあったので、おそらく2人の関係は今後も続いていくような気もしますね。ブライアンから手紙が来るとか。そんな感じで。

一期一会、そんな言葉がありますが。ホントそうだとおもいますね。なので、気になる人に対しては、なにもしないで後悔するよりも、行動して後悔したほうが絶対に良いとおもいます。日野さんの場合も、かりにブライアンと手紙のやりとりなどが始まったとしても、いずれ途切れてしまうかもしれません。ずっと続いて発展していくかもしれないし、続かないでそれっきりかもしれない。どうなるか先のことは分からない。たとえ続かなかったとしても、それまでしてきたことがムダだったとはいえないでしょう。終わりは終わりでも、なにもしないで終わったのと、やるだけのことはやって終わったのとでは、ぜんぜん意味がちがうのだから。後味悪く終わるのと、あるていど納得して終わるのと、では、これからの心の持ちようが違うのだから。

スマイルプリキュア! #35 ハッピーロボ大地に立つ!! 感想

今回のおはなしの教育的要素は、「食わず嫌いはよくないよ」と「なんどでも立ち上がろう」です。そうですよね、成田センセー?

ロボットに偏見をもっていたけど、じっさいにロボットに乗ってみて、操縦してみて、戦ってみると(まあ、じっさいマトモに操縦して戦ってたのはビューティーさんだけでしたけどね、こまかいことは気にするな!)、ロボットもあんがいイイものだと理解した。そんな日野さんと緑川さんでしたとさ。

ハッピーロボがシャットダウンされて、もうダメ、たたかえないよ、と。あきらめかけていたキュアピースだったが、キュアハッピーがだいじょうぶだよと勇気づける。倒されても倒されても何度でも立ち上がろう。ピースさんはハッピーさんの勇姿に鉄人戦士ロボッターのそれを重ねて、なるほど、そうだったなと。そういえば、昔あった人魚アニメでも歌ってましたよね、「たっち、あがっるよ何度でも〜♪やくそーくーのーためーにぃ〜♪」とね。ここらへんがプリキュアシリーズのメインテーマみたいな感じでして、「ウマクいかなくても何度でもやり直せる、やり直そうよ!」を表現していた、ような気もしました。

どんな困難にもたちむかう勇気をくれる、というのが黄瀬やよいの鉄人戦士ロボッターへの熱いおもい。それは視聴者がプリキュアにもとめるモノと同じような気もするのですが。はたして今のプリキュアは、どうなのでしょうか。

今回は、もう、ロボット対戦がメインでして。それはそれで、なかなか気合いが入っていて、おもしろかったのです。ハイパーアカンベェさんの合体もカッコよかったですし。敵側のキャラも手を抜かないというのは好感でした。基本的にギャグ回だったのですが、ロボット対戦での見せ場がすごくて驚きましたネ。それにしても、まあ、なにが一番のギャグだったのかといえば脚本が成田良美先生だったってコトですかね。成田センセーもそろそろスーパー戦隊シリーズの脚本にでも参加してみたら、どうでしょうかね?(笑)

スマイルプリキュア! #34 文化祭 感想

アタシ、カンニンブクロのオがキレました!

文化祭でファッションショーといえば。
そうです、ハートキャッチプリキュア!を思い出します。
しかもバンドまで登場するとは。
そしてファッションショーとバンド演奏が共演するという…
なんというパクリ、いや、オマージュ、いいえ、パスティーシュ、もうなんでもいいや。
そんなわけで最後の場面なんかは、まるでソックリな感じでした。
しかしハートキャッチのファッション部のときは、そのときまでの苦難とそれを乗り越えてきた積み重ねがありましたので、感動的でしたがね。
そうです、部員不足で部の存続そのものがあやぶまれていたファッション部でしたが、えりか様の努力でじょじょに部員も増えていき、生徒会長を部員にして味方にし、頑固で辛気臭いお姉さんですらも篭絡し、もも姉さんまでもまきこんで、片手間で通りすがりのプリキュア業をもこなし、まあとにかくイロイロあったすえにたどり着いたのが、そう、文化祭のファッションショーだったのでした。
そうです、文化祭のファッションショーはタダのお遊びではなくファッション部の集大成として迎えた発表の場だったのです。
こうしてむかえたファッションショーだったのですが、そこでもスッタモンダがありました。
いろいろあって軽音楽部の演奏時間がなくなってしまったのですが、そこはそれ、えりか部長の機転でファッションショーと軽音楽部の共演が実現したのでした。
こんかいのように厨二病の生徒のワガママにつきあってバンド演奏をやったわけではありません。
だいたい厨二病のヤツなんて、ほうっておけばいいのです。
厨二病のヤツは甘えてますから、かまってやると調子に乗りますから。
豊島クンってば、調子こいてましたよね。
ここはひとつ現実の厳しさをガツンと分からせてやらないと、豊島の将来のためにもなりませんから。
ああ、ダメだな、今回も教育的要素が抜けていたネ。
ゴネ得って、あるんだな、と、視聴者の子供たちは思ったでしょうから。
中学生日記にすらならないお話でしたとさ。やれやれ。

赤毛のアンもピーターパンも関係ないのです(キリッ)、スマイルプリキュア!という物語は、こうだ!…という妄想

メルヘンランドは、すべての物語を管理しています。女王様がメルヘンランドを統治しています。メルヘンランドの住人は物語の登場人物たちです。物語の登場人物たちは、自身が登場する物語の中で、あたえられた役割を演じることだけに専念しています。女王の威厳がそうさせているのです。

メルヘンランド女王の仕事は激務です。いつも緊張していました。メルヘンの国を統治するには、つねに目配りが大切なのです。すべての物語がとどこおりなく進行しているかどうか、いつも気にかけていなくてはなりません。これは大変な精神力が必要なのです。精神的疲労が蓄積した女王は、いつしかナマケたくなりました。

女王様がナマケてくると、住人たちもだんだんと気がゆるんでくるものです。上司がたるんでくると、その部下たちも緊張感を欠いてくるように。女王がキチンとしているあいだは、せっせと自分の役割を演じることだけに専念していた物語の登場人物たちも、しだいにみずからの意思をもちはじめ、自分の演じる役割に疑問を抱くようになり、そしてナマケるようになってきました。

バッドエンド王国。それはナマケるようになったメルヘンランドの住人たちが集まってできた国。バッドエンド王国の元首は皇帝ピエーロ様なのですが、そのピエーロ様とは何を隠そうメルヘンランド女王の怠惰な気持ちが具現化した存在なのでした。ホントをいえば今までも、ときどきバッドエンド王国は出現していたのですが、そのつど女王様がみずからを律することで自然消滅していました。そしてナマケていた住人たちも、もとの従順さをとりもどし、メルヘンランドはまた平和になるのでした。

しかし今回にかぎっては、そうならなかった。なぜか。それはジョーカーさんがいるからなのです。ジョーカーさんは一部のメルヘンランド住人を強制的にナマケさせ、たきつけ、そしてバッドエンド王国を組織させ、ピエーロ様を復活させようとする。そうなるとメルヘンランド女王の精神力だけではバッドエンド王国はおさえきれません。そこでプリキュアのチカラを活用することにしたのです。

いったいジョーカーさんは何者で、何をしたいのでしょうか。ジョーカーさんはメルヘンランドに、とつじょとして誕生した、どの物語にも登場しないという、そんな存在です。また、ジョーカーさんは世界征服をたくらんでいるのです。ひとびとをナマケ玉のなかに閉じ込めて、いい気分にさせて、堕落させる。でも、ずっといい気分ではいさせない。ちょうどいいころあいをみはからって、強制的にナマケ玉の中から出してしまう。ナマケ玉から追い出された人は、厳しい現実に困惑して、しまいにはオカシクなってしまいそうになる。そのときジョーカーさんは「ナマケ玉のなかに帰りたいのなら、わたしのいうことを聞け」と、ささやきかけるのです。そうですね、麻薬みたいなものですから、ナマケ玉は。こうしてナマケ玉という麻薬漬けにされた人々は、ジョーカーさんのいうがままに。世界はジョーカーさんのものになるという、もくろみ。

ミラクルジュエル。それはなんでも1つだけ願いをかなえてくれるという伝説の魔法の宝石。世の中が乱れた時にあらわれるという奇跡の宝石。心清き者がもちいれば世を平和へとみちびき、悪しき心の者がもちいれば破滅へと導くという。ミラクルジュエルは、ただの石ではなく、みずからの意思をもった石なのです。

ジョーカーさんはミラクルジュエルの本当のチカラをまだ知らない。おそらくジョーカーさんがミラクルジュエルを手に入れ、それを使ってプリキュアたちを倒そうとすれば、そのときミラクルジュエルは自らの意思が発動して世界を滅ぼすでしょう。ジョーカーさんだけを滅ぼすのではありません、全世界を滅ぼすのです。それを知っているメルヘンランド女王は、どうあってもミラクルジュエルをジョーカーさんにわたしてはダメだとおもっているのです。

では、プリキュアたちがミラクルジュエルを手に入れ、そのチカラを使ってジョーカーさんたちバッドエンド王国を壊滅させようとしたら、どうなるのでしょうか。はたして平和がおとずれるのか、それとも世界の破滅がまっているのか。そこはプリキュアたちの心が清く美しいモノとなっているかが問われるのです。判断するのは、ほかでもない、ミラクルジュエルその宝石の意思なのです。

プリキュアたちには成長が求められている。どんな困難にも負けないぞという強い意思。ときに自身の死をもかえりみず信念を貫き通そうとする覚悟。我欲を捨て全体の利益を求める正義感。などなど。プリキュアたちがトコトン成長したとき、ミラクルジュエルはメルヘンランドの味方をしてくれるでしょう。

最終回、最後の試練が待っている。ミラクルジュエルはキャンディの心臓であることが明かされる。ミラクルジュエルを使わなければバッドエンド王国に勝てない、という状況になってしまった。さて、どうするか。ミラクルジュエルを使うにはキャンディを殺さなければならない。でもキャンディはプリキュアたちのかけがえのない友達なのだ。迷うのは当然です。最終的にはキュアハッピーがキャンディを手に掛けるのですが、それも壮絶なやりとりがあったあとにです。ミラクルジュエルはキュアハッピーの願いにこたえてバッドエンド王国を、ジョーカーさんを倒す。メルヘンランドに平和がおとずれる。

キュアハッピーはキャンディの死を悲しむのですが、いつまでも悲しんではいられない。泣いてばかりいたら、天国のキャンディはよろこばないだろうと。キャンディの死を忘れない、けれども、ひきずらない。キャンディは心のなかで生き続けているから、とキュアハッピーは顔を上げ、涙をぬぐう。そして笑顔。キャンディのぶんまで、一所懸命、生きていきたい。そう願うキュアハッピーの笑顔はキラキラ輝いていた。空を見上げて、遠い天国のキャンディをおもって、笑顔、笑顔。スマイル、スマイル。そうよ、だってアタシは、スマイルプリキュアだもの。

スマイルプリキュア! #33 映画村でドタバタ 感想

まともに感想の書きようがない、ほんとマジで。ただ映画村を宣伝したかっただけなのかな。なんか細かいギャグみたいなのはイッパイあったけどね。ただ今回のお話では教訓めいたモノは何も伝わってこなかった。というか、おそらく製作者サイドにそういう意図はなかったのでしょう。ええ、わかってますとも、プリキュアは修身の教科書ではないってコトぐらいはね。でもさ、もうちょっと、なんとかならんのかね。プリキュアシリーズがかくも支持され今日の今日まで続いてきたのは、ひとえにその物語性や世界観(たとえば、ただ仲良しというだけではなくて、ときには激しくぶつかりあったり傷つけあったりするのだけれども、それでもそれらを乗り越えて友情を深めていく、みたいな)だったと思うのですが、かいかぶりすぎでしょうか。ただコスチュームがカワイイからとか、そんな理由だけではシリーズものは続いていかないような気もします。スマイルプリキュア!では「メンドクサイけど大事」な部分が抜け落ちてるような感じがしないでもないです。ようするに表面的なのですよ、笑顔にしても、なんにしても。それでも不器用ながら1歩ずつ少しずつ成長していけるんだと主人公に語らせてるあたり、製作者サイドは終盤の展開と最終回にはそうとうの自信があるのでしょうね。もしホントにそうであるのならば非常に楽しみです。まあ、とにかく、いまのところは、物語をモチーフにしているはずのスマイルプリキュアがもっとも物語性を欠いているというのは、なんという皮肉でしょうか。教育的要素みたいなのを排除して、とにかくその場かぎりのオモシロおかしいを視聴者に消費してもらいたいのであれば、もっとこう、ギャグに気合いをいれて欲しいですね。たとえば、そう、ゾウさんが鼻から水を出してハイパーアカンベェにかける場面は、もっとこう下品にオシッコでいいじゃん。ポップがビデオカメラのハイパーアカンベェに向けて気合いの放尿をして水圧と電気回路ショートでダメにするという展開。せめてそのくらいのギャグをやって欲しかった。かつてウンチを「ココロのタネ」と呼んでいたように、ポップのオシッコも、そうだな、「妖精の聖水」とでもよんでおけば大丈夫だよ。あー、ツマンネー

いつまでも、みんないっしょでは、いられないハズ

星空さんは「みんないっしょがいい、みんないっしょの未来、それがウルトラハッピー」だと明確に宣言されました。それはそれで良いのですが。でも、ちょっと考えるとわかりますが、いつまでも「みんないっしょ」というのは幻想というか、メルヘンですよね。自分の身近な人たちから、1人の犠牲者も、1人の脱落者も出ないとか。そんな都合のイイことが起こりうるのでしょうか。はてさて。

ケガや病気、事故、そうでなくても人間には寿命があるわけですから。みんないつかは、いなくなる。最初に自分がいなくなるのかもしれないし、いちばん最後かもしれない。もし、いちばん最後だったら、最悪ですね。みんないなくなって、ひとりぼっち。かなしいですね。キラキラ輝いてるどころではありません。

星空さんにも、きっと試練がやってくるでしょう。その試練を乗り越えて、いまの自分の殻を打ち破ったとき、ひとまわりも、ふたまわりも、おおきく成長するのでしょう。そしてスマイルプリキュア!は、グランドフィナーレ。

具体的には、キャンディが犠牲になると思います。キャンディの心臓がミラクルジュエルで、バッドエンド王国との戦いで必要となる。ミラクルジュエルを取り出すために、泣く泣くキュアハッピーがキャンディを手に掛ける。そんな壮絶な展開になるのではないでしょうか。このあいだのバッドエンド王国との戦いでは、キャンディを助けだして、ひとりの犠牲者も出さないで、勝利しましたけれど。つぎにバッドエンド王国と戦うときも同じような展開では視聴者も飽きてしまいますからね。

わたしたちはナマケながら成長していきたい(キリッ

就職難、失業、大規模自然災害、環境汚染、隣国との関係悪化、などなど。いまの日本国内は暗い話題が多いです。日本国民は、夢の実現が困難になってるだけではなく、フツーの生活ですら維持できるのだろうかと不安なのです。大学を出ても就職できない、大企業にいてもリストラにあう、いつ大地震がやってくるのか分からないし対策のたてようがない、放射能が怖い、中国や韓国とゴタゴタしている、などなど。そんな過酷な現実をつきつけられたら、そりゃイヤになってきます。努力して良くしていこうという気も薄れていきます。がんばったってムダなような気がしてきます。ナマケ玉のなかに入りたくもなります。

スマイルプリキュア!という番組は世相を反映しています。主人公は修身の教科書に出てくるような完璧な人間ではありません。第32話であれだけ熱弁をふるわれた星空さんですが、けっしてナマケを否定していません。いや、むしろ積極的にナマケています。夏休みの宿題をやってなかったのが、まさにそれでした。とはいえ最後の1日でなんとかやりとげようと努力はしました。しかし宿題は終わりませんでした。でも最終的には、なんとかなりました。先生に怒られることと補習を受けることとで、夏休みの宿題の不履行は決済できました。ようするにチャラになったンですよ、夏休みの宿題は。懸案はいちおう解決されたのです。つまり星空さんたちは不器用ながらも1歩前に進めたのですよ。成長したのですよ、夏休みの宿題をやり残してもなんとかなるということを身をもって学習したのですから。TV放送では省略されてましたが、補習が終わったあとのあの4人はすがすがしい笑顔だったことでしょう。

スマイルプリキュア!は、いかにナマケて、それでいて成長していけるか、がテーマのような気がします。ふだんはユルユルの日常生活で、よく失敗もするのだけれども、それが成長の糧になっているという。なにげない日常のなかにこそ彼女らを成長に導く要素が転がっているのだ。だからスマイルプリキュア!は日常回が多いのでしょう。そしてこれからも日常回はつづいていくのです、きっと。

スマイルプリキュア! #32 夢はなくても、幸せはある 感想

現実逃避しているよりも、今を逃げずに少しずつでも前に向かって進んでいきたい。なにも行動しなければ絶対に失敗しない、それはそれで、うれしいのかもしれない。笑顔になれる。けれども、その笑顔は、なにか少し、だらしなく見える。なまけ玉のなかでは、そんな感じでした。そして、そんな笑顔は見たくない、それはいつものみんなの笑顔ではないから、とキュアハッピー。

挑戦したけどダメだった、努力が実らなかった、でも、そんなことでクヨクヨしてはいられない。前に進むとは、そういうことなのだから。チャレンジしてウマクいったら誰だってうれしい、そのときの笑顔は自信と誇りで輝いていることだろう。失敗しても、そのときはくやしくて悲しくて泣いたり落ち込んだりするかもしれないけれど、失敗のショックからたちなおり、気持ちの整理ができた後でなら、きっと笑顔になれる。未来を信じる笑顔に。

成功した時よりも、失敗した時のほうが、いろいろと学習できるものです。物事の本質が見えてくるものです。本当に大切なモノが見えてくる。自分が本当に求めているモノは何なのかが分かってくる。星空みゆきは、みんなといっしょの未来がウルトラハッピーなのだと。どんな未来が待っているのかは分からない、けれども大好きなみんなと一緒ならどんな未来がこようとも苦楽をともにできるとおもう、それは最高に幸せなのだと。そう思えるのも、おそらく、今日の今日までみんなと一緒に失敗も成功もたくさん積み重ねてきたからなのでしょう。

第1話で、毎日ハッピーを探している、と自己紹介した星空さん。そのときは、ハッピーとは、ばくぜんと「キラキラして、胸がワクワクして」と説明していたのですが、今回は、「みんな大好きだから、みんないっしょ、みんな一緒の未来を願う」と明確に宣言していました。星空さんが熱く語るハッピー感に共鳴し、思考停止におちいっていた他の4人がわれをとりもどした。知らず知らずのうちにプリキュアの5人は共通の幸福感を抱くようになっていたことを、それぞれがそれぞれの記憶をたぐり、認識した。もう迷わない。

なんとなくダラダラと緊張感に欠ける日々を送っている印象の、星空さんたちなのですが。でも、そこが少しずつということのなのでしょうかね。日常生活のささいなことでも、共有し協力しあっているうちに、自然と前に進んでいたと。そう考えると今までのユルユルな展開にも意味があるのかなと思ったりもしますね。どうなのでしょうか。

バッドエンドとは、怠惰、というよりは、グダグダ、のことなのではないか?

どのような物語がツマラナイかといえば、やはりグダグダな終わり方をする物語ではないでしょうか。たとえ主人公が死んでしまう物語であっても、それが納得のいく展開の末でのフィナーレであるのならば、それは感動的だといえるでしょう。フランダースの犬の最終回に涙した人は多いとおもいます。ようするにバッドエンドかハッピーエンドかの判断は、その物語の中の登場人物が死んだとかお金持ちになっただとか、そういう物語の中での出来事はいっさい無関係なのです。そうではなくて読者や視聴者の視点で判断されるものなのですよ、バッドエンドかハッピーエンドかってーのは、まったくもって。

マッチ売りの少女は死んだけど、それはそれでイイのです。むしろマッチ売りの少女が死にかけたときに、たまたま福祉事務所の人が通りがかって保護された、とか。そんな展開になってしまったら、もうね、読者は幻滅しますね。なんの感動もありません。ああ、生きてて良かったね、で、おわってしまいますから。こういうのがバッドエンドの一例なのかなと。では、なぜ、こういうバッドエンドが発生してしまうのでしょうか。一因として考えられるのは、作者が、日本図書館協会選定図書に指定してもらえないと本の売上げにひびきそうだなとか、あと、PTAを敵にまわしてもメリットがないことは重々承知なわけでして、ええと、そこで作者は信念を曲げて、ここはひとつ少女が死ぬという描写は避けたいな、とかツマラナイことを考えるからです、たぶん。

もちろん作者の技量不足で物語がグダグダに終わってしまうケースもあります。というか、むしろ、こっちのケースのほうが多いのかもしれませんがね。どうなんでしょうか、スマイルプリキュア!は、だいじょうぶなのでしょうか。正直いまのところはグダグダになってきてます。が、これも今はバッドエンド王国に攻められてるからということで、意図的にグダグダにしているとも考えられます。というか、そう願いたいですね。スマイルプリキュア!のお話の中では同時進行的に「スマイルプリキュア!の絵本」が制作されているという設定ですから、「スマイルプリキュア!の絵本」がハッピーエンドになるためにスマイルプリキュアさんたちは最終段階で度肝を抜くような活躍を見せてくれるはずです。

スマイルプリキュア!の今後の展開予想

ピエーロメーターは残りあと12、デコルは15。バッドエナジーは最短で第43話で満タン、デコルは毎回1個ずつなら最短で第46話でコンプリート。おそらくピエーロ様の復活のほうが早いのではないでしょうか。デコルが集まらないのにピエーロ様が復活したら、プリキュアはピンチです。なにか対策が必要です。

ミラクルジュエルが鍵になるでしょう。でも、どこにあるのでしょうか。じつはキャンディの心臓がミラクルジュエルで、そのパワーはキャンディがプリキュアたちとの友情を深めることでアップするのです、と、このごにおよんで女王様が教えてくれる。ところが、ミラクルジュエルを使うためにはキャンディの胸を切り裂いて取り出さないといけないのです。とうぜんキャンディは…。

デコルが16個集まってないので、ミラクルジュエルを使わないとメルヘンランドは滅びてしまう。けれどもミラクルジュエルを使うにはキャンディの命を犠牲にしなければなりません。プリキュアたちは悩む。さしせまった危機のためとはいえ、どうしたものか。女王様はキャンディの体内からミラクルジュエルをとりだせと命令する。いちおうキャンディがみまかったあとは2階級特進と爵位の授与、そして栄誉あるメルヘンランド大勲章で処遇されることになっているそうです。キャンディはキャンディで、はじめは死の恐怖を口にするものの、自身の決断が一族郎党の生活の安定にもつながるからと、そしてなによりも自分ひとりが犠牲になりさえすればみんなの命を救えるからと、さいごは覚悟をきめる。あとはプリキュアたちの判断を待つのみ。

プリキュアたちのなかで意見が割れる。ここは全体の利益を優先して心を鬼にしてミラクルジュエルをとりだせと直球勝負な主張をする者、いや大切な友達を犠牲にしてまで生き延びたいなんて思わないとアザトク泣き出す者、はたまた口ごもったままうつむいてそのあとはしんしんと降り積もる雪のように沈黙をきめこむ者、かとおもえばミラクルジュエルなんかなくても熱血パワーさえあれば負けへんでなどとほざく者、などなど。プリキュアたちがもめている間にもバッドエンド王国は攻撃の手を緩めない。もはや一刻の猶予もない。そこで最終決断はキュアハッピーに一任することで衆議一決した。

キュアハッピーは迷う。いちどはキャンディの胸の上に短刀を、しかしその瞬間、出会いから今日までの思い出が走馬灯のようにかけめぐった。手が震える、目には涙がいまにもこぼれそうになる。「で、できないよ、キャンディ…」、あとは言葉にならなかった。そのときキャンディが諭す、「みゆき、今日までありがとう、たのしかったクル。さいごのおねがいクル、よくねらって、一刺しで、やってほしいクル、、、痛いのは一瞬だけにして欲しいクル。」と悲しい笑顔で。

一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし

キャンディの悲壮な覚悟を感じとったキュアハッピーは、「キャンディはこんなに強いのに…、あたしも強くならなきゃダメじゃない」と心のなかで自分に言い聞かせた。すると右手の震えはピタリと止まり、短刀はキャンディの急所をシッカリとねらっていた。ふとキャンディの顔を見ると穏やかに両目をつぶり、すべてをキュアハッピーに任せているようだった。それを確認してからキュアハッピーは、軽くうなずき、すぐさま右手をふりかざし、ひと呼吸おいてから、裂帛の気合いとともにブスリと。

とりだしたミラクルジュエルは真紅に輝いていた。それはまるでキャンディの生命を表現しているかのようだった。でも泣いている暇はない。すばやくそれをロイヤルクロックにセットする。すると、どうだろう。ロイヤルクロックがバズーカ砲にフォームチェンジした。その名もロイヤルバズーカ。もう説明はいらないだろう。いっきにプリキュアアルティメットバーストをピエーロ様にぶちかます。すさまじい威力だ。電光石火の一撃がピエーロ様を、いや、ほかのバッドエンドの連中もすべて含めて、あとかたもなく消し去った。プリキュアの勝利だ。しかし、悲しみの涙が止まらないキュアハッピーでした。

おしまい。。。

スマイルプリキュア! #31 スマイルプリキュア!の世界観みたいなものが、よくわからなくなってきた今日このごろ 感想

お腹がすいたといっても、どうしてもそれを食べないと死んでしまうという状態ではなくて、せいぜい小腹が減った程度であるならば、クッキーを6等分して6人で食べても、とくに問題はないとはおもいます。しかし、どうでしょうか、6人が6人、ほんとうにお腹がすいてて死にそうな状態だったとして、だれか1人が残った食料を全部食べればその人だけは助かる、6人で等分したらみんな死ぬ、こういったケースならば、どちらを選択するのが正解でしょうか。6人みんな仲良く黄泉の国に旅立てるほうが幸せで、だれか1人だけ助かったらその人は一生ほかの5人に負い目を感じて生きていかなければならないから不幸だ、と、そういう判断もできます。あるいは全滅よりは誰か1人でも生き残ったほうが良い、生き残ったその人は他の5人のぶんまで一所懸命生きればよいだけの話だ、と判断する人もいるでしょう。どっちが正解か。どっちも正解。価値判断の違いだけなのだから。

なまけ玉のなかにずっと。それはバッドエンドともいえるしハッピーエンドともいえるでしょう。やはり価値観の違いなので、どちらが正解かなんて客観的に判断できるわけがありません。キャンディさんの場合は、眠りつづけて楽しい夢を見つづけるよりも目を覚ましてツライ現実にぶちあたりたいと、自堕落な世界よりも苦楽をともにできるトモダチのいる世界のほうを選択しました、そのほうがウルトラハッピーだからと。それはそれでイイとおもいます。それはキャンディさんがキャンディさんの自己責任でそう判断したのですから。けっして視聴者のみなさんにキャンディさんの価値観を押し付けようとするものではないはずです。というか、押し付けられたら、たまったものではありません。

正しい判断は正しい事実認識から

「これこれはこうである」という主張に対して「いや、そうではない」と返すのが反論です。主張にはその根拠が示されなければなりません。根拠のない主張は妄想です、あるいはせいぜい「予想」とよばれます。根拠とは、事実と論理から導きだされる理論のことです。ある理論を否定するには、事実認識をくつがえすか、論理のまちがいを指摘できればよいのです。事実を観察して帰納的に導きだした理論も、逆に事実を予想し事実に先行して構築された理論も、そのどちらの形式の理論もその正当性は未検証の事実を順次あてはめてみて、実際ウマクあてはまることを確認することで実証されます。もし、あてはまらない事実が認められた場合、その理論の正当性は失われることになります。

「犯人はプリキュア好き」、それはマスコミが警察などを取材した結果、おそらく事実だったのでしょう。その報道に対して世間がどう思おうがそれは自由です。春に桜の花が咲いてるのを見て「ああ、キレイだな」と思おうが「べつに、たいしたことないな」と思おうが、あるいは無関心であろうが、どう感じとろうが自由であるように。「犯人はプリキュア好き」という報道から「ああ、やっぱり、プリキュアのような番組を好む人は女児に対して性欲のある人なんだな」と感じる人がいても、それについて批判などできないのです。犯人がプリキュア好きだったという事実から、女児に対する性犯罪とプリキュアとのなんらかの関係性を妄想するのは勝手ですが、でも、なぜその妄想が真実かどうかを検証しようとする努力をしないのでしょうか。もし検証に必要なデータが十分に集まらないというのであれば、軽率な発言は慎むのが良識ある態度だとおもいます。無思慮で稚拙な発言をして、それを簡単に反論されて恥かいて社会的信用をなくすだけならまだいいのかもしれませんが、根拠のない悪口は、誹謗中傷は、ときとして名誉毀損として犯罪として取り締まられますし、損害賠償の対象にもなります。なんのメリットもないとおもうのですが、どうなのでしょうか。

なんでもっと、真実を、事実を、知りたいと思わないのでしょうか。自分勝手な思い込みを、自分勝手な理屈で、さも真実であるかのように表現して、満足しているのは頭がオカシイとしか思えません。数学の定理のようにすべてが演繹的に導きだされるということは現実社会の事象ではありえないはずなので、やはり現実に起きていることを現実のありのままの姿を事実を謙虚に正しく認識しようとする態度が、いたずらに付け焼刃的なロジックをふりまわすよりも、ずっと大事なのではないでしょうか。

第30話からよりハッキリと見えてきたスマイルプリキュア!の世界観

ロイヤルクロック。とうとつに登場しました。こういう展開はめずらしいです。フレッシュにしろ、ハートキャッチにしろ、スイートにしろ、かつてのプリキュアさんたちは、いわゆる「箱」を手に入れるために、それなりの努力をしました。フレッシュではクローバーボックスを手に入れるためスイーツ王国に行って、よくわからない敵と戦いました。ハートキャッチではハートキャッチミラージュのためにプリキュアパレスで試練を受けました。スイートではヒーリングチェストを、魔響の森での戦いと試練がありました。このように、欲しいモノ、必要なモノは、自分たちの手で、というのが、前シリーズまでの、「箱」ゲットのお約束でした。しかし今回、スマイルプリキュア!では、デコル16個集まったら、女王様が復活しないで、かわりに手品のように「箱」があらわれました。

スマイルプリキュア!ではプリキュアさんたちは基本的に自分たちのチカラや努力で何かを手に入れようとはしていない感じがします。フレッシュでやっていたような、戦闘能力アップのための特訓をやろうともしていないし。デコル集めにしても、たしかにアカンベェを倒すために努力というか悪戦苦闘するのですが、でもそれは敵さんが勝手にアカンベェを召喚して攻撃してくるからで、しかたなくやっつけてるわけです。しかたなくアカンベェを倒したら、そのオマケとしてデコルをゲット、みたいな感覚です。けっして、敵を挑発してアカンベェを召喚させて、それを倒して積極的にデコルをとりにいこうとはしていないのですよね。

スマイルプリキュアさんたちは、敵の基地を探そうとか、そういう動きをしたこともない。せっかく、ふしぎ図書館には、どこでもドア機能がついてるのだから、ダメもとで「敵さんの基地」をイメージして本棚をガチャっガチャっガチャってヤってみたらいいのに、やらない。世界旅行とか、遊びのためにはワープ機能を存分に活用しても、本来の目的のためには使おうとはしない、というか頭がまわらない。メルヘンランドの危機は認識しつつも、ひたすら時間を浪費し、いざピンチが訪れたら、その場しのぎ的に解決しようとする。とにかく受け身、受け身で、それでも最後はなんとかなってしまうという、これこそがスマイルプリキュア!の世界観なのだ。

スマイルプリキュア! #30 ぴちぴちボイスでライブスタート!と言いたいところでしたが人魚は真珠がないと音痴なのです、ハイ、残念でした。 感想

どうみても人魚デコルじゃなかったですよね。「あれはイルカだろイルカ。」と良識あるオトナならツッコミをいれるってもんだ。キャンディさんは人魚とイルカの区別もつかないってことなのでしょうか。いやいや、そんなことは…アルアル。とにかく、人魚ってのはな、もっとこう、岩の上にのっかって、カラダをしならせながらウッフーンってやってるのをいうんですよ。わかる?わかるでしょ、あんたらの人魚に対するイメージって、そんなもんでしょ?それに、ここはものすごく大事なところなんですが、人魚さんはノーブラか貝ブラ着用が標準装備のはず。なのに、やつらは、プリキュアさんたちは、いつもの上半身のまんまで、あんよだけドルフィンになってますた。どーなってんだ、責任者出てこい!とテレビの前で怒りにふるえていた人もいらっしゃるとは思いますがね。まあ、そこらへんが哀れ、イルカデコルで中途半端に「人魚」になった副作用だと解釈しておきましょう。というわけでアレは、人魚のようで人魚でない、それは何かとたずねたら、それはずばり「半イルカ」です。つまり、足だけイルカになったということです。ああ、なのに、せっかく半イルカになったというのに、ドルフィンキックのひとつでもおみまいしてやればいいものを、それもやらない。それもこれも連中は、プリキュアどもは、自分たちは人魚になったんだと最後まで勘違いしていて、ほんとうは半イルカになっていたことに気がつかなかったからなんだ。残念。

ホントもう、ツッコミどころが多すぎて、どこからツッコンでいいものやらと。こまったもんだ。

どうやらスマイルプリキュアという物語はエンドレスな展開にできそうですね。そうです、デコルが16個集まるごとに、けっして女王様は復活しないで、「ちがうモノ」が出てくるという糞な展開に。そして毎度毎度出てくるその「ちがうモノ」こそが、何を隠そう、玩具メーカーさんの新商品でして、プリキュアのパワーアップアイテムになっている設定なのです。プリキュアが強くなれば敵さんも強くしてあげなければなりません、でないとお話が終わってしまいますからね。スーパーアカンベェが役に立たなくなれば、さらに強力なハイパーアカンベェを召喚してくるようですし。おそらくハイパーアカンベェさんがダメになれば、さらにさらに強力なナントカアカンベェさんが待ち構えているはずです。こうして味方も敵も、どんどん強くなっていきます。そうなると途中からワケワカンなくなってきます。デコル16個使ったアカンベェなんてのも登場してくるのでしょうから。そうなると毎回アカンベェを倒すごとにデコル16個が集まり、そして女王様は復活しないで、かわりに新たなパワーアップアイテムが。そうです、毎回毎回新商品が紹介されるのです。うわっ、保護者様のお顔、まっつぁお。ガクガクブルブル

もしスマイルプリキュアという物語に終焉を求めるのであれば、それはもう、双方の破滅エンドしかないでしょうね。メルヘンもバッドエンドも、どちらの欲望も強くなりすぎて収拾がつかなくなった状態を憂慮した神が、神の見えざる手で双方を破滅にみちびくのです。希望も絶望もない、無の世界に。神は、混沌から秩序をとりもどすべく、すべてを終わらせる。そんな感じかなと。


メルヘンとバッドエンドと封印ループ

メルヘンが理想や幻想で、バッドエンドが現実。そう考えると納得できる。浮世とは、現実とは、バッドエンドそのものなのです。どんなにがんばったところで人は寿命がくれば死ぬ。がんばってもムダです。人類だって地球だって滅亡する。数十億年後には地球は巨大化した太陽にのみこまれて消滅してしまうらしいのだ。ああ、現実はなんて厳しいのだろうか。なにも数十億年後の話ばかりではありません、いまの現実をみわたしてもバッドエンドだらけじゃないですか。世界ではあいかわらず飢餓で苦しんで死んでいく人がたくさんいると聞く。日本では深刻な原発事故が起きて放射能漏れ問題が未解決。もっと身近なところでは夏休みの宿題が終わらなくて新学期そうそう先生に怒られて涙目。などなど。ああ、現実はなんて厳しいのだろうか。というわけで、現実ばかりをみてると絶望します。死にたくなります。だからこそ人々は現実から目をそむけるのです。メルヘンを、希望を、求めるのです。

メルヘンとハッピーエンドは違います。ハッピーエンドはむしろバッドエンドにちかいのです。ハッピーとかバッドとかは主観的なものですから、終焉をむかえたときにハッピーだったかバッドだったかなんてのは、その人の感覚しだいですからね。ひるがえってメルヘンにはエンドが、終わりが、ないので、もしメルヘンが終わったと感じたら、それは終わったのではなくて、すべての意識が現実世界に戻っただけの話なのです。メルヘンをつづける気力がなくなる、つまり、希望をなくし、心の支えを失ったとき、ひとは厳しい現実を無防備のままに、まのあたりにし、究極に絶望するのです。そしてファントムになるのです。もし究極に絶望した状態に於いてですら、そこに希望の光を、メルヘンの光を、見いだせたのなら、そのときは、ハイ、もうおわかりですね、魔法使いになれるのですよ。

もし、あなたが、バッドエンドは悪なのだから全滅させなくてはならない、とか考えたとしたら、それは明らかに違うでしょう。バッドエンドはすべて現実の出来事そのものなのだから、バッドエンドを全滅させるということは、つまり、現実を、我々と我々の住む世界を全滅させるということになります。それって、どうなのでしょうか。まあ、それはそれでハッピーエンドだという解釈も成り立たないこともないのですがね。でも、そうするとメルヘンもなくなってしまいます。メルヘンとは、ひとが存在して、ひとが空想して、はじめて成立するものなのですから。ひとが、人類が、存在しないのであれば当然、メルヘンも存在しません。絶望もないかわりに希望もなにもない、ということです。

いちおう人類の存在を前提に話をすすめたいので、だってそうでないとここで論じていることも無意味になってしまいますから。そんなわけで、バッドエンド王国は全滅しません、というか全滅させてはダメなのです。バッドエンドは、あくまで存在させといて、そのうえでメルヘンのちからでそれを押さえつけておく。それが正解なんじゃないでしょうか。

で、まえおきが長くなりましたが、そのながれでいくと、スマイルプリキュア!という物語も、和解エンドでもなく全滅エンドでもなくなってくるような気がしますね。具体的には、皇帝ピエーロ様が復活するたびに封印を繰り返すという、一言でいえば封印ループでしょうか。バッドエナジーが集まり、封印がとかれるたびに、また封印しなおすという。終わらない戦い。スマイルプリキュア!。

スマイルプリキュア! #29 夏休みは終わらない、わけがない 感想

おもしろかったです。セリフがすごく良かった印象でしたが。とにかくギャグ回ですから、ああ楽しかった楽しかったと、もうそう感じてもらえればじゅうぶんなのですよスマイルプリキュアは。もう、あきらめた。ホント、なんだかもう、おとぎばなしも、バッドエナジー回収も、関係なくなっちまってたけどね。でも、ビューティーさんの「遊びも勉強のウチですから。宿題やってなかったのはまずかったけど、いまからやればいいじゃん、ウンタラカンタラ」みたいな成田節なんかもシッカリはいってて。成田先生はギャグ回でも、ちゃんとお説教を入れてくれるので、教育的で良いですな。明日から学校なのに宿題終わってないで朝からテレビみてる子供たちも涙目になりながらうなずいていたことでしょうに。でも、どんなにがんばっても1日では夏休みの宿題は終わらないという厳しい現実もつきつけられるという怖いオチ。成田先生、すばらしいです。子供たち失禁してますよ、たぶん。

それにしたって夏休みの宿題って、終わらないのがフツーですよね。算数とかなら親切なお友達に写させてもらえるので、まだイイのですが。やっかいなのは自由研究です。まあ、お友達の自由研究を写させてもらって「共同研究でした(キリッ」と言い張るコトも不可能ではないのでしょうけどね。でも、それって、さすがにお友達さんが嫌がりそうですし。まあ、無理でしょう。こまった、こまった。だいたい自由研究って、なにをやればイイのでしょうかね。自由だからといって、好きなことを自由に研究してきました、ハイ、「女子のカラダの研究」です、とかヤったら、さすがに先生は怒るんじゃないのかな。いや、怒らないかもしれませんがね、理解のある男性教諭なら。とはいえ、やはり、あまりいい顔されないのは確かでしょう。いやー、こまった、こまった。

スマイルプリキュア! #28 黄昏乙女×アカンベェ 感想

わーい、デコルがいっぺんに4個もダァァァッーー(ワロタ
次回も4個ゲットしたら、ハイ、そうですね、女王様復活ですネ(ヤッター
というわけで、次回の次回が最終回で、悪の肯定ピエーロ様に復活する暇も与えず、バッドエンド王国は全滅なのですヨ(ウルトラハッピー

ネーヨw
打ち切りかよ?!(笑)
東堂いづみ先生の次回作にご期待くださいカヨ!(苦笑)

と、冗談はさておき、なんか、また、デコルは集まったけど、そのチカラはべつのことに使っちゃって、女王様復活にはもっかい最初からデコル集めてくださーい、みたいな展開になるのかもしれない(ガックシ

それにしても今回のおはなしは、いったい何を伝えたかったのでしょうかね?
まったく分かりませんでした。
まあ、いちおう、オバケよりも夏休みの宿題が真っ白なほうが100倍怖い、というオチだったみたいですけど。
緑川さんのオバケ嫌いはなおらなかったようですし。
星空さんの、妖怪は怖くないけれどもオバケは怖い、というのが、よくわからなかったし。
妖怪もオバケもUMAという点では同じだと思うのだが、どうなのだろうか?

とにかく感想の書きようがないです、今回は。典型的な糞回。せめて萌え要素でもあれば、それはそれでヨシとしたのだろうけれども。それもナシでしたからねぇ〜

以上。

次回は、なんか楽しそうな感じですね。地味に期待しちゃいます。
おそらくゲームの世界からぬけだすためには敵を全滅させなければダメで、つまりこのゲームは自発的にログアウトできない仕様になってるんだとおもう。

スマイルプリキュア! #27 おばあちゃんの宝物 感想

おばあちゃんの宝物とは、慣れ親しんだ山の環境そのもののことですね。その山に住む、妖怪というか怪異というか、そういったものまでもを含めて。なにかこう、人間だけが特別な存在なのではなくて、そうではなくて、人間も動物も妖怪も山の中ではみんな同等なんだよと、おばあちゃんは認識している。おばあちゃんは山に長く住んでいるのでしょうけれど、でも、この山のことをすべて知りつくしているとか、そういったおもいあがった気持ちはなくて、いつも謙虚に、山をうやまい、感謝し、畏怖しているのでしょうね。まだまだ知らない山の住人がいても不思議ではないとすら感じているようです。だからこそ突然ウルフルンさんが現れても、驚かないどころか、もてなしてあげようとすら思ったのでしょうね。

どうやら星空さんは、両親から祖母を説得するよう、たのまれていたようです、いっしょに都会で暮らそうと。ご両親は何度も説得を試みたのでしょうけれどダメだったのでしょうね。そこで星空さんに白羽の矢が立った。孫の言うことなら、おばあちゃんも聞いてくれるのではないかと。おそらくそんなかんじなのかな。でも、おばあちゃんはこの山の自然に溶け込んでいる、おばあちゃんもこの山の自然の一部なのだ。なので、おばあちゃんをムリヤリに山から都会へと連れて行っても、うまくいくはずもないのだろう。おばあちゃんはわかっている、自分は自分だけで生きているのではなくて、この山の自然環境のなかで、もらったり与えたりして、そうやって自分は生かされているし、また山を守ってもいるのだと。だから、この山でしか暮らせない。たとえ困難があっても、この山となら乗り越えられる気がするし、たとえダメだったとしても、それはそれでそれも運命だったのだと受け入れたい。そんな、おばあちゃんの願いのようなものが感じとれた。いい話だった。とにかく、この山とともに運命をともにしたいという、おばあちゃんの真摯な態度からは、なにか人間的な大きさを感じたね。というわけで、交通が不便だとか、ちかくに大きな病院がないだとか、そんな都会人のちんけなモノサシでおばあちゃんの思惟をはかろうとしても無意味なのです。

スマイルプリキュア! #26 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない、さてキャンディは成仏できるのでしょうか?! 感想

なおちゃんのお父さんのトップレス、なかなかステキでしたね(オエー

けっきょく、なんですかね、今回は、夏祭りの楽しい雰囲気を伝えたかったと。それだけのエピソードだったんスかね?
いつもの5人とキャンディさんが、金魚すくいやら、わなげやら、そういう夜店の定番をエンジョイしていたら、ひとりで夏祭りに来ていて、ひとりで勝手にムカついてたマジョリーナさんに邪魔されて、みたいな展開。
ってゆーか、マジョリーナさんは基本的にまちがっていましたね。
だいたい、お一人様の夏祭りなんて、楽しいわけないじゃないですか。
ひとりでネズミーランドとか行って、楽しいか?
やっぱ夏祭りは、家族か、恋人か、友人(男女混合)か、そういう人たちと一緒に行かないとね。
マジョリーナさんも、ウルフルンさんとアカオーニさんを誘って、3人で夏祭りに行けば、楽しめたはずなのに。
ひとりで夏祭りに参加とか、残念な気分になるのは当然だと思うよ。
もし、友達いないなら、家で引きこもってるのがイチバンだよ。
むやみに出かけて、残念な気持ちになるのって、損だとおもうから。
そう、家で、パソコンで、インターネットにつないでろよ!

それにしても、なんですかね、最後の花火は?
あんまり、というか、ぜんぜんストーリーには関係なかったような…???
さいご、無理ヤリに、キレイにまとめようとして、その道具として花火が利用されただけ、そんな印象でした。
あーあ、やっちまったなぁ〜
もっとこう、マジョリーナさんが花火職人を絶望させて、花火を邪魔しようと画策していた、とか。
そういう流れの展開で、それを阻止するべくプリキュアさんたちが頑張って、最後の最後にキレイな花火がみんなで見られてウルトラハッピーでしたー、みたいにしないと。
どうにも、こうにも、わけのわからん、そんなお話でしたね。

スマイルプリキュア! #25 侵略!アカオーニ 感想

いや〜、夏ですね〜、暑いですね〜
というわけで、子供たちは夏休みなのです。
しかーし、夏休みをのんびり過ごせるのはサラリーマン家庭のお子さんたちだけです。
自営業や農家のお子さんは、そう、家業を手伝わされてテンテコマイなのです。
農家ですと、この炎天下でひたすら農作業に従事。
若いんだから熱中症なんかにならないだろ、とか、なんとかで、無理をさせられます。たとえ暑さにまいって、ぶッ倒れたところで、バケツの水を一杯ぶっかけられて放置です。あとは勝手に目を覚ませと。うむ。
とにかく口答えなんざ、できませんから。とにかく手伝えと。家業なんだからと。それでオマンマ食べてるんだからと。
働くって、生きていくって、タイヘン。子供ながらにして、そう思うのですよ。
でも、つらいことばかりではありません。
そうです、親だって鬼ではありませんから、がんばってお手伝いしてくれたら、ちゃーんと、ご褒美が用意されてますから。
ご褒美、それは、村に年に1度やってくるサーカスにつれてってもらうことです。
子供たちはそれを楽しみに、それを心の支えに、それを励みに、つらい炎天下の農作業をこなすのでした。めでたし、めでたし。

はなしがすっかり脱線してしまいましたが、なにがいいたかったのかといいますと。
ようするに、夏休みは、お手伝い、なのだと。
サラリーマン家庭の星空さんは、時間をもてあましていましたけれども。
お好み焼き屋さんの娘である日野さんは、海の家で家業の手伝いをしてました。
この違い、わかりますか?
そうです、サラリーマンは毎月お給料がもらえますが、自営業者はさいあく赤字のときもありますから。
なので自営業者は稼げる時はとことん稼ぐという気構えなのです。
とうぜん家族がかりだされます。家族の人件費はタダですからね。これをつかわないテはありませんから。
しかも学校が休みとなれば、子供に断る理由なんてありません。
そういうわけで、日野さんは、海の家で、お好み焼きをせっせと焼いて、じゃんじゃん売っているのです。

しかし、まあ、なんだね。日野さんはエライよ。
商売好きみたいだね日野さん。
こういう娘を嫁にすると、なかなか良いですね。
やっぱね、自営業というのは、お嫁さんが働き者でしっかりしてるかでキマるんだとおもうから。
いい、じつに、いいよ、日野さん。嫁にしたい。

あと、やっぱ露出の多い水着で、お好み焼きを焼いてると、売上げ伸びるとおもうけどな。
そこらへんにまで頭がまわらない日野さんは、まだまだだね。
もうけるためには何でもやる、水着にでもなんにでもなる、そのくらいの心意気が欲しかった。
お好み焼き10枚まとめて買ってくれたら、ポロリのサービスとか。それくらいやればよかったのにね。いいじゃん、減るもんじゃあるまいし。

スマイルプリキュア! #24 新展開!とおもいきや、デコル集めもう1周ですか?(笑) 感想

いや、もう、あらたなピエーロ・カウンターが登場したときは笑ったヨ。

新ピエーロカウンターは、たしか18でしたっけかね。というわけで、今回を含めてあと18回目にピエーロ様復活という段取りなのね。つまり41話で、ピエーロ様の真の姿が…とみせかけて、じつはそれもまだ仮の姿で…またあらたなピエーロカウンターが登場して、みたいな展開になったら爆笑だね、ホントに。

いや〜、なんか、ミラクルジュエルをみつけだしてそれを奪い合う、そんな新展開にもっていってる感じですがね。うむ、いや、やってることは前回までとあんまりかわらないというところがミソでして。敵さんはバッドエナジー集めを、プリキュアさんはデコル集めを、と。かわらない、かわらない。ただ1点、マンネリ化をふせぐための調味料として、ミラクルジュエルをどこらへんで登場させるかにかかってるだな、これが。

まあ、ぶっちゃけ今回は、メルヘンランドの紹介と、新展開のプロローグと、その2点をやりたかったわけだ。ハイ。

で、次回は、海です。とうぜん水着はナシですね。ええ、わかってますとも。プリキュアだもの。

スマイルプリキュア! #23 いい最終回だった(爆笑) 感想

いや〜、なにからツッコンでよいのやら。
怒涛の展開でしたね。
もうね、最後のあたりは笑いが止まりませんでした。
まさか、こんな、ハッピーエンドになろうとは。

それにしてもホントあっさり負けちゃったね、皇帝ピエーロ様。
総統メビウス様みたいな自己紹介が、なかなか素敵でしたけど。
えっと、なんでしたっけ、そう、バッドエナジー砲?でしたっけ?
もう、ホント、見せ場はそれだけでした、皇帝ピエーロ様。なんかラスボスというよりもゲストキャラ扱いでしたよね。
うむ、それにしても通常の攻撃とか全然なくて、いきなり必殺技を撃ってくるんだもん。びっくりしたよ。どう考えても、はしょりすぎだろ。
もうちょっと、なんとかならなかったのかな?尺が足りなかった、とか?
まあ、いいけどね。
バッドエナジー砲をくらったプリキュアさんたち、もはや敗北か?と思いきや。
いえいえ、ここからがウルトラハッピーエンドへの怒涛の超展開ですから。
ええ、みなさんネタバレでご存知の、そう、プリンセスフォームとやらにパワーアップ。
なんか、あの新玩具が、チャッカマンみたいになってるところが、うん、ウケタ。
オモチャ買ってもらえないコは、チャッカマンで代用して遊べるね、うん。
いや、ダメです。お部屋で、いたずらにチャッカマンをカチカチやったりなんかしたら。
火事になったらタイヘンですからね。うむ、こまったもんだ。
ええーっと、はなしがチョットそれてしまいましたが、そうですね、弱かったですね、悪の皇帝ピエーロ様。
その、ラスボスにふさわしくない弱者ぶりに、泣いた。
一瞬、えっ?もう終わり?と思いましたが。ほんとにヤラレチャッタみたいですね、皇帝ピエーロ様。
やられたと見せかけて、じつはやられてなかった、みたいな展開になるのかとおもいきや。
ほんとうに終わり。
まあ、すべてをバッドエンドに、がスローガンでしたからね。バッドエンド王国。
自身すらもバッドエンドにしたのは筋が通っている、といえないこともないのですが。
どうしたことでしょうかコレは。
まあ、とにかく、さいごは、めでたくキャンディさんを救出し、ついでに悪の皇帝ピエーロ様も倒し、もうしぶんのないハッピーエンドでした。
さいごの場面、プリキュアたちがキャンディさんを囲んで、みんな笑顔で終了。うむ、キレイにまとまってたよ。ほんまに。

なんだかな〜

CMで美翔さんの声が聞けてよかった。それが今日のMVPだった!かも?

スマイルプリキュア! #22 ハッピーシャワーを2発撃つのって、アリ? 感想

Bパート。自分たちの今後について5人のプリキュアさんたちがそれぞれにそれぞれ内省する展開になるのだけれども、めぐりめぐって最終的には同じ結論にたどり着いて、つまりキャンディさんを助けにいこうと、最後はしごく自然なながれの中で衆議一決した。

どうなんでしょうかね。メルヘンランドを助けても助けなくても我々の住む世界にはさほど影響がないのでしょうかね。だとしたらメンドウにはかかわらないで、メルヘンランドのことはメルヘンランドの連中にまかせて、星空さんたちはとっとと自分たちの世界に帰るのが賢明な判断ではないのでしょうか。もうキャンディさんのことは忘れましょうよ。そうです、キャンディさんなんてのは、はじめっからいなかったのです。夢か幻だったのです。はい。そういうワケですから、私たちには私たちの生活がありますから、と、そうわりきってメルヘンランドを去ればよいのですよ。それってチョット冷たいんじゃないの、と思われるかもしれませんがね。それはお互い様なのですから気にしなくて、だいじょうぶ。なにもそうまでしてメルヘンランドに力を貸してやる義理もないのですから。

しかし、プリキュアさんたちはキャンディさんを助けることにした。彼女らは中学生、まだ擦れてませんね。気持ちが純粋なのです。べつにメルヘンランドのために戦おうとか、そういうことではなくて。あくまでキャンディさん救出が目的で。それはキャンディさんが5人のプリキュアさんたちと深く関わってしまったからでして。いつのまにかプリキュアさんたちはキャンディさんに情が移ってしまっていて。キャンディさんは自分たちの友達だから助けるんだ、と。そう意気込むプリキュアさんたち。若いってスバラシイ。

それにしても、キャンディさんは拉致されたけれども、まだ危害をくわえられるかどうかも分かっていないですよね。無限のメモリーとして利用されちゃうとか、そういった、さしせまった状況ならば、急いで助けにいかなければ、と思ったりするのは理解できるのですが。いかんせん、そんな感じではなかったですからね。そこらへんが緊迫感がイマイチな原因なのかな。

仮説「メルヘンランド女王と皇帝ピエーロは同一人物か?」

もしかすると皇帝ピエーロはメルヘンランド女王の負の感情が具現化した存在なのかなと。

きっとメルヘンランド女王にもバッドエンドな思惟があったのだよ。それなのに、よもやメルヘンランド女王に悪しき心があろうとは、だれも思わなかったという。でも、よく考えてみてください。だれもキレイゴトだけでは生きていかれないのですよ。悲しいかな世の中ってモンは汚れている。女王様とて例外ではない。清濁あわせ飲んでこその世の中ですからね。だいたいキレイゴトばかりを吹聴している人って、ウソくさいですよ。それなのに世間はメルヘンランド女王にだけは絶対的な清潔感やら幸福感やらを求めてしまい。いや、でも、これはしかたのないことなのです。そうです、世間の連中は世間が薄汚れていることを認識している、だからこそどこかに絶対的なキレイを求めたくもなるのです。現実逃避ですね。メルヘンランド女王もメルヘンランド女王で世間の自身に対する期待をじゅうぶん承知していたから、世間様の幻想にこたえようこたえようとやっきになって、とにかくキレイゴトをと、ホントの自分の気持ちを殺して、ウソをウソでかためるみたいなかんじにね。とにかくハッピー、ハッピー、ハッピーエンド。なんでもかんでも物語はすべてハッピーエンドにするのじゃぁ〜、うぉぉぉ〜、とな。ええ、もう、こういう状態になると、当然そこには無理が生じてしまいますよね。無理が生じると病気になるのは必定。心の病。精神の崩壊。哀れメルヘンランド女王は、たてまえの自分と本音の自分とに分離してしまったのだよ。おー、怖い。

えっと、よくおぼえてないンだけど、たしかメルヘンランド女王は皇帝ピエーロを封印すると同時にチカラつきたンでしたよね?うむ、まあ、微妙に違う気もしないではないのだが、それを検証するのもメンドクサイので、とりあえず、そういう設定にしておこうや。でね、なんで相討ちになったのかといいますと、頭の回転の速い方はもうおわかりですね、皇帝ピエーロはメルヘンランド女王にとってはもうひとりの自分ですからね、自分ともうひとりの自分、正と負は二極一対ですから負を消し去れば正も消滅してしまうという、これもまた必定。つまりは、負の感情を殺してしまえば、もう問題は解決、よかったヨカッタ、というわけにはいかないのです。悪いとおもわれるモノを排除さえすれば、なにごともウマクいくはずだなんて思考は、浅はかなのですよ。心の問題とは、人間の感情とは、そんなに単純で簡単なモノではないのですよ。

では、どうしたらよいのか?ハイ、頭の回転が良い方はもうおわかりだとはおもいますが、そうです、受け入れるのです、皇帝ピエーロを、倒すのではなくて。バッドエンドを忌み嫌って排除するのではなくて、バッドエンドもまた物語の終焉のカタチのひとつなのだと。それもまた人生なのだと。受容する。だいたいハッピーもバッドも主観的な要素が多いじゃないですか。絶対的なハッピーも絶対的なバッドも、この世には存在しない。ハッピーもバッドも気のもちようひとつで、どうにでもなるンだ、と。そう達観できるようになれるかが問われている、メルヘンランド女王。

そうはいっても、やはりこれはどうみてもバッドエンドじゃねーか、というのも、あるにはあるとはおもいます。しかし、それでもバッドエンドを否定してはいけないのだとおもいます。だって「本当の幸せ」とは、人生や社会の痛みや悲しみや苦しみを知っている人だけが感じ取れるのだと、そう思うからです。

スマイルプリキュア! #21 デコルと短冊とキャンディの願い 感想

こんかいのお話は、ようするに、いちどはキュアデコル16個全部集まったのに最後の最後でジョーカーさんにデコルデコールごと全部かすめとられた、とおもいきや、ふしぎ図書館の笹に1個だけ飾ってたので、じつは全部は持ってかれてなかったのよキュアデコル、というオチのようです。ハイ。この1個だけ奪われなかったというのが次回への伏線になってるのかどうか、興味はありますがね。どうなんでしょうかね。私の予想としては、星デコルと短冊に書いたキャンディの願いが共鳴して、超展開的に奇跡が起こるのではないのかと。

それにしても、なんだね、キュアデコルがあろうとなかろうと、プリキュアの戦闘能力にはほとんど無関係という点が、キュアデコルをほとんど全部持ってかれちゃった現況においても、なんともイマイチ緊張感に欠ける原因なんだよな。これが、そう、オーズのメダルとかフォーゼのスイッチだとか、それらがないとおもいっきり戦闘能力に影響するモノだったら、ああ困ったタイヘンだー、みたいな感覚になるのだろうけれど。いかんせん、そういう気分にはならなかったね、残念。ホント、女王様を復活させるという目的以外にはまともな使い道がないな、キュアデコル。

バッドエンドさんたちにとってもキュアデコルなんて赤鼻アカンベェの原料ぐらいにしか活用できないシロモノのようなので、べつに全部そろえる必要性もないのだ。キュアデコルを奪う意味は、そう、メルヘンランド女王の復活を阻止するという目的のためだけですからね。キュアデコルというのはメルヘンランド側が所有してこそ意味がある。つまりバッドエンドさんたちは嫌がらせでキュアデコルを奪ったと、それだけのことでした。

さて、また1からデコルを集めなおすのもカッタルイ。そうです、また赤鼻のアカンベェをコツコツ倒していかないといけないのですよ、15回ほど。ええ、番組的には15話ほど尺が稼げるのでうれしいでしょうがね。視聴者的にはウンザリだ。そうやってお話をループさせるのは、やめてほしいのよ。うむ、だが、もし、そういうナガレでいくのであれば、次回は敵さんの本拠地にのりこんで、敵さんがしこしこ集めたバッドエナジーをプリキュアさんたちが全部放出させるという展開にならないといけませんね。バッドエナジーがじゅうぶんに集まっちゃって皇帝ピエーロ様が復活したあかつきには、もうバッドエンドさんたちは赤鼻アカンベェを登場させてくれないとおもいますから。ハイ。
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