ドキプリ #49 ジコチューは1万年の眠りへ 感想

ひとは、ひとりでは自己中にすらなれないという。ひとりぼっちでは自己中な発言も行動もない。ひとりならその人がしたいようにするのがあたりまえで、他者から非難されることも、そして、愛されることもない。

また、ひとりぼっちでは愛も生まれないように思える。自分で自分を愛せばいいじゃないかと反論されそうだけど。でも、なぜかずっとひとりぼっちでいると、心がめいってきて、そんな自分を愛せないような気もするんだ。その理由はよくわからないのだけれども。

けっきょく、ひとりでは、ひとりぼっちでは自己中も愛もないような気がするんだ。だれかとのつながりのなかで、自己中も愛も生まれてくる。そんなことをキュアハートさんが、おっしゃってたような気がする。

さらにいえば、自己中と愛は双対なのかもと。自己中があるから愛が生まれる、愛があるからこそ自己中は生まれる、と。そんな関係かと。

自己中とは人間の自然な感情のひとつで、それがなければ人は自分が自分であることを認識できないのではないだろうか。どんなささいなことでも自分はこうしたいと自己中に願わなければ何ひとつ意識的に行動できないような気がする。つまり自己中とは自意識そのもので、自意識のなかにこそ好き嫌いの区別が生まれ、そして好きなものは愛するし嫌いなものや関心のないものは愛さないということなのかと。

愛もまた人間の自然な感情のひとつで、なにかを、だれかを、好きになって愛してしまうのは、さてこれからこれを愛すことにしよう、とか、あいつを好きになってやろう、とか、そんなこと考えないで無意識に、いつのまにか好きになって愛してしまう、というものではないだろうか。そして、愛にはランクがあって、あの人は好きだけど、この人はもっと好き、みたいな感じに。好きは好きなんだけど、対象の違いによってその好きの度合いが違うことはむしろ普通のことだろう。愛が平等でないという点で、またその不平等さが人によってさまざまであるという点において、人は、人それぞれ自己中である、と判断できそう。

キュアハートさんが自己中を否定しないどころか、みずからも自己中だと認めているのは、自己中と愛の双対性の本質を見ぬいているからで、だからこそ愛におぼれ自己中になったトランプ王国の王様すらも許せたのだろう。おそらくキュアハートさんも自身の愛のなかに自己中をみいだし、その自己中な気持ちと対峙し、悩み苦しみ、こたえをだし、強くなってきたのだろう。強くなれて世界を違う視点からながめることができるようになって、いままで好きではなかったものや無関心だったものにすら愛を感じるようになって、またその愛のなかに存在する自己中をあらたな愛へと昇華させるというその繰り返しで今日まできたんじゃなかろうか。

なんだか自分でも何を小難しく、さかしらに書いてるんだろうとは思うのだけれども。ようするに自己中は必要なんだけど、いきすぎた自己中は滅びを招くから1万年くらい眠ってろ、ってことです。人間はついつい自己中に傾いてしまう。それは愛ゆえで。自己愛もあるでしょうし、家族愛である場合もあるでしょう。愛に罪はなく、したがって自己中にも罪はない。でも、いきすぎた自己中は困るから。だったら眠っててくれよ、というわけで。その役目をプリキュアがひきうけますよ、ってのがドキドキプリキュアだったのかしらと。

最終回なのに、なんだかツマンネー感想書いちゃったなと、後悔してるけど、でも書きなおすのもメンドクサイから、このままにしとく。ほんとは、ありすの制服姿カワイイヨとか、プロトジコチューはエターナルゴールデンクラウンで封印しなくていいのかよみたいなツッコミとか、そういう感想書きたかったなとは思ってる。

とりあえず、この1年楽しかったです。ハートキャッチに勝るとも劣らないです。フレッシュには及びませんでした。なんかね、伝えたいテーマみたいなのは伝わってきたのだけれども、いかんせん設定とか、伏線の消化とか、そういうのが雑な印象でした。そういうご都合主義的な展開を嫌悪する人もいたようです。わたしもはじめはそうでしたが、途中から、こまけぇこたぁいいんだよ、と思って視聴するようになって、むしろツッコミを楽しみながらの視聴にきりかえたら、自然に楽しめるようになりました。

さいごにひとことだけ言わせてもらえば、もっとキュアロゼッタが活躍してほしかった!

ドキプリ #48 決戦キングジコチュー 感想

キングジコチューとの最終決戦、わりとよかったです。
わりと素直な展開で、安心して見ていられたのが好感でした。

巨大ランスちゃんが登場したり、シリアスな展開の中にもギャグっぽいものを入れてきたりして、脚本家の先生もあまり深刻な雰囲気を出しすぎないようにと配慮されていたのかなと。とはいえ、キュアダイヤモンドが敵の動きを封じるため、捨て身になって、みずからを敵と一緒に氷漬けにしてしまったりと、きちんとキュアダイヤモンドさんらしい行動なんかも描かれていたのが良かったです。

プリキュアたちは協力して進んでいくのだけれども、さいごトランプ王国の王様を救いだすところは、王様の娘である、レジーナ、アイちゃん、キュアエース、の3人にまかせたところが、親子の絆というか愛を強調していたのでよかった。

ドキドキプリキュアの「ドキドキ」は「愛の鼓動」で、そのドキドキを信じることで道がきりひらかれる、みたいなのがこの1年のテーマだったのかな。自己愛が愛なのか、自己犠牲が愛なのか、そういうことではなくて、そんな難しく考えなくていいよ、とにかく、ドキドキする気持ちに愛の鼓動に素直に導かれて行動しようよ、みたいな、そんな相田マナさん的な思考を大切にすれば、おのずと前へ進めるよ、みたいな感じだったのかな。

キュアハートさんが、親が子を助けたいと思うのは当たり前で、自己中でもなんでもないよ、ごく普通のことだよ、と断言できるのも、結局それぞれの親はそれぞれの子を愛してるわけで、それをだれかひとりがぜんぶ引き受けなければならないというものでもない、ということなんだろう。もちろん国王は全国民の手本となるべき父親的な存在であるべきというのはタテマエとしては、そのとおりなのだろうけれども。トランプ王国の国王とて、一国の国王であるまえに、ひとりの人間として、ひとりの親として、純粋に自分の自分だけの娘を愛していたいというのも正直な気持ちなのだろうから、それを自己中だと断罪するのはあまりにも残酷だというのがキュアハートさんの主張だったのだと理解した。

もちろん封建社会において上流階級はその特権を享受すると同時に国民を守る義務が課せられているのだろうけれども。それとて無制限というわけではなく、基本的に自分の身は自分でというのが原則だとおもう。トランプ王国がほろんだのも、たしかに国王がエターナルゴールデンクラウンの封印をといたのが直接のキッカケだけれども、けれども最終的にトランプ王国をほろぼしたのはほかならぬ国民たちの自己中な気持ちにもとづく行動だったわけで、一方こちらの世界がふみとどまったのは、結局、トランプ王国の人々との心掛けというか心構えの違いでした。それが封建国家と民主国家の違いによるものなのか、はたまた相田さんたちプリキュアの日々の活動による成果なのかは判断できませんが。

で、次回が最終回なのですが、なんかもう、いらなくないか?といった感じがするのは私だけだろうか。たしかに今回で終わってしまったら、ベールさんのその後は?みたいなツッコミもでてくるでしょう。イーラくんは六花さんとは不器用ながらも分かりあえてた感じでしたし、マーモさんはあまり気にならない、でもベールさんだけはキングジコチューの後釜をねらってるフシがずっとあったわけで、それについて言及しないとどうにも消化不良感があるなといった配慮でしょうか。とりあえず最終回を見守るしかないのですが、さて、Aパートであっさり倒されちゃってBパートでエピローグをやるのか、それとも1話じっくりかけてベールさんとの戦いが描かれるのか、どうなることやら。ここいらへんがドキドキプリキュアの不安定感を最後までひきずってる感じもするねぇ〜

ドキプリ #47 パパもマナも、みんな大好き 感想

ジコチュー軍団襲来の危機にひんして、自分さえ助かればとわれさきにと逃げていた人々が急に助けあうようになった様子が、さながらロケ地・立川っぽい感じでしたが。どうやら相田マナさんのおかげ、か、どうか知らんが、いつのまにやら世界がアップデートされていたようでした。トランプ王国はアップデートされていなかった、だからほろんでしまったらしいです。よくわかりませんが。

愛とは自分ひとりの内側にかかえこむものではなくて、愛とは外側につなげて広げていくものなのだと。そして、めぐりめぐって、その愛が自分に帰ってくることもあるわけで。けっきょく他者を愛することは自分自身を愛することへとつながるようです。というのが、この1年の答えだったのだろうか?よくわからないのですが。というか途中からアイちゃんの育児日記っぽい展開になって、イヤイヤ期がどうのこうの、歯をみがきましょう、食べものの好き嫌いはいけません、みたいな話ばっかになってた印象が強くてね、自己愛と他者愛の相克みたいなテーマはきれいさっぱり忘れてましたから(ぉぃ

キングジコチューはレジーナとの二人だけの閉じた世界を望んでいた。キングジコチューはそれを実行しようとし、レジーナもそれに応えるかのように行動するのだけれども、レジーナにとってそれは本心ではなく。パパであるキングジコチューはもちろん大好きだけれども、同じくらいにマナのことも大好きというのがレジーナの本心なのでした。だからマナがいる、この世界をこわしたくないというのが本当の気持ちなのでした。

好きに理由も理由づけも必要なくて、ただただ好きは好きでその好きという思いにしたがって行動すればいいんだ、みたいなことをマナさんはおっしゃった。ただ、その行動が内向きになってしまうとストーカーや相手にたいする束縛になってしまうから、それはダメで、あくまで外向きに行動しましょう、みたいな感じでした。

マナさんは、レジーナのことが好きだから、レジーナの好きなパパのことも好きになれると断言してくれた。これはなんかレジーナがマナと結婚するような展開で、娘を溺愛するパパがマナさんにむかって「レジーナはぜったいにやらんぞぉ!」みたいな感じにどなりつけ、でもそこでひるまずマナさんが反論している感じにも受けとれますな。って、ここは、岡田の出番じゃないのかな?!じっさい岡田はアン王女の自称・婚約者なわけですから。どうなんでしょう。こんかい岡田さんは空気でしたが、次回あたりに見せ場があるんでしょうか。

公式HPによると次回「キングジコチューのしんぞう部分に王様のすがたが…!」とあるのだけれども、なんとなくだけどキングジコチューの本体である王様はキングジコチューの首の後ろのあたりにいそうな気がするんだけど、なんとなく。

ともかく王様を救いだしたあと、とうぜん王様を核にしてキングジコチューを構成していた闇の部分はプリキュアたちによって封印されるのでしょうけれど。でもそれでアン王女が生き返るというわけでもないのでしょうから、たんじゅんにメデタシメデタシにはならないのでしょう。どういうオチが待っているのか、ここはヘタに予想しないで次回と最終回を待つことにします。

ドキプリ #46 パパ大好き 感想

アン王女が自身の命であるプシュケーを2つに割って、そのそれぞれをそれぞれに転生させたのがレジーナでありキュアエースであった、というのは納得したけど。プシュケーを失い、残りカスとなったアン王女の肉体がアイちゃんとして生まれかわりましたー、という説明は、なんだかなー、でした。

まあ今回は、アン王女がホムンクルスにならなかったという点を除けば、だいたい予想どおりな展開でしたので、さほど驚きませんでしたね。というわけで今回の感想は、これにて終了します。

なので、こんごの展開を予想するとですね。ずばり、説得エンド、でしょうね。それ以外は、かんがえられません。具体的には、まずキングジコチューはキュアエースの攻撃を受けるとなぜだかせつなくなってしまい戦意喪失してしまうのです。キングジコチューは、なぜだ、なぜだ、と混乱するのですが、すぐにその理由がわかります。キングジコチューはキュアエースにアン王女のぬくもりを感じてしまったからです。キングジコチューが攻撃を中止すると、キュアエースもそれ以上は攻撃するのをやめてしまう。そこへキュアハートが割りこんできて、キングジコチューへの説得をはじめるんだ。「レジーナもキュアエースもアン王女で、キングジコチュー、あなたの娘だよ。だから争いあうなんて、おかしいよ、バカげてるよ!」と。するとキングジコチューは熟慮のすえ、納得し、こちらの世界への進撃の中止を決断する。しかし、それではジコチューたちが納得しない。キングジコチューは、自分さえいなくなればジコチューどもも大暴れできないだろうと、キュアハートに介錯を依頼する。死を覚悟したキングジコチューにキュアハートは、そんなのダメだよ、と諭すものの、キングジコチューは、ほかに方法はないから、とキュアハートを促す。キングジコチューが「現世にはもう救いがないので、あの世でレジーナとふたりだけの世界にふけりたいんだ…」と、つけくわえると、こんどはキュアエースが「マナ、まよってる場合ではありません」とキュアハートのけつをたたく。ふと周囲をみわたせば、ほかのプリキュアたちがみな軽くうなずき、目でうったえていた。こうなったら、いくしかない。キングジコチューの本体に必殺技をぶちかますと、キングジコチューの体は崩れた。すぐさまエターナルゴールデンクラウンで封印し、めでたし、めでたし。

キングジコチューとレジーナの魂は、あの世へと昇天していった。ほんとうはキュアエースとアイちゃんも消えてしまう予定だったのだけれど、映画出演の都合から居残ることになりました。アン王女はいつまでたっても成仏できないのであります。

まあ、だいたい、こんなかんじですかね。

ドキプリに関する2013年最後の妄想

謎が謎のまま2013年を終えたドキプリでした。
そこで2014年最初の放送がはじまるまでモヤモヤしてるのも、なんだから、妄想してみました、ことのてんまつを。

★ ★ ★

アン王女の父親、つまりトランプ王国の国王がキングジコチューになった。キングジコチューは自身の娘であるアン王女への自己中心的でゆがんだ愛情を源泉として多量のジャネジーを放出し、そのジャネジーをつかってアン王女のあらたな肉体をつくりあげ、病魔に侵された肉体からアン王女の精神をとりだし、あらたな肉体へとうつしかえた。したがってアン王女は、以前とまったく同じ人の姿をしてはいるが、すでに人間ではなかった。人造人間というか、ホムンクルスなのだ。その事実を亜久里ちゃんから聞かされたから、岡田にせよ、まこぴーにせよ、驚愕し、吐き気をもよおすほどの精神的ダメージをおったのです。

娘であるアン王女を復活させたものの、キングジコチューはそれだけでは満足できなかった。愛する娘といっしょに暮らしたい。自分の娘を溺愛する父親なら当然いだく感情がキングジコチューにはあった。じつはキングジコチュー率いるジコチュー軍団がトランプ王国に出向いたのは、トランプ王国を滅ぼすことが主たる目的ではなかったのです。キングジコチューは自分の娘であるアン王女をむかえにトランプ王国にやってきたというのが真相で。ついでにトランプ王国の連中をジコチュー化させたというだけのことです。なぜトランプ王国の連中をジコチュー化させたのかといえば、理由は簡単なことで、キングジコチューのパワーの源はジャネジーなわけですから、てあたりしだいに人々をジコチュー化させてジャネジーを集めたいと考えるのは当然のことで。キングジコチューにとっては、かつて自分自身が統治していた国がどうなろうとどうでもよくて、そんなことには興味はなくて、とにかく愛すべき自分の娘であるアン王女とのふたりの世界さえ築ければそれでいいと。それがキングジコチューの本音でした。

ジコチュー軍団との戦闘が激化していた、ある日。アン王女は宝物殿に納められているエターナルゴールデンクラウンのもとへむかう。封印されその使用を固く禁じられていたエターナルゴールデンクラウンではあったが、いまはトランプ王国最大のピンチということで、封印をといても問題なかろうとの判断からであった。そして、アン王女がエターナルゴールデンクラウンに触れた瞬間、すべてが分かってしまった。キングジコチューの正体も、自身がホムンクルスであることも、ぜんぶ。そのときアン王女は驚愕のあまり気絶寸前になったが、祖国を守らなければという責任感がまさって、なんとかその場をこらえた。そして、ぜんぶわかったのだから、もちろんキングジコチューを倒す秘策もわかったのであった。

アン王女とて、ひとりの人間として、自身がホムンクルスであるという真実に、思うところはあったのだが、いまはそんなことに気に病んでいるヒマなどなかった。アン王女はジコチュー軍団にうまくとりいってキングジコチューの目前までたどりつく。そこでアン王女はキングジコチューと一戦まじえるのだが、そのとき、迷いがしょうじた。いま目のまえにいるのはまさにキングジコチューなのだが、もとはトランプ王国の国王で、ほかでもないアン王女の父親だ。アン王女とて自分の父親をきらいになったわけではない。むしろ父は娘の病気をあんじるあまり、死者の蘇生という禁忌の罪をおかし、その罰としてキングジコチューになってしまったのであるから、とアン王女は責任を感じたりもしていて。とにかく、いろいろな思いやら感情やらがゴッチャになって、こんがらがって。もしかしたらキングジコチューを説得できるかもしれない、いや、説得しなければとアン王女は考えるにいたった。ところがキングジコチューと化した父親に物事の道理がつうじるはずもなく、とにかく自己中で、なにを言ってもムダであった。やむなくアン王女はキングジコチューに特攻した。もちろん特攻しただけではキングジコチューは倒せません。アン王女はキングジコチューと激しくぶつかった瞬間に、精神を弛緩させ、肉体からの精神の離脱をイメージした。すると、どうだろう。アン王女の肉体はじょじょにキングジコチューの体内にとりこまれていく。いっしょにアン王女の精神もひきずられてキングジコチューの中へと入っていった。なにがおきたのだろうか。

キングジコチューは、アン王女の父親を核にして、多量のジャネジーで構成されている。アン王女の肉体もジャネジーでできているので、キングジコチューの体とは親和性が高い。キングジコチューはつねに周囲にジャネジーを欲しているので、そこにジャネジーが存在すれば自然と取り入れてしまう。アン王女の肉体はジャネジーなのだが、ふつうにしていればキングジコチューに取り込まれないのはアン王女の精神力が自身の肉体をとらえてはなさないように作用しているからで。もしアン王女の精神力が弱ったり、アン王女の精神に肉体を分離しようという意識がはたらけば、キングジコチューがジャネジーを取り込もうとする力のほうが強くなってしまい、アン王女の肉体は取り込まれてしまうのだ。このことをアン王女はなんでも知ってるエターナルゴールデンクラウンから教わった。

アン王女がみずからの意思でキングジコチューの中に入ったのは、もちろんキングジコチューを倒すためである。ただし、アン王女がキングジコチューの中に入っただけでは、アン王女はキングジコチューのうごきを内側からおさえつけておくことぐらいしかできない。そこでどうしても外部からべつの攻撃が必要なのだ。その役目がキュアエースというわけです。アン王女が内側から、キュアエースが外側から、そうしたコンボ攻撃ができてこそキングジコチューはたおせるのです。これもエターナルゴールデンクラウンから教わった知識です。

アン王女の本体はキングジコチューの体内にありつつも、アン王女は精神力をふりしぼり、まずはキングジコチューをたおして世界に平和をとりもどしたいという熱き願いからキュアエースの亜久里ちゃんの生命の核となるべき精神(スピリット)をつくりあげ、さらには思いの力(それを人はブレイブという)で肉体をもつくりあげ、熱いスピリッツをフル獣電でこちらの世界へと放出した。それをひろいあげたのが、ほかでもない円茉莉おばあさま、その人であった。それからアン王女は娘を愛してくれる父への感謝の気持ちを命の核としジャネジーを肉体としたレジーナをつくりあげたのでした。

ここで疑問なのは、なぜアン王女はキュアエースだけでなく、あえてレジーナをもつくりあげたのかということだとおもいます。そうですね、キュアエースだけをつくっておけば、用が足りたはずで。レジーナはむしろ無用で、キングジコチューをたおすための障害にすらなりそうで、じっさい障害になっているのですから。では、なぜか。それはアン王女が自分で自分を試す必要を感じていたからなのです。どういうことかといえば、このごにおよんですらアン王女にはキングジコチューとの戦いに迷いがあって、ここいちばんでキングジコチューにとどめをさせないのではないか、という懸念があって、それは、いまでこそキングジコチューだけれども元はトランプ王国の国王でアン王女の父親で、なぜキングジコチューになってしまったかといえば娘を愛する気持ちからで、そう思うとアン王女は胸が締めつけられるのでした。しかしその気持ちをひきずったままでは、たとえキュアエースとのコンボ攻撃をもってしても、攻撃に隙ができてしまい、キングジコチューに返り討ちにされてしまう可能性がある。だからキングジコチューとの最終決戦を前に愛する父への思いをたちきるべく、アン王女自身の分身であるキュアエースをこれまたアン王女自身の分身であるレジーナと戦わせ、勝利させ、もって心を鬼にしたキュアエースをキングジコチューに当たらせなければならなかったのだ。もしもキュアエースがレジーナにやぶれたならば、それはそれで、それまでのことで、世界はキングジコチューのものになってしまうであろう、そうアン王女は冷静には考えていたのだけれど、でも絶対にそうはさせてはならないとも強く思っていた。さて、どうなる、キュアエースVSレジーナの宿命の対決のゆくえは!

★ ★ ★

と、まあ、だいたい、こんな感じです。

次回予告から率直に感じたこと

まず新年そうそう新キャラ登場です。
002
この人はアン王女の父親でしょう。つまりトランプ王国の王様(キング)です。アン王女の元夫だとする説もあるのですが、それはちょっと無理がありそうです。理由は、まず、見た目がオッサンだから王女の夫には不釣り合いな印象。それに、王様(キング)がジコチューになって、キングジコチューなんだろうと思うし。かりに王様がキングジコチューになってしまってて、なおかつレジーナがアン王女の精神の一部からできているという設定であるのであれば、キングジコチューがレジーナのことを娘とよび、レジーナがキングジコチューをパパとよぶのも理解できるでしょ?

★   ★   ★

10年くらいまえのことでした。
アン王女は不治の病にかかりました。
000
ひっしの看病のかいもなく…
001
アン王女は他界。
王様は悲嘆にくれるとともに、怒りをあらわにする。
002
『くそっ、この世に神も仏もいないのかッ!!』
002
『ならば悪魔とでも契約してやるッ!!』

愛する娘を、アン王女を失った王様は正気を失っていた。

宝物殿に納められているエターナルゴールデンクラウン。
003
納められている、というよりは封印されていたエターナルゴールデンクラウン。
004
なぜならエターナルゴールデンクラウンは危険だから。
なぜ危険なのかといえば、エターナルゴールデンクラウンはあらゆる知恵や知識をあたえてくれるから。
知らなくてもいいことを知ってしまうのは不幸なことなのだ。
005
しかし今の王様にはそんな思慮もなく。ただただ娘を蘇生させることしか頭になかった。
006
エターナルゴールデンクラウンは王家の血を継ぐ者にだけ用いることができる。
005
用いることができるのだけれども、使ってはいけないとされていた。
006
その禁を破らんとするのだから、その手もふるえる。

死者をよみがえらせる方法を知った王様は、さっそくその方法をためしてみることに。ちなみに死んでから24時間以内なら蘇生は可能という設定なのだろうから(根拠なし)。とにかく、いそがねば。王様は教えられたとおりに、地面に魔法陣を描き、魔法陣のうえに手のひらをかざしながら、なにやら呪文をとなえる。そのときアン王女をよみがえらせたいと強く願うことが大事です、とエターナルゴールデンクラウンから念を押されていた。王様は、世界がほろんでもいいから、世界中の人がみんな死んじゃってもいいから、とにかく娘を生き返らせたいのだよ、と自己中心的に願った。
すると、どうだろう
008
なにやら怪しい黒い塊があらわれて…(それがジャネジーの塊だとは王様は知らない
009
黒い塊は王様におそいかかり。
とりこんでしまう。
010
そして巨大化する。
これがキングジコチュー誕生の瞬間なのであった。

キングジコチューはジャネジーをつかってアン王女を生き返らせた。というか、あらたな肉体をつくりあげ、そこにアン王女の精神をうつしかえた。アン王女のあたらしい肉体はジャネジーでつくられている。そう、ジャネジーでつくられた肉体にアン王女の精神はやどっているのだ。だから定期的にジャネジーを供給してやらないとダメなんです(ぉぃ
ちなみにジャネジーでつくられた肉体は不老不死、だからアン王女は若さをうしなわないのです。おそらく。

★   ★   ★

ドキプリ #45 あらがえない運命と、あかされる真実と 感想

次回予告を見て…
なんか、ぜんぶわかった気分。

ようするにアン王女は、すでに死んでいて。
しかしアン王女の精神(スピリット)だけは生きているという。
なぜか。
それはアン王女の父親である、トランプ王国の国王(キング)がそうしたからなのだ。

それは10年ちょっとまえ。
アン王女は不治の病におかされる。
国王はトランプ王国中の名医といわれる名医をあつめて治療にあたらせた。
が、だれもかれもが、なおるみこみはないと。
のこされた時間はもうほとんどないとのこと。

国王は、いてもたってもいられず、とにかくどんな方法でもいいから娘を、アン王女をたすける方法はないかと思案した。
思案した結果、3種の神器のひとつ、エターナルゴールデンクラウンをつかえば、と。
そう、エターナルゴールデンクラウンはこの世のすべてを知っているというのだから、王女をたすけるすべを教えてくれるのではないかと、そう国王は考えた。

しかし、それは禁断の果実。
人類の英知を超えた知識を得ようとするのは危険なことなのだ。
いや、そもそも、世の中、なんでも知っていれば幸せというわけでもなく。
知らないほうが幸せということも、すくなくはない。

だがしかし、国王は自分の欲望をおさえきれなかった。
どうしても、どうしても、愛する我が娘をたすけたかった。
そして、その危険さゆえに前人により封印されていたエターナルゴールデンクラウンの封印をといてしまう。
それから国王はエターナルゴールデンクラウンを頭にのせ、問うた。
エターナルゴールデンクラウンは答えた。
問われたから、答えた。
悪意もなく、善意もなく、ただただ事実だけを、たんたんと。

エターナルゴールデンクラウンいわく。
不治の病をなおす方法などないと。
なおす方法がないからこそ不治の病とよばれているのだとすら。
それを聞いた国王は落胆するのだが…
つづけてエターナルゴールデンクラウンは教えてくれた。
なおす方法はないのだけれど、命を助ける方法はあると。
それはなんぞや、と国王は必死に問うた。
エターナルゴールデンクラウンは答える。
命とは精神(スピリット)のことだ。精神は肉体なしには存在し得ない。肉体がほろびれば精神は居場所を失い、消滅してしまう。不治の病におかされ肉体がほろんでしまえば、そこにやどる精神も消えてなくなる。ならば、あらたな肉体を用意して、そこに精神(スピリット)をやどしてやればよいと。
国王は、なるほどそうか、と得心する。
して、そのあらたな肉体を用意する方法は?と国王はエターナルゴールデンクラウンに尋ねる。
エターナルゴールデンクラウンは教える、ジコチューと契約すればいいのだと。
ジコチューと契約すれば、王女にあらたな肉体を用意してくれる。そして、王女のいまの肉体がほろんでしまうまえに、王女の精神(スピリット)をあらたな肉体にうつしてくれるのだと。
時間がない。
国王は、すぐにでも、ジコチューと契約しようと考えた。
どうすればジコチューと契約できるのかを尋ねると、エターナルゴールデンクラウンはすぐに教えてくれたが、くわえてジコチューとの契約はタダではないことも教えてくれた。
そうですね、ひとにタダでなにかしてもらおうなんてのは虫がよすぎますから。
とうぜん対価を要求されます。
それは当然の理であって、国王とてそのことには、やぶさかではなかった。
さっそくジコチューと契約しにいった。

国王がジコチューに、ことのてんまつを詳細に説明すると。
ジコチューはこころよく国王の願いをかなえると約束してくれた。
ただしその代償は用意してくれと要求してきた。
国王もそれについては覚悟していたので、いくら用意したらいいのかとたずねたが、ジコチューはオカネがほしいのではないとこたえる。
ならばなんだ、なんでもいってみろと国王はジコチューをうながす。
しばしの沈黙のあと、ジコチューは国王に「トランプ王国の国王をやめて、わたしたちジコチューの王(キング)になってくれ」と提案してきた。
虚をつかれた国王だったが、そのときはとにかくアン王女の命が心配で心配で、あまり深く考えずに「なんだそんなことか、わかった、わかった。わかったから早く、わしの娘を…」とおうじてしまう。
ぶっちゃけ、国王は「トランプ王国の王位はアン王女に譲位すればいいし。わしが他国の王になったところで問題なかろう」ぐらいにしか考えていなかった。
それよりも王女の命が助かることが、うれしくて、うれしくて、国王は気持ちが舞い上がってしまっていた。
と、その瞬間。
ジコチューは国王に謎のビームをくらわす。
すると国王は、オドロオドロしい姿へ変わった。
キングジコチュー誕生の瞬間であった。またの名をキングトーチャンです。

数日後のある日、ずっと床に伏して、息も絶え絶えだったアン王女が突然なにごともなかったかのように起き上がり、おなかがすいただの、そとに散歩に行きたいだのと言い出すようになった。
周囲にいた侍医や侍女たちは、いちように驚き、奇跡がおきたと歓喜した。
トランプ王国中に「王女様ご回復」の吉報がとどけられ、国民はよろこび、トランプ王国は活気をとりもどした。
ただ…
ただひとつ、不安は、国王が行方不明ということだけでした。
とうぜん対外的には、国王は病気で面会謝絶です、ということにはしてあるのだけれども。
アン王女が側近の幹部にお父様はどうされたのかとたずねても、国王様はお百度参りに行くといったきりおかえりにならない、とのことで、ほんとうに誰にも国王のゆくえは皆目見当がつかないのでありました。なぜ国王がひとりきりでお百度参りに行ったのかというと「神仏の前では国王であろうと乞食であろうと人はひとりの人間でしかない、だから一人で行かなければ意味がないのだ。だから私は一人でお百度参りに行くのだ。供の者などいらん。」という国王様の、たっての希望がありまして…って、それはいいとして。
国王の安否がわからないので、トランプ王国ではとりあえず王位は空白にして、とりあえずアン王女が王女の身分のままで国王の職務を代行し、そしていままでどおり宰相が政務をになうこととなった。
トランプ王国はしばらく平和であった。

が、しかし、平和は長くは続かなかった。
ジコチュー軍団がトランプ王国に攻めてきたから…
というのが、第1話の前までのあらすじなんじゃなかろうか。

★   ★   ★

まえおきが長くなりました。
今回の本編でわかったのは、キュアエースとレジーナが、もとはひとつのアン王女の精神(スピリット)だったということです。
まあ、だいたい予想されていたことなんですけどね。
でも、いざ、そうですって明かされると、なんともいえない気分かも。
まあ、ようするにキュアエースはキョウリュウシアンやキョウリュウグレーなどと同じスピリットレンジャーだったということらしい(ぇ
そしてレジーナも同じアン王女のスピリットの具現であり。
この世界に同源のスピリットレンジャーが同時に2柱存在することは許されない、というか、それが世界のゆがみやねじれとなって、この世界の秩序というか本来あるべき姿を危機にさらしているのだと。そういうことかな。ちょっとちがうかな。
とにかく、キュアエースとレジーナは同時に存在してはいけないのだ、だからタイマンでガチンコ勝負をして、どちらかがどちらかを倒さなければならないのだという。
いや、もしかすると、そうではなくて。
どちらかがどちらかを倒したあとに、勝者のほうも自害しなければならない運命なのかもしれない。
なぜなら、アン王女はすでにこの世の人ではない(仮説)から、肉体だけがほろびて精神だけが生き残るなんて自然の摂理に反しているから。
うーむ、わかりませんな。
なんか、ネタバレを小出しにされたまま今年の放送が終了してしまったのでね、あー、モヤモヤするぅ。
新年の放送を割礼…じゃなくって刮目して待て、ってことッスね。

では、良いお年を!

ドキプリ #44 はなれていても、こころはいつもいっしょ 感想

幸福な王子のツバメを自称してはばからない六花さん。こんかいもマナのためだからとスピーチコンテストへの出場をすすめる。ほんとうは生徒会でもクリスマスでも、いつでもどこでもマナといっしょがいいけれど。でもそれは自分の欲望であって、ほんとうにマナのことをおもっているのであれば我慢しなければと。六花さんは自分のことよりも、マナにはぜひともスピーチコンテストに出場してもらって、 ねがわくば優勝してもらいたいなと。

とはいえ、マナがいないと勝手が違い、戸惑ってしまうことばかりの六花さん。ことあるごとにマナのことを思い出しては自分を勇気づける。六花さんは、 自分がマナを支えているとばかりおもっていたのに、じつは自分もマナに支えてもらっていたということに、あらためて気がつく。おたがい精神的に支えて支えられている。六花さんはそれこそが愛であると感じるのでした。六花さんがマナを愛してるというのはそういう意味でしょう。

精神世界の中心にはマナがいて、精神世界はマナを中心にまわっていると確信した六花さん。いや、六花さんだけではなくてプリキュアのみんながそうで。かりにマナが死んでも、みんなの心の中心にはマナがいるから大丈夫なんだとすら思っているのでしょう。もう教祖様です、マナさん、マナ教の。

扇の要であるマナがいなくてもプリキュアたちが負けないのは、マナが物理的なカナメである以上に精神的なカナメであるからだと、六花さんがジコチューたちを諭す。そして六花さんはレジーナに、あなたも同じ、マナと愛をつむいできたのだから、あなたもマナ教の信者なのよ、だからマナをつうじて私たちとつながっているはず、だからあなたと私たちは敵どうしではない、と。そして、マナはいつもレジーナのことをおもっていたと六花さんは話を続ける。それから、あなたも同じようにマナをおもっているはず、愛しているはず、あなたもマナが好きなんでしょ、とレジーナをただす。虚を突かれて、しかもそれが図星だったから、レジーナは、ひるんだ。そのとき六花さんは容赦なくレジーナを詰問する。すると、とうとう白状してしまうレジーナであった。

こんかい、六花さんの迫力というか勢いに負けて、ついマナへの愛情を口にしてしまったレジーナではあったが。その気持ちにウソいつわりはないにせよ、それでも父親であるキングジコチューの心中をおもんばからずにはいられないのであった。レジーナは自身がマナへのおもいいれを強くすることでキングジコチューへの気持ちが薄まってしまい、それでキングジコチューが悲しむのを恐れていた。それは正直な気持ちなのだろう。

キングジコチューにも、マナにも応えたい。どっちも好きだからこそ、どうしていいのかわからないという。レジーナが今後どうやって自身の気持ちに折り合いをつけていくのかが焦点でしょう。だがしかし、次回の予告を見るにつけ、なんか急展開な感じがしていて、もしかすると次回レジーナ退場なんてことも、あるのかもしれない。

どうなっちゃうんでしょうか。

ドキプリ #43 授業参観の日 感想

キュアエースこと亜久里ちゃんは、おばあさまこと茉莉さんに正体がバレてしまい困惑する。ところが、とうの茉莉さんはそんなことは、はなっから分かっていたというオチで。知っているのに知らないフリをするというのも優しさのカタチだったようです。いっぽうの亜久里ちゃんも茉莉さんに心配かけまいと気をつかう日々だったのだけれども、それも優しさからで。茉莉さんと亜久里ちゃん、おたがいのその優しさで円家の生活はうまくまわっていたのでした。

しかし今回、とつじょとして家族ふたりの愛情の歯車が狂いそうになってしまった。いや、むしろ茉莉さんのほうは、いつかこんな日がくるんじゃないのかなと予想していたのかもしれない。かたや亜久里ちゃんはずっとずっと未来永劫じぶんの秘密は隠しとおせると信じていたのではないだろうか。でもそれはなんの根拠もない、ただの幻想でした。おちこむ亜久里ちゃんに茉莉さんは凛とした態度でのぞむのでしたが、亜久里ちゃんはたえきれず逃げ出してしまった。

茉莉さんとしては、ある日とつぜん空から降ってきた女の子に、困惑しつつも、これもなにかのめぐりあわせ、ひとり暮らしのさみしさをまぎらわせてくれる神様からのさずかり物だと感じたのかもしれない。と同時に、時期がくれば手放さなくてはならない預かり物であることも、なんとなく悟っていたのでしょう。だからこそ茉莉さんは何があっても亜久里ちゃんの味方でいよう、味方でいたい、守りたいと、願っていたようだった。なのに亜久里ちゃんは茉莉さんの真意をはかりあぐね、自分一人で自分勝手に悩み苦しみ空回りしていた。

けっきょく一晩考える時間があたえられたことで自分自身をみつめなおすことができた亜久里ちゃん。そして、なにも迷うことも引け目に感じることもないということに気がつくのでした。そうですよね、べつに亜久里ちゃんは何も悪いことをしていないわけで。記憶があいまいなのも、それが原因で自分の存在がなんなのかわからないことも、そして今現在の自分がキュアエースであるという事実も、みんな運命なわけで。いま亜久里ちゃんがなすべきことは運命をうけいれ、そのうえでいま自分がどうしたいのか、どうあるべきなのかを考えることだったのです。その答えが、いままでどおり茉莉さんと一緒に仲良く暮らしたい、ということでした。そしてそれは茉莉さんの願いでもあるのでした。

血のつながりよりも、心のつながり。茉莉さんと亜久里ちゃんの絆は強い。茉莉さんが言いました、絵にこめられた愛情は、たとえその絵が色あせてしまっても、いろあせることはないのだと。それは、たとえ亜久里ちゃんにどんな過去があろうとも、そして今現在どうであろうとも、亜久里ちゃんが亜久里ちゃんであるかぎり、亜久里ちゃんをおもう気持ちはかわりませんよと。そんな茉莉さんからのメッセージだったのでしょうね。

ドキプリ #42 亜久里ちゃんのハッピーバースデー 感想

亜久里ちゃんは円家の養子だったという。なるほど、なるほど。

数年前、亜久里ちゃんの「おばあさま」である茉里さんは円家に跡継ぎがいないことで頭を悩ませていた。円家は素封家で、跡継ぎがいないことで予想される親族間での相続争い。それを懸念した茉里さんは、自分がまだ元気ないまのうちに跡取りを、ということで福祉施設から養子を受け入れることにした。この動きにはとうぜん円家の分家からは反対の声もあがったが、きょうだいの仲が悪かった茉里さんは、親族連中の戯言など歯牙にもかけず、自分の意志をとおすことにした。

福祉施設には10歳ぐらいの男の子をお願いします、ということだったのですが。茉里さんが約束の日に駅にむかえにいったら、なんと女の子がきてました。なにか、てちがいがあったようです。茉里さんは施設に連絡して、亜久里ちゃんを返して、べつの男の子を、とおもったのですが。ことのてんまつを知った亜久里ちゃんがあまりにも悲しそうな顔をしたので、ふびんにおもって、まあ女の子でもいいかしらね、と考えなおして、最終的には亜久里ちゃんを円家の養子にすることにしました。

女の子を養子にしたという、その話を聞いた円家の親戚連中はビックリすると同時に、茉里さんにあれやこれやと文句を言ってきました。女の子では跡継ぎになれないだの、なんだのと。これに対して茉里さんが下手に出ていると調子に乗った親戚どもは、あげくのはてには茉里さんのみならず亜久里ちゃんの人格までもを否定するようなひどいことを口にするようになってきて、茉里さんは精神的に疲れてしまい、とうとう相続の件は親戚連中で適当に話し合ってくれと、ただし亜久里ちゃんが食べるに困らないだけの財産だけは亜久里ちゃんに残させてもらいますからとだけ条件をつけて、どうにか親戚連中を納得させ、亜久里ちゃんを養子にすることができました。

亜久里ちゃんがいつも敬語なのは、施設にいるときに厳しくしつけられたせいもあるのだろうけれど、茉里さんにいろいろ気苦労をかけた引け目からなのではないだろうか。育ててもらっている恩と、その引け目があるからこそ、亜久里ちゃんは、おばあさまだけには、このうえなく気をつかうのでした。

こんかい亜久里ちゃんの身の上話がわかって驚いたり、納得したりで、なんか不思議な気分になりました。でも、これで、なんとなく亜久里ちゃんがこちらの世界の人ではなくて、トランプ王国と同じようにジコチューさんたちに襲われて滅亡寸前の別の世界から託されたというか、具体的には命からがら赤ん坊の亜久里ちゃんをつれてこちらの世界に逃げてきた王家の侍女がある寒い冬の夜に福祉施設の勝手口の前に毛布にくるまれた赤ん坊の亜久里ちゃんを置き去りにしてピンポンダッシュして去っていきその後その侍女さんは息途絶えましたみたいな場面を想像したですが、おそらくそんな感じじゃないのかなと(キリッ

いよいよドキドキプリキュアという物語もクライマックスへとむかっていき、いろいろ謎というか疑問も明かされていくのでしょう。亜久里ちゃんとレジーナ様と王女様との関係とか。あと、岡田のチューリップハットのこととかも。チューリップハットが3種の神器のひとつだという説も有力なのですが、はたしてどうなのか。みのがせません。

ドキプリ #41 めぐりあい宇宙 感想

こんかいは四葉ありす嬢と五星麗奈さんとの友情が描かれていました。

それにしても、友情ほどよくわからないモノもないのではないでしょうか。
友達の定義って、いったいなんなのか。ちょっと考えさせられました。
自分は友達だとおもっていたのに相手はそうはおもっていなかった、なんてこともあるし。その逆もある。
だれかが自分のことをどうおもっているかだなんて、ほんとうのところは分からないし。
相手の想いに気づかない、気づいてあげられない。そんなことも、よくあるのでは。

それはさておき。いろんなカタチの友達って、いますよね。
いちいち「わたしたち友達だよね?」なんて確認しあわなくても友達でいられる関係とか。
ふだんはあまり交流がなくても、いざというときは当たり前のように力になってくれる関係とか。
いつもいっしょにいて、いつも行動をともにしているだけが友達ではないのだろうな、と。

会えばいつもつっかかってくる五星さん。
かたや、五星さんのちょっかいをいつも軽く受け流そうとする四葉さん。
五星さんは四葉さんと友達になりたくて、でも素直になれなくて、ついついひねくれた態度をとってしまう。
いっぽうの四葉さんはすでに五星さんのことは友人であると認めていて、だからこそどんなにヘンなことをしてきても相手にしてあげていたようです。
だって本当に嫌いな人なら相手にしないで無視しますもんね。
なんやかんやとおバカな五星さんにつきあってあげる四葉さんは、やさしいのかもしれない。
でも四葉さんのそういう態度にカチンとくる五星さんなのでした。

五星さんが素直じゃないことは四葉さんもご存知で。
でも素直じゃない人イコール悪い人というわけでもないことも知っている。
五星さんの花を愛する気持ちがホンモノであることは幼い時に初めて会ったときから知っていた四葉さんなのでした。
四葉さんは花が好き、五星さんも花が好き、同じ花好きであるならば仲良くできないわけがないと。
そんなふうにも感じていたのかもしれない四葉さん。

ふとしたキッカケから四葉さんは五星さんに、ずっと友達だとおもっていましたと、つげる。
すると五星さんは感極まって泣き崩れてしまうのでした。
それから五星さんも素直になって、うそいつわりのない本当の気持ちを四葉さんにぶつける。
四葉さんは当然のように五星さんのやさしい気持ちを受け止めてあげて、ふたりは心つうじあい、友情をたしかめあうのでした。めでたし、めでたし。

ほんとうに、ちょっとしたことで問題は解決するんだなと。
こじれにこじれてほどけない結び目のようにおもえることでも、ほんのちょっとのキッカケであっけなくほどけることも。
とはいえ、こじれさせていたのは一方的に五星さんのほうで。
四葉さんはといえば、ひたすら五星さんが素直になるのを待っていたのかもしれない。
でも待ってるだけでは解決しない。時間が解決してくれないことだってある。
こんかい良かったのは幼い頃のエピソードをまじえて四葉さんのほうから五星さんに優しくできたトコロかな。
それで五星さんの意地を張っていた気持ちがいっきに瓦解しましたから。

ドキプリ #40 愛おぼえてますか 感想

よかった。

とにかく伝えたい思いがあるのであれば、ステージの準備とか、どんな格好だとか、そんなものは関係ない。そんなものは飾りでしかない。と気づいたのかもしれない、まこぴー。
裸の心で、まこぴーは歌い始める。レジーナに届けるためだけに。
すると両手の束縛が解かれる。
それから自分の歌だけを信じて、ゆっくりと、しかし着実に、徒歩で、まっすぐにレジーナのもとへとむかう。
周囲で戦闘がおこなわれていても、まるで意にかいさず。

なんか、熱かったな。この場面。地味に感動した。

さいごまで丸腰で、無防備な状態でレジーナのところへたどりついて。
おもいあまったレジーナが槍をむけた瞬間、まこぴーは素手で片手で槍を受け止めた(ちょw
そしてそこではじめてソードに変身。
その間も、歌はとぎれることはなかった。

すげーよ。かっけーよ。まこぴー。

よくもわるくもマナさんから薫陶を受けつづけて、こうなってしまったんでしょうね、まこぴーさんは。
まこぴーが初登場の頃といちばんキャラ変わったのはまちがいなくて。
いまはかつてと比べて、表面的には脱力して少しへたれた印象なのですが、内面的にはしっかり充実していたのでしょう、まこぴー。

レジーナ様はまこぴーの歌にそうとう心がゆさぶられていたご様子で。
あやうく堕ちてしまいそうだったところ、間一髪、正気をとりもどしましたが。
でも、まあ、これはもう、時間の問題でしょうね。

嘘偽りのない、まっすぐな愛。
これが最強なんでしょうね。
レジーナ様のキングジコチューへの愛も、まっすぐで。
前回はそのレジーナ様のまっすぐさにミラクルドラゴングレイブは応えてくれたんだとおもうし。
こんかいマジカルラブリーパッドはプリキュアたちのレジーナ様へのまっすぐさに応えてくれたのではないでしょうか。

ドキプリ #39 プリキュア三日会わざれば刮目して見よ 感想

日々、強くなる、それがプリキュア。
強くなるというのは単純に戦闘面だけではないらしい。
ずるがしこくなるというのも、強くなるということで。
せっかくベールさんは岡田に化けて、プリキュアさんたちをだしぬこうとしたのに。ぎゃくにプリキュアさんたちに利用されてしまったという残念なベールさんでしたとさ。

してやったりのプリキュアさんたちでしたが。
ところがどっこい、ミラクルドラゴングレイブは抜けない。
この天の逆鉾みたいにぶっささったやつは、そう、伝説の勇者にしか抜けない、なんて設定はよく聞くので。とうぜんプリキュアさんたちならカンタンに抜いてしまうであろうと予想していたのですが。
どういうわけか、抜けない、抜けない、あー、どーした、こーした。
おもうに、おそらくプリキュアさんたちの黒い心が邪魔したのかと。
そうです、プリキュアさんたちのベールさんをたばかった薄汚い心にミラクルドラゴングレイブは拒絶反応を示したんだ。
だから、もっとこう正々堂々とミラクルドラゴングレイブを取りに来ていれば、あっさり抜けたんじゃないのかな〜と。
もちろんベールさんがさきにプリキュアさんたちをはめようとしていたのは悪いですが、それでも、プリキュアさんたちはだまされたフリをしてベールさんを出し抜こうとした、その汚いやり口にミラクルドラゴングレイブは嫌悪感をしめしプリキュアさんたちを拒絶したんだろう。たぶんな。

ではなぜレジーナ様はあっけなくミラクルドラゴングレイブを引きぬくことができたのか。
それは、もう、いちずに父親を、キングジコチューを大切におもう純粋な心に、ミラクルドラゴングレイブは反応したんだと思う。
たぶんミラクルドラゴングレイブにはジャネジーは関係なく、ただただ守りたいという純粋な心があれば受け入れてくれる。たとえそれがどんなに自己中であろうとも。というか本当に守りたいという気持ちになると、人は周囲が見えなくなって自己中になるんだからしかたない、と、そうミラクルドラゴングレイブは人間の本質を理解してるフシもあるな。うむ。

ドキプリ #38 あぐりちゃんはあぶないからさがってて! 感想

亜久里ちゃんはアイちゃんがいないと変身できません。
アイちゃんは妖精で、キュアエースの変身アイテムを体内に格納しているのです。
そういえば、そうでした。
なのに忘れてた、なぜか?
アイちゃんって、妖精なんだけど、いつのまにか人間の赤ちゃん扱いされてるんですよね。これって、なんか怖くないか。
それにしてもアイちゃんには、自分は人間ではなくて妖精なんだという自覚はあるのだろうか?
アイちゃんは人間になりすまして、この世界で人間としてやってく腹づもりなんでしょうか。
なんか怖いな。考えれば考えるほどに。

アイちゃんはけっして人間ではなくて、妖精さんなのです。ここは重要なトコロですから。そこんとこはキチンと認識しておかないと。
さらにいえばアイちゃんこそは、ひとびとの心の弱さに忍び寄る自己中心的な感情をおさえるための防護壁なのでした。ある意味、人間社会のいけにえなんです。

そこで今回、ジコチュートリオのみなさんは考えました。アイちゃんを堕落させて自己中の防波堤を壊してしまえばいいと。そうすれば世の中に自己中が蔓延するからと。
具体的な作戦としては、夜な夜なアイちゃんを誘い出しては、アイちゃんの好き放題にさせてみました。
安易な作戦でしたが、案外うまくいきました。
アイちゃんに不摂生させてみました。
するとアイちゃんは、すっかりだらしなくなりましたとさ。
めでたしメデタシ。
それにしてもカンタンに敵のワナに引っかかるなアイちゃん。

堕落、それは恐ろしいモノです。
かつては醜の御楯と出で立っていたアイちゃんでしたが。放蕩の味をおぼえてしまってからというものの、みずからの任務をあっさりと放棄します。というかアイちゃんは自身に防護壁の任務が課せられているという認識があったのかどうかも疑わしいのですが、そこはスルーしておくことにしましょう。
とにかく。うみゆかば、みづくかばね。やまゆかば、くさむすかばね。そんな自己犠牲はバカらしい、と。
アイちゃんは、自分のやりたいことだけやって。すきなものだけ飲んで食べて、オシッコしてウンコしてと。
アイちゃんは「わたしが世界の中心なんだ!」みたいな。そんな生活がすっかり気にいったようでした。
愛のために。プリキュアのために。トランプ王国のために。ついでに岡田のために。へにこそ死なめ、かえりみはせじ。そんな気持ちはキレイさっぱり消えてなくなってしまったようでした、アイちゃん。

いや、消えてはいなかった、キレイさっぱりとは。
なんかしらんが、キュアハートさんから思い出話を聞かされたら、情にほだされたらしくって。
アイちゃんは復活した。
うーん、これは、どうしたことか。
やっぱり、そうですかね。飽きてくるんですね、放蕩生活というのは。
好き勝手に生きるというのは、幸せのようで、じつは退屈なものなんでしょう。
毎日が休日であるよりも、たまに休みがあるからこそその日が楽しい、みたいな。
きらいなニンジンを無理して食べたあとのケーキはうまい、みたいな。
塩をなめたあとの砂糖の甘さはより甘い、なんてね。
ちょっと違うか?
でもだいたい言いたいことはわかってくれるよね?頭の回転の早いみなさんなら。

けだし規律というものはどうしても必要で。
その規律を守ることで社会が成り立っていて、人と人とのつながりできあがる。
みんなが決められたルールのなかでうまく立ち振る舞うからこそ、そこに面白みもあるし、感動もあるんだ。
そしてまた社会のなかで自分に課せられた任務があるからこそ、自分には居場所があり存在意義があるんだと確認できるんだと。
アイちゃんは気がついたのかもしれない。
アイちゃんは、自分が人間だと勘違いしているのかもしれないけれど、とにかく人間らしくありたいと願ったのかもしれない。

まあ、そんなにむずかしく考えなくても。
キュアハートさんが語る昔話のしんみりとした語り口に、アイちゃんは感極まっただけだと理解してればじゅうぶんなのかもしれません。
アイちゃんって、わりと単純ですもんね。
また後日、ジコチューさんたちが誘いにきたら、今回のことなんて忘れてしまって、ホイホイついてっちゃてそうですもん、アイちゃん。

ドキプリ #37 いっぽんでもニンジン 感想

アイちゃんのみならず亜久里ちゃんまでもがニンジン嫌いでした。
アイちゃんのニンジン嫌いをなおすには、まず母親がわりの亜久里ちゃんがニンジン嫌いをなおさねばならぬ。
と、まこぴーは亜久里ちゃんを諭す。
虫歯治療のときに、こっぴどく説教されましたからね、まこぴー。
ブーメランです、ブーメラン。
母親たるもの子供に手本を見せねばならぬ、と説いたのは、ほかでもない亜久里ちゃんその人なのですから。
亜久里ちゃんはぐうのねもでません。
とはいえ現状のままではいつまでたっても好き嫌いはなおりません、ニンジン好きにはなりませんから。
なにかキッカケが必要です。
というわけで、やってきましたニンジン畑。練馬区公式ふれあい農園です。
やっぱ現場が大事ですからね。
いくら講義を受けて、ニンジンの必要性を説かれても、しっくりきませんから。
やはり座学よりも実習を、というわけです。
とくに農学部では農場実習が大切というわけです、たぶん。

けっきょくキュアエースこと円亜久里はニンジン畑で糞尿にまみれながらニンジンとしたしむうちにニンジンが好きになってしまって、ついには食べられるようになったということです。
まあ、たしかに家庭菜園で作った野菜や、自分で料理した野菜などは、食べられたりもするもんです。
不思議ですよね。
同じ食材でも、どこでとれたものか、だれが手をくわえたものか、がわかると、気持ちが変わるという。
芋掘り大会に参加して、自分でとってきた芋は美味しかったりしますし。
梨もぎに行って自分でとった梨の味は格別だったりもします。
うむ。
つまり今回は、体験学習の大切さを伝えたかったのでしょうね、たぶん。

そしてレジーナ様にもニンジンのおいしさが伝わったのか、おめざめになられたようで。
そろそろおなかもすいてきたのでしょうねレジーナ様。
焼き芋でも食べたくなったのでしょうか、季節的に。

ドキプリ #36 初恋 感想

ラケルの好色ぶりがつづられてました今回。
気持ちはわかるが。
六花を大切にしないとダメだよ。
イーラにとられちゃうよ。
もう今回だけにしとけよラケル。
じゃないと愛想つかされてしまいますよ、さすがの六花さんにも。

浮気は男の甲斐性とはいうものの。
やっぱ一途なほうが好印象ですね。
それもベタベタでベッタリな一途じゃなくて、さりげなく爽やかにというか。
言葉に出さなくても「ほんとうに愛してるのはオマエだけさ、六花」みたいなのが伝わってくるというか。
そういうラケルくんが描かれていれば、ラケルに対する視聴者の評価も違ってきただろうに。
残念でした。
いっときの気の迷いから矢嶋さんにうつつをぬかしつつも、ときおり六花のことが頭をよぎる、みたいな。
そういう好少年が描かれていればよかったのですが、今回のラケルくんはダメダメでした。
矢嶋さんに彼氏がいることがわかって、それでしかたなく六花のもとに、って、どんだけヘタレなんだラケル、って話でした今回。

まあ、そんなラケルを受け入れてくれる六花さんも六花さんなんだけど。
どんだけ心が広いンだろ六花さん。
いや、まてよ。
というか、プリキュアは妖精との信頼関係が重要なのだろうから、そこらへんを斟酌してラケルの浮気を咎めなかったとみた、菱川六花。
とりあえずラケルに貸しをつくったことで今後なにかあっても物事を有利にすすめられるであろう菱川六花さんなのでした。

それにしても、矢嶋さんみたいなのが魔性のオンナなんだろうな。
おそらく本人に自覚はないのだろうけれど。
なんとなく、けなげでかわいそうな自分を演出して、男子の気を引こうとしている八嶋さん。
そこに、うぶなラケルは引っかかった。
八嶋さん、「ポンポン(うさぎ)がいなくなった。大切にしてたのにいなくなった。アタシってかわいそう。ぐすんグスン。」
ここで海千山千、百戦錬磨、恋愛経験豊富な男子なら、「なんだこのあばずれオンナ!びっちのくせに、ほざいてんじゃねーよ。自分ひとりじゃなんにもできませんって感じに演じやがって、クソが!」とおもうのですが。
いかんせんラケルくんには六花さん以外に恋愛経験がありませんから、まんまと引っかかってしまいました。
かわいそうな八嶋さんのチカラになってあげたい。そして念願かなってポンポン(うさぎ)を見つけた。八嶋さんによろこんでもらえてうれしい。八嶋さんからお礼を言われた。しかも「ラケルくんは私のヒーローだよ」とまで絶賛されてラケルは有頂天になり、もう八嶋さんにメロメロ。
あーあ、もうダメだ、こりゃ。
もう、こうなったら、八嶋さんの、おもうつぼ。
ラケルくんは八嶋さんの手のひらの上で踊らされて、あとはボロボロのボロ雑巾になるだけです。
で、ここで、タチが悪いのは、八嶋さんには自覚がないという点です。
八嶋さんは天然の悪女ですね。

ラケルくんは八嶋さんのためなら死んでもいいとすら考えて。
八嶋さんのために死ねたら本望だとすら考えてしまって。
そして、そんな自分がカッコイイとすら自分に酔いしれてしまう、中二病患者が悪い女にハマってしまったという最悪のパターンみたいになってしまって。
もう手が付けられなくなってしまった。
キュアダイヤモンドの制止を振り切り特攻を決意するラケル。とはいってもキュアダイヤモンドとラケルは一蓮托生なので当然キュアダイヤモンドも道連れに玉砕覚悟というキュアダイヤモンドにとってはこのうえなく迷惑な状態に。
それでどうなったかというと妖精は生身の人間とは違って丈夫なので、ボロ雑巾になっただけですんだ。
キュアダイヤモンドさんもラケルがクッションになってくれたせいもあって、なんとかもちこたえて、ことなきをえた。

まあ、今回のラケルくんは、わかげのいたり、ということで許すことにしよう。
だがしかし、これにこりて、もう浮気はするなラケル。
六花さんと毎日いっしょに寝てるくせに。
六花さんが横で寝ているそばで、ほかの女のこと考えてニヤニヤするなんてダメですから。
とにもかくにも六花さんひとすじでいるべきなのですラケルくんは。
というお話でした今回。

それにしても六花さんの愛情というか優しさというか忍耐というか、そういうのが光りましたね、今回。
六花さんをお嫁さんにしたら、まちがいないだろう。と確信した。

ドキプリ #35 虫歯 感想

まこぴーが可愛かった。
虫歯を痛がる、まこぴーが可愛かった。
歯医者さんを怖がる、まこぴーが可愛かった。
顔を赤らめた、歯医者さんイヤイヤな、まこぴーが可愛かった。

まこぴーは虫歯というものを知らなくて、歯磨きとは口臭をいい匂いにするもので、そうしていたいけな男子どもを悩殺するためのものだと思っていて、毎日せっせと歯磨きしていたそうです。だからおそらく寝る前とかの歯磨きはしてなかったのかも(アルアル
でもまあ、目的を誤っていたとはいえ、とりあえず歯磨きを続けていたのは良いことです、まこぴー、磨き残しもバッチリあったようで、ってか歯磨き粉つけすぎでろくに磨いてなかったンじゃねーかな?だって口臭改善が目的でしたから。
とにかく今回、自身が虫歯に罹患したことで、はじめて虫歯なる病気の存在を知った、まこぴーなのでした。
それにしても虫歯菌がこっちの世界にしかないということで、今後あっちの世界とこっちの世界が交流するようになると、あっちの世界でも爆発的に虫歯が増えてしまうンでしょうね。
人が移動すれば、いっしょに病気も移動する。
世界史ではよく語られています。十字軍なんかでも、疫病が広まってしまってタイヘンだったとかで。
ようするに異世界との交流は、良いことばかりではなく、悪いことも、ということなんですね。
そういうことを伝えたかったのかな今回は…(ぇ
教育的でした。

とりあえずアイちゃんを正しく導くことが大事なんだそうです。
アイちゃんに修身教育を施す。
アイちゃんを二宮金次郎にする。
しこうしてアイちゃんを盾にして世界を守るんだそうです。
なるほど、なるほど。
人間から自己中心的な気持ちは消えることがない、ならば盾を用いて防ぐしかない、その盾がアイちゃんなんだ、とな。

あと、なんか、いろいろ思わせぶりな設定がちょろっと出てきたりもしてましたが、まあそれはおいおい明らかにされていくでしょう。
ここでいろいろ想像したところでしょうがないですから、ハイ。

ドキプリ #34 アイちゃんはマナの子供じゃない 感想

なんかさ、マナ母がマナさんに赤ちゃんのお世話に関するアドバイスをしてたような気もするんだが、ここは気をつけなければなりません、アイちゃんはマナさんの赤ちゃんじゃなくてマナ母の赤ちゃんって設定だったということに、つまりアイちゃんはマナ妹って設定のはずでしたよね。
ですよね?
設定変更されたのかな。ある日アイちゃんがマナ母たちの記憶を上書きして、って、怖ぇーよ。
あるいはマナ母はマナさんにアイちゃんのお世話を委任してるというか、ぶっちゃけ育児放棄なのかもしれない。

まあ、なんだね。
ドキプリって奴は、こまけぇこと気にしちゃダメだからさ。
今回も気にしないことにするよ。
ところで、アイちゃんって何年、赤ちゃんやってんだろ?
とりあえずキュアエースさんがいつからプリキュア業やってたのかって、それってハッキリしてたっけか?
そして、どのくらいの期間、プリキュア業を休業していたか、ということも問題で。
そうだな、とりあえず半年くらいやって、そのあと1年ぐらい休業してたと推測しても、もう1年半はたってるわけで。
その間ずっと赤ちゃんだったンだろうアイちゃん。。。
いや、まてよ。
いちど卵に戻ってるから、そうだな、卵に戻るとリセットされるというのがアイちゃんで、そうかんがえると、まだ1歳になってないのかなアイちゃん。
よう、わからん

なにげにアイちゃんはアイちゃんで、あの姿で完成体のような気もするんだが。
ちがうのか?
妖精のくせに、人間様と同じような成長過程をへて、でっかくなってくつもりなのかアイちゃんは。
もう、なにがなんだか
とりあえず地味に反抗期をむかえたようですアイちゃん。
次回は歯がはえてくるそうで、玩具のアイちゃんにもそういうふうな仕掛けがなされていて、時期がくると歯がニョキーって・・・怖ぇーよ

とまあ、ツッコミはこのくらいにして、閑話休題。

地味に六花さんメイン回だったのかにゃ?今回は
ダイヤモンドスワークル、あのラブリーパッドに手のひらをかざしてクルクルさせてるときの、あのピロリロピロリロって電子音がなんか良かった。
うん、良かった。
なんか、アイちゃんがいつのまにか六花さんの赤ちゃんみたいな感じになってました。
というか、マナさんがお父さんで、六花さんがお母さん。
夜中にマナさんちに六花さんがやってきて、アイちゃんのお世話をしてあげるという。
そのときマナ母はぐっすり眠ってました。
いいのか、それで。
中学生の娘とその親友に自分の赤ちゃんの世話をおしつけてるというマナ母。
いいのか、それで。

とにかく、いっしょにいるというのが大切なんだそうですね、赤ちゃんとお母さんは。
お母さんだって赤ちゃんのお世話は初めてなら、はじめからウマクいかないのはあたりまえ。
赤ちゃんといっしょにお母さんもお母さんとして成長していくのだそうです。
母は強し、とはいうものの、お母さんも人間ですからね、おもいどおりにいかなくてイライラしたり落ち込んだりすることもありますけど、それが子育てというものですから。
とにかく、どんなときでも愛情だけは忘れないことが大事みたいですね。それさえできてれば、だいじょうぶみたいでした。六花さんを見てたらそうおもえた。

で、アイちゃんはいつまで赤ちゃん芝居してるつもりなんでしょうかね。
ぜったい普通にしゃべったりできるだろアイちゃん。
でもアイちゃんがいつまでも赤ちゃんキャラを演じてるのは、そのほうがラクだからです。
赤ちゃんってトクだよね、みんなにやさしくしてもらえるし、なにやっても怒られないし、やりたいほうだい、すきほうだいですから。やめられません
というわけで、いつアイちゃんの化けの皮がはがれるのかが楽しみデス

ドキプリ #33 お泊まり会とありすパパとありすの成長 感想

ありすの思い出話をとおして、ありすの過去が語られる。
過去から現在へと時間を追っていくごとに、ありすの成長がわかった。
過去のありすと現在のありすとを比較することでありすの成長がわかった。
また、ところどころでありすパパがありすの成長を実感することでも視聴者はありすの成長をより理解できたのかも。
と、そんな感じに、うまいぐあいにありすの成長が描かれていたような気がするんだ今回。
というわけでして、お泊まり会も、ありすパパの登場も、ありすの成長を描くためのお膳立てでしかなかったということでした。
うーん、うまいぐあいにだまされましたな。
お泊まり会っていうから、なんかチョットいろいろドキドキなこと期待しちゃいましたけど、ぜんぜんそんなことはなくて。
さらには年頃の娘さんたちのお泊まり会ということで、中年のオッサンとしてはその様子に興味があるのが普通ということで、よせばいいのに、ありすたち女の子たちのおしゃべりに容喙してきたり、セクハラまがいのちょっかいだしてきたりと、そんな残念ありすパパが描かれるのかと思いきや、ぜんぜんそんなことはなくて。
ついには娘にかまってほしいさみしがりやさんのありすパパなのに、思春期の娘には邪険にされ、あまつさえ「お父様なんて大嫌い!あっちいってて!!」などと暴言を吐かれ、突き放されて、いよいよショボーンとなってしまったあげくに、ありすパパはジコチューになってしまうのかと思いきや、ぜんぜんそんなことはなくて。
地味に、いい話にまとまってたような気がする。
それにしても、いま現在、父と娘はたがいに信頼しあっているというか、だからこそ四葉財閥はうまくいってるのかな。
父は娘を信じてるし、娘は父を尊敬している。
それはベタベタした関係ではなくて、なんかすごくオトナの関係だった。
でもそれはわりと最近のことで、かつては、相田さんたちと出会うまでは、そうではなかったということがありすの思い出話のなかで語られるのでした。

幼少のみぎり、虚弱体質だった四葉ありす嬢。
ありすパパはそんなありすを心配し外出禁止を厳命していた。
だがしかし、虚弱体質だからといってそれを理由にずっと外の世界と断絶していたら、いつまでたっても虚弱体質のままだということをセバスチャンは懸念していた。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
危険をさけてばかりでは、なにも得られないだろうと。
そういう理由でセバスチャンは、ありす嬢が相田さんたちとこっそり出かけていくのを黙認していたようだ。
とはいえセバスチャンは人知れず木の陰からありす嬢を見守っていた。
なにか危険があればすぐさま飛び出せるようにと。
万が一、お嬢様になにかあれば、おのれの身を賭してでも、との堅い決意とともに。
・・・・・
あるとき、ありすは熱を出して寝込んでしまう。
その日は雨にうたれたせいであろう。
ありすパパは激怒し、セバスチャンを叱責する。
ことの顛末をすべて知ったありすパパは、ありすを悪い友達から引き離すために、ありすを海外へ移住させようと画策する。
相田さんたちと離れるのを嫌がるありすは必死に逃げまわるのだが、すぐにころんでしまうような子供だったありすが走りまわる姿にありすパパは驚き感激するのであった。
それと今までは父親には絶対に正面切って逆らわなかったありすが、相田さんたちのことを決して悪友ではなく有為な人物であると説き、ゆえに日本に残って相田さんたちとの親交を深めたいと主張したことに、ありすパパは娘の成長を実感してよろこんだ。
セバスチャンの進言もあり、どうやら自分がまちがっていたということに気づいたありすパパ。
これからもありすのことをたのむ、と、ありすパパは相田さんたちを認めるのでした。
それから今日にいたるまで、ありすは相田さんの薫陶を受け続け、いよいよもって父親の斜め上をいくようになり、つまりプリキュアになってしまっていて、さすがのありすパパもちょっと困惑したのかキュアロゼッタに無理をしないようによろしく言っといてくれと伝言をたのんで去っていくのであった。
娘の成長はうれしい。けれども心配でもある。それが親というものなのか。

世界中の人を笑顔にするのが、ありすの夢。
その夢に導いてくれたのが、ほかでもない、相田マナさん、その人なのでした。
相田さんが幼少の頃、なぜああまでしてありすを助けたかったのかといえば、ありすを笑顔にしたかったからで。
ありすの笑顔は私の笑顔、みんなの笑顔は私の笑顔、それが相田さんなのでした。
ありすは相田さんのようになりたいと願い、それからというもの相田さんから薫陶を受け続け、しだいに人格が陶冶されていったようです。

ドキプリ #32 文化祭 感想

文化祭って、季節ネタじゃないのかな。
ドキプリは季節ネタやらない方針だってシリ構の人がつぶやいてたような気がするんだがな。
だから母の日回もやらないよ、ってね。
でも、夏祭り回もあったし、もう、そういうしばりはなくなったのかな。
となると12月にはクリスマス回があって、サンタコスをみせてくれるんだろうか相田さんたち?楽しみだな。
なんかドキプリってのは、いろいろ興味をひく設定を提示してきて期待させてくるのだけれど、でもその設定がうまく機能しないというか、伏線が回収されないというか、なんだろなこのフワフワモヤモヤ感というか、矛盾だらけというか、なんという唐突感というか、いつのまにか細かいことは気にするなよ的な流れにもっていってるというか――シリ構の人の性格がしのばれます。
そんなわけで今回キュアエースが「わたくしが時間稼ぎを…」なんて発言してて、えっ?!とおもったんですけど、なんの説明もなかったけどキュアエース的には、もう5分のしばりがなくなったんだろうな、ラブリーパッドのおかげでさ。
ようするにドキプリをたのしむには細かいことは気にしてはいけないということです。
設定の矛盾が気になってストーリーの流れを楽しめないという人もいるとはおもいますがね。
でもドキプリは1年間の流れを重視している感じなので、細かいことでその流れを乱してはいられない。
レジーナや、アン王女と岡田のことは、いまのところは流れを止めていますが、あとあと本編に合流させてイッキに本編の流れを加速させようというこんたんなのでしょう。
視聴者側に考察の余地をあたえず、あくまで製作者側の満足するカタチで物語の流れをつくっていく。
だから、あれは実はこうでした、みたいな説明があとでなされる。視聴者は、ああ、そうだったのか、と納得すればいいという構図。
そしてマジメに考察していた人は、しらけるのだ。キュアエースの正体がただの近所の小学生でしたなんてオチが、まさにそう。

というわけで今回も、細かいこと気にせず、見てたのですが。
どうしても気になったのは、キャンプファイヤーのやぐらがくずれたときの、大貝第一中学のみなさんの対応。
なんかこう、みんなでチカラをあわせて、やぐらを組み直しましたぁ!、これでキャンプファイヤーもバッチリさぁ!とイイハナシダナー的な展開になってましたが。
ふつう中止にしないか?キャンプファイヤー。事故が起きたわけだし。たまたま負傷者が出なかっただけで、ヘタすりゃ誰か命を落としてたかも。だって保健室にまでとどろいたんでしょ?崩れる音がさ。
もうね、学校の管理責任が問われるレベルだとおもった。
なのに、なのに、それなのに…
たまたま死傷者が出なかっただけ、と、なぜ思えないんだろう、大貝第一中学の連中は。
死傷者が出てたら、もう警察ザタでしたよ、ほんとにもう。
うーん、そこらへんが不思議で、不思議で、たまらなかった。
いや、わかりますよ、大貝第一中学の連中がじつは亜久里ちゃんのおもってるようなダメダメな連中ではないってことを表現したかったってのは。
ようするに相田さんの誰かのためにの精神が、いつのまにか大貝第一中学の連中にとどいていて。つまり、いつのまにやら相田さんに薫陶されて、人格が陶冶されていたという大貝第一中学の連中どもでした、というオチでした。
亜久里ちゃんの懸念は杞憂におわりましたとさ。
相田さんへの信頼を強めた亜久里ちゃんは、もう一生この人についていこうと決意してたようだった。めでたし、メデタシ。

というわけで次回も、あまり細かいことは気にしないで、視聴するつもりです。ハイ。

ドキプリ #31 世界の終わりに愛と希望を叫ぶプリキュア 感想

リーヴァとグーラは、いままでは、まだ本気をだしてなかっただけ、というダメ人間の典型的な言い訳をほざきつつ、今回は本気をだしたようです。とはいえ、本気をだしたんだけど、最後はやっぱダメでした、みたいな残念なオチがまってましたとさ。実際そんなもんですよね、現実でも。

必死の攻撃にもかかわらず、とりあえずリーヴァ×グーラにかなわなかったプリキュアたち。リーヴァ×グーラはプリキュアたちにとどめをささず、世界の終わりをまのあたりにして絶望していろと言い残して去っていった。はてさて、これからどうなる?とおもいきや。キュアハートさんは泣くだけ泣いて気分スッキリ、さあ反撃だ、とな。なんという前向き。生きている限り反撃はできる、というか生きている限りにおいては反撃しなければならない、気持ちで負けてちゃダメなんだ、みたいな、そんな感じでしょうかね。すごいよ、キュアハート。かっけー

キュアハートのアグレッシブなおもいに触発され、絶望を希望にかえた他のプリキュアたち。プリキュア6つ目の誓いも唱えられ、プリキュアたちは、プリキュアのあらたなステージにのぼり、プリキュアがアップデートされたようでした。

それにしても、ラブリーパッドが壊されて、どうなるものかとおもいきや、なんと、壊れたラブリーパッドが壊れてカケラになったぶんだけ新しくラブリーパッドミニになりました、という予想の斜め上をいく展開に。そうか、そうか。そうやって一人にひとつラブリーパッドミニを配給なんですね。そしてラブリーパッドミニはキュアエースを5分間という時間制限から解放してくれたみたい。よかった、よかった。

こんかいプリキュアさんたちは新フォームへの進化はなかったですけど、ラブリーパッドをつかった新必殺技がカッコイイとおもった。そうですよね、おのおののプリキュアさんがもつラブリーパッドはもともとひとつのラブリーパッドだったわけですから、5つのパッドのチカラをひとつに集めて攻撃ってのは必然なのでしょうね。もちろんみんなのおもいを一つにという意味もありますけど。

世界の終わりが近づき、あたりまえがあたりまえでなくなる怖さを実感して号泣したけど、泣き終わったらすぐに立ち直って前に進んでいこうとするキュアハートさん。ほれたよ。かなしいときはガマンしないで泣いていい、落ち込んでもいい、逃げてもいい、でもいつかは前に進まなきゃ始まらないよ、と、そんな成田先生からのメッセージでした。たぶん。

ぜったいにあきらめない!、それがプリキュアでしたもんね。

ドキプリ #30 鏡 感想

亜久里ちゃんがいろいろ説明してくれてたね。
もうね、神話の世界でした。
世界が闇に包まれていた時代・・・
この世界に愛と平和をもたらすために・・・
とつじょとして三柱の女神がそれぞれ槍と鏡と冠をたずさえて登場しました。それが元祖プリキュアさんたちです。

まあ、こんかいのお話は、水晶の鏡を手に入れるために水晶の鏡を守っている妖精と戦って、1度は負けちゃったけど、その後いろいろあって、でも最後は認められて、プリキュアさんたちはみごと水晶の鏡をゲットした、と。簡単に言っちゃえばそんなツマラン話でした。

よくわからないのだけれど、三種の神器はもともと妖精の持ち物で、その妖精に認められたプリキュアだけがその神器を手にすることができる、という設定なのだと理解していいのかな。
となるとアン王女もプリキュアで、もともとこっちの世界にあったはずのミラクルドラゴングレイブがどういう経緯でトランプ王国にわたったのかは、つまりアン王女はトランプ王国からこっちの世界に来て神器を守る妖精に勝利したか認められてミラクルドラゴングレイブをゲットしてトランプ王国に持ち去ったということかな。

・・・

なんつーか、亜久里ちゃんはプリキュアになるまえに、なにやら不思議なチカラに導かれてメランのいる島へとやってきて、メランからああでもないこうでもないとプリキュアに関する説教を受けたそうだけど、なんとも唐突な話で、なんだかなな印象でした。
あと今回初登場の新キャラであるメランさんがキュアエンプレスとの思い出に浸ってそれをしんみりと語られても、ちっとも感情移入できないわけでして、視聴者的にはどうすることもできないんですよ!わかるでしょ?!
というわけで、なんとなくいい話にまとめてたようなんだけど、なんとなくメランさんの自己満足的な終わり方だったような気もするわけですわ。

女子会とか女子力とか

私は言葉や表現に鈍感なのかもしれない。あたらしい言葉や表現がでてきても、あまり疑問におもわず、それはそういうものなんだと素直に受け入れてしまう傾向があるような気がする。

「女子会」とか「女子力」とかもそう。

熟女の方々が「女子会」とか「女子力」とかそういう表現を使うと、いいとしこいて女子もねえだろうwwww、という辛辣なツッコミもあるようですが。わたしはとくになんとも思わなくて、ただそういうものなんだと認識するだけ。

たしかに、女子という単語からまっさきに連想するのは、女子中学生、女子高生、といった少女たちで、せいぜい女子大生まででしょうか、そこから上はあまり女子とは言わないで女性と呼ばれるのが普通な感じがします。

まあ、そんなわけでして、しいていえば、女子会という言葉から受ける印象は若い女性の集まり、なんですが。でも、妙齢をとっくに過ぎてトウの立った女性たちの集会が女子会を自称しても別に変だとは思わないし。その場合は実年齢は若くはないけれども、気持ちだけは若い女性の集まり、みたいに思うだけです。

同様に、女子力というのは、若くてハツラツとした娘さんたちがもってる魅力、みたいな感じなのかと。そう考えると、熟女の方が「さいきん女子力落ちてる気がするぅ〜」とかほざいてたとしても、私的には気持ちがおとろえてオバサン臭くなってきたのを自覚してるだけなのかなと思うだけです。

テンプレ通りも悪くない

わたしはほとんどなにも知らず、わからず、生きているし、それでも生きていける。それは、世の中にはテンプレというか公式みたいなモノがあるから。

世の中、わからないことは、わかったふりをしていれば、なんとなくそれなりにうまくいくようにおもえる。だいいち、そのほうがラクだし。いちいち考えないで、それが当たり前だとわりきって、数学の公式のように無批判にうけいれればいい。円の面積は、半径×半径×円周率、なんだけど、なんでそうなるのかなんて理解できてなくても、それはそういうものなのだととにかく信じて、とにかく半径に数字を当てはめて計算さえすれば円の面積はもとめられるように。ひとは、なんのために生きているのか生きていくのかなんて考えないで、とにかく仕事して給料もらってそこそこ楽しい生活を送っていれば問題ないように。ひとは世の中を生きていくとき、世の中とはそんなもんなんなんだと、なんとなく納得して、しぜんと掘り下げた思考を放棄してるようにおもえる。そういう心構えは、ある意味、不誠実な態度なのかもしれないけれど。人々が日々そうしてそうすることで世の中がそれなりに回っているのであれば、それほど悪いこととも思えない。

よく小さな子供が母親に、これはどうして、あれはどういうこと、なんで、なんで、と、しつこく質問したりしてるけど。そのうち、だんだん質問しなくなるようだ。それは、わからなかったことがわかるようになったからではなくて。そうではなくて、質問してもまじめにこたえてくれない、あるいは納得のいくこたえがえられない、からだろう。子供は身の回りの物事や現象をありのままに見つめて、それを知りたい、知ろうとするのだけれど、いかんせん多くの大人が物事や現象の本質に興味がないのだから、しかたがない。子供は大人に質問してもムダだと知り、だんだんあきらめてしまう。

子供は、大人に質問攻めしてもムダなら、ようし自分自身で、と意気込むのかもしれないけれど。それが長続きする子供は少ないような気もするんだ。そんなに集中力が持続する子供なら、たいしたものだ。たいていの子供は飽きっぽくて、すぐにいやになって、まあいっか、となって、さっきまで何に疑問をいだいていたのかさえも忘れて、いまはもう別の遊びに夢中になっていそうなものだから。けだし森羅万象の本質を探求するとは本来それだけ精神力を必要とするものなのだから。しかたがないといえば、しかたがない。子供を責められない。子供は、いや大人もそうだけど、基本的に怠け者なんです。

おとなになったからといって、なんでもわかるようになるわけではない。でも多くの大人がいちいち、あれはなんでだろう、これはなんでだろう、などと悩まないのは、無意識のうちにごまかすことをおぼえてしまっているからだ。わからなくてもわかったようなふりをするようになってしまっているということ。これは子供時代から少しずつ身につけてきてしまったことで。子供は大人に物事や現象の本質を問うてもムダだと知るのだけれど。それでも大人の社会はさほど混乱していないでそれなりにそこそこうまく回っているということも知っている。ならばそれでいいじゃないかと。本質的なことなど知らなくてもいいじゃないかと。しらずしらずのうちに、自分をだましだまし生きてくことをおぼえる。そうやって常識やら社会規範やらテンプレを身につけていくんだ。

それはそれで悪いことではないのかもしれないけれど。それで社会がうまく回っているうちはまったく問題ないのだろうけれど。時代が変わって、パラダイムシフトが起きて、いままで無意識、無批判に受け入れていた常識やら社会規範やらテンプレが役立たなくなったとき。いったい、ひとはなにをよりどころに生きていけばよいのだろうか。方法は、とりあえず3つありそう。

ひとつめは、ひたすら混迷に身を委ねるということでしょう。そうやって世の中に新しい常識やら社会規範やらテンプレができあがるのを待つのです。世間でなにかコレがよさそうだと話題になったらとりあえずそれをやってみる。うまくいくかいかないかは、わからないけど。だけどみんながやってることをやるのはなんとなく安心だし。失敗しても自分だけでなく多くの人が失敗するのだろうから、まあしかたないとあきらめもつくのかもしれない。

ふたつめは、確立されている思想をよりどころにするということ。たとえば宗教です。宗教といっても、新興宗教ではなくて、むかしからある古典宗教のほうです。古典宗教は長い時間を経過してもすたれなかったという点で価値があるとおもいます。一般的に宗教で示されている内容――たとえば神様の存在とか――などには明確な根拠がないのだけれど、それでも古典宗教の場合、長い時間、長い歴史の中で、世の中の仕組みが変化しても、人々にあるていど支持され続けてきたということは、そこに何か普遍的な人間の人生や社会の仕組みの本質に関わる内容が含まれていたからなのだと判断できます。宗教の教えをヒントに今の混迷の時代をどう生きてくかを自分で考えていくのです。

そして最後は、一から自分で、あたらしく自分で自分の自分だけのよりどころとなるものを作っていく、見つけていくということです。これはかなりシンドイ方法だとおもいます。なにしろ何もないところに自分だけのチカラで生み出していかなければならないのですから。それにはまず、自分をごまかさず、勇気を持って、まず自分がいま混迷の中にいることを認めることが必要となります。そしてなにがほんとうかを知ろうとする気概をもたなくてはなりません。先入観やら偏見やらをすてて、そして、正しい事実認識からスタートしなければなりません。現状がどうなっているのか、ありのままの事実から目をそらさないで、心をカラッポにして、そう、子供の頃のような純粋な目で、ありのままの世界をみつめようとする。そして事実をみきわめたあとは、ひたすら論理で結論を導きだしていくのです。そしてその導き出された結果がいかなるものであろうとも、その結果を認めようとする柔軟な心をもたなくてはなりません。シンドイとおもいます。

ドキプリ #29 人間になりたい 感想

妖精たちが、わりとカンタンに人間になれたのには驚いた。
変身に必要なのは変身ベルトとかそういうモノではなくて、そう、「思いのチカラ」です。
もう、なんでもかんでも「思いのチカラ」だけで解決なんです、ハイ。

でも、まあ、シャルルの人間態が可愛かったので、やぼなツッコミはやめといてやるよ。
今回は、良いシャルルのメイン回でした、ということで。

妖精が人間になると、空を飛べなくなったり、通信できなくなったりと妖精の能力が制限されるという。
そうですね、いいとこどりは許されません、なにごとも。
得るものあれば失うものあり、ということで。
それでも妖精を捨てて人間になったことを後悔しないシャルルさんなのでした。
・・・
ええ、もちろん、いつでも妖精態にもどれますけどね。
なので臨機応変に妖精態と人間態をつかいわければいいわけですよ、ダビィさんのように。
だから、あのたのまれた書類を運ぶには、まず妖精態になって空を飛んでって、到着した後に人間態に変身すればよかったわけですよシャルルさん。
―――ツッコミは、やめましょう。

しっかし、なんだね。
バレーボールの試合で、相手チームの娘さんが、正々堂々戦って勝たなきゃ意味がない、と心の中で言ってたのが印象的でした。
大貝第一中学はズルしてますから。バレーボール部員でもないマナさんが悪びれず助っととして試合に出ますから。

まあ、いろいろあったんですけど。
人間に変身して失敗もあったけど。
それでも結果オーライですから。
シャルルはマナさんのために頑張り、マナさんもそんなシャルルの気持ちを受け取り、相互に信頼を深めたところでメデタシめでたし。
いよいよ次回からは「最後の試練」へと突入ですね。ホント、伏線もなんもなく、いつも唐突なんだから亜久里ちゃんは。

こんかいは、お子様方に、夏休みなんだからお手伝いしましょう、っていうメッセージだったのかも。
ふだんは口ばっかたっしゃで遊んでばっかのお子様たちもめんどくさがらず多少の失敗は恐れずお手伝い頑張りましょう、そうすれば母親だって多少のヘマには目をつぶってくれてほめてくれるんじゃないの、みたいな。
ようわからんが。

ドキプリ #28 夏祭り 感想

のんきな夏祭り回とみせかけて、じつはキュアエースのパワーアップ回でした。季節ネタはやらないのがドキドキプリキュアのポリシーだと小耳にはさんでいたので、あからさまに射的やら金魚すくいやらの夏祭り回やってて少し驚きましたが、まあスマイルプリキュアのときの夏祭り回よりははるかに良い内容だったので、許す。これだから米村脚本は油断できない。

友達つくると気持ちが弱くなるというかプリキュア業がおろそかになりそう、だから友達つくらない、みたいな、そんなチョット冷めた亜久里ちゃんだったのですが今回、亜久里ちゃんはクラスメイトのエルちゃんからおもいがけず彼女のけなげな思いを聞かされてしまい、心が動かされ、心に愛が満たされ、心を開くようになった。いままでさんざん偉そうに、愛が大事、愛が大事と利いた風な口をきいていたキュアエースだったのに、こと自分自身のこととなるとキュアエースこと円亜久里はごくごく身近な自分への小さくても優しい愛に気づかなかった気づけなかった気づいてあげられなかったというのだ。そんな自身のふがいなさを反省し、すこし成長できた亜久里ちゃんがいい感じでした。もちろん相田さんたちのお膳立てがあったわけですが、それもふくめてキュアエースは周囲の人たちの愛を受け取ったのでしょうね。

神社の、ひとめにつかないところで、エルちゃんと亜久里ちゃんがふたりきりで会話する場面がすごくよかった。亜久里ちゃんがキュアエースの秘密をうちあけてエルちゃんと共有するのではなくて、あくまでプリキュアの秘密は守ろうとするのだけれど、それはエルちゃんを信用していないのではなくて、むしろエルちゃんに余計な情報をあたえてしまって危険にまきこむのをさけたかったという亜久里ちゃんの優しさなのかと。とにかく亜久里ちゃんはエルちゃんに、秘密は打ち明けられないけど私を信じてくれと。それに対してエルちゃんは、亜久里ちゃんは信じるにたる人物だからと、亜久里ちゃんを信じると言ってくれた。それならばと、亜久里ちゃんはエルちゃんに目をつぶって待っててくれとお願いする。エルちゃんは素直に亜久里ちゃんのお願いを受けとめる。エルちゃんは亜久里ちゃんが裏切ったりしないで、かならず帰ってくると信じていて。亜久里ちゃんはそんなエルちゃんのために、かならず帰ってくる、かならず帰ってきたいと願いつつ戦地におもむくのでした。なんか、ここのあたりの両者の信頼関係がすごく良かったな。

戦いが終わり、エルちゃんのもとに戻ってきた亜久里ちゃん。エルちゃんは、ただ目をつぶって待っていただけではなく、亜久里ちゃんの無事を祈っていたようで、亜久里ちゃんの無事を確認すると涙を浮かべながら亜久里ちゃんに寄り添うのでした。亜久里ちゃんはエルちゃんの肩に手を添え、エルちゃんの気持ちに応えた。そのとき亜久里ちゃんは、胸がキュンキュンする、と。それはきっと、エルちゃんを守りたいという他者愛と、無事に帰ってきてエルちゃんを安心させたいエルちゃんの安堵した顔を見たいという自己愛と、その両方が満たされたせいだとおもう。

夏祭りをしめくくる夜空の花火が、エルちゃんと亜久里ちゃんの絆を祝福してくれているようで、心地良い余韻をあたえてくれていました。最後、つないだ手をギュッとにぎりしめる描写からも、それは伝わってきました。

ドキプリ #27 ズバッと参上、ズバッと5分で解決! 感想

キュアエースこと円亜久里は、こちらの世界で生まれたプリキュアだそうです。
これって生まれついてのプリキュアってことなのかな?
相田さんたちみたいに途中からプリキュアになったというわけではなくて。
だとすると円亜久里はプリキュアのさだめにしたがって生まれたという特殊な人間ということになりそうですが。
よくわかりませんでした。
なにか本当に大事なことは隠してるような感じもするんだがな、円亜久里さん。

そして、かつてジコチューと戦ったと言ってたけど。
それって、こちらの世界にもすでにジコチューの魔の手がのびていたってことなのか。
だとしたら、みんな知ってないとオカシクナイ?
だって、いまは四葉財閥がクシャポイしてくれてるから、ジコチューとプリキュアの秘密は守れてるわけで。
以前は、そうではなかったはず。
それなのに、みんな知らないのはヘンだな〜と。
あっ、そうか、アムネジア・エフェクト…

キュアエースは、いちどジコチューに負けたとも言っていた。
だとしたら、なんで、こちらの世界は無事だったんだろうか。
おそらく他の世界で苦戦してる地域があったので、そっちに加勢しにいって、とりあえずこちらの世界は後回しに、って、そんな感じだったのかな?

キュアエースの話から察するに、アイちゃんって、赤ん坊なのではなくて、あの姿で完成体みたいだな。
アイちゃんは卵の中にいるか、そうでないかの、そのどちらかなんだ。
それにしても、卵から出てくるとか、アイちゃん、やっぱ恐竜くさいネ。

ところで、ロイヤルクリスタルってのは、もともと亜久里のモノだったんかいな。
だって、そうじゃないとキュアエースに変身できませんもんね。
そうなると、トランプ王国にあったという話と矛盾しないか。
このへんも疑問だ。

「思いのチカラ」。
ああ、これは、わかる。
ブレイブだよ、ブレイブ。
「思いのチカラ」をブレイブインするから大人の姿に変身できる、と。
つまりはそういうことらしい(ぇ

ああ、あと、5分たって変身が解けたら、もういちど変身しなおせばいいんじゃね、みたいな意見をどこかで見たのですが。
これは、そう、アイちゃんは獣電池みたいなモノですから。
キュアエースの変身がとけた=アイちゃんのスピリッツが全て消費された。
ですから。
まずは、アイちゃんのスピリッツを獣電しないといけませんから。
アイちゃんの熱いスピリッツがフル獣電されない限り、円亜久里はキュアエースには変身できませんから。
ああ、予備のアイちゃんがあればな〜と。

たぶん、こちらの世界はプリキュアさんたちのチカラで守られそうですね。
ほかの世界は滅ぼされても、こちらの世界だけは守られる。
なぜそうなるのか。そのちがいはなにか?
ほかの世界にはなくて、こちらの世界にはあるもの。
それは。
ブレイブだわ

ドキプリ #26 風をいたみ 岩うつ波の 感想

六花さんマジ天使。思春期の少女らしく、じぶん自身とまじめにむきあう姿に好感がもてました。

医者になるという夢。ものごころついたころから、あたりまえのように将来は医者になるとかんがえていて、それがあたりまえで、疑問にすらおもわなかった。でも、いざ、なぜ医者なのかと問われると返答に困ってしまう六花さんでした。

母が医者でカッコよくて、だから自分もあこがれて母親のような医者になりたいと願っただけなのかもと六花さんは自己分析する。そして、医者って、あこがれだけでつとまるものなのだろうかと、六花さんはばくぜんとした不安、おそらく自分自身の不誠実さになやんだのではないか。

使命感かな、医者に必要な資質は。はたから見ると、ときに自分を犠牲にして、家族を犠牲にする。じっさい六花さんは母親が医者という仕事のせいで家族団らんが犠牲になってるのを知っている。こんかいだって、そう。おそらく急患かなにかだったのでしょう。母は帰ってこない。ひとりで晩ごはん。それでも六花さんは、いつものこととわりきっている。さみしいと思う気持ち。それでも誰かのためにという気持ち。ゆれうごく正直なおもい。

かつて幸福の王子にでてくるツバメになりたいと告白した六花さん。これはとおもう人物(相田マナさん)のためならもうボロボロになってでもそのひとと運命をともにしたいとすら考えていた六花さん。だれかにあこがれてそのひとにつくすという他者への愛、そして、そんなケナゲな自分の姿に酔う自己愛、それらが今までの立花さんだったけど。こんかい、自分はどんな自分でいたら自分で自分を愛せるんだろうという自己愛と、ケガや病気で苦しんでる人なら敵であろうと関係なくだれでも助けたい愛したいという他者への愛へと、六花さんの自己愛と他者愛は変化したようだ。

だれかのために、は立派だけど。それでもまず自分が主人公でなければ、心が、ゆらいでしまうし、くだけてしまうこともある。六花さんはそこに気づいて、そこを見つめて出した答えが、自分を信じて後悔しない、だったのかなと。じぶんのことより「あなたが無事なら、それでいい」という他者への愛。かといってそれは自己犠牲の表現ではなくて真心からの言葉。自分が良いと思ったら、その感情を常識的な損得勘定やら善悪やら敵味方といったフィルターをとおさず、いちずに行動したい。つきあげてくる正義感や愛といったもの、それだけをたよりにして。そして、それによってどんな結末が待っていようとも、後悔だけはしたくないからと。そんな自分を支持したい、そんな自己愛が、自分を信じるおもいが、六花さんの強さになったのかと。

得だとおもってしたことがじつは損だったり、その逆もある。けっきょく世の中なにが正解でなにが不正解だかわからないものなんだ。ならば何を根拠に行動すべきかというと、おそらく、それは信念だろう。自分が正しいと信じたことをする、たとえそれで良い結果をもたらさなかったとしても、自分でいいとおもって行動した結果ならあまり後悔はしないだろう。

こんかいの六花さん、あのままイーラを放置していても、あるいはブスリととどめをさしていても、よかったのかもしれない。でもそうはしなかった。そうはできなかった。それが今後のどういう展開へとむすびつくのかはわからないけど。とにかくイーラを介抱することで六花さん、いろいろ得るものがあったようだし。イーラのほうにも変化があったようで。それぞれが自分でもわからなかった知らなかった自分に出会えたような感覚で、なんか心地よかったです。

ドキプリ #25 ひとのつくりしもの 感想

四つ葉印の人工コミューン。四葉財閥の極秘プロジェクトとして研究されていたらしい。おそらく軍需産業への参入をもくろんでいるのであろう四葉財閥。その試作品はすでに完成していて、実用レベルの性能は有していたが、いまだ最終テストが終了していないというか、実戦での使用に堪えうるのかいなかの結論には至ってなかったという。

しかし今回、はからずも、人工コミューンの実戦試験がとりおこなわれた。人工コミューンの利点および欠点があますところなく、四葉財閥によって町中に設置されている防犯カメラだか監視カメラだかのネットワークで記録された。

四つ葉印の人工コミューン。それを使えば、だれでもプリキュアになれるという。しかもキュアラビーズがないのに変身できるという、あからさまにパチモン。なので、とうていオリジナルの性能には遠く及ばないであろうことは容易に想像できる。それはコピー商品の宿命ではあるのだけれども、だれでも変身できるという機能はオリジナルとの性能差という欠点を補って余りあるだけの利点がある。それは、オリジナルのプリキュアはだれでもなれるというわけではなく適格者である必要があり、しかもオリジナルの変身アイテムには数に限りがあるからだ。どんなにオリジナルがすぐれていようとも、その数が限定されているようでは効果的な実戦配備には不向きであろうから。

オリジナルとの性能差には目をつぶるとしても、人工コミューンには致命的な欠点があることが今回しめされた。それは最大の利点であった使用者を選ばないという点。つまり人工コミューンは諸刃の剣であり、安易にコピープリキュアをつくれる反面、味方兵士の反乱や、戦場で敵に鹵獲された場合には始末が悪い。じっさい今回は、敵であるマーモに、ぐうぜんとはいえ奪われてしまい、悪用されてしまった。

オリジナルであればコミューンそのものが使用者の資質を判断して、この人は変身させてもいい人、この人はダメな人、といったあんばいにコミューンの起動に制限がかかる。オリジナルのコミューンには意志があり、じっさいオリジナルのコミューンはトランプ王国の妖精が変身したものであることをふまえると、オリジナルのコミューンがだれもかれもをプリキュアの変身へとみちびかないのは当然といえる。ひるがえって人工コミューンは純粋な機械であって、そこに使用者の善悪を判断する機能はもちあわせていない。あくまで人工コミューンを使う人の善意にゆだねられてしまっているのが現実で、そこが人工コミューンの最大の欠点。

さいきんの傾向としては、ロボとかメカにはその使用者の資質を判断する機能が付いているような気もするのだが。それはそのロボやらメカが悪用されないための装置というか仕組みが備わっているということなのかと。そのかわりそのロボやメカに認められた人ならば、その人の経験や操縦技術の巧拙にかかわらず、ロボやメカのほうで自動的にうまいぐあいに操縦を支援してくれるという安心親切設計になってるようだ。

けっきょく今の時代は、操縦者の技術や経験といったものはあまり重要ではなくて、それはロボやメカのほうでやってくれて。操縦者に必要な資質や能力とは、そのロボやメカを信頼し正しく使おうとする心構えのほうなのだろう。操縦者の精神面の充実こそがそのロボやメカをパワーアップさせる源となる。プリキュアにおいてはそれが愛の力であり。キョウリュウジャーではブレイブなのです。愛の力が高まれば当然プリキュアの力が高まりパワーアップするという仕組み。逆に精神的に弱くなったり、迷いがしょうじたりするとシンクロ率が低下してプリキュアのパワーが落ちます。精神崩壊してしまうと変身が維持できなくなり、さいあく変身が解けてしまうことも。

白兵戦支援特殊兵装として開発がすすんでいた人工コミューンなのですが、今回の結果が今後の開発になんらかの影響をあたえるのは必至でしょう。なんといいますか兵器が高性能化すればするほどそれを扱う兵士の倫理観が問われていくような気もした今回。人工コミューンの試作品は破壊されてしまいましたが、おそらく設計図などは残っているはずなので再製造および量産化には問題はないのでしょう。しかし四葉財閥が人工コミューンの技術を商用化していくべきなのかには疑問が残りました。

ドキプリ第24話に隠された、成田良美先生からのメッセージ

成田先生は、まこぴーをつうじて、自分自身のことを伝えたかった。なんのために脚本を書くのかと成田先生にも悩んでいた時期があって。まこぴーの「なんのために歌うのか?」という自問が、成田先生では「なんのためにお話を書くのか?」で。その答えが、まこぴーは歌いたいから歌う、成田先生はお話を書きたいから書く、といったかんじに。

「歌なんか歌って、なんになるの?なーんの役にも立たないのに」という問いかけに、まこぴーは「役に立たないかもしれない、無意味かもしれない」ととりあえず答えるのだが、そのあとで「でも楽しかった、うれしかった。私は歌うことが好きだから、だから歌ってきたの」とも。

成田先生も、お話を書いてなんになるんだろう、なんの役にも立たないのでは、と悩んだことがあるのでは、とくに大震災直後なんかには。でも書くことが楽しくて、うれしくて、好きだから書いてきたのだからと、悩むのをやめて自分を信じることにしたのではないのかな。「こんな私を応援してくれる人がいる。だからその人たちのために、自分のために、私は書く!」と。まこぴーが歌うプリキュアなら、成田先生は書くプリキュアなんだ。

お話を書くことをひたむきに愛し、自分の力量を信じて愛し、成田先生はプリキュアで世界に愛を与えたいんだ。まこぴーが最後に「私は歌うことが大好きです。歌っていると楽しくてうれしくて幸せな気持ちになります。そんな気持ちをみんなにも感じてもらいたい。だから歌います!」と言ったのは、ハイ、もうおわかりですね。「私は書くことが大好きです。書いていると楽しくてうれしくて幸せな気持ちになります。そんな気持ちをみんなにも感じてもらいたい。だから書きます!」という成田先生からのメッセージでもあったのですよ。たぶん

ドキプリ #24 愛は あたえるもの! 感想

まこぴーは、歌いたいから歌う。それは応援してくれる人たちのため、そして自分のため。愛はあたえるもの、愛は他者にあたえるだけでなく、自分自身にもという意味で。他者を愛して、なおも自分を愛さないと、それはホンモノの愛とはいえない。自分を愛するということは、自分(の存在価値)を信じるということでもあるわけで。自分を信じられないようでは、とうてい他者に愛をあたえることなど不可能なんじゃないのかと。

まこぴーは歌がキライになったわけではなくて。ただ、いままでずっと、愛のため、王女様のために歌ってきたつもりだったのに、それがただの自己満足だったかもしれないと、不安になり、はずかしくなったのでしょう。

鏡の中の王女様がホンモノだったのか幻影だったのかはわからないけれど。鏡の中の王女様とのやりとりの中で、とどいてなかったとおもっていた自分の歌が王女様にとどいていて、そして王女様はまこぴーの歌にはげまされていたということを知った。その事実を知って、こんどは逆にまこぴーがはげまされ、無力感からも解放された。さらに王女様からは「昔のように楽しみながら歌ってください」、「あなたが楽しいと、わたしもうれしいわ」と。そうですね、「あなたが楽しいと、わたしもうれしい」と思ってくれる人がいると信じられるかどうかが重要で。まこぴーが歌を続けられるかどうかのモチベーションはその一点につきたようでした。そうして、まこぴーは自分をとりもどし、自分を信じることができるようになり、迷いは消え、歌うことへ前向きになれたのでした。「こんな私を応援してくれる人がいる」という謙虚さ、そして「その人たちのために歌う」という積極さ、その両方を兼ね備えてこそ他者への愛であって、ひいては「自分のために歌う」という自己愛へとつながるのかなと。

他者との気持ちのつながりを意識しつつ自分がこうしたいと願うのが自己愛で、自分の欲望だけで自己完結しているのが自己中であるような気がする。だから、まこぴーの「歌いたいから歌う」という感情は自己中ではないのです。

ドキプリ #23 プリキュアたる者 いつも前を向いて 歩き続けること 感想

「プリキュアたる者 いつも前を向いて 歩き続けること」
つまり、いなくなったレジーナ様のことなんてキレイサッパリ忘れて前進しろよ、ってコトですかい(ぇ
それはともかく…
5つの誓いとかいっといて、1つだけって、ひどくね?
これから毎回1つずつ小出しにしていくって、はらづもりか?

さて、今回もっとも衝撃的だったのは…
アイちゃんには他人の記憶を改ざんする能力があるんだそうです。
なんて便利な能力を今まで隠していらっしゃったんでしょうか。
アイちゃんに記憶を上書きされた相田母は、アイちゃんのことを自分の赤ちゃんだと、マナさんの妹だと認識してしまう。
怖いなコレ。
相田父が妻とは夫婦関係がもう何年もごぶさたなのに赤ちゃんが生まれたことに疑問をもってたりして(ぇー

それにしても前回。
相田父、相田さん、立花さん、アリス嬢、まこぴー、そしてレジーナ様の6人で小旅行に出かけたのに、帰りは5人だったようだけど、相田父はそれでオッケーだったのかな?
帰りの車の中がどんな雰囲気だったのかイマイチ想像できませんぞ。
相田父、もしかして気絶してるあいだにレジーナ様のこと忘れちゃったのかな?なんか足りない気もするけど、こまけぇこたぁいいんだよぉ、みたいな軽いノリで。
それとも、レジーナ様がいなくなってたのには気がついてたけど、もともと素性のわからないコだったから、いなくなっても、まあ、いっかー、みたいな感覚なのか(ぉぃ

いろいろと疑問がでてきましたが…
えっとぉー、相田父の記憶もアイちゃんに改ざんされてるということで全て説明がつきます。
ここ何年もヤってないのに去年ヤったことになってますから、相田父と相田母。
小旅行には5人で行ったことになってますから、レジーナ様はもともと不参加ということで。
よるべのないレジーナ様を自分の家であずかってたことも、相田父はお忘れのようで。
マナさんのひきこもりの原因をレジーナ様とケンカでもしたのかと相田父は安じておられましたが、いや、心配するトコちがわないか。レジーナ様が行方不明になってること心配しろよ、とツッコミが入りそうですが。
それもこれもアイちゃんが相田父の記憶を上書きして改ざんしているからなんですよね。
そんなわけで、相田父には責任はないのです、ハイ。

ところで岡田はどうしてるんだ、という疑問もありますが。
おそらくソリティアの地下にある業務用冷凍庫のなかでアン王女といっしょに凍りづけに…(ネーヨ

キュアエースに変身するあの娘さんは、ソリティアにいそうろうしてそう。
アイちゃんを追い出した岡田さんは、くぎゅ声の少女を保護しているンだ。
そして、くぎゅ声で「おにいちゃん〜」と呼ばせてるんだ岡田さん。ウラヤマシイ

ドキプリ #22 エースをねらえ 感想

レジーナ様は、父であるキングジコチューを慕う気持ち、相田さんとの友情を大切にしたいという気持ち、その両方の気持ちのはざまで葛藤する。キングジコチューとプリキュアは敵どうし。そしてレジーナ様は実父であるキングジコチューから折檻されたあげく勘当された。この状況ならレジーナ様が迷わずプリキュアの味方になるのが自然なのだろうけれど。そうもいかないのはレジーナ様が極度のファザコンだからなのか。はたまた親子の絆とは理屈どおりにはいかないということなのだろうか。それぞれの家庭にはそれぞれの事情があるということなのか。家族って難しい。

いまのレジーナ様はフレッシュプリキュアのイース様の状況に似ている。フレッシュプリキュアでイース様は総統メビウスから死亡宣告されるのだけれど、間一髪アカルンの導きによって死をまぬがれた。その後イース様は桃園家にあたたかくむかえられ、ひとの愛情とささやかな幸せが身に染みる。とはいえイース様は総統メビウスへの思慕の念を完全には断ち切れないでいた。イース様はキュアパッションになって他のプリキュアたちとともに総統メビウス率いる管理国家ラビリンスに戦いをいどむのだけれども、最後まで総統メビウスの改心を願っていた。ところが総統メビウスが、じつは人間ではなかったという衝撃的なオチが用意されていたのでした。ひるがえってキングジコチューは人間なのだろうか、レジーナ様は本当にキングジコチューの娘なのだろうか、という疑問があります。今回レジーナ様自身はキングジコチューを実父だとは認識しているものの、過去の思い出が欠損しているそうなので、なにやらあやしいです。なんとなくだけどキングジコチューはレジーナ様の願いが具現化した存在のような気もするんだ。父親がいなかったレジーナ様が「パパが欲しい!」と願ったために生まれたのがキングジコチューで、みたいな。まあ何も根拠はありませんがね。

レジーナ様は相田家にあたたかくむかえられる。相田さんたちと小旅行に出かけて楽しむ。いろいろ心配はあったけど、とりあえずこっちの世界でよろしくやっていくことになったレジーナ様。つかのまの幸福を感じるレジーナ様なんだけど、なぜだかそのつど胸が痛むのだという。ずっと自己中に生きてきた者にとって、他者をおもいやる気持ち、すなわち愛は異物で、拒絶反応を起こしてしまうのだとレジーナ様はキングジュコチューの幻にさとされる。くさいめしを喰らってきた人間がとつじょとしてゴチソウにあずかると腹を壊すというような感覚でしょうか。まことしやかに語られたのだけれど、それが本当かどうかは分からないけれども、パパの強引な説得になんとなく納得したレジーナ様はジャネジーによって悪堕ちしてしまったよ。

ラブリーフォースアローでレジーナ様を浄化しようと試みるも、キュアハートが躊躇して不発に終わる。おそらくキュアハートは強制的にレジーナ様を浄化するのがイヤだったのかと。強制的に浄化してレジーナ様をもとにもどしても、それでは今までつちかってきた友情とは何だったのか、嘘だったのだろうか、ただの友情ゴッコだったのかと、そう考えるとキュアハートは急にいたたまれなくなったとか、そんな理由かと。道具を使わないで、どうか自然に、レジーナ様の真心でもとに戻って欲しかったんじゃないのかと。でも現実はそんなに甘いものではなくて、レジーナ様はプリキュアたちにトドメの一発をおみまいしようとする。絶体絶命のピンチ。そのときキュピラッパーの掛け声とともに新玩具がデカデカと画面にあらわれ、すかさず赤い閃光が走った。キュアエース降臨。次回につづく。刮目して待て。

ドキプリ #21 蜘蛛の糸 感想

今回のみどころは、なんといっても、キュアハートをたすけるためにレジーナ様が自分の身を犠牲にしようと決意し行動する場面です。しらずしらずのうちにキュアハートから愛をもらい、そしてとうとう自身も自己中ではない本当の愛にめざめたというレジーナ様が素敵でした。キュアハートのいちずでブレない愛、そしてレジーナ様自身のキュアハートへの真実の愛、その両方を確認したのちに安心して「マナのために死にたい」とおもったのでしょうか。「マナ…だいすき…」とだけ告げ、レジーナ様は全身を脱力させ重力に身をゆだねるのでした。

キュアハートをおもいやる気持ちがレジーナ様を自己犠牲という結論にみちびいたのだけれど。それをいさぎよしとしないのが我らのキュアハートでして。だれかの犠牲で自分だけ助かるのは許せないらしい。それは、自分だけでは喜びを共有できないからか。キュアハートはドキドキするのが大好きなのだけど、よりドキドキするためにはどうしても仲間が必要だと感じているのでしょう。

弱気なレジーナ様に対して「でもも、すとも、いりません!」と一喝するキュアハートが印象的でした。自分を過信して、アレがダメでもコレがある、コレがダメでもソレがある、イザとなったらもうなんでもアリなんだよ、なんとかなるよ、なんとかするよ、なんとかさせてみせるよ見ててごらん、みたいな、根拠のないメチャクチャな理屈でもキュアハートが言うとホントになんとかなりそうな気分にさせてくれる。それで、つい弱気になっていたレジーナ様ももうアレコレ考えるのはヤメて、とにかくキュアハートについていきたい、ついていこう、それでダメなら納得だよ本望だよぐらいの気持ちになってしまったのだろうか。

ありのままのキュアハートを受け入れたい。そう願うとレジーナ様は、おさえきれないくらいにドキドキする。これはそう、キュアハートの愛にレジーナ様の愛が共鳴したからでしょう。キュアハートの胸の鼓動の波長と、レジーナ様のそれとが完全に一致する。気持ちがひとつになると大きな力になる。それでレジーナ様はチカラを取りもどしたのでしょう。

信じることで夢がはじまる。そして奇跡が起こる。次回、新プリキュア誕生。「なんだろう…すごく…ドキドキが…とまらない!」

タバコの単純所持禁止を呼びかけるべき

単純所持が禁止されているといえば、覚せい剤や拳銃がおもいうかびます。なぜ禁止されているのか。おそらくキチンと管理したうえで道楽として所持しているだけなら問題ないけど、所持していると使ってみたくなるのが人情だからかと。

よく知りませんが、覚せい剤の使用は、その使用者に幻覚や幻聴をひきおこし、ときとして周囲の人たちに危害がおよぶ可能性があるそうなので、禁止されているとか。拳銃には殺傷能力があり、やはり周囲の人たちの身体に危険がおよぶ場合もあるので禁止されているようですね。では同様に殺傷能力がある包丁の所持は、なぜ認められているのか。それは生活に必要だからでしょう。包丁がなければ、ほとんどの料理がまともには作れません。なので、包丁が殺人等に悪用される危険性はあるけれども、実用性のメリットの大きさを優先して、包丁の単純所持は認められているのだとおもいます。

以上をふまえて、私はタバコの単純所持禁止を提案したいです。タバコの煙は周囲の人たちの健康にも悪影響をおよぼします。いわゆる受動喫煙です。分煙がすすんでいるとはいえ、まだまだ不十分です。たとえば、お父さんが吸っていても家では子供は立場が弱いですからなかなか文句を言えない場合だってあるでしょう。タバコの煙から子供を守り、子供を健全に育成したいと思いませんか。また、知識や判断能力が十分でない子供が、大人の喫煙を見て、いたずらに興味、関心をあおられ、誤った認識をしてしまうおそれがあります。大人がうまそうにタバコを吸っていると、その様子を子供が見たとき「タバコはうまいものなのだ」「自分もタバコを吸ってみたい」と考えてしまう可能性があります。そういった子供への悪影響の可能性が否定できない以上は規制の話が出るのは当然だ、というのが児童ポルノ禁止法改正案に賛成している人たちならば、タバコが青少年の健全育成を阻害しているであろう点に注目して、タバコの規制強化に、すなわち単純所持禁止にのりだすべきでしょう。

タバコは生活必需品ではありません。ただの嗜好品のひとつです。タバコがなくても人間は生きていけます。タバコがないと生きていけないと思ってしまうのなら、それは中毒症状ですから、カウンセリングを受けて治療をしたほうがよいのかもしれません。いっぽうで性欲とは、タバコを吸いたいという欲求とは違って、人間の、生物としての、根源的な欲求なのです。ですから、性欲に関する議論はより慎重である必要があるのだとおもいます。

「必要条件」を比喩で用いるのは誤解のもと?!

論理で用いる「必要条件」という単語を比喩で用いるというのは、どういうことなのだろうかと、ずっと疑問に思っていたのですが。最近やっと理解できました。

どうやら、たとえば「博士課程で自分を磨くことは世界に通用する人材の必要条件」という表現なら「博士課程で自分を磨くことは世界に通用する人材になるためには最適です」ぐらいの意味なのかと。ここで「博士課程で自分を磨くことは世界に通用する人材の必要条件」を必要条件ほんらいの意味で解釈すると「世界に通用する人材はかならず博士課程で自分を磨く」となってしまい、すなわち「博士課程で自分を磨かないと世界に通用する人材ではない」になってしまいます。これは誤りでしょう。大学院どころか大学すら出てなくても世界に通用する人材はいるのだろうから。

もしかしたら私だけなのかも知れませんが、「必要条件」という単語が出てくるとついつい額面通りに受け取ってしまって、それが比喩だとはつゆほども思わずクソマジメに論理展開を検証してしまう。私のような人のことを比喩表現で「石頭」というのでしょうかね。もうすこし融通がきくようになりたいものだと反省してます。

正しい事実認識を!

プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべき(アゴラ)

もし著者の人が、現実の少女に興味があるのだからアニメやマンガに出てくる空想上の少女にも興味があるはずだと考えて

>>「幼児に性的魅力を感じる人」は、ほぼプリキュアに釣られてしまうでしょう。

と予想したのだとしたら、それはどうなのでしょうか。
たとえば、どちらも小説なのだからといって、ライトノベルを読む人はほぼ純文学を読むでしょうか。ライトノベルと純文学は趣向が違うものです。
同じ陸上走行車両だからといって、レーシングカーに魅力を感じる人がほぼ戦車に釣られるでしょうか。レーシングカーのさっそうと走る姿に魅せられた人のほとんどが同時に戦車のドッシリ感にも熱い視線を向けてくれるでしょうか。
そう考えると、同じ少女でも現実の少女と空想上の少女とではその魅力は似て非なるものといえるのではないでしょうか。


著者の人は、幼児性的犯罪者は少女に興味がある人たちなのだから同様に少女に興味のある人たちは幼児性的犯罪者になる可能性が高い、と考えているようです。
だからこそ

>>「必要条件(比喩)」というのはプリキュアが好きな人には抵抗があるでしょうが、「児童ポルノ法改正案」に反対するならば認めた方が良いと思います。更に、私が主張するように、プリキュアで「大きいお友達はカウンセリングを受けてね!」って呼びかけるべきでしょう。

と述べているのではないでしょうか。
これは「同じカテゴリー内にいる人は、同じような性質を持ち、同じような行動をとるはずだ!」という思考ですかね。
こういう思考が、たとえば「あの人は部落出身だから…」とか「あの人は大企業につとめているから優秀でも、この人は中小企業だからそうでもない」とか、あるいは「親が犯罪者だったらその子供も悪い子にきまってる」みたいな発想につながるような気がします。
これらは偏見と差別です。
どこ出身であろうと、どんな職業だろうが、家族に犯罪者がいようがいまいが、その人はその人なわけですから、今現在のその人の有り様でのみその人は判断されるべきなのです。
プリキュアだってそうです。コスプレ美少女が登場するからとか、大人の愛好家である大きなお友達が多数存在しているからとか、そういった断片的で副次的な情報と先入観からだけで、プリキュアとはこういうものだろうと判断してしまうのは間違いなのです。
本質を見極めるためには、まず正しい事実認識からです。

どう呼びかけるべきかの提案みたいなもの:「プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべき」(アゴラ)

プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべき(アゴラ)

幼児性的犯罪者になりそうな人に犯罪予防的な意味でカウンセリングを呼びかけるにはどうしたらよいか。

まず国民全員にカウンセリングを受けてもらうという方法があります。
たしかに国民全員の中には全ての幼児性的犯罪者になりそうな人はいるのだから、国民全員にカウンセリングを受けてもらえば必ず全ての幼児性的犯罪者になりそうな人にカウンセリングを受けてもらえますので、目的は達成できます。
しかし現実的ではありません。

宝くじで1等を当てるために全ての宝くじを買い占めれば、もちろん1等どころかすべての当たりくじを独占できますが同時にすべてのハズレをも引き受けなければなりません。
これは現実的ではありませんよね。

そこで対象をしぼるということをします。

たとえば、

タバコを吸う人⇒肺がんになりやすい人

という医学的な研究成果を根拠に、愛煙家のみなさんにだけ肺がん検診をよびかけるのです。
もちろんタバコを吸わない人のなかにも遺伝とかが原因で肺がんになりやすいタイプの人はいるかもしれませんが、そこは目をつぶってもタバコを吸う人に限って重点的に肺がん検診をよびかけるのは効率的なのではないでしょうか。(もちろん肺がんが気になる方は自主的に健康診断を受診してもらっても、いっこうにかまいませんから。というか受診してください!)

ここからが本題です。それでは、

幼児性的犯罪者予備軍⇒プリキュア愛好家

であった場合はどうか。(これが現実として正しいか正しくないかの判断は置いといて、というか正しくないと判断してしまうとそこで話が終わってしまうので、正しいと仮定して話を続けます。)
これを根拠に、プリキュア愛好家に幼児性的犯罪の予防的なカウンセリングを呼びかけるのは適切であるかいなか。

ちなみに、

プリキュア愛好家⇒幼児性的犯罪者予備軍

ではないとします。

さて、

幼児性的犯罪者予備軍⇒プリキュア愛好家

というのは、

∀x∈{幼児性的犯罪者予備軍};x∈{プリキュア愛好家}

すなわち

{幼児性的犯罪者予備軍}⊂{プリキュア愛好家}

ということですから、幼児性的犯罪者予備軍の人はプリキュア愛好家の人たちの中にしかいない、ということです。

問題になるのは、はたしてプリキュア愛好家の中にどの程度の割合で幼児性的犯罪者予備軍が存在するのかということです。
つまり

(幼児性的犯罪者予備軍の数)/(プリキュア愛好家の数)

を検証する必要があるのではないかということです。

長いのでRを

R = (幼児性的犯罪者予備軍の数)/(プリキュア愛好家の数)

とおきます。
R=1 ではないことは

プリキュア愛好家⇒幼児性的犯罪者予備軍

から明らかです。またR=0の場合は議論しても無意味なので、
けっきょく、Rは

0<R<1

となります。
Rの値が1に近ければ近いほど、プリキュアでカウンセリングを呼びかける意義は大きいのですが、Rの値のじっさいのところは分かりません。これでは心もとないです。
そこでRの値よりも1に近い、つまり R<Q<1 となるQが欲しくなります。
それには、ほかの必要条件を追加すればよいのです。
手順としては、なにか

幼児性的犯罪者予備軍⇒何かほかの性質の人

というのを示してあげます。(ただし、{プリキュア愛好家}⊂{何かほかの性質の人} となる場合は追加した意味がありません。また、{何かほかの性質の人}⊂{プリキュア愛好家}のときは集合{プリキュア愛好家}を考慮する必要がなくなります。)
すると

{幼児性的犯罪者予備軍}⊂{何かほかの性質の人}

なのだから

{幼児性的犯罪者予備軍}⊂{プリキュア愛好家}

というのと合わせて

{幼児性的犯罪者予備軍}⊂{プリキュア愛好家}∩{何かほかの性質の人}

となります。
理想的には、同時に

{幼児性的犯罪者予備軍}⊃{プリキュア愛好家}∩{何かほかの性質の人}

が成立することです。(十分条件が成立するということ)

一般的に、

(({プリキュア愛好家}∩{何かほかの性質の人})の数)<(プリキュア愛好家の数)

なのだから、Qを

Q = (幼児性的犯罪者予備軍の数)/(({プリキュア愛好家}∩{何かほかの性質の人})の数)

とおけば

R<Q (Q<1 または Q=1)

です。
結論として、プリキュア単独でカウンセリングを呼びかけるよりも、プリキュア愛好と何かほかの性質とを同時にあわせもつ人たちに呼びかけるほうが、より高い蓋然性で幼児性的犯罪者予備軍の人たちにカウンセリングを受けてもらえそうです。

意見みたいなもの:「プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべき」(アゴラ)

プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべき(アゴラ)

「幼児性的犯罪を犯す人はプリキュアを観る人」

と著者さんは主張しています。
今ここでは「幼児性的犯罪を犯す人はプリキュアを観る人」というのが正しいのか正しくないのかの議論はしません。
とりあえず正しいと仮定して、話を2つします。

1つめ。
「幼児性的犯罪を犯す人はプリキュアを観る人」という主張は同時に、その対偶の「プリキュアを観ない人は幼児性的犯罪を犯さない人」だとも主張していることになります。
つまり、プリキュアを観る人たちの中にしか幼児性的犯罪を犯す人は存在しないということを述べているのです。
なのに著者さんは

>>プリキュアがその様に訴えかければ、同様に少女が出てくるアニメやマンガで、そのような呼びかけが一般化するのでは。

などと、プリキュアに無関心な人たちの中にも、同様に少女が出てくるアニメやマンガで幼児性的犯罪を犯す人が存在することを暗に認めてしまっている様子なのです。すなわち、矛盾した内容が読み取れるということです。
なぜなら、幼児性的犯罪を犯す人はプリキュアを観る人だと主張しているのだから、もしもプリキュアと同様に少女が出てくるアニメやマンガで幼児性的犯罪を犯す人が存在するのであれば当然その「同様に少女が出てくるアニメやマンガを観る人」は同時に「プリキュアを観る人」でなければなりませんので、あえて「同様に少女が出てくるアニメやマンガで、そのような呼びかけが一般化」される必要はなくて、プリキュアでカウンセリングを呼びかけていれば十分なわけですから。
それなのに、著者さんがプリキュアと同様に少女が出てくるアニメやマンガで呼びかけの広がりを期待しているということは、ようするに、プリキュアに無関心な人たちの中にもプリキュアと同様に少女が出てくるアニメやマンガで幼児性的犯罪を犯す人が存在するであろうと著者さんが思っている証左になるのではないでしょうか。

2つめ。
プリキュアを観る人たちの中にしか幼児性的犯罪を犯す人は存在しないとして、ではプリキュアを観る人の中でどの程度の割合が幼児性的犯罪を犯す人なのでしょうか。もしプリキュアを観る人の中で幼児性的犯罪を犯す人の割合が低い場合には、はたしてプリキュアを観る人全員にカウンセリングを受けさせるのは効果的なのだろうかという疑問がわきます。もし、プリキュアを観る人の大部分が幼児性的犯罪を犯す人である可能性が高いのであれば、プリキュアを観る人全員にカウンセリングを受けさせるのは効率的だし効果的だといえるでしょう。しかし、そうなると著者さんが強く否定するところの「プリキュアを観る人は幼児性的犯罪を犯す」という「十分条件」に近くなってしまう。なので、著者さんは『「プリキュアを観る人の大部分が幼児性的犯罪を犯す人」とはいえない』と主張するしかないのだから、「プリキュアを観る人という条件だけでカウンセリングを呼びかけてもあまり意味がないのでは!」という結論にたっしてくれてもよさそうなものなのですが。どうなのでしょう。

ドキプリ #20 雪山 感想

光の伝説。奇跡の光。プリキュアは光の美少女ですからね。奇跡の光でレジーナ様の心をあやつっていた呪いみたいなモノが解き放たれたようなので。なんか、やっぱレジーナ様が追加プリキュア要員なのかなと思ってしまった。

アイちゃんを雪山の上に連れていかなかったのは、おそらくアイちゃんを氷漬けの王女様のそばに近づけたら王女様は簡単に解凍されちゃうからなのかなと。そんな理由で今回、アイちゃんはセバスチャンとお留守番だったンじゃないのかと。

山小屋で「オレが頂上に登った1番目の男になってやるぜ」とほざいていたモブ男。いかにもコイツ、ジコチューになりそうだなと思っていたら、まったくそのとおりで。物語の展開にはまったくからんでこないで、ただただジコチュー要員としてだけの役割でした。

今回のお話は、レジーナ様は良い子で、相田さんはさらに良い子でしたというオチ。どういうメカニズムで、というか「奇跡」だからメカニズムの説明も糞もないのかもしれないけど、とにかく「光」のおかげでレジーナ様は正気をとりもどした。けれども、なぜか魔力までも失ってしまったレジーナ様。けっきょく「光」はレジーナ様の魔力の根源となるものまでも浄化してしまったというコトなのだろうか。

今回のマトメ。レジーナ様の呪いはとけました、ついでに能力も失いました、王女様は氷漬けでしたが見つかりました、レジーナ様と氷漬け王女様はジコーチュートリオに連れていかれました、次回に続く。

それにしても岡田がボケをかましてくれなくて残念でした。大きな雪の玉がころがってきたときプリキュア4人はキチンとよけて、でも岡田だけは雪玉の直撃喰らって、あえなく退場、みたいな体当たりなギャグができなかったものかと。岡田が退場だと氷漬けの王女様を王女様その人だと確認できないから退場させなかったンだ、なんてのは理由になりませんから、だってキュアソードがいるじゃないですか。

キュアソードはレジーナ様を信じることはできないけれどレジーナ様がいなくなると相田さんが悲しむからレジーナ様の無事を心配していたのだとレジーナ様に告げていた。キュアソードは相田さんのことは大事だけど、レジーナ様のことは基本的にどうでもよい。けれど、どうなのだろうか。キュアソードはレジーナ様は信じられないけれども相田さんのことは信じていて、そして相田さんはレジーナ様を信じてる。つまりキュアソードはレジーナ様は信じられないけれどもレジーナ様を信じてる相田さんのことは信じられるということで、それって結局、相田さんのレジーナ様を信じる気持ちをキュアソードは信じるわけなのだから、間接的にキュアソードはレジーナ様を信じるというコトになるンじゃないのかなと。レジーナ様と戦っていく中でそれでもキュアハートのレジーナ様を信じる気持ちがブレなければ、キュアソードとてしだいにレジーナ様を信じるようになってしまいそうです。「君を信じる。ために戦う」というのは「君を信じる。そしてキミを信じるために戦う」ということで「キュアハートを信じる。そしてレジーナ様を信じるために戦う」みたいな感じかなと。

感想みたいなもの:「プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべき」(アゴラ)

プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべき(アゴラ)

まず、タイトルの

>>プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべき

ですが、これは児童ポルノ法で創作物の規制をさせないための根拠となりえる統計資料をつくるのが目的だそうです。
では、なぜアンケートではなくてカウンセリングなのかといえば、

>>その内容がどうしても「性的」なことにならざるを得ないためです。

がその理由。
そして、なぜプリキュアなのかといえば

>>■プリキュアははもの凄い影響力

だからだそうで。その根拠として、

>>橋下市長の7歳になる娘さんが、橋下市長の携帯をハッキングして(苦笑)Twitterで「スイートスマイルプリキュア」とツイートしたことによって大騒ぎに

を挙げている。
そして、

>>プリキュアは事実上フラッグシップと呼べますから、プリキュアがその様に訴えかければ、同様に少女が出てくるアニメやマンガで、そのような呼びかけが一般化するのでは。

と、プリキュアをキッカケにカウンセリングの輪が広がっていくはずだと主張しています。

ここまでをまとめると、著者は
「プリキュアにはものすごい影響力があるのだから、まずプリキュアからはじめるのがよい。そうすれば他のアニメ・マンガでも動きがでてくるはずだ。したがってプリキュアでカウンセリングを呼びかけるのが児童ポルノ法で創作物の規制をさせないための根拠となりえる統計資料をつくるのにもってこいだ」
と主張している。

とりあえず、著者の伝えたいことは理解できる。


ところで、

>>「プリキュアを観る人は幼児性的犯罪を犯す」というのであれば「十分条件」であって「十分条件」とは誰も言ってません。

ということなので、必要条件と十分条件とは逆の関係ですから、
必要条件は「幼児性的犯罪を犯す人はプリキュアを観る」になります。
しかし、これには驚くべき補足がありまして、

>>私はプリキュアは「幼児性的犯罪の必要条件」と言ってよい(比喩)と思っています。

などと書いてある。
つまり『プリキュアは「幼児性的犯罪の必要条件」』と著者が勝手に思っているだけで客観的にそうであるかないかの検証はしてないということです。だからこそ、ご丁寧に「(比喩)」などと断っているのです。論理的な話だとおもっていたら、偏見をまじえた例え話(比喩)だったというオチでした。

じっさい、

>>「幼児に性的魅力を感じる人」は、ほぼプリキュアに釣られてしまうでしょう。ということを言ってるに過ぎません。

と、『「幼児に性的魅力を感じる人」は、プリキュアに釣られてしまう』といった明確な表現ではなくて、『「幼児に性的魅力を感じる人」は、ほぼプリキュアに釣られてしまうでしょう』と「ほぼ〜でしょう」という曖昧な表現になっている点からも厳密な「必要条件」ではなくて「(比喩)」だということがうかがえます。たしかに「(比喩)」なら厳密な客観性は問われませんから、お話をあやふやにするにはもってこいです。

そして、肝心なところがあやふやなまま、お話は続きます。

>>「必要条件(比喩)」というのはプリキュアが好きな人には抵抗があるでしょうが、「児童ポルノ法改正案」に反対するならば認めた方が良いと思います。

これは意味不明です。そもそも「(比喩)」なのだから認めるも認めないもないと思います。他人が比喩として何をどう表現しようが基本的に自由だと思うから。だってそうでしょ?たとえば気の小さい人が謙遜して「私の心臓はノミの心臓ですから…」と言ったとして、それが比喩表現であるかぎり、その人の心臓が実際に生物学的にノミの心臓でなくてもまったく問題がないように。というかそもそもノミに心臓はないらしいのですが、それでも全く問題ないですよね、比喩表現であるならば。認めるも認めないもないと思われます。

そしてその直後、なんの脈絡もなく、

>>更に、私が主張するように、プリキュアで「大きいお友達はカウンセリングを受けてね!」って呼びかけるべきでしょう。

と、プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべきだと主張している。これはどういうことなのだろう?

著者は「プリキュアを観る人は幼児性的犯罪を犯す」とは全く主張していなくて、さらには「プリキュア」という単語は「幼児性的犯罪の比喩」として使用しているにすぎないのだと主張しているのだから、畢竟、著者は「プリキュア」と「幼児性的犯罪」との関係性はものすごく曖昧だということを述べてしまっている。なのに、さもプリキュアと幼児性的犯罪とは密接な関係があるかのようにムリヤリに導いているのですよ。

たとえどんなにプリキュアにものすごい影響力があったとしても、プリキュアと幼児性的犯罪の関連性が明らかでなければ、プリキュアでカウンセリングを呼びかけても著者が意図するところのカウンセリングの輪は広がらないだろうし、したがって児童ポルノ法で創作物の規制をさせないための根拠となりえる統計資料をつくることも困難なのではないでしょうか。

ドキプリ #19 ゲーム 感想

けっきょく誰がクリスタル5個集めても飛んでっちゃってたのかもしれない。
次回予告で、まこぴーが「クリスタルが飛んでった先に王女様がいるはずぅ!」と何を根拠にそんなこと言ってるんですかこの小娘は!と思って見てたら、どうやら本当にいるみたいなんだなコレが。
まこぴーは預言者か?
でも、いるにはいたんだけど、いかんせん王女様は凍りづけで、うむ、わかったぞ、次回はいかにじょうずに王女様を解凍できるか?それが問題になるのだろう(え

しっかし、どう考えてもジコチューの連中はゲームでズルする気マンマンでしたからネ。
つまらんゲーム大会になりそうだなと思ってたら、やっぱりツマラナカッタ。
せめてプリキュアさんたちが、ジコチューさんたちが反則してきても、自分たちだけは正々堂々とゲームします、みたいな展開だったら良かったのかもしれませんが。
ってゆーか、戦闘しないためにゲームしようというのに、そもそもプリキュアに変身する必要があったのだろうかという素朴な疑問がありまして、とうとつにプリキュアに変身した時点で必殺技使いますって宣言しているみたいでヘンな感じがしたんだがな。
とはいえ、プリキュアに変身しなければ販促になりませんから、ここはジコチューたちの反則に対してプリキュア側は玩具の販促で対抗したということなのでしょうか。

だいたい、むこうはクリスタル1個で、こちらはクリスタル4個。
それを勝った負けたで総取り、というのはプリキュア側にブが悪すぎるじゃあーりませんか。
しかも、どんなゲームをするかは敵側が勝手に決めてしまって、しかも事前には教えてくれない。
しかもしかも、すべて敵陣での勝負となれば、どんだけ不利なんだろう。
しかもしかもしかも、ジコチューさんたちは反則する気マンマンときたもんだ。
しかーし、それでもレジーナ様の提案するゲームにいどんでいく相田さんのさまは、ただのバカなのか、それともレジーナ様を信じる気持ちのあらわれなのか。

信じることをあきらめてしまったらオシマイ。
おそらくそんな気持ちが相田さんにはあったのかな。
指切りをして、どんなことがあってもお互い約束は守ろうとレジーナ様をうながす相田さん。
ああ、これは、ズルしてレジーナ様がクリスタルを奪うのだけれども、結局は相田さんとの約束が大切だと気がついて返すというオチになるのかなと思いましたが…ちがった。
いや、プリキュアさんたちの説教もあって、そんな展開になりそうだったのだけれども、赤いロイヤルクリスタルの呪いだかなんだかのせいで赤い瞳のレジーナ様は「そんな約束なんか知ったコトかッ!(大意)」といった感じになってしまった。

けっきょくレジーナ様がクリスタル5個そろえてしまったのだけれども、その直後クリスタルはどこかに飛んでいってしまった。
これは、レジーナ様が悪しき心だから飛んでいってしまって、プリキュアさんたちだったら5個のクリスタルは切り札に変化していたのでしょうか。つまりクリスタルはそれを所有する人を選ぶ、ということなのか?
でもレジーナ様の悪しき心は赤クリスタルのせいだと思うので、なんか変な感じもするんだがな。
どうなんだろう。
わからん、わからん。
とにかくクリスタル5個は飛んでいった。
さて、どうやって追跡するのでしょうか?という素朴な疑問があるのですが…発信機でも付いているのでしょうか?

ドキプリ #18 ジョー岡田の身の上話 感想

ある日、アイちゃんの卵が河原に産み捨てられていました。偶然それを見つけたジョー岡田ことジョナサン・クロンダイク。これは使えそうだ、高く売れそうだ、と、ひろってきたのだそうです。そして、ある日とつぜん、中から赤ちゃんが…というのがアイちゃん誕生の顛末だそうで。ウソくさいですね。あいかわらずの、うさんくささ。そしてウンコくささ。それがジョー岡田。

ジョナサン(ジョー岡田)はアン王女の警護を担当していたが、人事異動で辺境地を警備する役目になってしまう。ちょうどそのときにジコチュー集団がトランプ王国に攻めてきたのだという。だがしかし、かりにジョナサン(ジョー岡田)がアン王女のそばにいたとしても、守れたかどうかは、また別の話なのでしょうけどね。

キュアハートがひとりで蒸気機関車を押し止めようとしてましたが。そこで、チョット気になったのがキュアハートの脇の下…ではなくて、なんで残りの3人が加勢しなかったのかという点です。全員で協力して蒸気機関車を押し止めようとする場面が描かれていたら、ああ、プリキュアっぽかったのになと。まあ、販促の都合もあったのでしょう、キュアソードがスパークルソードで連結器を壊してキュアハートを援護するという流れになりました。とはいえ、さいごに最後のロイヤルクリスタルが登場したとき、さいごのはピンク色でしたから、そう考えるとキュアハートの、お兄さん(ジョー岡田)の思い出を守りたい、という思いと共鳴したからあらわれたと理解できますから、蒸気機関車を押し止めようとする場面はキュアハートひとりでなければダメだったのかもしれませんね。地味にキュアハートのメイン回だったのかもしれない。

こんかいは、個人的には、ジョー岡田とまこぴーが王女様をめぐって修羅場になり、頭に血がのぼったご両人のとっくみあいのケンカとかが描かれるのかなと期待していたのですが、そんなことはなく。わりと平和に、ゆったりとした展開だったような気がします。ようするに今回は、視聴者にジョー岡田の身の上話を聞かせる、最後のロイヤルクリスタルを登場させる、の2点を消化できれば良かったわけですからね。物語の縦軸をつなぐための消化回でした。そんなわけでレジーナ様の動きも、たんたんとしてました。

ドキプリ #17 我が名はジョナサン・クロンダイク。アン王女の婚約者なり。 感想みたいなモノ

まこぴーの「王女様は彫刻が好きだった…」で、今回の舞台は森の彫刻美術館になりましたとさ。なんか強引な展開じゃないか。でも以前にも「王女様はバラが好きだった…」でローズレディコンテストに参加することになったことがあったわけですから、ドキプリではよくあることなのかもしれません。もうね、まこぴーが「王女様は●●が好きだった…」と言えば、●●に関係のありそうな場所が舞台になるのでしょうね。なんかスゴク便利。「王女様は魚が好きだった…」なら水族館に行き。「王女様は牛が好きだった…」ならステーキハウスへ。また、「王女様はアニメが好きだった…」なら秋葉原。といった感じに、お話の舞台を設定できそうですね。

今回は、あっけにとられたというか、予想の斜め下をいったというか、とにかく展開が読めませんでした。レジーナ様が森の彫刻美術館に来たのは、おそらく相田さんをストーキングしていたか、あるいは、ひそかに相田さんのお洋服にでも超小型GPSを取り付けていたのでしょうから、まあ、いいとしても。ジョー岡田まで森の彫刻美術館にいたりして、ああ、でも、ジョー岡田はよく相田さんたちの周辺をウロウロしてますよね、映画の撮影所にも忘れ物をとどけに来たとか何とかで。うむ、ジョー岡田は神出鬼没な不審者キャラとして視聴者から認識されてましたからね。今回もとくにストーリーには関わってこないで終了かなと思っていたのだけれども。最後にビックリさせてくれました。いっつもどこほっつき歩いてるんだかと誰もが思っていたジョー岡田が、じつは王女様の婚約者だったという衝撃の事実。まこぴーも知らなかったという、王女様の婚約者の存在。ああ、こりゃ修羅場だ。まこぴーがジョー岡田の首をかき切っても不思議ではないだろう。

それにしても、あの赤いロイヤルクリスタルを手にしたときにレジーナ様の眼の色が赤くなり、態度が豹変したのは、なぜだったのだろうか。なにかを思い出したのだろうか。それとも何かにあやつられているのだろうか。謎だ。

ドキプリ #16 マナはあたしのモノ! 感想みたいなモノ

本当の友達とは?。これはレジーナ様でなくても難しい問いかけでしょう。自分では友達だとおもっていたのに相手はそうは思っていなかった、ということもあるから。じっさいのところ、友達の定義って、なんなんでしょうかね?。わかっているようで、じつはわかっていない、それが友達というものの本質でしょうか。

友達になるキッカケは、いろいろあるとは思います。なにかに意気投合して自然と友達になる場合もあるでしょうし。組織の中でひとりぼっちがイヤだから、とりあえず気が合いそうな人をみつけたい、そんな切なる同じ思いどうしの利害が一致して友達になることだってあるでしょう。また、レジーナ様のように相田さんを一方的に気に入って友達になりたいというケースも、まま、よくあるのでしょうよ。

相田さんの場合、自分に好意をもって近づいてきてくれた人は、とりあえず受け入れたいという気持ちがありそうです。以前、あこがれています、弟子にしてください、と頭をさげてきた後輩の男の子がいましたが。そのときも相田さんはイヤな顔ひとつせず、いいよ、と。おそらく相田さんは、相手が自分の良いトコロを見つけて好きになってくれたのだから、こんどは自分のほうで相手の魅力を見つけて好きになってあげたいのかなと。

レジーナ様は相田さんをオモチャにしたいだけという感じでした。というか、それがレジーナ様にとっての「友達」という概念らしい。自分の友達は、自分のオモチャは、自分だけのモノ。だから、ほかの人にはさわられたくないし、さわらせない。とくにお気に入りのオモチャなら、なおさら強くそう願うものなのかも。でも人間は、友達はオモチャではない。

レジーナ様には相田さんをよろこばせたいという気持ちもあったようだけれども。それとて結局のところ相田さんのためというよりもレジーナ様自身が相田さんの気を引いて、それを自分が楽しみたいというだけのようでした。レジーナ様は「マナのため、マナのため」と主張してはいたけれど、ほんとうは「自分のため」で。あまつさえレジーナ様は相田さんのためにイッパイつくしたのだから今度は相田さんの番だ、ほかの友達たちは切り捨てて私だけのモノになれと要求してくる。

とはいえ、レジーナ様がまったくの自己中心的な性格かといえば、そうでもなくて。相田さんはレジーナ様が学校に来たことをとがめて、「学校が終わったらつきあうから…(いまは帰って)」と説得すると「わかった。マナがそういうなら、そうする」と素直に応じる場面もあったりして。好意をよせる人物の意見には耳を貸そうとする気持ちもあるようです。だからこそ最後の場面で文句タラタラになりながらもキュアハートに「本当の友達になろう…」といわれたことを思い出しながら、レジーナ様は「本当の友達って、なんだろう?」と内省してみるにいたったのでしょう。

なんとなくレジーナ様は、気まぐれではなくて、本当に相田さんのことが好きなのかなと。自分の思い通りにならないのなら、いつでも「つまんない。マナも消えちゃいなよ。」とか言って攻撃しそうなものなのだけれども。レジーナ様はけっしてキュアハートだけは攻撃しないで、執拗にほかの3人のプリキュアを攻撃していた。それもこれも相田さんの人徳というか、相田さんはレジーナ様の友達になることは承諾して、実際いっしょにオシャベリしたりアイス食べたりと、なんやかんやと気さくに遊んであげていたわけですからね。レジーナ様は相田さんのそういう卑屈にならない媚びへつらわない性格が新鮮でオモシロイと感じて、気に入ったのではないのかな。

いずれレジーナ様は相田さんに薫陶されていくような気がします。いまは、友達になってくれると言っておきながら自分だけのモノになってくれない相田さんにいらだってるレジーナ様だけれども。なぜそうなのか?本当の友達とは?と考えていくうちにレジーナ様の心境に変化があらわれてくるのでしょう。

敵と友達になって世界を救うという展開は、なんとなく「精霊とデートして、デレさせる」というあの番組に似てなくもないような気がした。

ドキプリ #15 レジーナ様、初参戦 感想みたいなモノ

おもしろかった。今回のレジーナ様謹製ジコチューに対しては必殺技のコンボでは歯がたたない。そこでキュアソードさんが、4人のチカラをひとつにするんだ、と提案したから、ああ、ここで4人の合体技が出るんだなと期待した。すると、ちょうどタイミングよく、放し飼いにされていたアイちゃんが登場してくれて、あらたなキュアラビーズを4人に配給。ここで私は、おそらく4人それぞれの小道具を物理的に合体させ、しかるのち強力なビームでも発射するのかなと予想していたのですが。見事に、ちがった。ここは青木れいか様もビックリの、まるで弓道部の連中のようにキレイにそろって4人が4人それぞれに弓矢ビームを放ち、それらが合わさって敵を攻撃するという予想の斜め上をいく展開。そして、ここで大事なのは1+1+1+1=4ではなくて1+1+1+1>4だということですね。ハートシュートの1本だけだと弱いけれど4本あわせれば4人のこころをひとつにあわせれば4倍以上に強力になるという教訓。まるで毛利元就の3本の矢の話のようでした(ちがうか?

ドキプリ #14 からくれなゐに みつくくるとは 感想

なんかもう、メチャクチャ。なんで競技かるた?という素朴な疑問。地味に競技かるたのルールとかテクニック(一字決まり、囲い手、など)とかが紹介されてましたがね。それもなんか中途半端で残念な感じでした。あと、六花さんがかるたクイーンと手合わせするとか、六花さんはすでにA級なのか?という疑問もわいてきたりして。クイーンもクイーンで、ご丁寧にわざわざ袴着用でしたよね。おそらく「呉服の大江」で借りてきたのかも。

六花さんが競技かるたをはじめた理由がイマイチでした。やっぱ、ここはひとつ、小学生のときに福井から転校してきた男の子(綿谷くん(仮名))をキッカケに、六花さんは競技かるたにめざめたという設定にしていたらヨカッタとおもいます。つまり六花さんが競技かるたをはじめたのは小学生のときで、でも中学生になって、綿谷くん(仮名)が福井に帰ってしまったり、あと六花さん自身も中学校という新しい環境をスタートするにあたり本格的に医者になるという目標を意識するようになって勉強が忙しくなって、いつのまにか競技かるたから気持ちが離れていってしまったという。けれども、ときどき思い出す、綿谷くん(仮名)のことを。綿谷くん(仮名)は福井でいまでも競技かるたを続けているのだろうかと。今年は年賀状がこなかった。なにかあったのだろうかと六花さんの胸がさわぐ。去年の年賀状に記された綿谷くん(仮名)ちの電話番号にかけてみる。綿谷くん(仮名)が電話にでた。六花さんは綿谷くん(仮名)に「元気?かるたやってる?こんどヤろうよ!」と伝えるものの、しばしの沈黙のあと綿谷くん(仮名)は「ゴメン。いまはそういうの全然ヤってないから…。もう電話してこないで…」とだけ答えて、電話は切れた。六花さんは綿谷くん(仮名)のことが心配になり、いてもたってもいられなくなり、すぐさま福井に直行する。

えっとぉ、今回の舞台は福井です。六花さんとおせっかい3人が福井でプリキュアに変身して戦うのです。綿谷くん(仮名)は、とある家庭の事情から競技かるたへの情熱を封印していた。しかし「競技かるたをやりたい!名人になりたい!」という綿谷くん(仮名)の自己中心的(?)な気持ちをイーラにジコチューにされてしまう。ジコチューになってしまった綿谷くん(仮名)とキュアダイヤモンドは競技かるたで勝負する。激しい戦いのすえ、からくもキュアダイヤモンドは勝利する。しかるのち浄化され、もとにもどった綿谷くん(仮名)は、六花さんに諭されて、謙虚な気持ちで競技かるたを続けていくことに。六花さんは綿谷くん(仮名)に「近江神宮で会おうネ(ハートマーク」と告げると、夕日を背に帰路につくのでした。

まあ、だいたい、こんなかんじのストーリーのほうがヨカッタんじゃねーのかなと。前回は四葉ありすお嬢様のおさななじみがゲストキャラとして登場したので、今回は六花さんのおさななじみの綿谷くん(仮名)ということにしたら、と、そう思わずにはいられなかった今回のお話。

ドキプリ #13 ロゼッタだから薔薇だとおもってたけど… 感想

バラバラにしてやりたいから薔薇(バラ)なんだってさ、今回。
なんだかな〜、と思いましたが…
まあ、とにかく四葉ありす様メイン回でした。

アバンで四葉財閥の取締役会の様子が描かれていました。
なんかホント、ありす様は学校に行ってる感じがしませんな。

今回はお話の展開がちょっと強引な印象でした。
まこぴーが王女様をみつける手がかりは薔薇だと言う。
するとセバスチャンがタイミングよく新聞の折り込みチラシをとりだして「ローズ・レディ・コンテスト」ってのがあるよと。
優勝商品の黄色い薔薇が王女様の手がかりになりそうだからと、ありす様がコンテストに参加しましょうと提案。
まあ、そんな誰かに誘導されたような感じで、ローズ・レディ・コンテストの会場へレッツゴーという展開に。

そして、そして、ローズ・レディ・コンテストの競技内容というのが、なぜか…
社交ダンス、絵画、ピアノ演奏、テニス、ですって!
唐突すぎて、ワケワカラン
しかもピアノの中で子猫が寝ているというハプニングがあったりして…、でも、まあ、これはよくあることですね(ネーヨ
なんかもうメチャクチャ
審査基準がまるで示されないまま、ご都合主義的に最終選考に残った2人が、ありす様と自称ライバルの五つ星さん。
そして、なぜか最終決戦がテニスという、どのへんが「ローズ・レディ・コンテスト」なんだろうかという素朴な疑問をいだきつつも、こまけぇこたぁいいんだよ的な感覚で視聴継続するしかなかった。
わりと激しいテニスだったのに普通に会話してたのも違和感だったな。

今回は、ありす様が相田さんたち友達を大切におもう気持ちが描かれていた。
五つ星さんが相田さんたちにどんなに悪口を言っても、ありす様は心がみだれることはなかった。
ありす様は、悪口を言う人たちは無視するか適当にあしらっておけばいいと考えたから。
ありす様は、自分がとりみだすことで相田さんたち大切な友達に迷惑をかけることを知っていたから。
じっと耐えることも友情。
でも本当に友達を守らなければならないときは遠慮なく、とことん戦うという。
そんな、ありす様でした。

けっきょく、五つ星さんとは友達になれなかったのかな。
けっきょく、五つ星さんはジコチューを登場させるためだけのゲストキャラだった。
けっきょく、五つ星さんに救いはなかったというのがオチだったようです。そこが前回のお話とは決定的にちがうのよね。残念でした。イイハナシジャナカッタナー

ドキプリ #12 マナがついに弟子をとる?! 感想

ハートキャッチプリキュアっぽい、お話でした。ゲストキャラが登場して、そのゲストキャラがデザトr…、ちがう、ジコチューになってしまって。でも浄化されるとスッキリして視野を広げて視点を変えたゲストキャラさんは前向きになった、という終わりかた。ああ、いかにもハートキャッチプリキュアっぽい。ですよね?成田先生?

相田さんにあこがれて弟子入りを志願してきた後輩の男の子。かんたんに弟子入りは許可されたものの、相田さんがハイスペックなうえに仕事がハードでなかなかついていかれない。後輩君は自身の無力感にさいなまれる。そしてとうとう後輩君の心の花は枯れてしまってデザトリアンに…だったらハートキャッチプリキュアなのですが。ドキドキプリキュアでは自己中心的にならなくてはいけません。後輩君は「相田先輩より強く大きくなりたーい!」と願うのですが、これは自己中心的な感情とはちょっと違う、けれどここは敵さんから強引にプシュケーを抜き取られたということで理解しました。じっさい自己中ではない人から奪ったプシュケーをもとにしたジコチューでは、敵さんはかんじんなところでウマクいかなかったわけですからね。

けっきょく後輩君は、自分は相田さんと同じにはなれない、けれども困ってる人を助けたいとか生活環境を良くしたいとかそういう思いや願いは相田さんといっしょだからと。後輩君は後輩君で、自分の得意な分野でできる範囲のことを努力していけばいいのだと気がつく。そんな健気な後輩君の姿に相田さんも心をうたれて、相田さんはこれからも後輩君のことを応援していきたいとおもっただろうし、自分自身ももっと頑張りたいとおもったのではないでしょうか。

感想を書くために2回目に見たとき、アバンであの花壇が描かれていて、ああ、そういうことか、と思った。アバンでは後輩君は花壇にはまるで関心をしめさず、相田さんのことばかり考えていたのでしょうね。それが最後、まぶしすぎる存在である相田さんのことは相田さんとして置いといて、後輩君は自分が得意とする花壇の手入れをするようになったというオチでして。なんかイイハナシだな。まさに花壇で始まり、花壇で終わったような。お花ではじまり、お花でおわる。まさにハートキャッチプリキュアじゃないですか。花言葉はなかったケドさ。

ドキプリ #11 めざめよ!プリキュアの新たなる玩具! 感想

たまにアニメとかで、部活の助っ人なんてのが描かれたりするけど、じっさいはそんな人いないような気がする。すくなくとも私は知らない。だいたい部外者をその球技がじょうずだというだけの理由で試合の時だけ出場させるなんて、そんなイイトコドリは顧問の先生が許さないとおもうし、あいての学校にも失礼だとおもうし、なにより日々つらい練習に耐えながらベンチ入りがかなわなかった部員たちに失礼です。助っ人が許されるのは、せいぜい学校内の球技大会ぐらいだろうか。などと少し憂鬱になりながら物語の展開を見ていたら、なんのことはない。けっきょく相田さんはプリキュア業を優先して、試合には出場しなかった。そして急遽、1年生の補欠のコが登板してた。そう、それだよ。エースがケガで投げられないのなら、補欠のピッチャーが投げればいいだけのはなしですよね。いやあ、よかった、よかった。これこそが部活動の本来あるべき姿だ。勝ち負けなんて、にのつぎ。これぞスポーツマンシップ。うむ、うむ。

ジョー岡田は、ひとめをはばかって変身できない相田さんのために、わざとやられたふりをしていたのかと思いきや、ほんとうにダメージを受けていて入院していたという残念感パネェ。入院服姿が涙を誘った。せっかくならあのままジョー岡田さん永久退場という展開でも、よござんしたね。そんでもってジョー岡田の弔い合戦ということになって、キュアハートと敵のオッサン(名前は失念)がタイマン勝負をするという熱い展開でも笑えたのだが。さすがにそうはならなかった。

敵のオッサンがアイチャンめがけて投げたロンギヌスの槍は、アイチャンのATフィールドにはねかえされた。そのあとアイチャンはとつじょ地味に巨大化して意識を失ったかとおもいきや、アイチャンの背中がパックリ割れて、中から出てきたのは誰あろう、くだんの行方不明の王女様でした…みたいな展開にはならず、、、そうですね今回は新商品の販促回でしたから、ってかもうCMでネタバレしとったわい、そう、あれはスイートミントのミントアローでしたね。ああ、なつかしい。

今日は体調がすぐれなかったので、あまり真剣にみてなかったのだけれど。まあ、とどのつまり、みんなで協力しましょう、ってオチだったのかにゃ。そう、ひとりよりふたりがいいさ、ふたりよりさんにんがいい、なんて歌がありましたが、さんにんよりよにんがいい、というのが今のプリキュアさんたちなんです。

こんかいもオモシロカッたよ。脚本よかったゾ。もうね山口脚本をメインに、成田脚本をサブに、2人で書いていけばいいんじゃないのかなとおもいます、ドキドキプリキャ。
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